第17話 第三の少女

「さあ、まずは夕食だ! 四日間閉じ込められた弩君が腹を空かせている。すぐに台所の確認だ!」

 母木先輩が僕達を追い立てて、パンパンと手を叩く。


「ちょっと! なに仕切ってるのよ。勝手に進行しないでよ!」

 当然、母木先輩の前には鬼胡桃会長が立ち塞がった。

「なんだ? なんか問題あるか?」

「ありありよ! ってゆうか、問題しかない。こんなこと認めるわけがないでしょう! 誇り高きこの館に男子が足を踏み入れただけでも一大事なのに! 天地がひっくり返る大事件だというのに」

 ああっ、と鬼胡桃会長が天を仰ぐ。

 会長は、あと二時間で地球に巨大隕石が衝突するみたいな、絶望的な顔をしている。


「今すぐ出てお行きなさい。そして二度とここに足を踏み入れてはなりません!」

 会長はそう言って顔を手で覆った。

 男子が寄宿舎にいるこの状況を見たくない、とでもいうかのように。


 心配した弩が、気丈にもベッドから起き上がって玄関ホールの僕達のところへ歩いて来る。

 ヨハンナ先生が面倒なことに巻き込まれまいと、こっそりこの場から逃げようとするから、僕が目で牽制した。



「鬼胡桃、君が言う、伝統のある、誇り高き寄宿舎は、もうここにはない」

 母木先輩が落ち着いた声で言う。


 館内は壁紙が所々破れて放置されていた。

 廊下のランプが幾つも切れていて薄暗い。

 玄関ホールから二階へ続く階段の手すりに、薄く埃が積もっていた。

 ホールの吹き抜けを飾るステンドグラスの一部が、ガムテープで留めてある。


 こうしてざっと見るだけでも、この寄宿舎の寂れ具合が分かった。

 とすると、弩の部屋の床みたいに、目に見えない部分も相当朽ちているんだろう。


 内側だけではない、外では林の木々がこの建物自体を飲み込もうとしている。

 そして、学校に、この寄宿舎をどうにかしようという気はないらしい。

 このまま寄宿生が減って、誰もいなくなる、フェイドアウトになることを望んでいるように思えた。


「その伝統ある、誇りある寄宿舎の姿を取り戻そう。僕達主夫部がそれを手伝う。それに現実的な問題として、君達は明日からどうするんだ? 食事も、掃除も、洗濯も、誰がするんだ」

 母木先輩が訊く。

「代わりを用意させるわ」

 会長が突っ張った。

「代わりがすぐに見つかるわけがない。さっきの管理人さんを見る限り、ここの待遇は良いとはいえないようだし」

「それなら、私達自身でやるわよ。出来ないことはないわ。この鬼胡桃統子が指揮を執るから」

 指揮を執ると言って、自分でやると言わないのが会長らしい。


「君には学校の他に、生徒会の仕事があるだろう。それを放棄するのか? 生徒会長の仕事は片手間にできるようなものではない。そして君以外の人間では置き換えできない。君じゃないとできない仕事だ。それを抱えてなおかつ家事までこなそうというのは、いくらなんでも無謀だ」

 鬼胡桃会長は、母木先輩の言葉に応えなかった。

 そして黙って考え込む。

 腕組みの姿勢でじっと考えた。


 会長の沈黙を待つ間、誰もそこを動けない。

 そこにいる皆が沈黙した。

 その沈黙は鬼胡桃会長以外が解けない沈黙だった。


 そしてその時、廊下のランプがまた一つ、寿命を迎えて消えた。

 まるでなにかを暗示するかのように。




「分かったわ」

 鬼胡桃会長が長考から抜けた。

 実際沈黙は五分くらいだったけど、授業一コマ受けたくらいの長さに感じる。


「認めましょう」

 会長はなにかを吹っ切った顔をしていた。


「ただし! あなた達の誰か一人でも、私たち寄宿生に指一本でも触れようものなら、あなた達の三代先の子孫まで、生まれてきたことを後悔して震え上がるような拷問を与えるから、覚えておいてちょうだい」

