イドラの娘 弐
設けられた会食の席で、概ねの事情は理解できた。要は近衛騎士と洒落者は、遺されたオルドゴルの養女との婚姻を望んでいるということだ。俺とナイクスも同じ卓で食事を摂っているが、恋の鞘当てに火花を散らす出資者達を前に、すっかり蚊帳の外に置かれている。
『あのちびっ子助手はどうしたの?』
「ポリアナさんは資料の整理で忙しいようですよ」
詰め寄る相手が変わっただけで、先刻と似たような状況が繰り返されている。助手相手の時と違い、威圧的な空気にならないだけましだ。近衛騎士であるベルクタイグはひとり武勇伝を披露し続け、それに時折巻き毛の洒落者エイルワースが、しらけ顔で茶々を入れる。さすがに双方の連れてきた禽獣はいないが、当人たち以外は皆うんざりとした雰囲気が伺える。
「しっかし、本当に美人ですねえ……」
魚料理をつまらなそうな顔でつつくナイクスが、ヨランダを見ながら俺に呟いた。
結い上げられた白金の髪に、透き通るような雪花石膏の肌。無彩色の容姿の中、紫水晶の瞳が印象的な輝きを放っている。夢の国に住まうという古い大地の神々なら、このような儚い美しさを持つのだろうか。
ヨランダは二人の話にわずかに相槌を打つだけで、ほとんど口を開かない。ナイクスのように露骨に態度に出さないだけましなのかも知れないが、彼女の歓心を買おうと空回る二人の会話は、ついお互いを貶し合う方向に逸れてゆく。
ふと、ヨランダの目が俺に注がれているのに気付いた。深窓の令嬢に似合わぬ不自然な圧を覚えたが、俺の自意識過剰か。
「そちらの騎士殿にはどこかで会ったかな――」
ヨランダの視線に気付いたベルクタイグが、酔いに濁った目を俺に向けた。調子よく披露していた武勇伝を、エイルワースに「近衛が魔物退治に駆り出されるはずはない」と、揚げ足を取られ機嫌を損ねている。八つ当たりか、俺に矛先を向ける算段だ。
「そういえば、出奔したクラグドル卿のご子息の名もアインだったか。いやまさか、近衛騎士の家系から邪教の信徒が出るはずもないか!」
ベルクタイグは大口を開け哄笑しかけたが、そのまま表情を強張らせた。俺の視線と雛神様の神威に打たれた結果だ。名ばかりの近衛騎士が、虚飾を剥がれた腹いせ程度で、鋼殻の騎士を嗤えるはずがない。
鼻白んだ表情で洒落者も目を逸らしたが、美姫の目元にはわずかに笑みが浮かんだように見えた。
食事を終え宿に帰ろうとする俺は、エイクスに引き留められた。遠方から足を運んだエイルワースが、施設に滞在を申し出たのだ。元々貴族の別宅とあって客間には不自由しない。出し抜かれると考えたのか、酔いを理由にベルクタイグまでもが泊っていくと言い出したという。
「何も無いとは思いますけど、使用人も女性しかいませんし! 何かあったら僕一人じゃ止められないじゃないですか!」
地位だけは確かな近衛騎士に、王家とも取引のある大富豪。自らの名を汚すようなことはしないはずだが、互いに張り合う焦りから妙な気を起こさないとも限らない。それに俺自身、何かを見落としている様な違和感を拭えずにいる。
『そう、好きになさい』
俺は滞在に同意したが、何故だか雛神様は気乗りがしないようだった。
結果としてエイクスの懸念は的中したようだ。早朝、リデルの悲鳴に押っ取り刀で駆け付けると、寝ぼけ眼のエイクスと鉢合わせた。
「せめて絹を裂くような悲鳴で起こしてくださいよ。なんですか、『うおーっ!?』って」
元貴族の邸だけあって部屋数は多い。声を頼りに走ると、客間の一つでへたり込むリデルを発見した。
室内に残された衣服や剣から推すに、ベルクタイグの泊まった部屋のようだ。獣の匂いがする。だが、剣歯虎の姿はどこにもなく、床に鎖だけがわだかまっている。
「あ、あれ……」
メイドが指す方を見ると、寝台の上に異様なものが転がっていた。
干乾びた木の枝の様なもの。手足を持つこの形は――人の木乃伊か。これがベルクタイグの成れの果てだとすれば、一体何が起こったのか。骨まで萎び歪んだこの木乃伊は、子供程度の大きさしかない。
「これ、剣歯虎に襲われたんですかねえ? あー、困りますって止めたのに、聞きゃあしないから」
「剣歯虎に襲われたとしても、こうはなりませんよ」
後ろから覗き込んだナイクスが首を捻る。
リデルの話によると、ベルクタイグは慣れているからと、番犬代わりに剣歯虎を部屋にまで連れ込んだのだという。何かの間違いで襲われたのだとしても、その騒ぎを聞き逃すはずはないし、何よりこれは獣に襲われた屍体ではない。
「剣歯虎が逃げたのなら、それはそれで危険なんだけど」
呟くナイクス。やがてエイルワースとポリアナが姿を現した。エイルワースは起き抜けらしく、まだ寝間着姿のまま。既に起きていたポリアナは、まず別棟に寝起きするヨランダの無事を確認してから、ここへ来たのだという。
「な、なんだい、あの虎がやった訳じゃないのかい? それじゃあ、ここに飼われていたものの中で、あんな屍体を残す魔物が抜け出し、施設をうろついてるってことじゃないのかい?」
「いえ……そんなはずは」
うそ寒そうな表情で睨むエイルワースに、ポリアナは力なく呟いた。
さんざん警備体勢を詰ったものの、まだ施設を離れるつもりはないらしいエイルワースは、早々に自室に引き返した。競争相手がいなくなり好機だと考えているのかもしれない。
ポリアナはあのような屍体を残す魔物は飼育していないし、研究動物が逃げているはずもないと言う。だが、ベルクタイグを襲った存在が歩き回っているのは間違いないし、剣歯虎の行方も知れないまま。俺はリデル達使用人にも、エイルワース同様部屋に鍵を掛け固まっているよう指示を出した。ナイクスと共に、ポリアナの案内で施設内部の捜索を始める。
昨日は見て回れなかった研究室には、魔物の標本は少なく、ましてや生きている物など一体も存在しなかった。ナイクスの言うように、異界の生物の蒐集は困難なことなのだろう。
「鱗があるのに触腕もある! こっちは殻を被った……植物? ポリアナさん、生きてた時はどうやって動いてたか分かりますか!?」
珍しい標本を前に、ナイクスは目的を忘れ興奮している。部屋の内部を丹念に調べたが、荒らされて様子はなく、何かが潜んでいる様子も、逃げ出した形跡もない。続いて動物の飼われている檻や厩舎に向かったが、そこで俺はポリアナの置かれた苦しい立場を理解することになる。
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