第41話 レンズの先の君

「さあ、持っていけ」

 弩に弁当の包みが渡された。

 若草色のランチクロスでラッピングされた、弩のお弁当箱。

 この箱の中には、早朝五時からの朝練で作り込まれた主夫部の技術の粋が詰まっている。


 弩は勲章でも受け取るみたいに、両手で恭しく弁当箱を受け取った。


「頑張ってこい」

 僕達主夫部の男子部員が口々に言う。

 友達と弁当を食べるだけのことに、頑張ってこいと声を掛けるのもどうかとは思うけど、ここは弩がこれからの高校生活をどう過ごすのかの、分岐点だ。


「はいっ、頑張って参ります!」

 弩がきりりとした目付きで言った。

 これから戦地にでも赴かんといった凛々しさだ。


 寄宿生三人の先輩方とヨハンナ先生が、遠巻きに僕達のやり取りを呆れて見ている。


「皆さんの分のお弁当も用意してあります。どうぞ持って行ってください」

 御厨がそれぞれに包みを渡した。

 ヨハンナ先生と古品さんの分は弩と同じランチクロスで、大きさも同じ。

 運動部の縦走先輩の分は、ご飯もおかずも増量されていて、弩の弁当箱の四倍の体積があった。

「おう、嬉しいな。二時間目と三時間目の休み時間の間に食べるおやつにぴったりだ」

 縦走先輩はそう言ってニコニコしながら受け取る。

 その弁当だけで成人男性が一日に摂取する目安くらいのカロリーがある筈だ。

 それでも先輩はペロリと食べてしまうのだろう。


 一つだけランチクロスの色が違って、鬼胡桃会長のワンピースと同じ、ボルドーの特別な生地になっていた。

 その包みを、母木先輩が鬼胡桃会長に手渡す。

「仕方がないから受け取っておいてあげるわ。ちょうど今日、近隣の高校の生徒会長と副会長が集まるワーキングランチが予定されているの。気が向いたらその時にでも食べてあげようかしら」

 鬼胡桃会長はすごく迷惑そうに受け取った。

 まあ、受け取ってもらえるだけましというものだ。


 渡すとき母木先輩が一瞬、顔を逸らして笑いをこらえるようにしていたのだけれど、あれは一体なんだったんだろう?




 まるで自分のことのようにそわそわしながら、午前中の授業を上の空で受けて、昼を迎えた。


 僕達主夫部は計画通りに弩の教室が見渡せる対面の校舎の屋上に集まる。

 写真部から借りてきたバズーカ砲のような望遠レンズとカメラを三脚に据えて、レンズの先を弩のいる二階、一年C組の教室の窓に向けた。カメラに液晶モニターを繋いで、僕達自身は身を伏せ、屋上の縁に身を隠してモニター越しに弩を見守る。


 弩の席は教室中程の窓際だった。

 弩と一緒にいる二人が、お昼を食べる桃子ちゃんと玲奈ちゃんらしい。

 三人は机を三つ、くっつけて座った。

「奥の、前髪を上げてポンパドールにしてるのが玲奈ちゃんで、弩と向かい合って座ってるお団子の子が桃子ちゃんです」

 同じ学年の御厨が説明する。

 二人ともキレイ系というよりは可愛い感じの子だった。

 背丈も弩と同じか、少し高いくらいだろう。


 モニターの中の弩が、弁当の包みを広げた。

 声は聞こえないけど、何か楽しそうに話している。

 もう、前からずっと友達だったみたいに自然だ。


 残念ながらご飯の上ののりは弁当箱の蓋に張り付いてはいなかったけれど、僕達の読み通り、弩はおかずのミートボールをほかの二人に分けてあげた。

 お返しに、ミニハンバーグと豚の角煮一切れを、二人からもらう。

 弩の箸がすべって、プチトマトを落としそうになった。

 三人はそれだけのことで、底が抜けたみたいに笑いあう。


 昼間の普段見ない妻の様子を覗き見しているみたいでドキドキした。

 まあ、僕は結婚したことはないんだけど。

 妻がいたことはないんだけど。

 それどころか、彼女もいたことないけど。


 何をしゃべっているのか、その口元を読もうと弩の顔にズームしたとき、突然、モニターの画面が真っ青になった。

 見ると、母木先輩がレンズの先端を空に向けている。

 モニターには雲一つない空の青が映っていた。


「やめておこう」

 先輩が言う。

「よく考えてみれば、このような覗きは趣味が悪い」

 先輩はそう言って、カメラの電源を切った。


「それに、弩が友達と弁当を楽しく食べたかどうかは、僕達の元に返ってきた弁当箱を見て判断しようじゃないか。実際、僕達が主夫になったときも、妻の仕事先での様子は、返却された弁当箱から読み解くことになるのだろう。妻の体調、心理状態、仕事の進歩状況、同僚との関係、それらを弁当箱から読み解くのが、主夫だ。僕達はその訓練もしなければならない」


「そうですね」

 母木先輩の言う通りだ。

 心配だったとはいえ、こんなふうに写真部からカメラまで借りて覗きをしたのが恥ずかしくなる。弩も覗かれていたのを知ったら、気分が良くないだろう。

 お弁当の報告は放課後、弩の口から聞くまで待つことにしよう。


 でも、楽しそうにやってるのが分かっただけで良かった。



 弩の監視をやめて、今度は僕達が屋上で弁当を広げる。

 太陽の下でピクニックのようにランチを楽しんでいると、


「ちょっと! 主夫部!」


 肩を怒らせた鬼胡桃会長が現れた。

 いつもの倍くらい、目がつり上がっている。

 どういうわけか、その手には例の短刀が握られていた。

 以前僕が背中に突きつけられた、会長の家の女子に代々伝わるという短刀だ。


「どうした? 鬼胡桃?」

 母木先輩が訊く。でもなんか、先輩は口の端で笑っている。


「どうした? じゃないわよ」

 鬼胡桃会長は怒りを噛み潰しながら言った。肩がプルプル震えている。


「あなた達、どういうつもりであのお弁当を渡したの?」

「もちろん、君においしく食べてもらうためさ」

 母木先輩が答える。

「ふざけないで! お弁当箱の蓋を開けたら、ご飯の上に桜でんぶでハートが描いてあって、その上に海苔で『愛してる』と書かれていたわ。近隣高校の生徒会長を集めたワーキングランチで、全員にそのお弁当を目撃されたわ。ラブラブで良いですね、なんて冷やかされたわ。器用な彼氏さんで羨ましい、なんて笑われたわ!」

 会長は思い出して顔を真っ赤にする。

 頭のてっぺんから湯気を噴き出していて、エスプレッソのカップ分くらいのお湯ならすぐに沸かせそうだ。


 なるほど、弁当を渡すとき母木先輩がニヤニヤしていたのはこういうことか。

 鬼胡桃会長のランチクロスだけ色が違ったのは、母木先輩が悪戯心で手を加えた特別な弁当の目印でもあったらしい。


「そこに直りなさい」

 会長が言って、短刀の鯉口が切られた。

 その美しい刀身に初夏の太陽と会長のワンピースのボルドーが反射して、妖しく光る。

 会長は鞘を捨て、短刀を両手で握って腰に構えた。


「全員殺して私も死ぬわ!」


 鬼胡桃会長が文字通り鬼の形相で追いかけてくるから、僕達は食べかけの弁当を放棄して、全速力でそこを逃げ出すのだ。

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