第108話 鰯雲の空

「すまなかった!」

 翌日、部室に再度、部員を集めた母木先輩が、頭を下げた。


「大げさにみんなを集めながら、まだ何も前に進んでなかった。進める勇気を持っていなかった。すまない」

 母木先輩はもう一度頭を下げる。

 放課後、僕達は昨日と同じように、部室でテーブルを囲んでいた。

 窓際のソファーにヨハンナ先生もいる。


「先輩、頭を上げてください」

 逆に、僕達がみんなで頼んだ。

 僕達だって、本気で怒って帰ったわけではない。半分、冗談だったのだ。

 みんなでどうにか、先輩の頭を上げさせる。

「本当に、すまなかった」

 先輩はもう一回言った。



「でも先輩、これから何をすべきかは、分かってますよね?」

 弩が訊く。

「ああ」

 先輩は真剣な顔で頷いた。


「僕は統子に、告白する」

 先輩が言う。

 一晩考えて、先輩は完全に腹を決めたようだ。

 キリッとした凛々しい目付きで、イケメンが更に際立っている。


「そうだよね。結婚云々言う前に、まず、恋人同士にならなきゃ」

 ヨハンナ先生が言った。


「先輩、告白、がんばってください!」

 錦織が言う。

「先輩、応援します!」

 御厨が目をうるうるさせて言った。

「先輩!」

 僕は思わず、先輩の手を握る。

 先輩はがっちりと手を握り返してきた。

 その手は痛いくらいに、力強い。


 ずっと、母木先輩と鬼胡桃会長のもどかしい様子を見てきて、そんな二人がついに恋人同士になるかもしれない。

 幼馴染で、お互いに惹かれあっていたのに、ちょっとしたすれ違いで、喧嘩してしまった二人が、ついに。

 片や噂が校外にまで広がるイケメンと、片や人望が厚い美人生徒会長(怖いけど)。

 二人は絶対にお似合いのカップルになる。

 誰もが認めるカップルになるだろう。



「僕は、確かに、統子に告白する。告白するんだけれど……」

 そこで、母木先輩が急に言い淀んだ。


「みんなに聞きたい。告白って、どうやってしたらいいんだ?」

 母木先輩が言った。


「へっ?」

 僕は思わず、気が抜けた声を出してしまった。


「僕は今まで、誰にも告白したことがない。告白の仕方が分からない。告白って、どうしたらいい?」

 母木先輩が言って、僕達部員は、互いに顔を見合わせる。


「僕は今まで、告白されたことなら、何度も何度もあるんだが、告白したことはないんだ」

 先輩が言った。

 なんという、イケメンな台詞。

 一度でいいから、そんな台詞を言ってみたい。

 でも別に、先輩は自慢しているとか、そういうわけでもないらしい。

「統子に、どんなふうに告白したらいいんだ?」

 先輩は、至って真面目な顔で言う。



「それじゃあ、私達で先輩の告白が、最高の告白になるように、台詞とか、シチュエーションとか考えましょうよ」

 弩が言った。

「そうだな。母木先輩の告白を全力で、バックアップしよう」

 僕が言う。


 こうなったら、主夫部の総力をあげて先輩をサポートする。

 母木先輩と鬼胡桃会長を、絶対にカップルにする。


 急遽、部室は、母木先輩の告白作戦会議室になった。


「まず、告白のシチュエーションだな」

 僕はホワイトボードを引っ張ってきて、書き込んだ。


「豪華客船の甲板上がいいと思います」

 弩が言う。

「エーゲ海のミコノス島にとっても雰囲気がいいホテルがあります。あそこなら、すごく、ロマンチックです」

 御厨が言った。

「白いスーツの母木先輩が、ヘリコプターで校庭に降り立って、告白とか、いいと思います!」

 弩が言う。

「南仏のリヴィエラに、母の知り合いがコンドミニアムを持っていますが、あそこもいいですよ」

 負けじと御厨が言った。

「鬼胡桃会長の部屋を、花で埋め尽くして告白っていうのも、いいですよね」

 弩が言う。

「やっぱり、定番のマリーナベイサンズも、外せないですよね。あそこのプールで、夜景を見ながら告白とか」

 御厨が言った。


 こうして、作戦会議をしていて、僕は気付いた。


 僕達は、恋愛に対してポンコツだった。

 ポンコツの集まりだった。


 誰一人、現実的で、具体的な告白の方法なんて、思いつかない。

