第94話 採寸

 ヨハンナ先生が、買い物籠を載せたカートを押す。

 僕は棚を巡って、そのカートに食材を入れる。

「お兄ちゃん、唐揚げ食べたい」

 花園が僕にまとわりついて来た。

「私は、しめ鯖が食べたいな」

 鮮魚売り場で枝折が言う。


 僕達は、近所のスーパーマーケットに五人で買い物に来ていた。

 学校から帰ってきたヨハンナ先生のフィアットに乗って、みんなで食材の買い出しだ。

 人数が増えて量が多いけど、今日は先生の車があるから楽ができる。

 普段は僕が、広告を見て安いスーパーを自転車で駆け回っているのだ。


「弩は? 何か食べたい物あるか?」

 後ろからついてくる弩に訊いた。

「私は、えっと、特に……なんでもいいです」

 弩が答える。

「なんでもいいっていうのが、一番困るんだけどな」

 毎日食事を作る人あるあるだと思うけど、メニューを考えるのには、すごく苦労するのだ。却って、花園や枝折みたいに、食べたい物を好き勝手に言ってもらったほうがいい。


「いえ、先輩のお料理はどれもおいしいので、私はなんでもいいんです」

 弩が言って、顔を赤くした。

 あぶない、これが人前じゃなかったら、抱きしめているところだ。


 すると、そんな弩を、花園が感心したように見ていた。

「完全敗北だわ。私達もこんなふうに言って、お兄ちゃんを良い気持ちにさせて、乗せていかないと駄目なんだよ。ね、枝折ちゃん」

 花園と枝折は、姉妹でそんなふうに言って、頷き合っている。

 まったく、そんな悪知恵をつけるんじゃない。


「それじゃあ、好きな物一つずつ、買っていいよ」

 一通り食材を選んだあとで僕が言うと、花園と枝折と弩の三人は、「わーい」と言いながら、それぞれ目当ての売り場に散って行った。


 子供か!


