第131話 モニュメント

「修学旅行最終日の今日は、飛行機の時間まで、私があなた達のドライバーになってどこにでも連れてくよ」

 朝食の食卓で、ヨハンナ先生が言った。


 僕は農家民宿「ひだまり」のリビングダイニングで、新巻さんやヨハンナ先生、三鹿さんと共に、オーナーの益子さんが作ってくれた朝食を頂いている。

 益子さんの妹さんが焼いてくれた自家製小豆パンと、スクランブルエッグに、三鹿さんが燻蒸した鹿バラ肉のベーコン。

 サラダは朝採ったばかりの野菜だし、コーンスープも表の畑から収穫したとうもろこしが使われている、贅沢な朝食だ。


「ドライブしようよ。天気もいいし、ドライブ日和でしょ?」

 先生が言う。

「どういうことですか? だって……」

 予定だと、今日は旭川に戻って、団体行動になるはずだ。

 そのまま飛行機の時間まで、クラスごとにバスで移動だったのに。


「学年主任の真中先生が、そうしてあげなさいって言ってくれたの。班行動の一日目、塞君と新巻さんの二人は何もできなかったから、最終日の今日、自由になる時間で色々見せてあげなさいって。うちのクラスは、同行してる教頭先生が、私の代わりに見てくれることになった」

 先生が説明する。


「僕達は一日目も、十分楽しかったんですけど」

 三鹿さんに料理習ったり、五右衛門風呂に入ったり(遭難しそうになった先生に抱きつかれたり)。


「その辺のことは、黙っておいた。二人が可哀想な感じで過ごしたって話したの。そしたら、二人についていてあげなさいって。まあ、嘘も方便って言うしね」

 さすがは、ヨハンナ先生。


「話の分かる先生で羨ましいよ。私もこんな先生がよかったな。美人だし、私が男子生徒だったら、絶対、恋してるね」

 三鹿さんが言う。

 それは三鹿さんが、ヨハンナ先生の一面しか見ていないからだ。

 寄宿舎での先生のぐうたらぶりを、一度、三鹿さんにも見せてあげたい。


「で、どこに行きたい? 五時過ぎの飛行機の時間までに行ける範囲で」

 先生が訊いた。


 やっぱり、ドライブなら、美瑛とか、富良野とか、そういう景色が良いところだろうか。

 それとも、北海道のグルメを徹底的に味わうとか。

 ご当地ラーメンの店を車ではしごするとか。


「はい!」

 僕が考えていたら、新巻さんが授業でするみたいに挙手した。


「私、宗谷岬に行きたいです」

 新巻さんが言う。


 宗谷岬って、確か、日本最北端のところだったか。

 前にテレビで、そこに立っている三角形のモニュメントを見たことがある。


 新巻さんの提案には、聞いていた三鹿さんが口を挟んだ。

「ここから宗谷岬まで、車なら三時間くらいかかるよ。宗谷岬から旭川空港に帰るのも、四時間はみておかないとね。行って行けないことはないけど、今すぐに出発して、ギリギリってところだね」


 今の時刻が七時十一分。

 八時に出発したとして、三時間なら、宗谷岬に着くのが十一時で、少し観光してすぐにそこを発っても、旭川に着くのは三時を回る。

 搭乗手続きとかもあるし、五時過ぎのフライトなら、ギリギリだろう。


「よし、行こう!」

 ヨハンナ先生が言った。

 先生が悪戯っぽい笑顔をしている。

 まずい、先生はこういう無謀な挑戦に、俄然、燃えるタイプだ。


「塞君も、それでいい?」

 ヨハンナ先生が僕に訊いた。


「僕はいいですけど、先生は大丈夫ですか? 長時間、運転することになりますけど」

 先生はもう、ここに来るのに二往復してるんだし、その間に、大勢の生徒の引率をして、相当疲れてるんじゃないかと思った。


「私をおばあちゃん扱いするのは酷いな」

 先生が口を尖らせた(ちょっとカワイイ)。

「いえ、そういう意味じゃ、ないですけど」


「せっかくの修学旅行だもん、行きたいところに行かなきゃ。大丈夫、私は疲れてないよ。寄宿舎に帰って、また塞君が髪を洗ってくれて、マッサージしてくれれば、それで疲れも吹っ飛ぶし」

