第56話 オートフォーカス

「ぱあてぃめいく」は日本の三人組エレクトロダンスユニット。

 メンバーは、

 古木杏  愛称「ふっきー」

 君塚七菜 愛称「な~な」

 星野美夏 愛称「ほしみか」

 の三人。


 三人とも年齢と本名は非公開。

 しかし、メンバーのブログやSNSの書き込みなどから、現役女子高生と見られている。

 現在までに三枚のシングルと、一枚のオリジナルアルバムを出している。

 DJでトラックメーカーのプロデューサー、ヤスムラカナタが作る楽曲と、三人の完全にシンクロしたダンスは、アイドルの枠を越えて好評を博している。



 古品さんのアイドルグループ「ぱあてぃめいく」のことは、ウィキペディアにこんなふうに書いてあった。


 まあ、書いたのは僕達なんだけど。



 朝食を終えた食堂には、寄宿生も主夫部も残っている。

 花園と枝折も野次馬のように僕達の話を聞いていた。

 ヨハンナ先生は隅でズーズーと音を立てて食後のお茶を啜っている。


「最初にゲストに決まってたアイドルグループのメンバーが病気で倒れて、出られなくなったみたいなの。それで代わりのグループを探してて、文化祭実行委員の人が『ぱあてぃめいく』に目を付けたみたい。もちろん、私がそのメンバーだとは知らずに」

 古品さんが経緯を説明した。

 文化祭実行委員会と生徒会は別組織で、鬼胡桃会長もこの事態は把握してなかったようだ。


「残念だけど、辞退するしかないわね。古品さんがアイドルやってるのが、先生達にばれたら大変だし」

 鬼胡桃会長が言った。


「そんな!」

 錦織が椅子を倒して立ち上がる。


「せっかくの仕事だし、私だけだったら断る選択もあるけど、あとの二人のことを考えたら、この仕事はやりたい」

 古品さんが言った。

「そうですよ。新曲も出るし、小さな文化祭だけど、出ることで誰の目に留まるか分からないし、絶対に出るべきです!」

 錦織が語気を荒くする。


 「ぱあてぃめいく」の新曲「モホロビチッチ不連続面でキスして」の衣装は錦織の作だし、今ではファンの代表のようになっている錦織は、力が入っていた。


「でも、古品さんが芸能活動してることがばれて退学や停学になったらどうするの? この寄宿舎にも居られなくなるわよ。あなた、責任取れるの?」

 それを会長に言われると、錦織も返す言葉がない。


「黙って出ちゃえばいいんじゃないでしょうか? ステージで『ふっきー』になってるときの古品さんと、学校の古品さんは全くの別人みたいだから、そのまま出ても、みんな分からないと思います」

 御厨が言った。

 確かに、普段の寝ぼけ眼の古品さんと、ステージ上で、目がキラキラ輝いている古品さんは全然違う。


「いくらなんでも、ばれるだろう」

 縦走先輩が言った。

「クラスメートの目は誤魔化せないわよ」

 鬼胡桃会長が言う。

 毎日接している人の目は厳しいかもしれない。


「その点は大丈夫だと思うけど……私、留年してて、クラスの子も気を使って、距離置いてるし。私、主夫部が来るまで、遅刻とか欠席とかで、殆ど教室にいなかったし」

「古品さんに片思いしてる男子の一人や二人、いるかもしれないでしょ? そういうやからは、ずっと古品さんを見ているわよ」

 会長の言う通りだと思う。


 片思いしている男子高校生の目は、カメラのオートフォーカスみたいに、どこにいても対象を捉え続けるのだ。



「鬼胡桃にメイクをしてもらって誤魔化したら、どうだろうか?」

 それまで腕組みして沈黙を保っていた母木先輩が言った。

「会長のメイク? ですか?」

 僕が訊く。


「ああ、みんなも知っているように、素顔の鬼胡桃はあんなに可愛いのに、今はキメキメの凛々しい美人で、とても同一人物には見えないだろう? そのメイクテクニックを使って、ふっきーと古品さんと別人にするんだ」

