第97話 エイム
「えっ、みんな、出かけちゃうんですか?」
僕と弩が、声を揃えて同じ台詞を言った。
「うん、言ってなかったけ? 明日から泊まり掛けで研修があるって。あっ、言い忘れてたかも」
ヨハンナ先生がそう言って、口から皿に種を飛ばした。
僕達はお風呂上がりで、リビングに集まってスイカを食べている。
花園も枝折も、僕の隣でスイカを囓っていた。
集まっているっていうか、僕の部屋であるはずのリビングに、みんなが押し寄せて来てるんだけど。
「私は東京の伯父さんの家に行くって言ったよね」
枝折が言う。枝折は、東京で公認会計士をしている母方の伯父さんのところに、勉強がてら出かけると、確かに言っていた。
「花園が明日から林間学校なのは、覚えてるよね」
花園が言う。
それも覚えていた。花園は学校行事で、二泊三日でキャンプ場に行く。
カレンダーにもしっかりと書き込んであるし。
「あっ、そっか。それじゃあ、明日はお兄ちゃんとゆみゆみが、二人っきりで一夜を過ごすことになるんだね」
花園が言った。
花園、そんな意味深な言い方をするんじゃありません。
弩が「ふええ」と言っている。
「お兄ちゃん、ゆみゆみを襲わないでね」
花園が言う。
「襲うか!」
僕が言うと、花園が舌を出した。
「先生もそれが心配だよ。でも、明日の研修は抜けられないんだよね。どうしても」
いや先生、心配しなくていいですから。
「大丈夫。お兄ちゃんにゆみゆみさんを襲う勇気はないよ」
枝折が冷静に言った。
信頼されているのか、けなされているのか、分からない言い方だ。
「じゃあ、明日は朝が早いから、今日はもう寝よっか」
スイカを食べ終わって先生が言う。
「先生、泊まり掛けの研修って、荷造り出来てるんですか?」
僕が訊く。
「………」
返事がないところをみると、まだらしい。
仕方なく僕が手伝って、着替えとか化粧品とかをスーツケースに詰めた。
本当に、花園や枝折よりも手がかかる。
「おみやげ、買ってくるからね」
翌朝、先生はパリッとスーツを着て、出かけていった。
少し遅れて、花園と枝折も揃って出かける。
「お兄ちゃんが何かしようとしたら、これ使って」
出掛けに、枝折がそう言って弩に痴漢撃退スプレーを渡した。
実の兄がどうなってもいいのか!
「じゃあ、行ってきまーす!」
花園が言って、枝折と二人で玄関を出て行った。
バタンとドアが閉まる。
僕と弩は、この家の中で二人きりになった。
三人がいなくなって、途端にこの家の中が静かになる。
「そ、それじゃあ、私は二階で勉強します」
弩が言った。
「お、おう」
僕が答えると、弩は早足で階段を駆け上って行く。
一人になったリビングで、僕はソファーに座った。
一人になると、二階からの振動が気になる。
僕の部屋の中で歩く音で、弩の気配を感じた。
一応、勉強などしようと、僕も参考書を開いてみるも、全然集中できない。
二階の弩に、麦茶でも持っていってあげるべきだろうか、などと、弩のことばかり考えてしまう。
そんな想いが通じたのか、はたまた、弩もそんなふうに落ち着かなかったのか、しばらくして、弩が二階から下りてきた。
「あのあの、やっぱり、別々の部屋だと、クーラーの電気代とか勿体ないし。だから、来ました」
弩が言う。その手に、ノートとか参考書とかを持っていた。
「うん、そっか。まあ、二階のほうが暑いし、いいんじゃないか」
なんか、先輩風吹かせてしまった。
本当は、来てくれて嬉しかったのに。
僕はテーブルの上の自分の参考書をどかして、弩のスペースを空ける。
すると弩は僕の隣にちょこんと座って、ノートを広げた。
しばらく、無言の時間が過ぎる。
なんか、沈黙が恐い。
ってゆうか、二人とも勉強してるんだから、別にしゃべらなくてもいいんだけど、なんか、適当な話題を振らないといけないんじゃないか、とか、考えてしまう。
そんなモヤモヤした時間を過ごしていたら、突然、弩が僕の肩にもたれかかってきた。
「おい、弩」
弩は返事をしない。
それでいて、頭をぴったりと僕に寄せてきた。
二人しかいない部屋で、なんて大胆な。
「弩、こういうふうに積極的なのは嬉しいし、僕も弩のこと嫌いじゃないっていうか、でもやっぱり、もう少し段階を踏んでというか……」
って、寝てるのか。
僕の肩にもたれかかって、弩は寝息を立てていた。
うとうとしていて、僕のほうにもたれかかってしまったみたいだ。
「あっ、ごめんなさい。私、寝ちゃいました?」
