第21話 111号室

 会議の後で僕達はさっそく、寄宿舎の持ち場に散った。


 御厨は台所へ、錦織は水廻りを、母木先輩は廊下と外観を調べて修理箇所を探す。

 僕と弩は二人でこの寄宿舎にある二十四の個室をチェックすることになった。


 この寄宿舎ある個室の配置は、一階も二階も玄関ホールの吹き抜けを挟んで、左右に六部屋ずつで、計二十四部屋。

 昔は一部屋を二人で使ったそうだけど、今は一人一部屋使っている。

 というか、部屋が空いてるのをいいことに、一人で何部屋も使っている人もいる。


 二階の201号室から206号室、つまり、二階の建物左側半分が、全部、鬼胡桃会長の部屋だ。


 201号室は寝室。

 202号室はリビング。

 203号室は書斎で、

 204号室は会議室(生徒会選挙の際は会長の選挙対策本部になるという)。

 205号室は衣装部屋で、

 206号室が倉庫。


 台所や食堂、バス・トイレが別の場所にあることを考えると、並のマンション以上に贅沢な間取りになる。

 鬼胡桃会長は、この六部屋を当然のように使った。

 使って悪びれる様子が、まったくない。


 吹き抜けを置いて、階段からすぐの207号室が古品さんの部屋。

 一階に降りて左端、101号室が縦走先輩の部屋で、隣の102号室を先輩はトレーニングルームにしている。

 そしてずっと飛ばして一階の右端、112号室が、僕達が踏み込んだ弩の部屋だ。

 それ以外の部屋は今現在、空き部屋になっている。


「弩、部屋替われば? 床が傾いて本棚が倒れただろう?」

 弩が四日間閉じ込められた部屋は、まだ床の修理がされていない。

 弩が寝ぼけて床を踏み抜いたりしないように、床が傾いた箇所にとりあえずカラーコーンが置いてあるだけだ。


「いいんです。私はあの部屋でいいです」

「これだけ空き部屋もあるし、遠慮することはないぞ。あの部屋暗いし、二階の方が見晴らしもいいよ。二階の左側なんて殆ど空いてるし」

「いいんです。今のままで」

 弩はかたくなだった。

 何かあの部屋にこだわる理由でもあるんだろうか。



 住人のいない部屋には無断で入ることは出来ないから、まず、マスターキーで208号室から空き部屋に入って、部屋の中の様子を確かめる。


 部屋の中はがらんどうになっていた。

 窓は蔦が覆っていて、薄暗い。

 そして、しばらく部屋に風を通していないせいか、カビ臭かった。

 埃が積もっていて、歩くと、僕達二人分の足跡がつく。


 僕達は、部屋を回りながら窓ガラスに罅が入っている箇所や、壁に染みが浮いている部分などをチェックしてノートに書き込んでいった。

 陽に焼けすぎたカーテンは取り替えるべきだろうし、白熱灯の照明も替えるべきだろう。


 空き部屋はどこも同じような状態だった。


 一階に降りて103号室に入ったところで、

「弩、ちょっとそこで跳ねてみて」

 僕は思いついて弩に言ってみた。

「なんですか? 私、お金取られるんですか?」

 弩が言う。

「取らねーよ! かつあげなんかするかよ!」

 今時、その場で跳んでみさせて小銭を確かめる奴とかいるのか。

「じゃあ、篠岡先輩はこんな二人だけの薄暗い個室で私を跳ばせて、私の胸が揺れる様をしげしげと鑑賞するんですか?」

 弩はジト目で僕を見ている。

「しねえよ!」

 それこそしない。

「だいたい、揺れるっていうか、そもそも弩の胸はちっぱ………いや、なんでもない」


「いいから、跳んでみて」

 僕が急かすと、弩が無表情でその場にぴょんぴょん跳ねた。

 弩の長い髪がはらはらと揺れる。

「どうだ、床抜けそうか?」

「いえ、とても丈夫そうですが」

 確かに軋むような音はするけど、床板はたわんだりしなかった。

 すごく頑丈そうだ。


 そういえば、縦走先輩がトレーニングルームにしてる隣の102号室には、ダンベルや、エアロバイク、筋トレ用のマシンなんかがたくさん置いてあるのに、床が抜けることはない。先輩はそこで飛び跳ねているのにも関わらずだ。

