第109話 むせび泣き

「私と結婚して、あなたは主夫になればいいじゃない」

 夕暮れの屋上で、鬼胡桃会長が言った。

 母木先輩は、告白する前に会長から告白されてしまったのだ。


「よろしく頼む」

 予期せぬ告白で、面食らっていた母木先輩が、それでも落ち着いた声で言った。

「でも、僕からも一つ、言わせてくれ」

 先輩はそう言ったあとで、咳ばらいをして、喉を整える。


「統子、僕は統子が好きだ」


 先輩は鬼胡桃会長を正面から見据えて言った。

 夕日を受けて先輩の髪が金色に輝いている。

 なんか先輩自身が、神々しく光っているみたいだ。

「大好きだ」

 先輩が言った。


「そんなの、分かってるわよ」

 鬼胡桃会長が言う。

 会長は、その言葉とは裏腹に、今まで見せたことがない優しい顔をしていた。



「ふええ……」

 二人の告白を見てうっとりとしてた弩が、塔屋の鉄のドアを押さえていた手を放してしまう。

 ドアが開いて、ギイイと、金属が擦れあう派手な音を立てた。


 塔屋にいる僕達は、鬼胡桃会長と母木先輩から丸見えになる。

 ドアに張り付いた間抜けな格好の、主夫部部員と、ヨハンナ先生。


「あっ、あなた達!」

 鬼胡桃会長に睨まれた。

「何してるの! きっ、霧島先生。先生まで……」

 鬼胡桃会長に見つかったヨハンナ先生が、僕の後ろに隠れた。

 先生、僕を楯にするのはやめてください。


「まったくもう……」

 鬼胡桃会長に怒鳴られるかと思ったら、会長は呆れて溜息をついただけだった。

 告白の余韻が、会長を少しだけ丸くしてるのかもしれない。


「見ていたなら、もう分かったわね。そういうことだから、あなた達も承知しておきなさいよ」

 鬼胡桃会長が言った。


 そんな鬼胡桃会長に、弩が駆け寄る。

 僕達も弩を追って二人を囲んだ。

「会長! 素敵です! お二人、とっても素敵です! おめでとうございます!」

 弩はそう言って、会長の両手を握った。

「あ、ありがとう」

 弩が感動しすぎていて、告白した当の本人、鬼胡桃会長が引いている。



「でも、鬼胡桃さん。どうして、突然、告白したの?」

 ヨハンナ先生が訊いた。

 鬼胡桃会長と母木先輩は、昨日まで、いや、さっきまで口喧嘩していた。

 会長は、こんなふうに告白する素振りなんて、全然、見せてなかった。


「明日、担任の先生と進路についての二者面談があります」

 鬼胡桃会長が言った。

「その面談で、先生に進路の方向性を示さなければなりません」

 鬼胡桃会長も、母木先輩と同じで、面談を前に将来について考えていたのか。


「私は東京の大学に通って学ぼうと思います。大学を卒業したら、こっちに帰って、父の事業を手伝って、そのうち後を継いで市議会議員になると思います」

 会長が言う。

 鬼胡桃会長は、進路について明確なビジョンを持っていた。


「何期か議員を務めたら、市長になって、その後、衆議院議員選挙に立候補します。そこでも何期か衆議院議員を務めて、やがて大臣に。そして、最終的に、私は総理大臣になります」

 ビジョンを持っているっていうか、持っているビジョンが大きすぎる。


「でも、総理大臣を目指すとなれば、やはり、一筋縄ではいかないでしょう。多くの困難に直面すると思います。妨害もあるでしょう。一人で見るには大きすぎる夢かもしれません。それを叶えるには、私をサポートして、一緒に歩いてくれる人が必要です」

 鬼胡桃会長はそう言って、母木先輩をチラッと見た。

「夢に向かって、一緒に歩いてくれる人。そう考えたときに、一番最初に母木が思い浮かびました」

 鬼胡桃会長に視線を送られて、母木先輩は優しく微笑む。

「私と母木は幼馴染ですが、彼は本当に優秀な奴です。私が今まで、唯一、負けを認めた奴です。そして、何より、私は母木が好きです」

 鬼胡桃会長が言った。

「大好きです」

 会長の言葉がストレートで、こっちがドキッとしてしまう。


「そして、決定的だったのは、最近の主夫部の活躍です」

 鬼胡桃会長が、僕達を見て言う。

「母木も含めて、主夫部の彼らがする家事は、完璧です。私達を、いつも寄宿舎で心地良く生活させてくれます。夏フェスで、宿がなくてボロ屋に泊まったときも、彼らは部屋を整えて、私達に不便を強いることがありませんでした。悔しいけど、主夫部の有能さは、認めざるを得ません。彼ら、主夫部の部員といれば、一生、どこにいても、心安らかに生活出来るでしょう」