首がガクンとなって、弩が起きる。
「うん。すやーって、気持ちよさそうに寝てた」
「すみません。昨日、眠れなかったもので」
弩が言う。
なんだ弩も昨日、眠れなかったのか。
実は僕も、中々寝付けなかった。
なんだかおかしくて、二人で笑った。
そのまま昼までリビングで勉強して、お昼ご飯は、冷凍してあったご飯の残りで、僕がチャーハンを作った。
サラダと冷製スープを添える。
「弩は、なんでもおいしそうに食べてくれるから嬉しいよ」
僕が言うと、レンゲを持った弩が顔を赤くした。
「いえ、なんでもおいしそうに食べるわけではありません。先輩の料理が美味しいからです」
自分で言って、弩は顔をもっと赤くする。
こんなふうに美味しそうにご飯を食べてくれる弩は、きっと立派な主夫のお嫁さんになれると思う。
食べ終わって、二人で協力して洗い物を片付けた。
そのあとでソファーに寝転がって、ぐだぐだと昼寝をする。
昼のニュースで今日は三十五度を超えてるって言ってたから、今はもっと暑くなっているのかもしれない。
道路に陽炎が見えるくらい、太陽が照りつけていて、外に出かけようという気は起きなかった。
「弩」
「はい?」
「ゲームでも、やるか?」
「はい!」
僕はリビングのテレビ台の下から、ゲーム機を出した。
うちにはPS4とXboxOne、WiiUと三種類ハードが揃っている。
僕と枝折と花園の三人で、分担してサンタさんにお願いしたのだ。サンタさんは、相当渋い顔をしていたけれど、普段家を空けることが多くて後ろめたいのか、どうにか三種類、プレゼントしてくれた。
「好きなゲーム選んでいいぞ」
僕が言うと、弩がテレビ台の引き出しに入っているソフトを吟味する。
弩はどんなゲームを選ぶんだろう?
スマブラとか、マリカーとかだろうか。
「これにします」
意外なことに、弩が選んだのは、バトルオブデューティーという、戦争物のFPSだった。
「弩はこれやったことあるのか? ちょっと手本を見せてやるよ」
僕は弩の前で格好つけようと、マルチ対戦に挑んだのに、キルデスでデスの方が多くて、復帰してもすぐに殺されてしまった。
久しぶりにやったから、まだ勘が戻っていない。
同じチームのメンバーから、相当迷惑がられたかもしれない。
「先輩、ちょっと貸してください」
弩が言うから、僕はコントローラーを渡した。
すると、弩は敵に突っ込んで行って、次々にヘッドショットを決める。
どんどんキルを稼いでいった。
敵の動く先を見切った弩の射撃は、正確で、無駄な弾を撃たない。
弩の大活躍で、僕がボロボロにしたチームを、ついには勝利に導いた。
「ゲームコントローラーなのでちょっと、戸惑いました。ふだんはPCでやってるので」
弩が言う。
弩はゲーマーだったのか。
「先輩は、エイムをもっと練習した方がいいです」
弩に言われて、僕は「はい」と答えるしかない。
「弩は、ゲーム、上手いんだな」
僕が冷や汗をかきながら訊いた。
「はい、大好きでずっとやってたので。キーボードとマウスなら、もっと出来ます」
「それにしては、寄宿舎の部屋に、ゲーム機とか、なかったけど」
弩が持っているPCも、普通のノートパソコンで、ゲーミングPCとかじゃなかったし。
「寄宿舎のような環境で、自由にゲームが出来るようになると、きりがなくて、いつまでもやってしまいそうなので、ゲーム機もゲームも、実家に全部置いてきました」
「なるほど」
弩は、ちゃんと自分を律することが出来る性格らしい。
それは弩が元から持っている資質なのか、それとも大弓グループを束ねる母親から継いだのだろうか。
「それじゃあ、上手くなれるように教えて」
僕が言うと、弩は「はい!」と笑顔で返事をした。
僕の横で、手取り足取り教えてくれる。
真夏の昼下がり、クーラーの効いた部屋で、女子とゲームをするのも結構いい。
というか、すごくいい。
「先輩ちょっといいですか?」
弩に教えてもらいながらプレーしていたら、弩が急にコントローラーを要求してきた。
「うん、いいけど」
僕はわけも分からず、弩にコントローラーを渡す。
「さっきから、あそこに籠もってる、あの
弩はそう言うと、敵の中に一人で飛び込んでいって、高い建物に陣取っているスナイパーの後ろに回り込むと、後ろからナイフで喉をかき切って、キルをもう一つ稼いだ。
弩の目が、爛々と輝いている。
なんか、弩の別の一面を見た気がする。
弩を怒らせたら、結構、恐いのかも。