 先輩にアドバイス出来るような、恋愛の達人は、部員の中に一人もいなかったのだ。

 出るアイディアすべて、「ぼくがかんがえたさいきょうのこくはく」になってしまう。


「錦織、普段から女子に囲まれてるおまえなら分かるだろう? 女子が喜ぶ告白のされ方とか」

 僕は訊いた。

「僕は、女子達と、友達として接しているから、恋愛対象としての女子の気持ちは分からない。分かっていればとっくに……古品さんに……」

 錦織は途中まで言って、言葉を止める。


「先生、先生なら、素敵な告白の方法、教えてくれますよね」

 僕は諦めてヨハンナ先生に訊いた。


「教えてあげたいところだけど、私も、今まで告白されてばっかで、告白した経験なんて、ないし」

 先生が言う。

「ほ、本当だし。告白されまくりだし。まくられてるし」

 僕が訝しげに見ていたら、先生はむきになった。

 やっぱり、ヨハンナ先生も、僕達同様、恋愛についてポンコツだった。


「は~ぁ」

 みんなで溜息を吐く。

「お茶でもいれましょうね」

 御厨が言って、給湯スペースに立った。

 御厨は、お茶にデザートも添えて、みんなに給仕する。

 今日のデザートは、クイニーアマンだ。

 表面にかかっているカリカリの塩キャラメルがおいしい、って、だめだ、これじゃあ、先輩の為の作戦会議じゃなくて、ただの午後のお茶の時間になってしまう。



 ドンドンドン。


 会議が暗礁に乗り上げている部室のドアが、乱暴に叩かれた。

「ちょっと、母木いる?」

 部室に来たのは誰あろう、鬼胡桃会長、その人だ。

 僕は急いで、ホワイトボードを裏返して、会議の書き込みを隠した。

 見られたって、大した書き込みなんて、ないんだけど。


「僕は、ここにいるぞ」

 母木先輩が手を上げた。

「ああ、いたのね。ちょっと、来てちょうだい」

 鬼胡桃会長が言う。

「なんだよ? 話があるならここですればいい」

 先輩が言った。今まで会長の話をしていたからか、先輩は、少し目が泳いでいる。


「いいから、ちょっと来なさい!」

 鬼胡桃会長が腕組みで先輩を睨みつけて言った。

「早くしなさいよ」

 結局、母木先輩は渋々、鬼胡桃会長について行く。

 それにしても、さっきまで告白しよとしてたのに、二人はこんなにぎこちなくて、大丈夫なのか。


 僕達は、なにか胸騒ぎがして、こっそりと二人の後をつける。



 鬼胡桃会長は、校舎の方に歩いて行って、階段を上がった。

 母木先輩も後を付いていく。

 階段を上って生徒会室に行くのかと思ったら、二人は最上階を通り過ぎて、屋上に続く塔屋のドアを開けた。二人はそのまま屋上に出る。

 普段施錠されている屋上には、太陽電池パネルが並んでいるだけで、二人の他に誰もいない。


 僕達は塔屋のドアを少し開けて、二人の様子を窺った。

 部員とヨハンナ先生がドアに張り付いている。


 日が傾いて、空の鰯雲がオレンジ色に染まっていた。

 誰もいない屋上に、鬼胡桃会長と母木先輩が、向かい合って立っている。

 鬼胡桃会長のボルドーのワンピースが、夕日を受けて燃え盛る色になった。

 背の高い母木先輩の影が、僕達のいる塔屋の方まで伸びてくる。


 すごく、絵になる二人だ。



「た、単刀直入に訊くわよ。母木、あなた、私と付き合う気はあるの?」

 鬼胡桃会長が訊いた。


「えっ?」

 母木先輩が驚いて声を漏らす。

 離れて聞いていた僕達は、自分の耳を疑った。

 風の音に紛れていて、会長の言葉を聞き違えたのかと思った。


「だから、あなたは私と付き合う気があるの? 将来的に私と結婚して、主夫になるつもりはあるのかって、訊いてるんじゃない、鈍いわね! もう!」

 鬼胡桃会長が、言う。


「ある」

 少しおいて、母木先輩が言った。


「そう、それなら、付き合いましょう。私と結婚して、あなたは主夫になればいいじゃない」

 鬼胡桃会長が言う。


 僕達が馬鹿な会議なんてやっているあいだに、母木先輩は鬼胡桃会長のほうから、告白されてしまった。

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