第24話 尾行
午後4時35分。
いつものように朝帰りして、昼過ぎまで寝ていた古品さんが、寄宿舎を出た。
セーラ服に薄黄色のカーディガン。
トートバッグを肩に掛けた古品さん。
縁なし眼鏡の下の目は、いつも通り眠そうだ。
髪留めでおでこを出してる髪型も変わらない。
「いってきます」
古品さんは、玄関脇で外壁のペンキ塗りをしている母木先輩に挨拶した。
「いってらっしゃい」
母木先輩はペンキ塗りの手を止めて、声をかける。
古品さんの後を追って、追跡班の僕と錦織が急いで靴を履いた。
玄関で母木先輩に目配せして、先輩もそれに頷いて応じる。
先輩の目は「がんばってこい」と言っていた。
僕達は少し距離をおいて、古品さんを尾行する。
まさか尾行されると思っていない古品さんは、後ろを気にすることもなく、無防備だ。
昨日の部活のミーティングで、僕が古品さんの素行調査を提案したら、満場一致で許可された。
「寄宿舎の施設面、ハード面は、皆の努力のおかげで、日々、良くなっている。一方、ソフト面、家事については、残念ながら、まだ寄宿生の期待に答えられているとは言い難い。寄宿生の好みの調査もまだまだだ。特に古品さんに関しては、僕達は何も知らない」
母木先輩はそんなふうに言った。
母木先輩と御厨が寄宿舎に残って、僕と錦織が古品さん追跡班になった。
弩が付いて来たがったけど、追跡中に道ばたの空き缶を蹴っ飛ばすとか、散歩中の犬に吠えられるとか、必ずベタなどじを踏んで尾行を台無しにすると思うから、留守番させた。
林を抜けて校舎裏に出た古品さんは、校舎には寄らず、下校する生徒の波に紛れた。いかにも今まで授業受けてました、という顔をして、そのまま校門を出る。
古品さんは、電車通学の生徒が使う最寄りの駅とは違う方向へ歩いた。
時折スマホをチェックしながら、足早に歩く。
やがて古品さんは、コンビニエンス・ストアの敷地に入っていった。
この辺りまで来ると他に我が校の生徒も見られない。
古品さんはコンビニの駐車場に停まっていた黒いミニバンに近づくと、運転席のドアをコンコンと叩いた。
バンには三十前後の金髪の男が乗っていて、古品さんと二言三言、交わす。
すると古品さんは助手席側に回って、そのままミニバンに乗り込んだ。
ミニバンはエンジンをかけて走り出す。
「まずいな」
車に乗られたら終わりだ。
映画とかドラマみたいに、偶然近くを走っているタクシーを捕まえることもできない(仮に近くにタクシーがいても、高くて乗れないけど)。
そんな僕達の前に、一台のフィアットが現れた。
あちこち擦った傷のある青のフィアット・パンダだ。
「乗りなさい!」
運転席のヨハンナ先生が言う。
「追いかけるんでしょ? 早くしなさい!」
僕達は急いで先生の車に乗り込んだ。
僕達が乗り込むや否や、先生はアクセルを床まで踏んで、ミニバンを追いかける。
「先生、どうしたんですか?」
車内で、僕が訊いた。
「寄宿舎で一緒に住んでみて、彼女の事は心配してたの。一応、教師だからね、私も」
そう言えば先生も昨日のミーティングにいたっけ。
ずっとスマホを弄ってたのに、ちゃんと話は聞いてたのか。
「シートベルト絞めてて、少し飛ばすから」
信じられない話だけれど、今、ヨハンナ先生が格好良く見える。
向こうに気付かれないよう間に一台挟んで、ミニバンの後に付けるヨハンナ先生。
ミニバンのリアガラス越しに見ていると、二人は車内で親しげに会話をしている。
このチャラチャラした金髪の男が、古品さんの彼氏なのだろうか?