そうして二人でゲームで遊んでいたら、弩の肘がテーブルの上の麦茶のコップに当たって、コップが倒れ、床に落ちた。
コップが割れて、床の上にガラスの破片と麦茶が飛び散る。
「あ、ごめんなさい! すみません!」
弩が言って、雑巾でも取りに行こうとしたのか、足を出そうとした。
「弩、動くな!」
僕は弩を制する。
「ガラスの破片が足に刺さると危ないから、じっとしてて」
僕が言って、弩が「はい」と答えた。
僕はテーブルの反対側から回って、破片が散ってないほうから、弩を抱き上げる。
ガラスの破片が散っている辺りから、弩を遠ざけた。
「ご迷惑おかけして、すみません。コップも割っちゃって……」
僕の腕の中で、弩が言う。
「ガラスのコップは割れるものだし、それくらい、いいよ。それより、弩が怪我するほうが大変だろ」
僕が言うと、弩はうつむいてしまって、何も答えなかった。
でも、抱き上げていて、弩の心臓がバクバクしているのは、伝わってくる。
「うわっ」
弩をゆっくり床の上に下ろそうとしたら、足がもつれて、倒れそうになった。
ギリギリ片手を床に突いて、弩を潰してしまわずにすんだけど、僕は床に仰向けに倒れた弩に、覆い被さっているような体勢になってしまう。
「弩、ごめん」
僕の顔のすぐ前に、弩の顔があった。
唇がある。
「あのあの、先輩」
弩がそう言って、目を瞑った。
え、目を瞑るの?
ここで、目を瞑っちゃうの?
これは、この状況はもう……
ピンポーン。
玄関で、チャイムが鳴った。
それで我に返って、魔法が解かれたみたいに、僕達は同時にそこから離れる。
なんか、今一瞬、僕達は雰囲気に流されていた。
完全に流された。
もう少しで僕は、弩にキスしてしまうところだった。
「お客さん、みたいですね」
弩が言う。
「そうだな」
僕が言った。
チャイムがもう一度鳴らされて、僕は玄関に向かった。
こんなときに一体、誰なんだ。
僕は少し乱暴にドアを開ける。
「篠岡先輩、お久しぶりです!」
玄関にいたのは、萌花ちゃんだった。
萌花ちゃんはデニムのシャツに白いスカート、頭には麦わら帽子を被っている。
萌花ちゃんの声を聞いて、弩も玄関に出て来た。
「母と喧嘩して、家を飛び出して来ちゃいました」
萌花ちゃんが言う。
「それで、寄宿舎に誰もいないので、先輩、夏休みの間、こちらでお世話になってもいいですか?」
萌花ちゃんが上目遣いで僕に訊いた。
そんな愛らしい仕草をするなんて、卑怯な。
萌花ちゃんはその手に旅行鞄とか、スポーツバックとか、たくさん抱えてるし、後ろにはリュックサックを背負っている。
そしてもちろん、首からはカメラを提げていた。
許可を求める前からもう、ここで過ごす気満々だったらしい。
「いいよ、上がって上がって」
弩が言った。
なぜ弩が許可を出す。
「私と一緒でいいなら、先輩の部屋で一緒に寝よう」
だから、なぜ弩が許可を出すんだ。
「えっ、弩さんと一緒? やったー、楽しそうだね」
両手を握り合って、二人はすっかり意気投合している。
もう、ここで拒否したら、僕が酷い人間みたいじゃないか。
「じゃあ荷物置いてこよう。先輩の部屋、案内するね」
弩がそう言って、二人は二階に上がっていった。
「先輩のパソコンに『世界の昆虫』っていうフォルダがあるから、後で見せてあげるね」
階段を上がりながら、弩が萌花ちゃんに言っている。
おい。
僕はその間に、割れたコップのガラスを片付けて、床にこぼれた麦茶を拭いた。
ピンポーン。
ガラスを片付け終わってやれやれと思っていると、玄関でまた、チャイムが鳴る。
今度は誰だろう。
すると、僕が出てもいないのに、玄関のドアが開く音がした。
訪問者によって、勝手にドアが開けられてるみたいだ。
ヨハンナ先生が忘れ物をしたとかじゃないよな。
急いで玄関に駆けつける。
僕の目に、鮮やかなボルドーが映った。
ボルドーのワンピースを着て、白いつばの広い帽子を被った、少女が立っている。
「あら、篠岡君、お久しぶり」
鬼胡桃統子会長、その人だ。
「まったく、駅から遠くて、ここまで来るのに汗をかいてしまったわ」
会長が言って、被っていた帽子を僕に渡した。
そして、靴を脱いで家に上がる。
「私、夏休みの間、ここで過ごすわよ」
会長が言った。
「外にスーツケースがあるから、お願いね」
玄関の外に、鬼胡桃会長が引っ張ってきたであろうスーツケースが二つ、並んでいる。
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