王都

ヴォルヴァドスの剣士

 そろそろ迷宮へ戻る頃合いか。そう考えていた所へ、鋼殻騎士団からの報せが入った。俺にではなく、王都に近い場所にいる騎士への、優先度の高い通達ということらしい。


『神壊学府に不穏の動きあり。情報を持ち帰えられたし、ねえ』


 今更な話だ。ナイクスから警告を受けてはいたが、そもそもゴウザンゼ達は、己の目的も行動も、隠そうともしていない。学府からの依頼を受けた俺を、糾弾する含みがあるのかとも考えたが、伝令役の従者はそれ以上のことは知らされていないらしい。俺に疚しい所がある訳でもない。神壊学府現状を探るため、急ぎ王都への旅支度を始めた。


『何よ、アイン。気乗りしないみたいじゃない』


 王都に帰るのは五年振りになるか。人の多さは今まで訪れた街の比ではなく、紛れ込むには容易いが、万一ということもある。見知った顔に会わないうちに、俺はフードを深く被りマフラーで口元を隠した。従者のカルルは、物珍しそうに辺りを見回している。同行させているのは、俺に何かあったとき、もしくは即決で行動を始める際に、代わりに迷宮へ情報持ち帰らせるためだ。


 ゴウザンゼやナイクスの名を出せば、学府へ出向き直接面会を求めることも可能だろう。だが、状況が変わっていた場合、その場で拘束される事態も起こりうる。まずは不穏の動きとやらの情報を、自力で得られるだけ得るのが良さそうだ。


 街の空気は少々ざら付いている。そこここに剣を下げた傭兵の姿があり、巡回の衛視の数も多い。この旅の間、どこかで戦の気配があるという話は、聞かなかったのだが。噂話に耳をそばだてながら歩いていると、どうやら辺境で邪神を祀り生贄を捧げる邪教に対し、王の名のもとに兵を集め、討伐隊を編成するということらしい。


『あの黒づくめ、いつの間に王宮に顔が利くようになったの!?』


 この国では古くから数多の神が祀られている。規模ならツァトゥグァかイホウンデーの教団が屈指だが、生贄を要求するツァトゥグァも、異邦から伝わったイホウンデーも、王都に神殿を置くを許されるも、国教には定められていない。古より万神を祀るが故の配慮だったはずだが、賢者の誉れの高いサイナール王は、特に人を生贄にする教団を嫌うと聞く。

 王の耳には、ゴウザンゼの神をも畏れぬ物言いが心地良く響いたのだろう。あるいは人が神をも凌ぐことを、言葉ではなく、実際に示して見せたのか。俺の脳裏を、鉄釘と呪布で戒められ使役される、おぞましい神の残骸の姿がかすめた。


 触れの立て札では傭兵を集めていた。戦い自体が教義である鋼殻騎士団は別格にしても、戦闘司祭や戦巫女を擁する教団は珍しくない。教団の危機となれば、神使ばかりか崇める神性自体が、争いの場に顕現することさえ起こりうる。正規の騎士団だけでなく、雇いの兵まで集めて、どこに戦を仕掛けるつもりか。


 孤立した娘たち。顔無き者ども。蛇の部族。石を積むもの。恐れと共に語られる教団や、民に忌避され交渉が難しい部族が並んでいる。討伐対象とされるその中に、迷宮の鋼殻騎士団も含まれていた。


『不敬にもほどがあるわ! こうなったら、兵を動かす時期と規模まで調べる必要がありそうね』


 国同士の戦いではなく、一方的な討伐だ。準備が整えば明日にでも兵が差し向けられる。常在戦場を常とする鋼殻騎士団でも、軍勢が迷宮自体を潰しにかかるというのなら、それなりの準備が必要だ。物見遊山気分だったカルルは、青ざめすっかり表情を硬くしている。


