第53話 抽選会

「それでは、只今より、文化祭使用教室の抽選を始めます」

 ボルドーのワンピースに身を包んだ鬼胡桃会長が、高らかに宣言する。


 放課後の講堂では、文化祭で使用する教室やステージを決める抽選会が開かれていた。

 文化祭に出展や出場をする団体が、使いたい教室やステージを申請し、複数の申請が重なった場合、公平にくじ引きで当選者を決めるのが抽選会だ。


 講堂には五百人を越える生徒が集まっている。

 それぞれの部活や団体が、ユニフォームを着たり、自分達の旗を掲げたりして、抽選に出る代表者に声援を送っていた。

 どの団体も条件が良い教室や目立つステージを取りたいわけで、この抽選会は毎年、ちょっとした前夜祭のように盛り上がる。


「はい、そこ、少しうるさいわ。私が話している間は、石膏像のように静かにしていなさい」

 文化祭実行委員から委託を受けた生徒会が抽選会を仕切り、鬼胡桃会長が壇上に立って、司会進行していた。

 やっぱり、こうやって壇上に立つ会長は、威厳に満ちていて惚れ惚れする。

 ここには、パジャマを着て縫いぐるみを抱いている鬼胡桃会長はいない。



 抽選は、メインステージの体育館から順に始まった。

 ステージは教室と違って、時間で出場する団体が決められる。

 もちろん、一番の激戦区は閉会式前の大トリだ。


 抽選が進んで、めでたく今年の大トリのステージを射止めたのは、三年生の一人の生徒だった。出し物の「大爆笑、ものまねメドレー」ってこれ、大丈夫か?

 そのネタで大トリに立候補した勇気は認めるけど、大惨事になりそうで怖い。



「次に、調理実習室を希望する団体代表は前へ」

 鬼胡桃会長が呼びかけた。

 僕達、主夫部の順番が回ってくる。


 カフェを開く予定の主夫部が狙いを定めたのが、この、調理実習室だ。

 水回りやガスコンロが完備されていて、調理器具も揃っている調理自習室は、カフェにはぴったりの物件だ。

 しかし、それ故に飲食関係の出展を考えている団体に人気があって、競合も多い。

 今回は主夫部の他に、華道部、ハンドボール部、陸上部、文芸部、郷土研究会、3年E組、2年A組が手を挙げた。


 確率は八分の一だ。


「よし、弩、君が行け。カフェを仕切るマネージャーの君が、代表者としてくじを引いてこい」

 母木先輩が弩の肩を叩いて、弩が「はい」と、決意の表情で頷く。


 各団体の代表が、ステージに上がって、くじが入っている箱の前に集まった。


 周囲から歓声が上がる。


 特に抽選に参加する八団体の応援の生徒は、代表の名前を叫んだり、団体の名前を連呼したりして盛り上がった。

 少人数の僕達も、負けないように大声で弩の名前を呼ぶ。


 生徒会の役員がアルミ製の抽選箱に八枚のくじを入れてかき混ぜた。

 くじを引く段になって、体の小さな弩は、他の代表者に弾かれて箱から遠い場所に押し出されてしまう。

 そうしている間に、他の全員がくじを引き終えた。

 結局、弩は箱の中に残った最後の一枚を引くことになる。

 ステージ上で「ふええ」って言ってる弩の声が聞こえてきそうだ。

 こういう時は周りを掻き分けてでも積極的に行けと、後で注意しておこう。


「では、くじを開いてください」

 会長が言った。

 一瞬、場内が静まり返る。

 講堂の大時計の針が進む、小さな音だけが聞こえた。


「やりました!」

 くじを掲げたのは弩だ。

 弩の手にあるくじには、確かに「当選」の文字が書いてある。

 術が解かれたように歓声が上がった。

 悲鳴も上がっている。


「よくやった!」

「さすがマネージャー!」

「やってくれると信じてた!」

 僕達はステージからしたり顔で降りてきた弩の頭を、撫で繰り回した。

 弩は嬉しそうに「ふええ」と言う。


 一方で、外した他の団体は一様に肩を落としていた。

 特に、3年E組の代表者の女子生徒は涙を流している。

 クラスメートが肩を支えて彼女を慰めた。

 三年生は最後の文化祭で、クラスメートからの重い責任を背負ってたんだろう。


 歓喜の僕達にもみくちゃにされながら、弩はその三年生をじっと見ていた。

 僕達の賞賛に応えながら、目を離さない。

 僕が弩のほっぺたを指でツンツンしても、弩は泣いている彼女を見ていた。


「あのあの、皆さんちょっといいですか?」

 弩が言って、僕達は弩をもみくちゃにしていた手を止める。


「どうした弩、ご褒美にホワイトロリータでも欲しいのか?」

 僕が言うと、弩は「違います!」と食い気味に否定した。


「3年E組さんに調理実習室を譲ったら駄目ですか?」

 弩が僕達に問い掛ける。


「彼女達に同情して言っているのか?」

 母木先輩が落ち着いた声で訊いた。


 目の前であの涙を見てしまったら、心を動かされないわけにはいかないだろう。

 でも、これは公正な抽選の結果だし、僕達にも調理実習室が必要な理由はある。


「いえ、同情ではありません」

 弩はきっぱりと言った。


「考えてみてください。主夫部なら、色々と設備が整っている調理実習室をカフェにするなんて簡単にできます。私達はボロボロだった寄宿舎を蘇らせた実績があるんですから当然です。だから調理実習室にカフェを作ったとしても、そこに感動はないんです」