 鬼胡桃会長にそんなふうに言われて、照れる。

 というか、僕達はまだまだだから、そんなふうに言ってもらえて、申し訳ない気持ちになる。


「だから、私は母木を彼氏にしようと思いました。だから、告白しました。この先、時期を見ていずれ、結婚します。私はそのように、この先の進路を決めました」

 鬼胡桃会長は、完全に言い切った。



「うわああああああん」

 突然、弩が泣き出す。

 声を上げて、ポロポロ涙をこぼしながら、大泣きしていた。


「ちょっと、なんで弩さんが泣くのよ」

 弩があまりにも泣くから、鬼胡桃会長がハンカチで、弩の涙を拭いた。

「だっで、だっで、おぶだでぃが、ずでぎずぎどぅがだ」

 弩の言葉を翻訳すると、「だって、だって、お二人が素敵すぎるから」って言ってるんだと思う(僕はなぜか、弩の言葉が聞き取れた)。


「ほら、鼻をかみなさい」

 泣きすぎて鼻水を垂らしている弩は、鬼胡桃会長に言われて、ハンカチで鼻をかむ。

 ああもう、会長のハンカチ汚しちゃって。

 でもまあ、いいか。

 どうせ、洗濯するのは僕だし。



「お二人が卒業して、鬼胡桃会長が、大学に進学されたら、母木先輩はどうするんですか? 二人でマンションかどこかに一緒に住んで、母木先輩はそこで主夫をするんですか? それとも、鬼胡桃会長が大学を卒業して帰ってくるまで、こっちで待ってるんですか?」

 御厨が訊く。


「それは私も考えたんだけれど……」

 鬼胡桃会長があらためて母木先輩を向いた。

「母木、あなたも大学に通いなさい。私と同じ大学に通うの。いいわね」

 鬼胡桃会長が言う。

「いや、僕は別に大学に通う必要はないと思うが……」

「私のサポートをするなら、知識を共有している必要があるわ。それに……」

 鬼胡桃会長は、そこで母木先輩に背を向けた。

「そ、それに、一緒に大学に通えば、キャンパスでも一緒にいられるでしょ」

 鬼胡桃会長は、後ろを向いて顔を隠したけど、耳から首から、真っ赤になっている。


「あー、はいはい」

 ヨハンナ先生が、眉間に皺を寄せた。

「さっそく、のろけですか」

 錦織が茶化す。

 茶化しても、今日の鬼胡桃会長なら、たぶん怒られないだろう。


「分かった。そういうことなら、僕は統子と同じ大学に通う」

 母木先輩が言った。

 成績があまり良くない僕からしてみれば、同じ大学に通いましょうって言われて、分かった通うって、簡単に答えられる母木先輩がすごい。


「それじゃ、今から一緒に勉強するわよ。寄宿舎に帰りましょう」

 鬼胡桃会長が言う。


「僕、今日の夕飯はごちそう作ります!」

 御厨が言った。

「そうだな。鬼胡桃会長と母木先輩の、記念すべき日だからな。僕も、手伝うよ」

 錦織が言う。

「あーもう、ムカついたから、今日はシャンパン開けるよ。御厨君、グラスと一緒に、用意しといて。仕事、適当に片づけてくる」

 ヨハンナ先生がそう言って、職員室に向かった。

 ムカついたとか言いながら、先生もなんだか嬉しそうだ。

 でも、先生、仕事は適当に片づけないで、ちゃんとやってください。



 屋上から出るとき、鬼胡桃会長が、母木先輩の腕に自分の手を添えているのを見た。


 弩じゃないけど、それを見ているだけで、なんか幸せな気持ちになる。


「ひっく、ひっく」

 僕はむせび泣いている弩の手を引いて、寄宿舎に向かった。

「弩だって、いつか今みたいな、素敵なプロポーズをしてもらえるさ」

 手を引きながら僕が言うと、

「ぼんどうでずが、でんばい、やぐぞぐでずよ」

 弩が言う。


「でんばいどぶどぼうどぅ、ばってばどぅがだ」


 さすがに今の弩の言葉は、鼻が詰まりすぎていて、僕でも聞き取れなかった。

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