 ヨハンナ先生が言う。


「あなたは、生徒に髪を洗わせたり、マッサージさせたりしてるの?」

 三鹿さんが先生を見て、眉をひそめた。


「いや、これにはちょっと、色々と事情がありまして……」

 確かに、それだけ聞いたら異様に映るかもしれない。


「分かりました。僕も、宗谷岬でいいです」

 新巻さんもヨハンナ先生もノリノリなら、僕に異論はなかった。


「それじゃあ、急ぎなさい」

 三鹿さんが言う。

 僕達は急いで朝食を平らげて、すぐに荷物をまとめた。

 三鹿さんが、車への荷物の積み込みを手伝ってくれる。

 僕は、先生のスーツケースから今日着る服を出して、先生に渡した。

 白いタートルネックのニットに、ジーンズ、黒のチェスターコートは、錦織のコーディネイトだ。


「あなたは、生徒に服の管理までさせてるの?」

 三鹿さんは驚くというより、もう呆れていた。


 僕達は素早く着替えて玄関を出る。

 新巻さんは、キャメルのPコートに、チェックのスカートを穿いていた。

 今日の新巻さんのリボンは、品のあるピンクだ。



 玄関前には、荷物を積んだミニの赤いコンバーチブルが停まっている。

 なるほど、先生がレンタカーを一昨日のアクアから、これに乗り換えたのは、今日のドライブのためだったのか。

 ソフトトップを開けて、僕達にオープンエアのドライブを楽しませるつもりだったんだろう。


 僕が助手席に乗って、新巻さんが後部座席に座った。

 ヨハンナ先生がエンジンをかける。


「本当に、すまなかったね」

 去り際、益子さんがもう一度頭を下げた。

「いえ、貴重な体験をさせて頂きました。今度は、赤ちゃんに会いに来ますから」

 新巻さんが言う。


「篠岡君、私のお婿さんになりたくなったら、いつでも来なさい。私はいつでもウエディングドレス着るから」

 三鹿さんが、僕の耳元に顔を近づけて言った。

「ちょっとちょっと、私の教え子に、手を出さないでくれる?」

 ヨハンナ先生がそれを遮るように、パワーウインドウを上げる。


「それじゃあ、また」

 ヨハンナ先生が車を発進させた。

「それじゃ、お元気で!」

 僕と新巻さんは、手を振る。

 畑の中の小径を行って、三鹿さんと益子さんが見えなくなるまで手を振った。

 三鹿さんと益子さんも、見えなくなるまで、ずっと手を振っている。


 本当に、社交辞令抜きで、またここに戻って来たいと思う。

 花園や枝折、そして、弩にも、ここの五右衛門風呂に入れてあげたいし、三鹿さんの鹿肉料理を味わってもらいたい。




 薄暗い林道を走り抜けて町まで出ると、僕達はコンビニエンスストアでお菓子や飲み物を仕入れた。

 その駐車場で、先生は車の電動ソフトトップを開ける。

「寒いかもしれないから、膝にかけてなさいね」

 先生が言って、僕と新巻さんに、用意していたブランケットを渡した。


 走り出すと確かに、朝の空気はまだ冷たい。

 でも、おかげでぱっちりと目が覚めた。


 ただでさえ視界が開けているのに、屋根がないおかげで、空と僕とを遮るものは何もない。解放感で、自分が大きくなったような気がした。


 僕達のコンバーチブルは、真っ直ぐな道を、ひたすら走って行く。

 青い空と、緑の大地。

 時々かまぼこ型の牛舎が現れる以外、果てしなく、道路が続く。


「わあ!」

 新巻さんが思わず声を上げた。

 しばらく走ったら、右手に海が見えてきた。

 深い青の大海原、これがオホーツク海なんだろう。

 海には白波が立っていて、荒々しく僕たちを迎えた。


 これから海岸線の国道238号を、北海道の縁をなぞるようにして、宗谷岬まで、ずっと上がっていく。



 単調で眠気が襲ってくる道路で、先生は歌を歌って眠気に耐えた。

 先生が歌うのは「Party Make」の曲だ。

 寄宿舎で三人がレッスンをしているから、覚えてしまったらしい。

 それに、新巻さんも加わった。

 僕が自分のスマートフォンをカーオーディオに繋いで曲を流すと、コンバーチブルの中で、二人のカラオケ大会が始まる。

 

「へえ、森園先生も『Party Make』の曲、歌えるんだ」

 ヨハンナ先生が訊いた。


「はい、メンバーのふっきーが、この学校の先輩だって分かって聞き始めたら、気に入った曲ばっかりで、ファンになりました」

 新巻さんが言う。

 こんなところにも、ファンがいた。

 来春のメジャーデビューに向けて、「Party Make」の人気が高まっているのが嬉しい。


 でも、あれ、なんかおかしい。


 ん?


 ヨハンナ先生、今、新巻さんのこと、「森園先生」って呼んでなかったか。


 え?


 え!