 いつになく、弩の語気が強かった。


「それがもし、設備がそろってなくて、誰も見向きもしない教室をカフェにしたらどうでしょう? そんな教室で、不利な状況から完璧なカフェを作ったとしたら、全校生徒の皆さんも驚くんじゃありませんか? 感動してくれませんか? そうなったら、主夫部へ評価も、もっともっと上がるんじゃないかって、思うのです」

 弩が僕達の目を見て力説する。


 なるほど、確かに一理ある。

 弩に言われて、僕達は互いを見合った。

 しかし、御厨も、錦織も迷っているようだ。


「みんな、どうだろう?」

 母木先輩が僕達を見渡して訊いた。

「挑戦することが主夫部だと、弩は言っている。僕もそう思う。あえて困難な道を進進むのもいいじゃないか」

 母木先輩の言葉に被せて、弩が「お願いします!」と頭を下げる。


 僕達はそれで吹っ切れて頷いた。


 まあ、あの寄宿舎以上に困難な物件なんてないだろう。


「よし、ここは経営責任者の弩の判断を尊重し、我々は調理実習室を辞退しよう。弩、本当にこれでいいんだな」

 母木先輩が最後の確認をすると、弩は「はい」と嬉しそうに頷いた。



 弩が生徒会の担当者に調理実習室を辞退する旨、伝えに行く。

 3年E組にその権利を譲ると告げると、抽選を外した担当者の女子生徒が、弩を抱きしめそうな勢いで感謝の言葉を述べた。

 もう一度涙を流して喜んでいる。


 主夫部はその後の抽選にも参加せず、全ての抽選が終わるのを待って、代わりの教室の使用許可申請をした。

 カフェが出来る程の大きさで、どこの団体も使用許可を出していなかった教室が、一部屋だけ残っていた。


「第二視聴覚室って、私まだ行ったことありませんけど、皆さん御存じですか?」

 弩が訊く。

 残っていたのは第二視聴覚室だった。

 一年生の弩が知らないのも無理はない。


 第二視聴覚室は僕が一年生の頃、ぼやを出して、それ以来使われていない教室だ。

 今では教室のネームプレートも取り外されて、実質「なかったこと」になっている。


 出火原因は未だ解明されていない。

 しかも、第二視聴覚室からの出火はこれで三度目だということで、そこは「呪われた教室」だとか、「教室の下に霊が住む古井戸がある」だとか、オカルトめいた噂までささやかれていた。



 僕達は、鍵をもらってさっそく教室の状態を確認しに行く。

 校舎第二棟の一階左端の突き当たりが、第二視聴覚室だ。


「想像以上に酷いな」

 ドアを開けた母木先輩が言って、口がそのまま半開きになる。


 普通の教室の倍の広さがある第二視聴覚室は、防音壁で周囲から隔離されていて、しんと静まり返っていた。

 壁や天井はぼやですすけたまま、そのままで放置されている。

 床には、何かが燃えた跡と、火を消すために撒いた消化剤の染みが残っていた。

 一部がふやけて、床板が腐っている。

 ぼやを出したのは一年以上前のなのに、まだ少し焦げ臭い。

 視聴覚室で窓が小さく、他の教室より暗いことも、陰気な印象に拍車をかけているのかもしれない。


 誰かが悪戯をしたのか、後ろの黒板に「呪」と、赤い絵の具のようなもので書いてあった。


 弩の顔から血の気が引いている。

 調理実習室を辞退した事の重大さに、今頃になって気付いたようだ。



「まあ、ここに決まった以上、やるしかないな」

 錦織が自嘲気味に笑う。

「そうですね。これだけ酷いとやる気が湧くってものです」

 御厨が大声で言った。

 大きな声を出して、そこにある邪気を払おうとでもするかのように。


「どうか、私をき使ってください。私がんばります!」

 責任を感じている弩が、頭を下げて言った。

 徹夜でも何でもするので、言いつけてくださいと、言う。



「いや、弩、君はここには来なくていい」

 しかし母木先輩が弩を制した。

「えっ?」

 驚いて弩が頭を上げる。

「その代わり、君には明日、バイトに出てもらう」

「バイト、ですか?」

 弩は首を傾げた。


「ああ、僕の行きつけのカフェに、親しくしている店長がいて、その人に弩をバイトさせてくれるように頼んだんだ。短い間だけど、そこで一日働けば、カフェがどんなところなのかくらいは分かると思う。カフェを仕切るのに役立つと思うんだ」

 御厨が話を継いだ。

 カフェがどんなところか知らないと言った弩のために、御厨と母木先輩が動いてくれていたようだ。


「弩はバイトとかしたことあるのか?」

 僕が訊く。

「いいえ、ありません」

 弩が首をぶるぶると振った。

 つい最近まで電車にすら乗ったことがない箱入りだったんだから、当たり前か。


「嫌なら別に無理強むりじいはしないが」

 母木先輩が言う。

「いえ、嫌ではありません。分かりました。私、行って参ります。カフェのこと、学んできます!」

 弩が前のめりになって言った。


 その入れ込み具合が、なんだか危うくて心配なんだけど。

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