古品さんはこの男の所で、毎晩過ごしているのか。
それとも、考えたくないけど、援交とか、そういうことだろうか。
ミニバンは街中へ向かった。
周囲にラブホテルなども見られる歓楽街に入る。
人通りのある通りをしばらく徐行したミニバンは、立体駐車場の前で停まった。
古品さんが車を降りる。
車を降りた古品さんは、バイバイと金髪の男に手を振った。
そのまま車を離れる。
男は古品さんを送っただけだった。
「あなた達も行きなさい」
ヨハンナ先生も車を止める。
「先生、ありがとうごさいます!」
僕が言うと、先生は人差し指を突き立てた。
先生、こういう場合は、親指を立てるべきだと思う。
ミニバンから降りた古品さんは、制服のまま、颯爽と街を歩いた。
きょろきょろ見渡したり、迷ったりすることがないから、この辺の地理に明るいんだろう。
やがて目的地と思われる雑居ビルの前に来ると、古品さんは一度大きく息を吐いて、地下へ続く階段を降りていく。
僕と錦織は、しばらく隣のビルの影で待ってみた。
けれど、階段を降りたきり、古品さんが出てくる気配はない。
「どうする?」
錦織が訊いた。
「よし、行ってみよう」
僕達は、古品さんが消えた地下への階段を降りる。
雑居ビルの地下は薄暗かった。
汗とピーナッツバターを混ぜたような、なんとも言えない匂いがする。
階段を降りたところに髪を編み込んでコーンロウにした二十代前半の一人のお姉さんが立っていた。
お姉さんの後ろにはロックバンドとアイドルグループの対バンのポスターが張ってある。
どちらも知らないグループだ。
僕達が迷い込んだのは、ライブハウスのようだった。
古品さんはこの中だろうか。
古品さんはバンドの追っかけをしているのか。
「チケットはありますか?」
お姉さんに訊かれた。僕達は首を振る。
「当券だと三千五百円ですけど、いいですか?」
訊かれて、わけも分からないまま「はい」と答えてしまった。
「ドリンク代と合わせて四千円になります」
お姉さんが言う。
二人で八千円。痛い出費だけど、仕方ない。これも調査の為だ。
ところで、これは部費で落ちるんだろうか。
ライブハウスは、入り口からすぐのホールが物販コーナーになっていて、タオルやアームバンドなどのアーティストグッズを売っていた。
ロックバンドの方の売り場には二十人くらいの女性が集まっていて、アイドルグループの売り場の方は閑散としている。
僕と錦織は古品さんを探した。
セーラー服の古品さんは見付けやすいかと思いきや、ロックバンドのメンバーからファンにセーラー服で来いとの指示があったみたいで、殆どの女性がセーラー服姿だった。
仕方なく、僕達は一人一人顔を見ていく。
僕達は明らかに場違いだし、キョロキョロと女性の顔ばかり見ていくから、不審者扱いされそうになった。
そうやって捜したけど、古品さんらしき人は見つからない。
僕達はライブ会場に入った。
二百人くらい入る箱で、今、会場内にいるのは百人弱だろうか。
ロックバンドのファンと思われる女性と、アイドルグループのファンの割合は七対三くらい。セーラー服を着ている女性が会場内に五十人以上いる。
狭い会場を
それでも古品さんは見つからない。
そうしているうちに客電が落ちて、ロックバンドのライブが始まった。
甲高い歓声が上がって、客が少しでも前に行こうと、圧縮が起きる。
仕方なく、僕達は最後列のバーカウンターの前まで避難した。
僕はそんなにたくさん音楽を聴く方ではないけど、とても上手いとは言えない演奏だった。僕と錦織は、ドリンクのチケットで引き替えたミネラルウォーターを飲みながら、漠然とライブを見る。
もしかしたらライブハウスの従業員の中に古品さんがいるかと思って、そっちも気にして見ていた。
ロックバンドのライブが終わって、汗だくになった人達がバーカウンターの方に移動してくる。
その中も古品さんはいなかった。
もしかしたら、古品さんはアイドルの方の追っかけなのかもしれない。
アイドルの方にも男性ファンに混じって、女性のファンもちょこちょこ見られた。
休憩時間を挟んで二組目のアイドルグループのライブが始まる。
ロックバンドの演奏が終わって帰ってしまう人もいて、会場はさっきより空いていいた。
アイドルグループは、エレクトロ・ダンス・ユニット『ぱあてぃめいく』、というらしい。
失礼だけど、まったく、聞いたことがなかった。
イントロが流れてきて、曲の四つ打ちのキックが内蔵に刺さる。
夕飯を食べていない空腹には、余計に響いた。
イントロが終わる頃に、『ぱあてぃめいく』のメンバーがステージに飛び出してくくる。
『ぱあてぃめいく』のメンバーは、三人みたいだ。
三人が横に並んで、ダンスを始める。
三人組メンバーの一人、上手側の彼女に、見覚えがあった。
間違いない、それは古品さんだった。
眼鏡をかけてないし、前髪も下ろしてるけど、ステージに立ってファンの歓声を浴びているのは、紛れもなく、古品さんだ。
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