第57話 計画通り

「はあ、幸せだわぁ」

 フォークを持ったヨハンナ先生が、マンゴーソースの甘さと酸っぱさに悶絶もんぜつしている。

 足をばたばたさせて、子供みたいに喜んだ。

 僕達は、その様子を興味深く見ている。



 月曜の放課後、僕達主夫部のカフェ作りが進む第二視聴覚室では、ヨハンナ先生によって、カフェのスイーツメニューの最終審査が行われていた。

 御厨が作って、ヨハンナ先生が味見する、幾度となく繰り返された試作の末、決定したメニューは以下の五品だ。


 無花果いちじくのタルト

 南瓜かぼちゃのモンブラン

 マンゴーソースのミルクレープ

 黒豆の餡蜜あんみつ

 抹茶プリンパフェ


 マンゴーソースのミルクレープを平らげたヨハンナ先生は、黒豆の餡蜜に手を伸ばばした。

「この黒豆の甘すぎない感じがいい。柔らかさも完璧!」

 先生は舌の上で黒豆が弾ける感覚を楽しんだ。


 梅雨時のじめじめした気候のなかでもさっぱりと食べられるスイーツに、南瓜のモンブランみたいに、重めのメニューも加えてあるし、和と洋も交ぜた絶妙な布陣だ。


「あの、先生、太ってきてませんか?」

 毎日見てるから気付かなかったけど、あらためて見ると、全体的に先生が大きくなってるような気がする。

 丸くなってる気が、しないでもない。


「まはか、私は全然、普通だし」

 ヨハンナ先生は口にいっぱい頬張りながら言った。

 でも、先生が穿いてるデニムがパツパツで、お腹がぽっこりしてるように見えるけど。

 二の腕もぷにぷにしてるように見えるんだけど……


 御厨は、先生が試作品を次々に平らげていくのを、ニコニコしながら見ていた。

 ヨハンナ先生が、御厨による全女性ぽっちゃり化計画のテストケースにされてるみたいで、怖い。



 メニューが決まって、もちろん、カフェの内装も仕上がってきていた。

 壁を真っ白に塗って、黒板やロッカーなどをカーテンで隠し、教室はギャラリーのようにシンプルな内装に仕上がりつつある。

 隠したロッカーの前には母木先輩が自分の部屋から持ってきたチェストを置いた。丸い四本脚のついたレトロモダンなデザインのチェストで、デンマークのデザイナーによるものらしい。

 チェストの上には、母木先輩が選んでアンティークショップで借りてきたランプや、小物を配置する。

 先輩は額に入った現代アートの絵やポスターもたくさん持ってきていて、それらが全部、私物らしい。

 白い壁に飾る絵やポスターを、先輩は時間をかけて選んだ。


 僕はまだ、母木先輩の部屋に招待されたことはないけど、その部屋がイメージ出来た。

 塵一つ、埃一つ落ちていない部屋に、先輩が吟味した家具や、絵や、インテリア小物が、一ミリの狂いもなく、意図した場所に配置されている部屋なんだろう。

 その部屋は見てみたいけど、ちょっと見るのが怖い気もする。



「失礼します。お荷物、お届けに上がりました」

 運送会社の制服を着た数人の作業員が、第二視聴覚室のドアを開けた。

「ご苦労様です」

 カフェのマネージャーの弩が対応する。

 作業員によって、教室に大量の荷物が運び込まれた。

 二十脚余の椅子と、十台のテーブル。

 弩が受け取りのサインをすると、作業員は礼をして帰っていった。


「弩、これどうしたんだ?」

 僕が訊く。

 カフェ用の椅子とテーブルだろうけど、これらを買ったとしたら、当然、予算オーバーだし、レンタルだとしても高そうだ。


「はい、近くの家具店からお借りしてきました。交渉して、カフェのメニューに協力という形でお店の名前を載せれば無料でいいと、許可を頂きました」

 弩が言う。

「よくそれだけの条件で貸してくれたな」

「はい。実は、応対してくださった家具店の営業の方に、私が寄宿舎の寄宿生であることを言ったのです」

「それでどうして、ただで貸してくれたんだ?」

「ええ、寄宿舎の家具類はどれも老朽化しているので、この先、家具を刷新する必要に迫られる、とお話したのです。寄宿舎でそういう話が出たら、私がそれを伝えます、みたいなことを、話の中で匂わせました。そうしたら、無料で貸してくれると約束してくださったのです」

