第22話 円陣

「主夫部のメンバー、集まりなさい」

 飼い犬でも呼ぶみたいに、鬼胡桃会長が僕達を呼ぶ。


 台所の御厨と、古品さんと入れ替わりで風呂場から出てきた錦織が、何事かと玄関ホールに集まって来た。

 外壁を調べていた母木先輩も、ぶつぶつ文句を言いながら、遅れて来る。


「あなたたちに、重大な情報を持ってきたわよ。この私が、持ってきてあげたわ」

 腕組みの鬼胡桃会長は、得意気だった。

 大体において得意気ではあるけど、今回は特に得意満面だ。


「勿体ぶらずに言え。僕達は忙しい」

 母木先輩が言っても、会長は余裕の表情だった。


「それでは発表しましょう。この寄宿舎に、新しい管理人が来ることになりました」

 会長はそう言って、自分で拍手をする。

 けれど、もちろん僕達主夫部部員の中に、同調する者はいない。


「まだ公になっていないけれど、生徒会の持つ優秀な情報網から手に入れた確かな情報よ。先生方も、さすがにこの寄宿舎を生徒だけで運営させるのは無理があるとお考えになったようで、早めに手を打ったのね。まあ、私のような大切な子女を預かるのだから、当然の対応と言えるかしら。さっそく今日から、新しい管理人さんが来るらしいわ」


