第82話 抑えこみ一本

「女子も男子も、この食堂で一緒に寝るわよ」

 ヨハンナ先生が言った。


「修学旅行みたい!」

 紺のスウェット姿の萌花ちゃんが言う。

 男子と女子が一緒の部屋に寝る修学旅行があるなら、ぜひ、その学校を紹介して欲しい。


「確かにそのほうがいいかもしれませんね。外は大雨に雷で、ここは停電してるし、孤立してるし、何かあってもみんなで一緒にいればすぐに対応出来ます。だから一緒に寝るのがいいかもしれません。いや、ホントに、変な意味じゃなくて」

 僕が言った。

 僕は縦走先輩のジャージを着ている。胸のところに、「縦走」と名札が付いたやつだ。

「確かにそうだけど、篠岡先輩が言うと変な意味に聞こえるから、母木先輩に言って欲しかったです」

 水色のパジャマ姿の弩が言った。

 弩………酷いじゃないか。


「反対意見はないようね。じゃあ、布団を敷いて。さあ、きびきびと行動しなさい!」

 ヨハンナ先生が指示を出す。


 みんなで布団を運んだ。

 ここでも鬼胡桃会長は反対したりしなかった。

 むしろ積極的に、布団を運ぶのを手伝う。

 雷が怖くて、できるだけみんなといたい、そういうことだろうか。

 いちご柄のネグリジェの会長は、少女的で愛らしい。


 女子の列に五組、男子にヨハンナ先生を合わせた列に五組の布団を敷いて、二つの列を作った。

 お互いの頭が中にくるように、枕を置く。


 女子は入り口に遠い場所から、鬼胡桃会長、古品さん、縦走先輩、弩、萌花ちゃんの順番で床に就くようだ。

 男子の列は母木先輩、錦織、僕、御厨、そして入り口に一番近い位置にヨハンナ先生で、床に就こうとした。


 すると、

「女子の列と男子の列、ちょっと布団くっつけすぎ。もっと離しなさい」

 ヨハンナ先生が布団の敷き方にクレームをつける。

 仕方なく僕達は、女子と男子の列の間隔を一メートルくらい開けた。


「それから、女子と男子の間には私が寝るわ。間違いが起こったらいけないからね」

 先生はそう言って、男子の列に並んでいた布団の一組を、女子と男子の列の真ん中に、縦方向に敷いた。

 ヨハンナ先生の布団が、男女を分けている形になる。


「男子諸君、もし無謀にも女子の列に行こうと思うなら、私を倒してから行きなさい」

 先生が腕組みで言った。


「先生、私の方から、男子を襲いに行っちゃうはOKですか?」

 縦走先輩が訊く。縦走先輩は黒のスウェット姿だ。

「それも駄目です! 女子も男子の方に踏み込んではいけません!」

 ヨハンナ先生が言う。


 むしろ野獣の檻に放り込まれたのは、僕達の方だったのか。

 縦走先輩が黒豹のように見えてくる。


「先生! 私、メジャーデビュー前のアイドルなのに、萌花ちゃんが男子と同じ部屋で寝てるスキャンダル写真撮る気満々なんですけど!」

 古品さんが言う。古品さんはピンクのパジャマだ。


「ほら、萌花ちゃん、止めなさい」

 先生はそう言って、萌花ちゃんのカメラのレンズに、キャップを付けるように命じた。


「先生ー。古品さんがジブリアニメ見る? ってポータブルBDプレーヤー貸してくれたから見たら、すごく怖そうなホラー映画でしたぁ」

 弩が言う。

「ほら、古品さん。弩さんが眠れなくなっちゃうからやめなさい」

 先生は古品さんのBDプレーヤーを没収した。


 みんなで一緒に集まったら、小学校の生徒みたいに、騒がしい。

 覚醒して頼れる教師になったヨハンナ先生も、この連続攻撃には崩れそうだ。


 先生、がんばれ!