 会長が言う。

 一体どんな拷問なんだ。


 それはそれで、ちょっと興味があるけど。



「ただいまー!」

 突然、明るい声が玄関に響いた。

 ここにあった全ての邪気を追い払ってしまう、張りのある声が玄関から聞こえる。


「疲れたし、お腹減ったー」

 一人の女子生徒が立っていた。

 僕より背が高い。

 セーラー服の赤リボンからして、三年生だ。

 彼女はスポーツバックをリュックサックみたいに背負って、シューズケースとヘルメットを持っている。

 耳が全部見える短い髪。よく陽に焼けた肌で、太眉が凛々しい。

 セーラー服の上からでも、全身に隙なく筋肉が付いているのが分かった。

 それも無駄な筋肉ではなく、体を効率的に動かすために計算しつくされたアスリートの筋肉だ。


 確か、縦走たてばしり先輩とかいったかもしれない。

 よく学校の外周をランニングしているのを見かける。

 この縦走先輩も寄宿生なのだろうか。


 縦走先輩は玄関ホールにいる僕達を認めた。

 そして少し驚いたように、

「なに、ここ男子オッケーになったの? 男子連れ込んじゃってもいいの?」

 と訊く。

「断じて、そんなことは許しません!」

 縦走先輩、やっと落ち着いた会長を揺さぶるような言動はやめて欲しい。


 鬼胡桃会長が縦走先輩に事情を説明する。

 会長は、説明しながら自分自身にこの事態を言い含めるようにしていた。

 頭の中で整理しているんだろう。


「へえ、主夫部かぁ、面白い人達だね。私たちの面倒見てくれるの。私、縦走たてばしり美和みわ。よろしく」

 先輩が握手のための右手を差し伸べてくる。

 でも僕は握手をためらってしまった。

「指一本でも触れると、とんでもないことになるというので……」

 すぐ近くに鬼胡桃会長の目が控えている。

「あ、握手は構わないわよ!」

 常識で考えなさいと、会長。

 許可を頂戴して縦走先輩と握手する。

 先輩の手は力強かった。握られて痛いくらいだったけれど、苦痛ではない、安心できる痛さだ。

 身を任せられる締め付けだ。


 縦走先輩は錦織と御厨とも握手をする。

「母木君は私のこと知ってるからいいよね。私は三年で、トライアスロン部に入ってる。好きなスポーツはマラソンで、趣味はサイクリング、得意なスポーツは水泳」

 トライアスロンのために生まれてきたような人だ。

 うちの学校には珍しいトライアスロン部があって、その道ではかなり強豪だから、他府県から入学してくる生徒がいると聞いている。

 縦走先輩もその口なのだろうか。


「僕は篠岡塞といいます。よろしくお願いします」

 続けて錦織と御厨が名乗る。

 名乗っている間、縦走先輩は僕達一人一人に近づいて、くんくんと匂いを嗅いだ。

 匂いで何か分かるのか?

 変な匂いはしてないだろうか、ミントのタブレットでも噛んでおけば良かったと、後悔する。


「あのあの、私、弩まゆみといいます。弩のゆみとまゆみのゆみで『ゆみゆみ』って呼んでもらえると嬉しいです」

 僕達に混じって、誰にも気付かれなかった寄宿生の弩も自己紹介した。

 縦走先輩は、可愛い可愛いと言って、弩の頭を撫で回す。

 弩は「ふええ、ふええ」と言っている。


 一通り弩の頭を撫で回したあとで、

「早速で悪いけど、シャワー浴びてくるからその間に夕ごはんよろしく。部活でお腹ぺこぺこなの」

 縦走先輩が言った。


「よし! それじゃあ、すぐにかかろう」

 母木先輩が呼びかけて、御厨と錦織が台所を確認しに行った。


「食材は十分あります! すぐに用意します」

 奥の台所から、御厨の声が聞こえる。

「よし、僕は食堂を軽く掃除しよう。本格的な掃除は明日以降になるが、ひとまず、食事ができるようにしたい」

 まるで今までの食堂では食事ができないみたいな言い方だけど、母木先輩の基準からすれば、そうなのかもしれない。


 御厨と錦織が料理で、母木先輩が掃除となると、僕は洗濯だ。


「皆さん、洗濯物あったら出してください。あ、下着とかも気にしないで出してくださいね。僕は妹のパンツとかブラジャーを見慣れてますし、下着で性的に興奮するとかありませんから」

 みんなが気を使って、遠慮するといけないから言っておく。


 でも、なぜか変な目で見られた。

 僕はなんか変なこと、言っただろうか。

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