 カルルを休ませるべく、早めに宿をとることにした。用心のため、あえて場末の安宿を選んだのだが、世間は俺が思うほど広くはなかったらしい。酒場の酔客の中に、最も会わずに済ませたかった顔を見付けてしまった。


 まだ早い時間だというのに、エールの杯を傾ける壮年の男。安酒場に似合わぬ仕立ての良い服を着ているが、だらしなく着崩した姿から、荒んだ生活が伺える。さすがにこの場で、王宮勤めと知れる物を身に着けないだけの分別は、まだ残っているらしい。俺の父である近衛騎士・クラグドル卿だ。


「義父上、ここにおられましたか。さあ、屋敷へ――」


 同じ卓の者に絡む父上に気付かれぬよう、酒場を後にしようとした俺は、供周りを連れた若い男と鉢合わせする形になった。赤い総髪。左目に目立つ傷痕。嵌っているのは義眼だ。顔を逸らす前に、赤みがかった茶の瞳は俺を捕らえ、懐かしむ色を浮かべた。


「――――」


 すれ違いざま男は呟き小さく頷くと、供に父を送るよう指示を出し、主人に支払いを済ませた。男が店を出るのを見届けたあと、俺はカルルに部屋を取っておくよう言い残し、酒場を後にした。



「久し振りだな、アイン。もう五年になるか」


 通りを歩く俺に、後ろから追い付いた男が並び声を掛ける。

 二つ上の俺の従兄弟――いや、今は義兄か――にして最初の剣の師、ベルカ。未だに拭えぬ罪悪感で固く頷くしかできない俺に、ベルカは最後に見たときと変わらない、屈託のない笑顔を向けた。

 ベルカは俺を屋敷へ招いたが、家を捨てた俺に敷居をまたぐ資格はない。


「庭なら構わないだろう?」


 ベルカは苦笑すると、使用人の使う裏口から半ば強引に俺を引き込み、庭園の東屋へと誘った。幼い頃、共に駆け回り剣の真似ごとを始めた頃の思い出の場所だ。父母を早くに亡くしたベルカは、この家で俺と共に育った。


 俺の父は、代々近衛騎士を務める家系の長子であったが、騎士には向かぬ物静かな男だった。その弟、俺にとっては叔父にあたるラズニアは、勇猛な騎士として名を馳せたが、若くして戦場で命を落とした。父上はベルカを後見人として引き取り、俺と共に幼い頃から剣の修行に励ませた。父親譲りの剣の才を持つベルカは、いつでも俺の憧れにして目標だった。


「まだ気にしているのか? 剣を握るなら傷は誉れだ。お前のそれだってそうだろう?」


 俺の異形の右腕を見やりベルカは頷いてみせる。

 彼の左目を奪ったのは俺だ。稽古の中での事故によるものだが、幼い俺達に刃引きをしない剣で修練を積ませていた父上に対し、世間は優秀だった弟を妬んで甥を虐待していると、口さがなく噂した。

