第83話 事件現場

 悲鳴を聞いて、僕達は階段を駆け上がった。


 二階の鬼胡桃会長の寝室、201号室に着くと、部屋の前で会長が、先にいた母木先輩に肩を抱かれている。


 会長は、部屋の外から中を見て、目を見開いていた。

 視線を辿ると、その先にあるのは、会長のベッドのようだ。

 暗い部屋の中に向けて、ヨハンナ先生が懐中電灯の光を当てる。

 会長が見ているベッドを照らした。

 そこには、会長が大切にしている熊の縫いぐるみ、「しふぉん君」がいる。

 「しふぉん君」はベッドの上に仰向けで寝ていた。


 しかし。


 よく見ると、その腹の部分に何かが刺さっている。

 それは懐中電灯の光を反射して、眩しく光った。


 懐中電灯の明かりだけではよく分からず、錦織が持ってきたランプの明かりをベッドに差し掛ける。

 すると、鬼胡桃会長が悲鳴を上げた事情が飲み込めた。


 「しふぉん君」に、短刀が突き立ててある。


 ベッドの上の「しふぉん君」に、刀が刺さっていて、それが体を貫通して、ベッドにまで達していた。


「部屋に入って、ベッドの上を見たら、刀が刺さってたんです」

 鬼胡桃会長が震える声で言う。

「お風呂に入ったあとで、布団を運ぶのに部屋に入ったときは、なんともなかったのに……」

 会長は母木先輩に支えられたまま言った。


 縦走先輩が部屋に入って行って、縫いぐるみに刺さっていた刀を抜く。


 その短刀には見覚えがあった。

 会長が祖母から継いで持っているという、例の短刀だ(以前僕はそれを背中に突きつけられたことがある)。

 縫いぐるみはちょうど腹の真ん中辺りを刺されていて、刀を抜くと、中の綿が少し出てきた。


「いたずらにしては、悪趣味だな」

 縦走先輩が言う。

 先輩は、床に落ちていた短刀の鞘を拾って、やいばを仕舞った。

 錦織がランプで会長の部屋を隅々まで照らす。

 こうして、ランプの明かりで見る限り、ベッドの上の縫いぐるみ以外、部屋に変わったところはなかった。

 机の引き出しや、チェストなどが荒らされていることもない。


「誰がこんなことを……」

 御厨が誰に問い掛けるわけでもなく、言った。

 寄宿生にも、主夫部部員にも、こんなことをする人物はいないはずだ。


 みんな鬼胡桃会長があの縫いぐるみを大切にしていたことは知っているし、その縫いぐるみに刀を刺したりしたら、悪戯では済まないことは、何よりよく解っている。


 でも、外部の人間の仕業ということは、あるだろうか?