 鬼胡桃会長の態度から大事と予想は出来たけど、これはない。

 今朝の朝練といい、この寄宿舎は本当に遣り甲斐があったのに。

 これからこの館を再建していくのが、楽しみでしょうがなかった。


 それにしても、昨日の今日で新しい管理人を雇ってくるなんて、学校の対応は、早すぎやしないだろうか。


「どのみち、あなた達のような素人では、この寄宿舎の運営も行き詰まるでしょう。やはり、プロの管理人さんを雇うのが正解よ」

 会長は言う。

 いや、今までそのプロの管理人さんがいても、寄宿舎はここまで寂れてるし。


「残念ね。あなた達は新しい管理人と交代で、この館を出て行くことになるでしょう。短い間だったけれど、ご苦労様。少しは寂しく思っておいてあげるわ」

 ふふふ、と鬼胡桃会長は余裕の含み笑いだ。


「ここはまた、男子禁制の平穏な乙女の園に戻るのよ」

 そんな会長の声を掻き消すような盛大なブレーキ音がして、玄関前に土埃が立った。

 自転車が滑り込んで来る。


「やあ、練習中だったけれど、緊急と連絡を受けて、二十キロ先から帰ってきたぞ」

 部活動中の縦走先輩だ。

 ヘルメットにサングラス、サイクルジャージにレーサーパンツという格好の先輩は、玄関に靴を脱ぎ散らかして、廊下にペタペタと足跡をつける。

 僕達が去ったとしても、ここが平穏な乙女の園に戻るとは思えない。


 会長が縦走先輩に、新しい管理人が来ることを説明した。

「そうか、残念だね」

 別れの握手のつもりか、手を差し出す縦走先輩。

「君たちのことは決して忘れない、いつかヴァルハラで会おう!」

 永遠の別れじゃないし。

 会おうと思えばすぐ会えるし。



「噂をすれば、新しい管理人さんが来たようよ。どんな人かしら」

 鬼胡桃会長の視線を辿って玄関を見ると、林の獣道を歩いてこちらに来る人影がある。

 その人影は背中に大きなリュックサックを背負っていた。

 それだけではなく、斜めがけバックを四つ交差させて肩に掛けて、腰から巾着袋を何個も下げている。

 その上で更に、パンパンに膨らんだ腕に余るくらいの、大きな風呂敷包みを抱えていた。

 荷物が重いのか、ふらふらと千鳥足。

 風呂敷包みに隠れて、顔は見えない。

 それにしても、家財道具を全部抱えているんじゃないかという、大荷物だ。


 その人影は獣道を抜けてどうにか玄関まで辿り着いた。

「よいしょ」

 と言いながら、風呂敷包みを床に下ろす。



「ヨハンナ先生!」


 いつになく弩が大声を出した。

 金色の髪に青い瞳。まさしく、ヨハンナ先生だ。


「この度、この寄宿舎『失乙女館』の管理人を兼務することになりました、高校教師で主夫部顧問の、霧島ヨハンナと申します。よろしくお願いします!」

 なぜか他人行儀なヨハンナ先生。


 それを見た鬼胡桃会長が、腕組みのまま小刻みに震えている。

 当てが外れたらしい。

 まったく斜め上の方向に。


「先生、どうして……」

 僕が訊く。

「いやー、あの足で教頭先生に掛け合って、寄宿舎の管理人やらせてくださいって言ったらね、案外あっさりとOKしてくれたの。新しい人を探す手間も省けるし、ちょうど良かったみたい。それに、昔はここの教師が指導員として、寄宿舎にいることもあったみたいだから、珍しいことではないらしいし」

 先生が、こっちにも考えがあるとか言って、部室を出て行ったのはこれだったのか。


「その、大荷物はなんですか?」

 錦織が訊いた。

 先生は荷物に押しつぶされそうだから、皆で手伝って荷物を下ろす。

「とりあえず飛んで帰って、マンションから持てるだけ持ってきたの。服とか、歯ブラシとか、化粧品とか、枕とか? まだ車に布団も積んであるから、後で取りに行くね」

 ヨハンナ先生が言う。


「先生、まさか、ここに住むんですか?」

 母木先輩が訊いた。

 大荷物には生活していけるくらいの道具が揃ってそうだ。


「管理人だからね、もちろんここに住むわよ。住み込みの管理人。二十四時間の手厚い管理を提供するわ。それにここなら、あなた達が私の部屋を掃除しに来る手間が省けるでしょう?」

 手間が省けるというか、ここに先生がいたら、ここにいる間、ずっと先生の世話をしなければならなくなるじゃないか。


 余計に手間が掛かる。


「空いている部屋はあるよね? どこでもいいの。私はどこでも寝られるタイプだし。もし空き部屋がなかったら、倉庫とか、物置とかでもいいわ。なんなら廊下でもいいわ。それもダメだったら、裏庭にテントを張るのも、ギリギリOK」

 ギリギリ、OKなのか。

 先生、必死じゃないか。

 必死すぎるじゃないか。


「あのう、先生が管理人になっても、僕達主夫部は出て行かなくていいんですよね?」

 御厨が心配そうに訊いた。


「またまた、御厨君、なに馬鹿なこと訊くの? 当たり前じゃない。あなた達がいなくなったら、誰がこの寄宿舎の家事をやるのよ? 誰が寄宿生のお世話をするの?」

 ヨハンナ先生が逆に訊き返す。

 それは当然、管理人である先生がやるべきだとは思うが。

 そのために派遣されたんだと思うけど。

「あなた達主夫部には、当然ここにいてもらうわ。家事をしてもらう。いえ、してください」

 ヨハンナ先生が頭を下げた。


「と、いうことだ、鬼胡桃。これからもよろしくな!」

 形勢逆転、母木先輩が会長の肩をポンポンと叩く。

 叩かれた鬼胡桃会長は、しかし、それほど不満そうに見えなかった。

 母木先輩に、憎まれ口で応じたりしなかった。



 シャワーを浴びていた古品さんが、髪にタオルを巻いて風呂場から出てくる。

「これで寄宿生も、主夫部部員も、全員集まったわね」

 先生が言って、古品さんがきょとんとしている。


「さあ、みんな肩を組んで。恥ずかしがらないで、私達は家族よ」

 ヨハンナ先生が促した。

 なんだかヨハンナ先生が先生らしきことをしている。

 それも、熱血先生みたいなことを。


 僕達は肩を組んだ。丸くなって円陣になる。

 円陣には鬼胡桃会長も加わっていた。

 僕の両隣は、弩と縦走先輩だった。

 弩の肩は細くて冷たかった。

 反対に、縦走先輩の肩は厚くて熱い。


「みんなでこの寄宿舎を守り立てていきましょう。私達の戦いは、まだ始まったばかりよ!」

 ヨハンナ先生の声がホールに響く。

 連載打ち切り最終回みたいな台詞は止めて欲しい。



 とにかくこうして、僕達主夫部と寄宿生と、そしてヨハンナ先生を加えた半共同生活が始まることになった。

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