 しばらくして、花園はアイスクリームを持ってくる(花園が好きなのはグリコのパナップだ)。

 枝折は、鮭とばを持って来た(渋いチョイスだ)。

 弩は、当然のようにホワイトロリータを持って来る。

「弩……好きなんだな」

「はい、好きです」

 たぶん、弩の体の5%くらいは、ホワイトロリータで成り立ってると思う。


 僕達の周りではしゃいでいる三人を見てると、なんだかヨハンナ先生と僕が夫婦で、子供達を買い物に連れて来てるみたいだ。


 レジで精算を終え、買い物袋を持って帰ろうとすると、店員さんが追いかけてきた。

「奥様! 忘れ物です!」

 店員さんはそう言って、豆腐パックの入ったビニール袋を持ってきてくれた。

 水漏れが心配でそれだけ袋を分けていたから、買い物袋に入れ忘れたようだ。


「すみません。ありがとうございます」

 ヨハンナ先生がそう言って、頭を下げる。

 いいえ、と店員さんが帰って行った。


「奥様だって」

 ヨハンナ先生が言って、ムフフといやらしい笑い方をする。

「お父さん」

 花園がふざけて腕にぶら下がって来た。

 酷い、僕は一体、幾つに見られてるんだ。

 確かに、周りからは落ち着いてる、とか言われるけど。


「奥様って響き、なんかいいよね」

 先生が言う。

「先生、調子に乗らないでください」

「はーい、旦那様」

 先生は、そう言って僕にウインクした。


 それで、顔が真っ赤になったのが自分でも分かった。

 酷い。

 ただでさえ、この前のヨハンナ先生の「お婿さんになってよ」発言以来、ドキドキしているというのに。


「お父さん、帰ろう」

 枝折までそう言って、僕の腕を取る。

 弩だけ、なんか不満そうだ。




 ヨハンナ先生が運転する、帰りの車内。

 小さなフィアット・パンダに五人乗っているから、車内は一杯だ。

 僕は助手席に乗って、後席に花園と枝折、弩の三人が座っている。


 信号待ちをしていると、浴衣を着た三歳くらいの女の子が車の脇を歩いていた。

 女の子は、ヨーヨー風船と、金魚の入ったビニール袋を持っていて、お父さんと思われる人物と、手を繋いでいる。髪をツインテールにした可愛らしい女の子だ。

 近所でやっていた地元の夏祭りの帰りだろうか。


「私達も、今度どっかのお祭り行こうよ」

 浴衣の女の子を見ながら、花園が言った。

「そうだね。夏の間に、一度はお祭り、行きたいよね」

 ハンドルを握るヨハンナ先生が言う。


「うん。せっかく、去年お兄ちゃんが縫ってくれた浴衣も着たいし」

 花園が言った。

 そういえば、去年、花園と枝折に浴衣を縫ったっけ。

 去年の夏は暇だったし、買うくらいなら、自分で作った方が安いし、好みにあった反物を選べるからと、チャレンジしてみたのだ(高一の夏としては、すごく有意義な過ごし方だと思う)。

