大いなるものの娘

 神聖騎士達は一人を船に残し、二人一組で班を作り地上の調査に出た。調査内容を知らされていない俺は、手持無沙汰なまま船に残っている。キサナが危惧した通り大気は有毒で、護符の効果のあるわずかな時間しか船を離れられない。まずは簡単な調査だけを済ませ、本格的な行動は目星を付けた後、星の母自体を移動させてから行うつもりのようだ。


 この星に近づき始めた頃から、俺はとてつもなく強い神気を感じている。空から見下ろした限りでは、樹木や生物は見当たらなかったが、地の底に身を隠していたり、漂う瓦斯や岩石に見える物がそれだとも限らない。水面に降りて分かったことだが、やはり天蓋に覆われた広い海が隠されていた。空の見えない海の底には、かなりの巨体でも身を潜めることができるだろう。


未だ姿を現さぬグロースの神威に当てられてか、腰に佩いた骨剣はかたかたと鞘鳴りを続けている。不思議なことに俺自身の身体にも、かつて雛神様と共に強敵を前にした時のように気力体力が漲ってくる。


 ふと場違いに呑気な歌声が聞えてきた。キサナが船縁に頬杖を付き、楽し気にハミングしながら海を眺めている。赤黒い水はこの星の大気と同じで、人の身には毒になる。どれだけの深さかは分からないが、水面には動くものの気配はない。何か見えたとしても面白いものではないだろう。一体何が楽しいのやら。


「星にもいろいろあってね~。瓦斯の塊だったり固まってなかったり。生き物が住むには~、熱すぎて寒すぎてもダメ。いろんな生き物がいるほうが珍しいの。ここにも何もいないよ~?」


 俺の物問い顔に応えるように、キサナは振り向きもせず語る。

 だがここにはグロースと呼ばれる存在が必ず潜んでいるはずだ。現に隠しようもない巨大な神気を感じている。


「アインにも聞こえてるんじゃない? さっきからグロースも歌ってるよ~!」


 キサナは開いた手を差し伸べて赤い海原を示して見せた。海面は穏やかに凪いだまま。キサナの声以外は、歌声どころか波音さえも聞こえない。


「そうじゃないよ~、この星自体がグロースなんだよ~。アザトースの瞬きが近くなると、歌声を響かせながら宇宙を一回りして、星辰を正しい位置に調整するの~。グロースの歌を耳にすることができるのは、神と呼ばれるに値する存在だけ~!」


 不意に、見通せるはずのない赤黒い水底に、臓物の塊から覗く巨大な単眼が見えた気がした。

 俺は剣に手を掛け油断なく身構える。


「はるばる星の海を渡ったあげく~、聞いたこともないおおきな神様の身体の上に降りたんだって気付いたら、おかしくなっちゃうかもだしね~。ほんとうのところ、騎士さんたちも知らされてないんじゃない~?」


 何故神壊学府の人間でもないキサナだけに知らされている?

 星の母の操船を任されているからか?


「あ~、ちがうちがう。わたしは最初から知ってたし~? あの黒づくめがそれに気付いてたかまでは、分かんないんだけど~?」


 ならば敵か。航海中に姿を消した二人の騎士も、あるいはキサナが――


「るるッ!? ちがうちがう! それもちがう~! あの人たちはたまたま星の精の群れに行きあって、さらわれちゃっただけだし~!」

「それを黙って見過ごしたのか、お前は!?」


 俺とキサナのただならぬ雰囲気に気付いた留守役の騎士が、剣を抜きキサナを詰問する。


「だって~腹ペコみたいだったし? あの子たちがやりすぎないよう、ちゃんと追っ払ってあげたんだよ~?」


 人間と魔物を同じ重さで語り、悪びれる様子も見せない。この娘、いったい何者だ?



 折よく――キサナにとっては折りわるくだろうが――調査を終え船に戻った神聖騎士達が、甲板上でキサナを取り囲んだ。抜き身の剣を向けられたキサナは怯える様子も見せず、少し困ったように眉をひそめただけだった。


「人間がグロースを砕くなんて、どだい無理な話だし~? でも、そんなひどいことにはならないよ~。グロースが掠めて通る影響で、大陸の一つくらいは沈むかもだけど。かわりにお母さんの寝所、ルルイエが浮かび上がるから~! ダゴンみたいな神使じゃなくて~、大いなるものへの直々の礼拝が叶うようになるんだよ?」