 母木先輩が言う。

 なるほど。

 っていうか、母木先輩は今、さり気なく鬼胡桃会長が可愛いとか、美人だとか言ったような気がするけど、大丈夫か。


「な、な、な、な、な、な、な、な、な、なにを言って……いるのかしら……」

 鬼胡桃会長の顔が真っ赤になった。

 電機ケトルも顔負けで、会長は一瞬で沸騰した。

「わ、わ、わ、わ、わ、わ、わ、わ、わ、私が、かっ、かわいいとか……フッ」

 鬼胡桃会長が倒れる。

 比喩でなく、文字通り床に倒れそうになって、横にいた縦走先輩が会長を抱いて支えた。


 会長を一発でKOしてしまうような台詞、母木先輩は、それを無意識に言ったんだろうか。それとも、計算して言ってるのか。


 無意識だとしたら、先輩はとんでもない女たらしだ。



「でも、メイクで別人みたいになるとして、出席を取るホームルームはどうするんですか?」

 錦織が訊いた。


 文化祭当日はもちろん授業がないんだけど、朝のホームルームはあって、そこで出欠をとる。

 そのとき古品さんは教室にいなければならない。


 文化祭のゲストは、実行委員会が用意した控え室で待機することになっている。

 実行委員が付きっきりで世話を焼いているし、控え室の前には警備の人員も配置されるから、抜け出すことは難しいだろう。

 教室と控え室を行き来することは出来ない。


 でも、逆に言えば、そこさえクリアすれば、古品さんとふっきーは別人だって、アリバイが出来るかもしれない。



「身代わりを置くとかかな?」

 縦走先輩が言った。

 鬼胡桃会長はまだ顔を真っ赤にしたままで、縦走先輩の腕の中にいる。


「身代わりとなると、この学校の生徒ではなくて、古品さんと背格好が同じくらいの人物が必要になるけど……」

 御厨が言って、みんなが食堂の中にいる一人を見た。


「わっ、私?」

 枝折が目を丸くして言う。


「駄目だよ。ばれちゃうよ」

 突然注目された枝折が、無理無理とかぶりを振った。


「ショートカットの髪も同じ感じだし、落ち着いていて大人っぽいし、枝折ちゃんなら、眼鏡かけて、マスクをしてれば分からないよ」

 錦織が言う。

「だめ、私、演技とか出来ないし」

 いつも冷静な枝折が、絶対無理、と感情を表に出した。


 まずい、これは経験的に、枝折が絶対に受け入れないときの態度だ。

 こうなった枝折は梃子てこでも動かない。


 それだから思わず僕は言ってしまった。

「枝折頼む。お兄ちゃん、何でもいうこと聞くから」

「えっ!」

「えっ?」

「本当?」

「あっ、いや、何でもっていっても、それは限度があるけど……」

 僕は急いで弁明する。

 けれど、もう遅かった。


「分かりました。私やります。古品さんの身代わりになります!」

 枝折が急に素直になった。

 何か、嫌な予感がする。

 途轍とてつもなく嫌な予感だ。


「よし、決まった。我々はなんとしても古品をふっきーとして、ステージに上げるぞ!『ぱあてぃめいく』は文化祭に出るぞ!」

 母木先輩が言って、僕達は「おう!」と受ける。

 その後で拍手が食堂を包んだ。

 古品さんが「ありがとう」と一人一人に頭を下げる。


 鬼胡桃会長は全員の前で母木先輩に可愛いと言われた衝撃から立ち直ってなくて、まだ言葉を発せずにいる。

 だけど、これは容認したって解釈していいんだろう。


 ゲストのステージで、古品さんは普段とは違うメイクで古品さんのイメージを消す。

 文化祭当日は枝折が古品さんの替え玉となって、ホームルームにだけ出る。


 これでなんとか乗り切れるだろうか。



「あーあー、聞こえない。私は何にも知らない」

 食堂の隅にいたヨハンナ先生が、そう言って耳を塞いだ。

 目も瞑って、何も知らないと言い張る。

 確かに、これは教師が知っていたらまずい案件だ。


「あーあー、何にも聞こえないから、あなた達が何をするのか、私は全然分からないけど、やるんだったら上手くやりなさいよ」

 目と耳を塞いだまま、ヨハンナ先生が言う。


 僕達のすることを黙認してくれるっていう、先生のありがたいお言葉だ。



 食堂で会議をしている間に、古品さんからの緊急連絡を受け取った「ぱあてぃめいく」のな~なとほしみかが、寄宿舎に現れた。

 パフスリーブのピンクのワンピースのな~なと、丸襟の真っ白なブラウスにリボンのほしみか。

 な~なのパーマの髪が揺れる度にハッとするような良い香りが漂ってくるし、ほしみかの黒目がちな瞳は、見ていると吸い込まれそうになる。


 さすがはアイドルだ。


 「ぱあてぃめいく」が文化祭に出られることを古品さんが話すと、二人は手を取り合って喜んだ。


「あのう、私達も文化祭当日まで、ここに泊まり込んでリハーサルしたいんですけど、いいでしょうか?」

 な~なが管理人であるヨハンナ先生に訊いて、ほしみかが「お願いします」と、頭を下げた。


「あーあー、私は何も見てないし、聞いてないけど、いいんじゃない」

 ヨハンナ先生が言う。


 また二人、住人が増える。

 この寄宿舎に、どんどん女性が集まってくる。


 それも、飛び切り素敵な女性達ばかりだ。

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