 初めて作った浴衣は、一応、ちゃんとした形にはなった。

 細かい部分については、目を瞑ってもらうような出来だったけど、花園も枝折も喜んでくれた。


「ゆみゆみは浴衣持ってる?」

 花園が訊くと、弩は首を振る。

「ヨハンナ先生は浴衣、ありますか?」

 枝折が訊いた。

「うん、実家に行けば、ずっと昔に着た古いのがあるかもしれないけど、こっちに持ってきてないな。もう、しばらく浴衣なんて着てないし」

 先生、それは寂しいぞ。


「じゃあ、浴衣作ろうよ。お兄ちゃん、二人に縫ってあげて」

 枝折が言った。

 作ろうよ、と言いながら、縫うのは僕か。

「そうだよ、みんなで、浴衣でお祭り行こう!」

 花園が言う。


「錦織が作るみたいに、完璧なのは出来ないよ。それでいいなら縫うけど」

 僕も弩やヨハンナ先生の浴衣姿、見てみたいし。


「はい、お願いします! 嬉しいです!」

 弩が後席から乗り出して言った。

「私も、縫って欲しいな。男子に縫ってもらった浴衣でお祭りに行くなんて、女冥利に尽きるじゃない」

 ヨハンナ先生が言う。


「じゃあ、決まり!」

 花園が満足そうに言った。

 ヨハンナ先生に場所を伝えて、家に帰る前に生地屋さんに寄った。

 枝折や花園の給食袋や体育袋を作ったりするときに必要だから、何度も利用している馴染みの手芸店だ。


 時期だけに、店頭には浴衣用の反物がたくさん置いてあった。

 それを見て、女子達が目を輝かせる。

 枝折と花園が、もう一着作れなどと言わないか、心配だ。

「わー、かわいい」

「これ、おしゃれ」

「見て見て、これ、ウサギの模様!」

 みんな、口々に言っている。

 たぶん時間がかかるだろうから、僕は店先のベンチに腰を据えた。

 でも、こうやって後ろから布地を選ぶ四人を見てる時間は、悪くないと思う。

 将来、妻と娘を連れて、僕にもこんな時間が来るだろうか。



 小一時間かかって、最終的に弩は、藤色の地にピンクの朝顔と黄色い葉、トンボの短冊がデザインされた、可愛らしい反物を選んだ。


 ヨハンナ先生は藍色の地にあざみの花のシックな反物を選ぶ。

さすがに僕も帯は縫えないから、帯や下駄など、小物類も買い揃えていく。



 家に帰って、さっそく二人の採寸をした。


 採寸をすると言ったら、弩が花園や枝折とこそこそ何か話をして、二階に上がり、しばらくして、戻って来る。


「なぜ、水着?」

 二階から戻ってきた弩が水着を着ていた。

 それも、以前、弩が着ていたスクール水着だ。

 あいかわらず、胸の所に「6の2 おおゆみ」って書いてある。


「だって、裸で測るわけにもいかないでしょ。お兄ちゃんがゆみゆみにいやらしいことしたら困るし」

 枝折が言う。

「するか! 妹達の前で!」

 いや、妹達の前じゃなくてもしないけどな(たぶん)。


 それを見ていたヨハンナ先生が、客間に消えたと思ったら、しばらくして、白いビキニ姿で現れた。

「さあ、先生も測って!」

 先生、張り合わないでください。


 あれ、前にプール掃除をしたときに見た先生より、若干、お腹周りが豊かになられたような気が……。

 でも、僕は口が裂けてもそれは言わないでおこうと心に決める。



 まずは弩から採寸をした。

 始めに首からくるぶしまでの着丈を測る。

 次に手を水平に上げさせて、背骨から手首までの裄丈ゆきたけを測った。


 背中を触ると、なんだか弩はくすぐったそうだ。

「ほら、弩、動いちゃだめ」

「はい、すみません」

 そう言って弩は背筋を伸ばす。


 首周りを測って、次は胸周りと腰周り、つまりバストとヒップだ。

 弩は、バストもヒップも、特に抵抗することなく、測らせてくれた。

「先輩には毎日下着を洗ってもらってるし、全てを知られているので、今更、恥ずかしがったりしません」

 弩が言う。

 いや、少しくらい恥ずかしがってもらった方が……

 それに、弩の全てなんてまだ知らないし。


 次はヨハンナ先生の番だ。

 普段からスリップ一枚で歩き回ってるし、ビキニでも大して変わらないのに、こうして改めて向かい合うと照れる。

「はい、背筋を伸ばしてください」

「はい、手を横に広げて」

 なんか、ヨハンナ先生を操ってるみたいで楽しい。


 首周りを測るとき、先生が髪を上げてうなじが見えた。

 金色の産毛のうなじに見とれていたら、指が先生のビキニの紐に引っかかって、脱がしそうになる。

「篠岡君、大胆な」

「いえ、事故です」

 小さな三人が、こっちを注視してるし。



「お兄ちゃん、どれくらいで出来る?」

 花園が僕の体を揺すって、急かすように言った。

「そうだな、ミシンで縫えば、三、四日もあれば出来るかな」

 僕が答える。浴衣は基本、直線で縫うから、ミシンを使えば作業は早い。

 それに僕はもう、去年妹二人の分を作って、段取りは分かってるし。


「よし、近くのお祭とか花火大会、調べておこう!」

 花園が言って、枝折、弩の三人で二階に駆け上がって行った。

 たぶん、僕の部屋のパソコンに向かったのだろう。

 もうなんか、もう本物の三姉妹みたいだ。



「本当に、篠岡君は良いお兄ちゃんしてるんだね。お兄ちゃんっていうか、母でもあり、父でもあり」

 先生が言った。

 改めてそんなふうに言われると、照れる。

 ただ、僕に出来ることをしてるだけだし。


「でも、残念ながら学校の成績には全然関係ないんだよね。教師として、そこを評価出来ないのは歯痒いね」

 ヨハンナ先生が苦笑しながら言う。


「でも、見てる人は見てるから」

 先生は言った。


「ああ、そうだ『篠岡君』って呼ぶのはやめようかな。花園ちゃんも枝折ちゃんも篠岡なんだから、これからは下の名前で呼んでいい? とりで君って呼んでいい?」

 ヨハンナ先生が訊く。

「はい」

 なんか、名前を呼ばれただけなのに恥ずかしい。


「ダーリンって呼ぶのは、駄目だよね?」

 先生が訊いた。

 僕はそれに返事が出来ない。

 先生は僕がどきまぎするのを分かっていて、わざとそんなふうに投げかけてくる。


 本当に、大人の女性は卑怯だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る