マイノリティ・エクソダス

T・S

プロローグ

プロローグ




 目も眩むような白光で空が焼かれた。それが十数回目となった頃、後ろのサブシートから彼女は忠告をした。

「援軍が来てるわ。今は勝てないから引きなさい」

 けれど、それをかき消すような声がある。

『撤退など許さん! 今動けるのは君だけなのだ少尉。市街地への降下を絶対に許すな。大丈夫、その機体ならやれる!』

 上官からの通信だった。

 今にも唾が飛び散らせそうな男の、激励のような怒号がコックピットに空しく響く中、彼女は無言でため息を吐いた。

 軍では上官からの命令が絶対だ、というだけではない。その命令を受けたメインシートの男自身が、引く意思を持っていないと気づいたからだ。

「やるしか、ないだろ」

 義務感か、それとも理由があったのかは彼女の知るところではない。

 ただ、この男もダメかと勝手に見切りをつけただけだった。

 彼女に勝敗は意味をなさない。

 人類の勝利も敗北も、ほぼ同等に価値を感じられないからこそ必要以上のことは何もしない。それが、彼女が得た基本スタンス。物事すべてに無関心なのではない。ただ、彼ら人間にはほとんど関心が無いというだけのことだった。

 そんなこととは露知らず――否、知っていてなお彼は、無関心な彼女があえて寄越した忠告を無視した。せっかくのそれを聞き流した。

「俺が、俺が街を守るんだ――」

 機体が加速する。

 メインシートに座ったその男は、興奮の声のままのテンションで機体を突貫させる。

 モニターの向こうには、彼の仲間を大勢殺したSG<サイエンス・ガジェット>が三機落下していた。


――SG-10-2<MR・シェキナ>。


 世界防衛軍<WDF>と各国が正式に採用した、全高約十五メートル程の人型機動兵器SG-10<マルクト>の強化改修機だ。

 重力制御を応用したと思われる飛行技術と、空間を歪ませて防御するバリアを持ち、対空ミサイル迎撃用のレーザー発振器を機体各所に持つ無人兵器。

 マルクトを圧倒するその性能は、SGを駆るパイロットたちにとって悪夢以外の何物でもなかった。

 中でも最も恐れられているのは、その動力部<エンジン>だ。

 開発運用者の言によれば、それは反物質を用いた対消滅エンジンであるという。

 車のガソリンエンジンがガソリンで動くように、その機体は反物質で動く。だがこの反物質は普通の物質に触れると対消滅する性質を持っている。例えそれが空気でもだ。つまり大気圏内での撃墜=対消滅=エネルーの解放=爆発である。その破壊力は核ミサイルにも劣らず、むしろ放射能で汚染しない分クリーンで搭載した量を考えれば凌駕している。

 その性質上、都市部に降下された時点で終りだ。まともな軍なら住民の避難が終わるまでは事実上撃墜ができないという厄介な性質を持つ。

 そして破壊したとしてもその爆発範囲は容赦なく吹き飛ぶのも問題だった。

 インフラの破壊、住居の破壊、物質の破壊。

 たった一機でそれらに苦も無く大損害を与えることが可能なナンセンス兵器。


――故に、ついたあだ名は『武装した核ミサイル』。


 その、オレンジ色の装甲を持つ機体が振り返る。

 うっすらと歪んで見えるのは、軍縮による光学兵器全盛時代の空を奪い去った空間歪曲バリアの恩恵か。

 その向こうで、頭部の単眼<モノアイ>がギロリとこちらを捉えるのがモニター越しに彼女には見えた。

 鋼鉄の兵器に表情はない。

 怒りも悲しみもなく、ただただ寡黙に事を成す。それが人工知能を搭載した機体の挙動ではある。だが、彼女にはそれが繰り手の静かなる怒りを代弁しているようにも見えた。

 だから――という訳ではないが、代弁者の反応は単純明快だった。すぐさま彼らの乗る機体へと武装を向ける。

「ッ――」

 バックパックから発射された多弾道ミサイルと、レーザーライフルが一斉に迫る。

 それらを、同じく展開した空間歪曲バリアと機動力で振り切って接近する。

 バリアに着弾しても彼は前に進むことを止めず、両腕の付け根に織り込まれていたブレードを展開。そのまま機体の出力に物を言わせてバリアごと手近な一機の胴体を一刀の元に叩き斬る。

