イドラの娘 壱

 オルドゴル師の遺した研究資料の整理を任されたナイクスから、再び依頼が舞い込んだ。老師の養女に関する話だという。


「僕の担当することではないと思うんですがね。人手も足りないし、前回の事件を解決したことで、関連する処理を一任される形になりまして」


 オルドゴルの研究施設は自宅とは別に、街外れに設けられている。神壊学府の関連施設とも近く、資料のやり取りや連絡のしやすさを考えてとのことだ。敷地は広く、高い塀と植え込みで近隣の建物と隔てられている。情報を秘匿するためだろう。


「アインさんはご存知でしょうけど、ここには珍しい魔物の標本が集められているんですよ」


 何度かナイクスの標本採集に護衛で同行したことがあるが、集めたもののうち特に珍しいものはここに収められているという。ナイクスはどこか浮ついた様子を見せている。押し付けられた雑事は厄介だが、この施設を訪れること自体は楽しみで仕方がないらしい。


 異界から迷い込んだ生物や、神に随伴して顕現する魔物に出会うのは、めったにあることではない。人にとって危険な存在がほとんどで、召喚されたものも傷付けられれば元の世界に戻ることが多いので、屍体を確保することも難しい。以前ナイクスに、遭遇したシャンタク鳥の料理を振る舞われたことを話すと、「なんてことしてくれるんですか、あなたは」と呆れられ、骨だけでも持ち帰ってくれていればと、非常に悔しがられたことがある。


「魔物とまではいかなくとも、限られた地域でしか見られない、珍しい生物が数多く飼われてますからね。新たに収められた資料を見るのが楽しみです」


 氷に閉じ込められても死なない虫。鱗を持つ獣。色の変わる蜥蜴。俺にとっては異界の魔物と同じくらい奇妙な生き物のことを、若い学者は嬉々として披露し続ける。


 ナイクスは迎えを待たずに門戸を潜り、研究棟へ向かった。元は貴族の別邸だったらしい。広い庭園内には、薔薇園を改装した温室付きの植物園や、動物を収めるための檻や小屋が見える。研究棟に近づくと、数人の男女がなにやら揉めている場面に出くわした。



「あわわ、ナイクスさん、いいところに!」


 薄汚れた白衣を纏った小柄な娘が、ナイクスをの姿を認めるや、両手を振り切羽詰まった声を上げた。


「どうしました、ポリアナさん。――オルドゴル師の助手で、現在この施設の管理を任されている方です」


 学府の人手不足というのは深刻らしい。子供のように見える地味な栗毛の娘は、二人の男に詰め寄られ、泣き出しそうなほどの焦りを見せている。


 手に余るのも無理はない。娘の前に立つ長身の鋭い目付きの男は、略式だが近衛騎士の礼装を身に着けている。おまけに、重たげな鎖を曳き伴うのは獅子の仔か。


「剣歯虎ですね! 初めて見た!」

「なんだ、君は?」


 頓狂な声を上げるナイクスに、男は気勢を削がれた様子で娘から視線を外した。意図した訳ではないだろうが上出来だ。俺は剣歯虎をけしかけられる形になっていたポリアナの前に、さりげなく身を割り込ませた。


「神壊学府の者です。亡くなられたオルドゴル師の研究成果の確認と引き継ぎ、及び諸々の残務処理を行うべく派遣されたのですが……あのー、出資者の方々ですよね?」


 ゴウザンゼが各地を渡り歩く理由の一つに、この出資者集めというものがある。神壊学府が得ようとする物は、貴重であり危険でもある。手に入れるには、大きな街の領主が編成する魔物討伐隊に等しい戦力や、異国へ向かう交易団に匹敵する大船団を必要とすることもあると聞く。それだけの事をすれば、王宮を始め様々な組織との軋轢も生まれる。ゴウザンゼやムニョス、オルドゴルら、師と呼ばれる地位の者は、各々独自に出資者との関係を築き、根回しを行いつつ研究を続けているという。


「ああそうさ。その出資者様だ。だが今回は援助の打ち切りや資金回収とまで、厳しいことを言に来た訳でもないさ」


 ナイクスに応えたのは、流行りの仕立ての衣装に、柄物のスカーフで首元を飾る巻き毛の男。足元に置かれた鳥籠には、彩り鮮やかな長い尾羽を持つ鳥が収められている。


「んんん? これは……風鳥? こっちも初めて見る種類だ!」


 ナイクスは己の役割を忘れ、座り込み眼を輝かせ風鳥に見入っている。


「これはいつも通り。麗しのヨランダへの捧げものさ。さあ、無粋な邪魔はやめて、早く彼女と会わせてくれないかい?」

「ヨランダさんとは会食の場を設けます! まずはボクから現時点の状況説明を!」


 焦りと怯えから立て直したらしいポリアナが、俺の後から声を上げる。近衛騎士は不機嫌そうに鼻を鳴らし、洒落者は肩をすくめてみせたが、気配を消して様子を伺っていたメイドに案内され、施設の中へと進んだ。……あのやる気なさげな顔は、リデルじゃなかったか?



「すみません……助かりました」


 ポリアナは俺の服を固く掴み震えていたが、緊張の糸が切れたのか、へなへなと膝から崩れ落ちた。俺は倒れる前にとっさに支えたが、その手が異形であることに気付き、ポリアナは再び身を固めた。


『失礼ね! あたしにもお礼する場面でしょ?』



 ヨランダというのがオルドゴルの養女の名前らしい。師は家族が無かったそうだから、研究資金を取り立てる対象として揉めているのか。俺がそう問うとナイクスは、


「そういう意味合いも無くはないんでしょうけどねえ。あの人たちのお目当ては、ヨランダさん自身ですよ。なんでも、すごい美人だとかで。僕は一度も会ったことないんですけどね」


 と、師の自宅から運び込んだ資料を整理しつつ呟いた。出資者達への説明に使うため、幾らかはそのままポリアナが持ち去った。双方の資料を合わせたところで、ナイクスにはオルドゴルの研究内容に理解が及ばないらしい。


「ただね、いやな話なんですが、ヨランダさんの美貌も、研究の成果だとかいう噂も。……あー、だめだ! やっぱり説明はポリアナさんに任せよう」


 ナイクスは資料の束を放り出し机に突っ伏した。回収できない投資も偽りの美貌も俺の領分ではない。出来ることはなさそうだ。そう告げて腰を上げようとするとると、ナイクスは慌てて縋り付いてきた。


「待ってくださいよ! 手に負えないのは僕も一緒です。僕に剣歯虎連れ歩くような強面、相手にできるわけないじゃないですかー! アインさんはいざって時のため、後ろに控えてくれてるだけで良いんで!!」


 俺とて資産家や近衛騎士相手に剣を向けるわけにもいかないのだが。用心棒ですらない置き物だ。正直手持ち無沙汰だが、どうやら投資者達との話が付くまで解放されそうにない。

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