 父上は俺とベルカを分け隔てなく扱っていただけだ。だが、ベルカが近衛騎士の叙勲を授からなかったのは、この傷のせいだ。俺は自らの叙任式の前夜、何も告げずに出奔した。


「何か考え違いをしているようだな。俺が叙勲を辞退したのは、俺自身の未熟を知っていたからだ。なにも剣を捨てた訳じゃないぞ?」


 ベルカは上着を脱ぎ捨て剣を構えた。

「久し振りに稽古を付けてやろう。来い!」


 本気のようだ。俺は骨剣を抜き剣先を合わせた。

 挨拶代わりの突きを、ベルカはわずかに身体の軸をずらすだけでかわした。

 骨剣を摺り上げた動きで、そのまま俺の首元に剣が迫る。

 一合打ち合っただけで理解した。

 剣を捨てたどころの話ではない。純粋な剣の技では、今まで俺が戦った者の中で最も優れている。


「いいぞ。だが、馬鹿正直な打ち込みは相変わらずだな」


 数合切り結ぶも、ベルカは楽し気に笑みを浮かべたまま汗一つ浮かべていない。死角のはずの左から跳ね上げた剣も、最小限の動きで捌かれた。

 微かに鈴の音が聞こえた気がした。


「この通りだ。俺は昔以上に剣を振るえる。お前や義父上を恨む理由がない」


 真剣な眼差しで語る。

 ベルカの言葉に偽りは見えない。


「義父上は俺に家督を譲り、隠居同然で酒浸りの日々だ。アイン、戻ってこい」


 ベルカは剣を止め、俺に手を差し伸べた。


「今の俺は近衛騎士じゃない。新たに神聖騎士団の団長を任された」


 ベルカなら片目を失ったせいでほんの数年足踏みしたとしても、いまごろ近衛の千人隊長になっていてもおかしくはない。だが、この国に神聖騎士団なるものは存在しない。この時期に新設されたというのなら、それは――


「そうだ。邪教の討伐と武力による信仰の習合が目的だ。俺はアイホートの迷宮攻略を命じられている。だが、鋼殻騎士団が王命に従い、国体に組み込まれることを受け入れるなら、剣を交えるつもりはない」


 俺が鋼殻の騎士だと知ったうえで、その手を差し伸べ続けるのか。

 侮りからではない。兄と慕った男のゆるぎない眼差しに、俺はわずかに心が揺れるのを覚えた。


「我が王は神壊学府を国教に準ずるものと定められた。神聖騎士団は神を腑分けし人が神となるための剣だ。供犠を求め、理不尽な神罰を下す荒ぶる神を誅すのがその使命。穏やかな神なら国の管理の元、今まで通り祀ることも許される。お前も死に急ぐことはない。神壊学府の医者なら、それを取り除くことも、危険なく使いこなせるよう施術することもできるだろう」


 ベルカの視線が俺の胸元――雛神様を射貫く。


「さあ、アイン――」

『わきまえなさい、下賤な人間風情が! アイン、今すぐこの涜信の輩を斬り捨てなさい!!』


 激情に震え雛神様が叫ぶ。そうだ。あの男なら、雛神様に一片の敬意を示すことなく、ただ人を強くするための器官として使うだろう。俺は確かに雛神様のおかげで強さを得た。だがそれは肉体を増幅するものとしてだけの強さではない。崇拝し、敬愛し、共に高みを目指す、信仰に裏打ちされたが故の強さだ。


 伸ばされた手を取ることなく、剣を構え直した俺に、ベルカは顔を曇らせた。


「ならば腕づくでその邪神を取り除くのみ!!」


 ベルカの剣が疾る。先ほどまでとは違い、明らかな殺気が込められている。俺に手加減する余裕があるはずもない。急所を狙い確実に仕留めるつもりで打ち込むも、その全ては見透かされるように苦も無く捌かれる。

 気のせいではない。その度に微かな鈴の音が響いている。


『神器を使っているのでもない――何かの神気がチラついてる!?』

「ヴォルヴァドスの託宣だ! お前の剣の動きは、全て予見している。俺の得た新しい目だ。炎を燃えたたせるものは、俺と俺の目指すものを容認している!」


 神を壊す者に、神が力を貸すのか?

 動きを先読みするベルカの前に、俺は次第に追い込まれて行く。


「終わりだ、アイン!」


 雛神殺しと同じ太刀筋。心臓のわずかに下。雛神様だけを殺すつもりか。

 最後の力を振り絞り、俺はわずかに身体を沈める。


『やめなさい馬鹿!! 何やってんの!?』


 完敗だ。

 やはりベルカは自慢の義兄だ。

 勝利したベルカの表情が歪んだ。

 ああ、ベルカにはまた悪いことをした。彼の目を奪った時、俺はこんな表情を浮かべていたのだろう。

 だが、俺には仕える神を失くし、胸に穴を開けたまま生きることなどできそうにない。


 わずかに逸らした剣先は、雛神様の身ではなく、俺の心臓を貫いていた。

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