「あ、ちょっとトイレ行ってくる。ビール飲み過ぎたかも」

 戦意喪失したのか、先生がトイレに逃げようとする。

「いい、あなた達。私が帰ってくるまで、大人しくしてなさいよ」

 先生はそそくさと廊下を小走りに消えた。

 いや、先生は一度トイレに行って、体勢を立て直してくるのだろう。



「大人しくしてなさいって、ふりかな?」

 錦織が言う。


「ふりだよ。こうやって枕投げしてなさい、ってことじゃないの!」

 縦走先輩がそう言って、自分の枕を、僕達男子側に投げ込んだ。

「そうですよね。ふりですよね」

 錦織が枕を投げ返す。


 それを合図に、枕投げが始まった。


 みんなが枕を手にとって、目の前の相手に投げ始める。

「ああ、もう、危ないですから」

 御厨が言って、テーブルの上のロウソクの火を消し、ランプをテーブルの下の安全な位置に下ろした。

 その御厨の尻を狙って縦走先輩が枕を投げると、御厨も騒ぎに加わって投げ返す。


 アイドルらしく古品さんが下手投げで枕を投げた。

 縦走先輩の剛速球がみぞおちに入って、錦織が咳き込む。

 萌花ちゃんがそんなみんなの写真を撮っていた。


 僕は弩が投げてきた枕を、ギリギリのところでかわした。

 もう弩は、枕の弾を持っていない。

「ははは、弩、覚悟しろ」

 僕が枕を振りかぶったときだった。

 弩が俊敏な動きで僕の懐にスッと入ってきて、背中を向け、僕は左腕を取られて、がっちりと決められる。

 あっ、と思った次の瞬間には、僕の体は宙を舞っていた。

「ちょっ、まっ」

 僕は布団の上に仰向けで叩き付けられる。


 そうか、僕は弩が柔道の使い手であることを、すっかり忘れていた。


「卑怯だぞ、弩」

 仰向けの無様な姿で僕が言う。

「先輩、すみません。痴漢に対しては反射的に体が動いてしまって……」

 まず言っておくが、僕は痴漢ではない。

 それから、一瞬息が出来なかった。

 布団が敷いてあったとはいえ、床に叩き付けられたのだ。


「大丈夫ですか?」

 弩が心配して近づいて来たところで、右手に持っていた枕を不意打ちでぶつけようとした。

 せめてもの仕返しだ。

 しかし弩は柔道家の勘でその気配を感じたのか、上からのしかかってきて、僕は布団の上に仰向けになったまま、上四方固めでがっちりと決められてしまう。


「あなた達! 何してるの!」

 Tシャツで濡れた手を拭きながら戻って来たヨハンナ先生が、大声を出した(先生、タオル使ってください)。


 戻ってきた先生が目にしたのは、ぐちゃぐちゃになった布団と、あちこちに散らばっている枕。暴れている寄宿生と主夫部部員。


 そして、弩に寝技をかけられている、僕だ。


「まったく、あなた達は……」

 先生ががっくりと肩を落とす。

 せっかく、この災害時に寄宿舎の秩序を守る敏腕教師になったのに、僕達のせいで台無しである。


「もう、頭にきた!」

 しかし、ここからヨハンナ先生の反撃が始まった。

「ほら! やるからには徹底的にやるわよ!」

 先生がそう言って足下の枕を拾うと、それを闇雲に投げた。

 枕が母木先輩に当たる。

 当てられた先輩が枕を投げ返した。

 それが縦走先輩に当たる。


 あとはもう、ヨハンナ先生も加わってめちゃくちゃだ。


 食堂の中を十個の枕が飛び交う。

 掛け布団も飛ぶ。


 枕投げに加わろうと、上四方固めから抜け出そうとしてもがく僕を、弩は今度は袈裟固めで完全に押さえ込んだ。

 息が苦しい。

 抜け出せない。


「弩、ギブ、ほら、タップしてるし」

 僕が言うのに弩は僕を放さなかった。

 柔道ならとっくに抑えこみで一本決まっているのに放さない。

「先輩をもう、逃しませんよ」

 弩が言った。


 弩に押さえ込まれたまま見ていると、鬼胡桃会長も、怖い雷のことは忘れて、枕を投げていた。

 雷のことを忘れて、楽しそうに笑っている。

 容赦なく枕で男子の顔面を狙う会長が、普段の会長に戻ったみたいで安心した。


 そんな鬼胡桃会長を、母木先輩は枕投げをしながら気にするようにチラチラと見ている。先輩は会長のことをいつだって気にかけているのだ。僕なんかが気にかける必要もなく、先輩はいつも会長を見ている。


 時々、先輩が会長に向けて、緩く枕を投げた。

 会長がそれをキャッチして投げ返す。

 弩に押さえ込まれて、外から枕投げを見ていると、二人のそんな様子が、よく分かった。



 散々、暴れ回ったあとで、みんなやっと疲れて、散らかった布団の上に座り込む。

 ぐったりとしているのに、みんな笑顔だ。

 御厨が、台所の冷蔵庫から冷えた麦茶を持ってくる。

 みんなはそれで喉を潤した。


「じゃあ、布団直そうか」

 ヨハンナ先生がそう言って、僕達は「はい」と納得して返事をした。

 いや、正確に言うと、僕だけ返事をしていない。

 なぜなら、さっきからずっと、弩に押さえ込まれたままだし。


 そろそろ誰か、助けてください。


 みんなで元あったように布団を敷き直した。

 時間は十時少し前だ。

「大雨がどうなるか分からないし。ちょっと早いけど今日はもう寝ましょう。消灯しますよ」

 ヨハンナ先生が言って、ランプの灯を消した。

 すると鬼胡桃会長が布団から立ち上がって、食堂の入り口のほうへ歩き出す。

「鬼胡桃さん、どこ行くの?」

 ヨハンナ先生が訊く。

「ちょっと部屋へ、忘れ物を取りに行ってきます」

 少し不安そうな声で、鬼胡桃会長が答えた。

「一人で大丈夫?」

「はい、すぐ戻りますから」

 会長はそう言うと、廊下を小走りで、階段のある玄関ホールに向かって行った。


「統子は熊の縫いぐるみを取りに行ったんじゃないかな? あれがいないと、眠れないから」

 母木先輩が言う。


 なるほど、会長は熊の縫いぐるみを取りに行くところを見られるのが恥ずかしかったから、消灯するまで行かなかったのか。

 あの熊の縫いぐるみは、確か「しふぉん君」とか言ったっけ。

 でも、母木先輩は、鬼胡桃会長のそんなことまで、知っているのか。



「きゃぁーーーーーーーーー!」


 突然二階から、悲鳴が聞こえた。

 階段のある玄関ホールで反響して、食堂まで伝わってくる。

 鬼胡桃会長の悲鳴だ。

 別に雷に驚いて発した悲鳴ではないと思う。

 その前に大きな雷は鳴っていなかったから。


 母木先輩が素早く立ち上がって、走り出した。

 僕達も後を追う。


 この外から隔離された寄宿舎で、一体、何が起きたのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る