 古びてはいるけど、総じてこの寄宿舎の土台は頑丈そうだ。


 それならなぜ、弩の部屋の床は傾いたんだろう。

 床が傷んでいるのは弩の112号室だけなのだろうか。



 そうして空き部屋を順番に調べていって、111号室の番になったときだ。


「先輩、111号室の鍵がありません」

 弩が言った。

 寄宿舎の事務所から持ってきたマスターキーの鍵束の中に、111号室の鍵だけ無いという。

 鍵束を仕舞ってあった引き出しの中に落ちているのかと、もう一度事務所で確認してみても、見つからなかった。

 部屋中を引っ搔き回しても、ない。

 鍵なしでドアノブを回しても、当然、鍵が掛かっていて回らなかった。


「そこは『開かずの間』よ」

 振り返ると、僕達の後ろに古品さんが立っている。

 ぼさぼさの髪。

 大きめの男物のパジャマ。

 眼鏡がずれて、鼻で掛けている。

 朝、寝ると言って食堂を出て、授業にも出ずに午後四時を過ぎて、漸く起きたらしい。


「そこは『開かずの間』で、この数十年間、誰も入ったことはないわ」

 古品さんが言った。

 寝起きで少し声がかすれている。

「あんな事があったからね。当然ではあるのだけれど………聞きたい?」

 古品さんが訊いた。

 僕は頷く。

 弩は首を振った。


「ここに入っていた女子生徒が一人、消えたのよ。窓には中から鍵が掛かっている、ドアにも鍵が掛かっていて、なおかつ監視の目があった状態で、中の生徒が煙のように消えたの。大体五十年くらい前の話ね。まだここが女子校だった頃のこと」

 弩は耳を塞いでいる。


「生徒が部屋からいなくなって、寄宿生、先生、警察、近くの消防団、みんなで館内とか周りの林とか、夜通し探したんだけど、見つからなかった。その生徒の親御さんは生徒が戻って来ることを信じて、しばらく部屋をそのままにしておいたんだけど、そのうち部屋は引き払われた。そしてこの部屋はそのまま封鎖された。なにしろこの部屋の中で人が一人消えてるからね」

 耳を塞いでいても聞こえたらしく、弩は「ふええ」と言った。


「封鎖されてしばらく経って、いつの間にか鍵がなくなっていて開けられなくなっちゃったらしい。開けようと思えば、鍵屋さんを呼んで開けてらうことも出来たんだろうけど、事情が事情だし、開けないでいるうちに『開かずの間』になっちゃった」

 ドアは普通のドアで、他の部屋のドアと違いはない。

「まあ、見てきたように話したけど、私も上級生から聞いた受け売りだけどね」

 古品さんは肩をすくめた。


「あれ、そういえば、あの『開かずの間』の隣は、弩さんの部屋よね」

 古品さんが言って、弩が頷く。

「今もあの部屋の中でさまよってる女子生徒が、夜な夜な現れて、あなたの部屋との間の壁を叩くかもよ。出してください、出してくださいって……」

 途端に111号室のドアが、不気味に見えてきた。

 中から冷気が吹き出してくるような気もする。


「弩、やっぱ部屋替わるか?」

 僕が弩に訊いた。

「いいいえ、わわわ私はあの部屋でいいいです」

 弩は頑なだ。



「古品さん! 下級生に変な話を吹き込まないでちょうだい」

 幽霊も逃げそうな声で周囲の邪気を払ったのは、鬼胡桃会長だった。


 会長はいつの間にか、僕達の後ろに腕組みで立っている。

 会長には生徒会の仕事があって、まだ寄宿舎に帰って来る時間じゃないはずだけど。

「あーはいはい。私はシャワー浴びて来よーっと」

 古品さんは逃げるようにその場から離れた。


「いいこと。あなた達、古品さんの今の話は忘れなさい」

 会長に言われて、僕も弩も大きく頷く。

 忘れなさい、というか忘れてしまいたかった。



 古品さんが消えると、鬼胡桃会長が、パンパンと派手に手を叩いた。

 その音は館内の隅々まで良く響く。

「さあ、主夫部のメンバー、集まりなさい」

 会長が大声で言った。


「なんだか、ちまちまやってるようだけれど、全部無駄になるから、作業は止めたほうがいいわよ」

 会長が言う。

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