「ヨハンナ先生、昨日の夜の、私たちの会話、聞いてたんですか?」

 僕より先に気付いた新巻さんが、後部座席から身を乗り出して、先生に訊いた。


 昨晩、僕たちが話をしてるとき、先生は隣の部屋で酔いつぶれていたはずだ。

 三鹿さんと、抱き合うようにして寝ていたのに。


「ゴメンね、二人の話、聞こえちゃったの」

 先生がそう言って舌を出す。

「盗み聞きしてたなんて、酷いです」

「この霧島ヨハンナ、酔っぱらってても、カワイイ生徒のことになると、言葉が耳に入ってきちゃうんだよね。そこは、教師のさがってやつ?」

 先生が言った。


「安心しなさい、あなたが内緒にしておきたいなら、学校にも、他の生徒にも黙っているから。でも、担任教師としては、新巻さんに、もう少し、周りのクラスメートと打ち解けて欲しいな」

 先生が運転しながらバックミラーに映る新巻さんに問い掛ける。


「この塞君からでいいから、修学旅行が終わって班が解散しても、休み時間とか、話をしてみて。コミュニケーションとってみて。彼が素敵な男子なのは、私が保証するし」

 ヨハンナ先生に保証された。

 先生は僕にウインクする。


「分かりました」

 新巻さんが答えた。


「うん、じゃあ、そういうことで。はい塞君、次の曲、流して」

 先生が言うから、僕は「Party Make」の「いじわるなヘロン」を流す。


 曲がかかったら、ヨハンナ先生と新巻さんは、二人仲良く、ユニゾンで歌い出した。


 二人の歌声を聞きながら、真っ直ぐな道路を走っていて、僕は気づいた。

 この海岸線の道路にも、下を向いた矢印の標識がずっと続いている。


 冬になればこの辺の道路も、雪に埋もれてしまうのかもしれない。




 宗谷岬までの三時間の間、僕たちは景色のいいところで時々車を止めては、車から降りて眺めたり、写真を撮ったりした。

 与えられた自由時間のドライブを、十二分に楽しむ。


 今頃、クラスメートは教頭先生に率いられて、団体行動をしているんだろう。

 それには、同情を禁じえない。




 やがて、道の先に、数件の土産物店が集まる一画が見えてきた。

 その先の、車が百台くらい入りそうな広い駐車場に、先生が車を乗り入れる。

 駐車場のすぐ側に、あの三角形の石のモニュメントが見えた。


「やっと、着いたね」


 僕たちは車を降りて、体を思いっきり伸ばす。

 三人が同時に腕を空に突き上げるポーズをしたから、みんなで笑ってしまった。


 駐車場から、間宮林蔵の銅像を横目に、僕達はモニュメントを目指す。

 飛ばされそうになるくらいの強い風が吹きつけてきて、先生がコートの襟を立てた。

 潮の香りで、むせ返るくらいだ。



 円形の台座の上に、二本の柱が空に向かって三角形を成すモニュメントが立っている。

 根本の石碑には「日本の最北端の地」と刻んであった。

 その言葉通り、モニュメントの向こうは、見渡す限り大海原だ。



 僕たちは、しばらく黙って海を眺めた。

 目の前には、吸い込まれそうな濃いブルーの海が広がっている。

 空のライトブルーと、藍色に近い海の青。

 それが水平線のところでくっきりと分かれていた。


 目を凝らすと、遠くにサハリンの島影が見える。


 僕の隣で、新巻さんも、じっと海を見つめていた。

 目を大きく開いて、目の前の光景を全部、脳味噌の中に仕舞い込んでるみたいだ。

 小説家の荒巻さんに、この場所は何か、インスピレーションを与えるんだろうか。

 この光景が、次の森園リゥイチロウの小説に生かされるのかもしれない。

 「兎鍋」の中で、こんなシーンが出てくるのかも。


 最北端に来ることに何の感慨も持っていなかった僕でさえ、ここに来た達成感を感じた。

 目の前の海にただただ圧倒される。



「よし、じゃあ、急いで帰るよ。本当はもっと見ていたいけどね」

 ヨハンナ先生が言った。

 時計を見ると、時間は十一時二十分を回っている。


 モニュメントの前で、一人旅のバイク乗りのお兄さんに、三人で肩を組んだ記念写真を撮ってもらった。

「美女二人に囲まれていいよな」

 黒いライダースジャケットのお兄さんが、笑いながら僕に言う。




「それじゃあ、出発するよ。間に合うように、少し飛ばすからよろしくね」

 運転席に座ったヨハンナ先生が言って、エンジンスタートボタンを押す。


 いよいよ、この旅も終わってしまう。

 修学旅行が、終わってしまう。

 後は旭川まで帰って、飛行機に乗るだけだ。


 そんなことを考えたからか、壮大な景色が、急に寒々としたものに見えてくる。

 なんか、日曜日の夕方みたいな気分だ。


「先生、車、出さないんですか?」

 出発すると言ったのに、先生は一向に走り出さない。

 その代わり、エンジンスタートボタンを何度も何度も押している。


 もしや……


「エンジン、掛からなくなっちゃった」

 先生が、薄笑いを浮かべて言った。


「まさか、まさかね」

 ヨハンナ先生はそう言いながら、ボタンを何度も何度も押す。

 でも、エンジンはうんともすんとも言わなかった。


「もう諦めたふうを装って、もう一回、ポチっ!」

 先生がふざけて押しても、エンジンは掛からない。


 日本最北端の地で、僕達は途方に暮れた。



 僕達の修学旅行は、まだ終わらないらしい。

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