 あっけらかんとして、弩が言った。


 弩は、普通に本物の営業マンと渡り合っている。

 駆け引きをしていた。

 弩をマネージャーに抜擢した母木先輩が満足そうに頷く。


 実は僕達は、とんでもない経営者の誕生に、立ち会っているのかもしれない。



 さっそく、運ばれてきたテーブルと椅子を、母木先輩の指示通りに教室に並べた。

 背もたれと座面にオーク材の突板仕上げの合板を使ったモダンなデザインの椅子と、シンプルな丸テーブルは、ギャラリーのような内装に合っている。

 テーブルと椅子を置いたら、途端に教室がカフェらしく見えてきた。

 学校の机や椅子を使うと、どうしても文化祭臭が残ってしまうけど、この椅子とテーブルなら、それがない。


 本物のカフェみたいだ。



「さあ、今日はこれくらいにしておこうか」

 母木先輩が言った。

 時刻は午後七時を回っている。

 主夫部は、増えた寄宿舎の住人のお世話もしなければならない。


「作業は計画通りに進んでいるし、今日のところはここまでいいだろう」

 先輩が言って、僕達は第二視聴覚室から引き上げた。



 寄宿舎に戻ると、館内には四つ打ちのキックの音が響いている。

 「ぱあてぃめいく」が熱心にリハーサルをしてるようだ。


 花園と枝折も、中学校からここに帰って来ていた。

 戻ってきた僕達を見つけて、二人は「おかえり!」と元気な声を出す。

 いつもより弾んだ「おかえり!」の声だ。


 二人は食堂のテーブルにいて、宿題をしている。

 鬼胡桃会長が二人の勉強を見てくれていた。

 花園は昔、もう一人お姉ちゃんが欲しいと言って、両親を困らせていたことがあるから、会長に甘えられて、本望だろう。

 当の鬼胡桃会長も、まんざらでもない様子だった。

 花園に話し掛けるときは、会長らしくない、甘い声を出している。


「お兄ちゃん、宿題終わったら、ちょっと学校の中、見てきていい?」

 花園が訊いた。

「文化祭の準備で盛り上がってて楽しそうだから、見てきたい」

 枝折も言う。


 校舎にはまだ煌々と明かりがついていた。

 まだみんな帰るつもりはないようで、学校中が活気に満ちている。

 枝折や花園が、お祭り騒ぎのような校内を見に行きたいって気持ちも分かった。


「ダメだよ。ばれたらどうするんだ? 二人がこの寄宿舎で生活してるのは学校には内緒なんだから」

 僕が言って、鬼胡桃会長も優しく諭してくれた。

「つまんない」

 花園が言う。

 こればかりは、文化祭まで我慢してもらうしかない。



「いやあああああああああああああああ」


 夕食の支度に取りかかろうとしたところで、風呂場のほうから、叫び声が聞こえた。

 ヨハンナ先生の金切り声だ。


 食堂にいた僕達が急いで風呂場に駆けつける。リハーサルをしていた「ぱあてぃめいく」や、他の寄宿生も全員風呂場に集まった。


「先生! ヨハンナ先生!」

 僕が呼びかける。

 ヨハンナ先生は脱衣所にいた。

 先生は脱衣所の体重計の側で、腰を抜かしたように、床に尻餅ついている。


 何事が起きたのかと思ったら、ただ、先生が体重計に乗っただけだった。


 さっき僕に言われて、体重を確認したんだろう。

 ヨハンナ先生は、体重計の上で少しでも軽量化を図ろうとしたのか、上着も、デニムのパンツも脱いでいた。

 しかし、その抵抗も空しく、体重計は驚くべき数字を示したようだ。

 先生が今まで体重計では見たことがない数字が、非情にも突き付けられたらしい。


 尻餅をついている先生には、タオルが掛けられた。

「見ちゃダメです!」

 弩が言って、僕達男子は脱衣所から追い出される。


 ぷよぷよのお腹。


 ただ言えることは、御厨の計画は順調に進んでいる。

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