終焉の先触れ 弐
終焉を告げる星。夜空にそれが輝くからといって、俺に何を望むというのか。
意図を掴みかねたままの俺を、ゴウザンゼが転移の門を使って連れ出した先は港町だった。
「るるッ? アイン!」
俺を目にするや、素っ頓狂な大声をあげたのは、小麦色の肌に翠の髪を持つ少女。幽霊船の騒ぎで知り合ったキサナだ。ぼんやりとした表情の波の子供を連れている。ザハンの屋敷の中、神聖騎士に囲まれているのを見ると、扱いは俺と同じようなものらしい。
「この娘にも協力して貰う手はずになっている。あの船の今の持ち主は、彼女という形になっているようだからね」
ゴウザンゼは協力と耳障りの良い言葉を口にしたが、実際は接収でしかない。だが、卵の状態だった星の母の本来の所有者は神壊学府だ。キサナに一応の所有権を認めているのは、まだしも温情というべきか。キサナが不満顔を見せながらも大人しくしているのは、そのあたりの事情を理解してのことだろう。
キサナと波の子供を加えて向かった港には、一隻の帆船が係留されていた。大幅に補修され見た目は少し変わってはいるが、例の幽霊船を改装したものだ。波の下から覗く黄緑色の触腕の大きさから推すと、本体である星の母は船に潜むのではなく、今では船を載せる大きさにまで成長を遂げたようだ。
街の住人は幽霊船を気味悪がって避けているものだとばかり思っていたが、驚いたことに水夫達が荷を積み込んでいる。指示を出していた身なりの良い商人風の男が、ゴウザンゼを見るや媚びた笑みを浮かべ頭を下げた。
「水と食料は積み込みました。いつでも出航できますぜ?」
「良い。君の協力に感謝するよ、ザハン」
出航?
こんなものを使って、こいつらは何処へ向かうつもりだ?
「行くのはわたしたちだってさ~?」
身体の前に波の子供を抱えたキサナは、小首を傾げ空を見上げた。
大いなるものや、まどろむ怠惰なるもの。この国で崇められる力持つ神々の多くは、はるか昔、星の海を渡りこの地に辿り着いた存在なのだという。神と呼ぶにはまだ足りないが、俺達を乗せる星の母も同様。本来星々の間に広がるエーテルの海に棲む存在故、育ち切れば星を渡ることも容易いというが、この俺がそれに乗り、人の身でエーテルの中に船出することになろうとは。
同乗する10人の神聖騎士達は、今は飾りでしかない帆柱の周囲に屯している。星の母の鼓動の聞こえる船内に入るのも、星の海が見渡せる船縁に近寄るのもぞっとしないという体だ。魔術により船上には空気が絶えない仕掛けが施されているが、一度エーテルの海に落ちてしまえば、持たされた護符だけでは数刻と持たず息が止まる。何より船を離れて行動できる者がいないため、誰の助けも望めないからだ。
俺も星の母が浮上し雲を抜けた辺りから気分が悪くなり、できるだけ辺りを見ずに済むよう、甲板に視線を落としている。
「だーいじょうぶだって~! ほらアイン、見てみ~!」
一人楽しそうなキサナは、楽し気に船縁から身を乗り出し俺を招いている。傾ぐ足元に注意しながら船縁に近寄ると、美しい青が目に飛び込んできた。海の広さは知っていたつもりだが、俺達が出発した港がある大陸は、広がる海に比べればほんの小さな島でしかない。漂う雲の白が瑪瑙の縞のような模様を作る。その光景は綺麗な円の中に収まっているが、水が零れる滝が見当たらない。いや、円ではない。端が婉曲したこの形はまるで――
「知らなかったの? 星は球の形をしてて丸いんだよ~?」
星? 俺が見ているのは星ではなく、大地のはずだ。
「これも星だよ~? 光る星は太陽と同じで燃えてるの! 月も光るけど、あれは自分で燃えてるからじゃなくて、太陽の光を反射してるだけなんだよ~?」
理解できない。何を言ってるんだ、この娘は?
星の母が港を出て以来、ずっと酩酊に似た不快感を覚えていた。乗りなれない船に酔っただけのこと。そう考え慣れるよう務めていたが、俺達の住まう大地さえも、漆黒のエーテルの海に浮かぶ球体――キサナの言う星――の一つでしかないというのか? 船酔いとは違う目眩に襲われ、俺は船縁に掴まった。
「るる? 船酔い? 寝てたほうが良いよ~まだまだ先は長いから!」
キサナが体調を崩さず一人元気なのは、船に慣れているからだろう。キサナの指示を波の子供が本体である星の母に伝え動かすため、操船の必要は無い。神壊学府の計画で事を進めているとはいえ、やはり船には騎士ではなく船乗りを乗せるべきではなかったか。船縁に背を預け座り込む俺は、カイトの顔を思い浮かべていた。
港を出て15日。ようやく目的の赤い星が間近に見える距離まで辿り着いた。日や月が巡らないため、水晶越しの学府からの連絡回数でしか時を計る術がない。俺にとっては気が遠くなるほどの長旅だったが、キサナが言うには驚くほど早く着いたらしい。やはり密かに空を飛ばせる練習をさせていたようだ。
「えらい! 頑張った! もうじゅうぶん星を渡れるね~!」
キサナに抱かれ、わしわしと頭を撫でられる波の子供は茫洋とした表情のまま。本体と違いこちらは成長した様子は見られない。同行する神聖騎士は7人に数を減らしている。精神を病み、港へ帰ろうとエーテルの海に身を投げた者が一名。見張りの番の折に、何者かに襲われわずかな悲鳴だけを残し消えた者が二名。
残った者も皆やつれ、一様に疲れた表情をしている。人の身で星の海に漕ぎ出し、これだけの被害で済んだのは恐らく僥倖なのだろう。
眼下には赤錆びた大地が広がっている。腫瘍のようにそびえる鉄色の山が見えるが、樹木の類は存在せず、一面岩と砂の荒野だ。灰色の雲は俺達の星とは違い、雨の恵みをもたらすものではないらしい。何か別の瘴気めいた代物だ。
大地に刻まれた亀裂の底に、赤黒い湖が見える。いや、よく観察すると湖の上を殻のように大地が被っているようだ。地の底には広い海が隠されているのかもしれない。
俺と神聖騎士団が指示されているのは調査だけだ。グロースを倒すのが目的ではないのかと問うと、ゴウザンゼは「良い。だが、できるもの倒してくれても構わないよ」と言って笑った。確かに辿り着くだけで犠牲を出す有り様では、とても正体の分からない神性相手に戦いを挑めるとも思えない。
「るるッ! それじゃあ降りるよ~。ゆっくりね~」
キサナは亀裂の間の湖に星の母を降ろすつもりらしい。何が潜んでいるのかも分からない水の上よりは、陸地に降ろすべきだろう。そう考えたが、
「この子も疲れてるからね~。海で休ませてあげないと~。だいじょうぶ! 水の底から何かきても、この子がすぐ気付くから?」
船長はキサナだ。疑問形の語尾は気になるが、船として作られているのだから、海に降ろす方が負担も少ないのだろう。それに、何が潜んでいるのか分からないのは陸地も同じことか。降下を続ける間中、キサナは抱きかかえた波の子供に語り掛け指示を出していた。
「降りるのに失敗すると船ごと燃えちゃうし、大気が何でできてるのかも確かめないとだし~?」
俺には理解できないことを口走るが、波の子供への指示は確かだったようだ。星の母は背に載せた船体を壊すことなく着水し、触腕を伸ばすと、陸地へ登るのに適当な岩場にその身を寄せた。
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