霧と闇と混沌と 伍

「はやく、はーやーく!!」


 灰色の霧を紅蓮の炎が裂く。黒が主体の装束では良い的だろうに、ジゼルはしぶとく逃げ回っていた。


「んんー? 何か焼かれてたほうが良かった的なこと考えてない!? あの人もう正気じゃないし! わたしが焼かれちゃったら、二人とも望みも叶わず焼かれ損だよー!?」


 俺は喚くジゼルを引き倒し、炎の柱をかわしつつ獄舎の陰に身を隠す。あの男も魔女の釜の参加者ではないのか?


「いたいいたい! 乱暴なんだから。ま、前回の勝者なんだけどね! 勝ち抜いたごほうびに、望み通り亡くなった娘さんを生き返らせてあげたんだけど――」


 魔術師アルタイグ。彼の望みは修行中に命を落とした娘を取り戻し、己が修めた全ての技を伝えることだったというが。


「また死んじゃった――いや、殺しちゃったんだよ! そもそも娘さんは、魔術を継ぐのを望んでなかったみたいなんだよね。それにあの人は、全てを継がせたいと言いながら、心の奥では娘さんの若さと才能を妬んでたみたいで。だから、何度生き返らせても同じみたいな!!」


 ジゼルの戯言に反応し火柱が走る。


「お前が紛い物を寄越したからだ! 帰ってきたアージャも、ものにならずに死んだ! 儂が命懸けで魔女の釜を勝ち抜いたというのに!!」


 霧にまぎれメルイが矢を放った。俺達に気を取られていたせいか、矢は焼け落ちずアルタイグの左肩に突き立つ。その隙に、ジゼルを抱え植え込みの陰へと走った。


「なかなか業が深くて面白そうだったから、苦労して可能な限り元どおり作ってあげたのに! クトゥグァの外法に手を出してまで仕返しするなんて、逆恨みもいいとこだよ!!」


 ジゼルは唇を尖らせ愚痴って見せるが、目は隠しようもなく笑っている。この少女は、最初から闇を抱えた者を選んで儀式を執り行い、それを楽しんでいるのだ。成り行きで巻き込まれただけだと思っていたが、ジゼルにとっては俺もあの男と同類というわけか。


 炎の柱が走った直後のタイミングで、霧に浮かぶ濃赤色のローブを目指し駆ける。

 神威を煉るには時間が必要だと読んだのだが、霧の乱れで気付かれたのか、狙いを付けない火球の群れが放たれた。火柱に比べれば威力は小さい。

 ツァトゥグァの神威の賜物か。俺の振るう骨剣は焼かれることなく火球を斬り払う。


「お前もさっさと手を引くことだな! 求めた物を失ってまだ歩みを止められないというのなら、その先は闇しかないだろう!!」


 俺の打ち込みをアルタイグは右腕の炎で受け止めた。相手の拳が掠りでもすれば焼き尽くされてしまうが、アルタイグにも火柱や火球を放つ余裕を与えない。数合打ち合うも、踏み込みが足りず浅手を与えることしかできない。

 クトゥグァの炎はアルタイグの右半身に燃え広がっている。顔の半面を炎に包まれたアルタイグは、既に苦痛と狂気に囚われ、何も考えられはしないだろう。目的は、動くもの全てをただ焼き尽くすことにすり替わっているはず。


 眼前で打ち合わされる火花が俺を焦がす。熱を伝えるのはそれだけではない。俺の骨剣が斬り飛ばしたアルタイグの肉片は、燃え尽きることなく辺りに炎を広げ、獄舎が延焼し始めている。生き残っていた看守と収監者が逃げ場を求め、獄舎から飛び出してくる。


「たいした地獄絵図じゃない。まったく、どいつもこいつもイカレたこと。だけど、わたしはもっと深い罪が見たい――」


 高揚し叫ぶメルイが霧の中から続けざまに矢を放つ。際どい所で身をかわした。アルタイグの炎を目印にしているようだが、狙っているのはもはや魔術師だけではないらしい。


 煤に汚れたウィルクルが、呆然とした表情で焼ける獄舎を見上げている。炎に煽られ薄れつつあるが、霧は未だに辺りに立ち込め、逃げ惑う者達を惑わし続けている。


「石壁に囲まれたここなら、吾が主を呼ぶのに申し分ないわ! 王都の中に吾が主の神域を造り出すところを見せてあげる!」


 響く狂笑。

 短弓を放り出したメルイは、両掌で己が頭を掴んだ。

 がりがりと骨を食む異様な音が鳴り響く。

 炎に焼かれるアルタイグすら反応しかね動きを止めている。

 全ての者が見守る中、メルイの両掌に開く顎は頭を食い潰した。

 倒れることなくゆらゆらと揺れていた躯は、急速に肥大し膨張を始めた。


「な……え? あれ、ここで召喚するの?」


 ジゼルが驚きとも呆れとも取れる声で呟く。

 燃える獄舎を背に立つのは、大雑把に人の形を取る、罪悪を貪る無頭の巨人。

 メルイの身体を依り代に顕現したイゴーロナクは、顎持つ右掌を無造作に振り下ろす。後ろに跳びかわした俺の目の前で、イゴーロナクの右腕は、アルタイグを圧し潰しながら貪り食った。