 この寄宿舎は今、外界から孤立している。

 大雨と雷の中、誰もいない広大な学校の敷地の中の、さらに林の中に埋もれていて、そこに続く道は濁流になっているのだ。

 誰かがここに入ってくるのは難しい。


 しかし、だからこそ、誰かがここに入って来ようと思えば、誰にも見られることなく、侵入出来る。



「とりあえず、戸締まりを確認しましょう。さあ、みんなで行くわよ」

 ヨハンナ先生が言った。

 みんなで行くわよ、と先生が言ったのは、寄宿舎に侵入者がいるかもしれない、と暗に示したのだろう。

 誰かが一人になったら危険だ、と、ヨハンナ先生は言っているのだ。



 この寄宿舎には出入り口が二つあった。

 玄関と、台所の勝手口だ。

 みんなで、玄関、台所の順に見回った。


 しかし、両方とも鍵がかかっていて、外から無理にこじ開けたような痕跡はない。

 この大雨だから、外から誰か入ったら床が濡れると思うのだけれど、そんな跡もなかった。


「誰かが外から入ってくるとしたら、あと一つ、開かずの間の地下通路があります」

 弩が言った。

 そうだ。

 以前、この寄宿舎に侵入した犯人、鬼胡桃会長を陥れようとした平田教諭は、そこを通って入ってきた。


 萌花ちゃんの部屋と、弩の部屋のあいだ、111号室を確認しに行く。


 相変わらず、この部屋には何もなく、中はがらんどうのままだ。

 みんなで部屋の中に入る。

 一見したところ、部屋の中に異常はなかった。

 地下に続く床の扉も、閉まったままだ。


 ヨハンナ先生が扉を開いて、地下に降りる階段に懐中電灯の光を当てる。

 階段の踏み板には、全体に薄く埃が積もっていて、触ると指の跡が付いた。

 先生が階段の下の方まで照らすと、全ての踏み板には埃がそのまま残っている。

 もし誰かが最近ここを通ったなら、埃が剥げた足跡が残ったり、指の跡が付くだろう。

 文化祭でここをアトラクションとして使ったのが最後で、そのときからこの地下通路を通った人物はいないようだ。


 これで、この寄宿舎の出入り口となる三箇所には、外から人が出入りした形跡がないのが分かった。


「犯人は大雨になるもっと前から、この寄宿舎の中に潜んでいたんでしょうか?」

 錦織が訊く。

「そうね、その可能性もあるわね」

 ヨハンナ先生が答えた。

「それじゃあ、まだどこかに隠れて犯人が……」


 僕達が食事をしたり、風呂に入ったり、枕投げをしているあいだ、犯人はずっと息を潜めてこの寄宿舎のどこかに隠れていた、ということか。

 そう考えると、ゾッとする。


 そして、犯人は停電に乗じて隠れていた場所から這い出し、鬼胡桃会長の「しふぉん君」に短刀を突き立てて、また、隠れた。

 今もすぐ近くで、息を殺して、僕達の様子を窺っている……



 雨はまだ、弱まる気配を見せない。

 雷も散発的に鳴っていた。

 停電しているけれど、まだ電話は通じる。

 でも、熊の縫いぐるみが刺されたといって、外に救助を求めたり、警察を呼ぶには、少し気が引ける状況だ。


「それじゃあ、各部屋を点検しましょう。でも、決して一人にはならないように。必ず、二人以上で一組になって行動すること。そして、何かあったら大声で助けを呼びなさい」

 ヨハンナ先生が言う。


 僕達は二人一組のチームに分かれた。

 鬼胡桃会長と母木先輩。

 古品さんと錦織。

 縦走先輩と御厨。

 弩と僕。

 そして萌花ちゃんとヨハンナ先生が組になった。


 会長と古品さんの組が二階へ。

 あとの三組が、一階を一部屋ずつ当たっていく。


 僕達の組はまず、弩の部屋を確認した。


 弩の部屋は、抜け落ちた床を修理したほかは、前とあまり変わっていない。

 相変わらず、本がたくさんあって、壁が本棚で埋まっている。

 あとはベッドと机と、僕が毎日、洗い上がった弩の服や下着を仕舞うクローゼットと、チェスト。

 念のため、ベッドの下も覗いてみたのだけれど、誰かが隠れているようなことはなかった。ベッドの下にあるのは、ドデカミンのペットボトルの束と、大きなレジ袋一杯のホワイトロリータだけだ。


「弩、部屋を見られるんだから、少しは恥ずかしがれよ」

 僕が言う。

「いえ、だって、先輩にはすべてを見られていますから、今更、恥ずかしいところなんてありません」

 弩が言った。

「まあ、確かにそうだけど、一応、形式的にさ」

 それに、僕は弩のすべてなんて、見ていない。

 この弩には、謎が多すぎる。

 この小さな体に、人一倍、謎を秘めている。



 弩の部屋を出て、次に僕達は、僕の主戦場であるランドリールームを見に行った。


 洗濯機や乾燥機、アイロン台が並ぶランドリールーム。

 ランプの明かりで見る限り、おかしな点はなかった。

 元々この部屋は誰かが隠れられそうな場所がない。

 ここに入っているわけがないと思いながらも、洗濯機の蓋を開けて中を見た。乾燥機の中も覗いた。

 弩くらいの体格の人物なら入れそうな洗濯籠が数個あるから、その中まで確認する。

 しかし、当然、そこに人が隠れているようなことはなかった。


「先輩、ここには何にもないですよ。他の部屋を確認しに行きましょう」

 弩が妙に急かす。

「ああ、そうだな」

 と言って、部屋を出ようとしたときだ。

 僕は洗濯物を部屋干しするのに使う、折りたたみ式の物干し台が曲がっているのを見付けた。

 脚を折りたたんで壁に立てかけてあったそれの、横に伸びるステンレスのパイプが、真ん中からひしゃげて折れたように曲がっている。

 ステンレスのパイプが洗濯物の重みで折れることはないから、誰かが故意に折ったのだろう。思い切り力を込めて、へし折ったのだ。


 誰が、なんの目的でこんなものを折ったのか。

 これを折ったのは、鬼胡桃会長の熊に短刀を刺した人物と、同一人物だろうか。


 僕が考えていると、


「きゃああああああああああ!」


 どこからか、再び、悲鳴が聞こえた。

 誰だ!

 どこだ!


「二階からみたいです!」

 半分廊下に出ていた弩が言う。

 急いで走って行こうとして、僕は立ち止まった。

 ここに弩を置いていくわけにはいかない。

 怪しい人物が徘徊しているかもしれないここに、弩を一人にはできない。

 だから僕は、弩の手を取った。

 絶対に離れないよう、その細い手を強く握る。

 すると弩も、強く強く僕の手を握り返してきた。

 

  僕達は手を繋いで階段を駆け上がる。



 二階に上がると、上がりきった階段のホールから、二番目の部屋、208号室の前に古品さんと鬼胡桃会長、母木先輩と錦織の四人がいた。

 古品さんは、怯えた様子で鬼胡桃会長に抱きついている。

 会長が、さっきとは逆の立場になって、古品さんの背中を優しく叩いてなだめていた。


 どうやら、悲鳴を上げたのは古品さんらしい。


 一階にいたみんなも、すぐに集まって来た。

 ヨハンナ先生が素早く目を走らせて、全員いるかどうか確かめた。

 大丈夫。

 寄宿生と主夫部部員、全員ここにいる。


 古品さんは、208号室のドアを指し示していた。

 その指が震えている。

「『ぱあてぃめいく』の衣装が、切られてるの!」

 古品さんが鬼気迫る声で言った。


「衣装が、ぐちゃぐちゃに切り刻まれてる!」


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