 瞬間、敵機が当然のように光となった。

 空気で起爆した反物質が、周辺の敵機さえも巻き込んで破壊力をまき散らしたのだ。

 爆発音は大気を伝って周辺一帯に雷鳴のごとく轟き、衝撃と熱量があたり一面を飲み込む。その瞬間、確かにメインシートの男は心臓を凍らせていた。

 マルクトのドライバーにとって、彼らとの近接戦闘は自身の死を意味する。

 事実、近接戦闘における生還率は0である。高価な機体と、時間をかけて育成したパイロットを問答無用で無に帰す兵器。それが今、地球人類が相手にしている敵の先兵なのだ。


――だが、ここにたった一機だけ例外がある。


 衝撃と閃光の洗礼を抜け、彼らを乗せた機体が爆炎の生んだ粉塵を突き抜けた。

 もう何度も体験した不可思議を前に、男はその機体がまだ健在であるという事実に安堵のため息をこぼす。

「まだ……行けるな。後は――」

 モニターの向こう、レーダーの反応を頼りに機体を向ける。

 上空から、後を追うように降下して来ている機体があった。

 手を出してこなかったのは、彼のことを値踏みするためだったのだろうか。

 男は、不気味な存在感を持つその赤い機体を見て眉根を寄せた。

 それは、彼ら自衛軍とWDFの敵であるシェキナでもマルクトRでもなかった。

 基本的に量産機であるマルクトRとシェキナしか戦場には積極的に出てこず、稀にそれ以外が見つけられることがあるとは上官から男は聞いたことがある。

 だが、それを思い出した彼は一瞬言葉を失っていた。

「あれが撤退しろって意味かっ!?」

 彼女が警戒を促すワンオフ機。

 男が今更のように後悔するも遅過ぎた。

 背面の大型ウィングを広げ、フレアの光をたなびかせながら敵機が空を加速する。

 その頃になって、サブモニターの端に型式照合された敵機の情報が羅列されているのがきがついた。


――SG-06<ティファレト>。


 まるで甲冑を着けた天使のような優美なそれは、マルクトよりも更に大きい。

 なのに、戦闘機を置き去りにするシェキナの加速よりも更に段違いで速い。

「悪い、立花……」

 それが、男の最後の言葉となった。








「軍人でもダメか」

 コックピットを貫いた剣が、機体を蹴り飛ばすようにして強引に引き抜かれる。

 貫通した装甲の隙間から見下ろすティファレトのツインアイは相変わらずの寡黙で、彼女はまるで無駄だとでも言われているような感慨を受けた。

 事実無駄なのだろう。そもそも彼女の行動そのものが計画にないイレギュラーで、今回のこれもまたイレギュラー。

「及第点を突破する才能というのは、意外と少ないのかしら」

 木偶の坊と化した機体が重力に捕まる。

 自由落下を気にもせずに彼女は思案した。

 敗因は多々あるが、やはりドライバーが問題だった。

 操作技術という意味では、今回のパイロットは正規の訓練を受けているだけあって歴代の中でもトップクラスだ。しかしこの特別な機体の習熟には圧倒的に訓練時間が足りない上に、敵がそれを許しはしない。

 彼女はそうなるだろうとは分かっていた。

 分かっていて、しかし、何かに抵抗するかのようにそうすることを選んだ。

 約束の時間が迫っている。

 この振って沸いた空白の時間が終わる日も近い。

 だが――。

「……」

 言葉を飲み込んで、複座のシートを蹴ると前に出る。

 その際、メインシートの男の残骸とすれ違う。彼は炭化し、肉片と蒸発しかけた血痕だけを残してこと切れている。

 だが、その無残な死も彼女に何の痛痒も感じさせない。そのまま顔色一つ変えないまま、コックピットから抜け出して無装備のまま空に飛んだ。

 夕暮れの空の下。

 身動きしない機体を捨て、なんとはなしに落下する。そんな最中、ふと彼女は気づいた。

「ああ、そういうこと」

 今更ながらに、眼下に迫る田舎町にどうして降下する羽目になったのかを理解した。

 この街には彼が居る。

 唯一、正当な後継者として認められている彼が。

 約束の時間が近い。

 だから、だったのだろう。




『――だからね、ロボット兵器なんてナンセンスなんですよ』

『普通に戦車でいいんですよ。あんなの絶対に維持費が嵩むし、そもそも二足歩行の利点って何ですか?』

『まぁロマンはありますけどねぇ。でもロマンじゃ人は戦えませんから』

 そんな風に言われた時代があった。

 その頃には原子力の生み出した架空の怪獣も、太古の文明が生み出した架空の大亀も、或いはその他諸々も現代兵器の敵ではないという軍のお墨付きまであったという。

 科学の進歩につれ、恐るべき兵器であるというロボット兵器のイメージは、費用対効果と現実という名の壁に阻まれて失笑を買う代物に成り下がっていた。

 SFという名の夢から派生したロマン兵器は、皮肉にも科学の発展と同時に考えられるようになった現実性によって淘汰されていた。

『だいたい、あんなに全高があったら良い的じゃないか』

 好き勝手言っていたコメンテーターたちや軍事評論家はしかし、現在においては皆口を揃えて人型ロボット兵器は危険だと手のひらを返した。

 二十一世紀にレーザー兵器が実用化され、一発数ドル程度の値段で航空機の撃墜が可能になった。それ以降、対空迎撃力が飛躍したことで長距離ミサイルの有用性が激減した二十三世紀において、空間歪曲バリアによる光学兵器の無力化と、反物質という二つの要素でもって世界に切り込んだ男が居た。

 その男の名はドクターR。

 ロボットが好きだからRと名乗ることにしたという、狂気のロボット信仰者である。

 2231年に彼は自らの脳を機械の体に移植するネット動画で公開し、あまつさえ地球の兵器をロボット以外認めないと宣言。手始めに大量破壊兵器を保有する各国の軍事施設を強襲し、攻撃目標の全てを破壊した。

 正に今世紀最大級の狂人にしてテロリスト。

 マルクトを開発したのもその男である。

 彼の企みをネットのウィキ@リークスで暴露し、マルクトの設計図と関連技術を公開した人物のおかげで人類はSGという力を得たが、そのマルクトの何世代も先を行く敵のSGの性能と物量に地球人類は大敗を続けていた。

 そして今、彼は冥王星軌道の外側から先遣隊を派遣して、少しずつ何かを待つように地球圏へと移動していた。


――それが、西暦2256年5月現在の現状である。

 

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