「あー。でも、これまずいパターンかも?」


 距離を取った俺を盾にしたジゼルが、背後から覗きぽつりと漏らした。


 地に付けられたままのイゴーロナクの腕が不意に燃え上がった。獣の様にも人の様にも形を変える炎が、そのまま巨人の身体に絡みつく。


 生きた炎。潰されようと喰らわれようと、その肉片が一片でも残っている限り契約が生きているのか。それとも、魔術師アルタイグが死の寸前、その身全てを捧げ召喚したのか。焼き尽くすものクトゥグァまでもが、この場に顕現していた。


「あ、やばッ! これほんとダメ! わたしも特別に力を貸しちゃうからー! がんがえー!!」


 おどけた口調は変わらないが、飛び跳ねイゴーロナクに両手を振るジゼルの顔には、恐怖と焦燥が滲んでいる。ジゼルの力か、消し炭になり掛けていたイゴーロナクの体内に、強く禍々しい神気が満ちるのを感じた。


 その身を焼かれながらも、無頭の巨人は焼失した右腕の代わりに触腕を生やし振り回す。肉が焼け落ち骨が露出するも、再び満ちた神気がそれをそのまま檻に形を変え、炎を抑え込もうとする。巨人は生きながら焼かれ、滅びることもできず造り変えられる苦しみにもがき続ける。倒れ込む先に、恐怖に腰を抜かしたウィルクルの姿があった。


「――――――!!」


 目を見開き口を大きく開けたまま、ウィルクルは限界を超えた恐怖に悲鳴さえ上げられない。燃え盛る炎をその身の中に宿した巨人は、少女の前で踏みとどまった。三度神気が満ちると、残った手を付いた巨人のは三つ足の獣へと姿を変えた。鋭い牙の並ぶ咢を開き、紅い舌と炎とを天に伸ばし、哭き声にも聞こえる咆哮を上げた。


「るwhWooooooooOOOOOオォおッッ!!!」


 衝撃波を伴う咆哮が止んだ後。

 辺りに漂う霧は炎と共に吹き飛ばされていた。

 焼け落ちた獄舎の前には、三つ足で立つ炭化した異形の残骸が残されていた。


「破滅の顕現を三体も呼び出させるなんて! 無限数あるといっても、名前も残さず焼き尽くされちゃったら、もうこの世界には呼び出せないじゃなーい!!」


 ジゼルは腕を組み憤慨して見せる。震える口元と額に滲む脂汗から推すと、彼女にとっても危機的で想定外の出来事だったようだ。


「イゴーロナクの巫女さんも、追加ボーナスあげたいくらいの働きだったね! もう混沌にも還れないけど! でも、一時とはいえ王都に神域を作り出せたんだから、充分望みは叶ってるみたいな?」


 呆然としていたウィルクルが、殺意を超えた感情を込めジゼルを睨み付けた。


「まあまあ。あなたじゃあれだけの働きはできっこなかったんだから! お互い代打ちラッキーと思っておこうよね?」


 頬に指をあて小首を傾げウィルクルをあしらうと、ジゼルはくるりとターンし俺に向き直った。


「さあ! それじゃあ今回の魔女の釜! 最後の生き残りはあなたに決定! ねえ、どんな気持ち? 何が欲しい? アインの望みは何?」


 俺は勝った訳ではない。生き残っただけだ。

 今の俺には何の望みもない。同じ生き残りなら、イタクァの巫女だった雪原の少女の望みを叶えてやればいい。


「敗北者がおめおめと生きていられるはずないじゃない?」


 視線に底冷えするものを潜ませながら、ジゼルは侮蔑の表情を浮かべた。

 言葉の意味するところを悟り、剣に手を掛けた俺の間合いから、魔女の釜の進行役はするりと遠ざかる。


「まあ、思い付いたらいつでも呼んでね?」


 転移の魔術で門を開くと、ジゼルはウィンクを残し、くるくると舞い踊りながら姿を消した。


 望み。

 何が望みだ?

 俺にまだ、望みなど残っているのか?


 俺は焼け跡の中、答えの見付けられないまま立ち尽くす。

 ただ胸の奥の暗い場所に、ちろちろと燻る熾火に似たものを感じていた。

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