「クトゥルフの信徒だったか……この狂信者め!」


 騎士の一人が斬り掛かるが、その剣はキサナの背中越し伸ばされた、星の母の触腕に受け止められた。


「るる? ここで大人しくしてれば、大変動にも巻き込まれず、ぶじに過ごせたのに~?」


 触腕に絡め捕られた騎士は、悲鳴だけを残し赤黒い海へ向け投げ捨てられた。甲板が大きく揺れ始める。神聖騎士達は海中から触腕を伸ばす星の母と戦いながらもキサナを狙う。仲間を襲われ冷静さを欠いているようだが、遠く離れた異邦の地で、船を操れるキサナと船そのものである星の母を失うわけにも行くまい。


 俺は争いを収めるべく、触腕を斬り払いながらキサナと騎士達の間に割り込もうと試みる。乱戦のなか、一人の騎士が波の子供を捕まえ首元に剣を当てた。


「こいつを殺せば、この化物を操れなくなるんじゃないか?」


 その光景を目にし、どこか楽し気に船上を跳ね回っていたキサナの顔から、刷毛で掃いたかのように笑みが消えた


「ゲスな真似するなよ、人間風情が~」

「ひ……」


 平板な声で吐き捨てるキサナの額が縦に割れ、金の瞳を持つ第三の目が現れ騎士を睨みつける。波の子供を捕らえていた騎士は、喉の奥で引き攣ったような悲鳴を漏らし剣を取り落とした。


「う、あ……ひぎゃあああぁぁあッッ!!?!」


 跪き両手で顔を覆っていた騎士が、絶叫を上げ自らの顔を掻きむしり始めた。茫洋としたままの波の子供の目の前でのた打ち回っていたが、すぐに動かなくなった。

 港町で見た画家と同じ死に顔を晒している。脳内に直接恐怖や狂気をねじ込む攻撃だろう。キサナのただ一睨みの余波だけで、残りの神聖騎士達も軽い恐慌状態に陥っている。


 キサナが人間でないのは薄々気付いていたが、雛神様が話していたゾスの者か。キサナ自身に敵対する意志は見られなかったが、今の俺は神壊学府の傭兵だ。こうなった以上、戦いを避けることはできそうもない。


「るる? アインはこっち側だと思ったんだけど~?」


 骨剣を構えた俺に、キサナの背後から赤黒斑の触腕が振るわれる。先端に鉤爪を持つそれは、黄緑色の星の母の物ではない。うねる長髪に隠された、キサナの背中から伸ばされている。俺は大振りな星の母の攻撃をかわしつつ、疾く的確に急所を狙うキサナの鉤爪を骨剣で捌き続ける。


 その間にも星の母は、錯乱した騎士を触腕で拾い上げ、毒持つ海に投げ捨てている。正気を取り戻した何人かが船室へ駆け込むのが見えたが、加勢は望めそうにない。


 キサナの額の目は閉じている。手加減をされているのではなく、次の攻撃の準備だろう。再び目が開く前に片を付けなければ。


 休むことなく剣を振るう俺の身体は軽い。甲板上に動ける神聖騎士がいなくなったため、星の母の触腕は俺に集中する。キサナと合わせ、繰り出される触腕は並の戦士なら五人分ほどの手数だが、見逃すことなく捌き切れる。キサナが指示を出しているらしい、連携し思わぬ方向から繰り出される一撃も、全て読み切り易々と受け止めることができる。


「すまない。遅れてしまったようだな」


 この場にいるはずのない男の声を耳にし、相対するキサナの表情が不快気に歪められた。


「……おまえ~、来られないはずじゃなかったのか~? わたしを騙したな!」

「善い、その表情。だが騙した訳ではない。手札を伏せていたのはお互い様だろう? 外なる神の神気の只中に、直接跳ぶ手段がなかったのは事実でね」


 ゴウザンゼは両手を広げ嘯いた。開いた船内への扉には、ベルカを先頭にした神聖騎士団の姿が見える。


「ご苦労なことだね~。だけど、この場でいますぐみんな死ね~!!」


 キサナが額の目を開く。

 俺の骨剣の突きは間に合わない。

 鉤爪持つ触腕が一斉に疾る。


 だが、覚悟した恐怖と狂気の波動に襲われることはなく、無数の鉤爪に切り裂かれながらも、俺の骨剣はキサナの身体を貫いた。


「なん……やっぱりその子~……生きてるじゃん……」


 よろよろと下がり骨剣を引き抜くと、キサナは血泡と共に呟きを残し、船縁から赤黒い海面へ落下した。

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