第8話 追慕という名の歌姫 ③
「エメルだ! エメルが現われた!」
照明を落としたホールは薄暗く、上映前の映画館にも似ていたが、そこは静けさとは無縁の場所だった。
戦闘ゲーム特有の爆発音や格闘ゲーム独特の殴打音、ファンファーレ、掛け声、悲鳴、勝どきの雄叫びなど、電子で作られた様々な音が飛び交っている。
ここは日本の秋葉原。とある巨大なゲームセンター。
暗いホールの中で激しく場面が移り変わるゲーム画面は、まるでフラッシュライトの点滅のように様々な光を暗い室内の壁に投げかけている。
その一角からさっきの叫び声が上がると、それまで筐体の後ろで様々なゲームプレイを眺めていていたギャラリー達は声のした方向へ我先に殺到した。
叫んだプレイヤーの目の前にあるのは、アイドル歌手の育成ゲーム『ドリームアイドル・ライブステージ』のゲーム画面だった。
画面は薄暗い舞台裏を映している。その向こうにはスポットライトが照らす煌びやかなステージがあり、たくさんの観客が待っていた。
プレイヤーが操作している歌手は、これからオーディションの最終ステージに臨もうとしていた。このオーディションで合格点を出し、認められれば一流の歌手として最終的なランキングで格付けされ、スターの仲間入りが出来る。
そこへ、まるで行く手を遮るように一人の歌姫が現われたのだ。
『待って。あなたに聴きたいことがあるの』
「あなたは誰?」
『私はエメル……エメル・カバシよ』
そう言って画面の中で静かに微笑む小柄な少女は、艶のある長い美しい黒髪を風に靡かせている。
「エメルだ。“追慕の歌姫”エメルだ……」
「隠しキャラのラスボス、ホントにいたのかよ!」
「オレ、初めて見たわ……」
ギャラリー達から興奮したようなささやき声が口々に漏れた。画面に向けて携帯カメラのフラッシュが幾つも焚かれる。
彼女がこのゲームに登場することは極めて稀なのだ。
アーケードゲーム版でもポータブルゲーム版でも、行き過ぎた課金者の前に彼女は決して姿を現さない。
だが、レッスンの中途半端なプレイヤーの前にも現われることはない。
過度の課金に頼らずに厳しい練習を積み、高度なランクを習得したプレイヤーの前にだけ、しかも僅かな確率でこの歌姫は出現するのだ。
まるで、きまぐれな風が運んできた歌の妖精のように……
プレイヤーの前に佇む少女はハーフの美しい顔立ちをしている。銀を織り込んだ漆黒のドレスと黒髪、何よりターコイズグリーンの瞳が恐ろしく印象的だった。
その瞳には、何かを一途に思い、強い信念を秘めた者だけが持つ輝きが宿っている。
オーラじみた独特の雰囲気を身にまとい、彼女は画面のこちら側をじっと見つめていた。
『探している人がいるの……』
「探している人?」
『その人が私に教えてくれた大切なことを貴方に尋ねるわ。貴方は何故、あの光さす場所を目指すの?』
エメルは、ラストステージの舞台を指さして問いかける。
ゲーム中でエメルからプレイヤーへ問いかけるのは、これ一つきり。
そして、画面に三つの選択肢が現われる。
『A - わからない。わからないけどここまで走り続けてきたの……』
『B - 世の中で泣いている人や悲しんでいる人を私の歌で抱きしめてあげたいの』
『C - キモいファンどもからお金を絞り取って贅沢する為に決まってるじゃない』
プレイヤーはこの中から一つの選択肢を選び、エメルへ答えることになる。
そして、選択次第で異なる結末が待ち受けているのだ。
二つの選択肢のリアクションと結末は、既に明かした者がいた。
Aを選ぶと、エメルは肩をすくめ「いつか分かる日が来るといいわね」と静かに笑って去ってゆく。この場合、エメルが出現しなかった場合と同じようにラストステージが始まり、プレイヤーの最終的なランキングも通常と同じように定まる。
Bを選ぶと、エメルは頷く。そして「じゃあ、あなたがそんな歌姫にふさわしいか、ここで見せていただくわ!」とバーサス(対決)モードのゲームステージが始まる。
だが、その難易度は今までのオーディションや対戦試合の比ではない。歌唱力、ダンスパフォーマンス……エメルの実力は、どの項目でもプレイヤーが育てたキャラクターの歌手のそれを遥かに凌駕するのだ。大きなハンディキャップを背負ってプレイヤーはエメルと戦うことになる。
それでもこの超難関の対決を制することが出来れば、エメルはプレイヤーの操作する歌姫を認めてくれる。「おめでとう!」と、抱擁して祝福し「その気持ちをいつまでも忘れないで歌い続けてね」と、ラストステージへ案内してくれる。
そして、ゲームが終了した暁には「プラチナシンデレラ」という特別な称号が与えられるのだ。
だが、運営サイドの発表では、その称号を勝ち取ったプレイヤーはまだ十指にも満たないと云われていた。
問題はCである。
この選択肢を選ぶと一体どんな展開が待っているのか、まだ誰も知らなかった。仮にバーサスモードになって敗北すれば、おそらく今までの対戦モードと同様、ランキングを格下げされてゲームオーバーとなるのだろう。
では勝利した場合はどうなるのか……?
ゲーム画面でエメルを待たせているプレイヤーは今、それを試そうとしていた。似たような他のゲームでさんざん鍛えてハイスコアを叩きだした自分の腕に、彼は自信を持っていたのである。
多数のギャラリーが固唾を呑んで見守る中、緊張した面持ちで彼は「C」を選択した。
「キモいファンどもからお金を絞り取って贅沢する為に決まってるじゃない」
すると、画面の中のエメルは悲しそうな顔で尋ねかけた。
『本気で言っているの?』
「うるさいわね、さっさとそこをどいてちょうだい。ブタ共が私を待ってる。私の邪魔をしないで」
可憐な佇まいの歌姫はその言葉を聞いた次の瞬間、鬼の形相へと変貌した。
『あなたに歌を歌う資格はない。ここで消えなさい!』
歌手としての死を告げる宣告を受け、バーサスゲームモードへ画面が切り替わった。
エメルの逆鱗に触れたプレイヤーは慄きながら曲を選ぶ。その背後ではギャラリー達が、一体どうなるのかとハラハラしながら成り行きを見ていた。
『対戦歌唱バトルを開始します。レディ!』
アナウンスが告げられ、決闘が始まった。
ゲームは画面の上から流れ落ちてくる操作指示のアイコンをタイミングに合わせて正確に入力出来るか否かで評価される。
そして、この対戦で出される操作指示の量とスピードと量は、それこそハンパなものではなかった。アイコンが、まるで画面の上から怒涛のように押し寄せてきた。
プレイヤーは緊張しながらも凄まじい勢いで操作パネルのキーを的確に叩き、膨大な操作量を素早く捌いてゆく。今までのゲームプレイでさんざん鍛えたのだろう。その入力に合わせ、プレイヤーの歌姫は今まで見たことがないほど激しく踊り、懸命に歌った。
一方のエメルはトリッキーなダンスステップも軽々と踏み、風に舞うように踊りながら透き通るような美しい声で情熱的に歌う。
華麗に踊り艶やかに歌うエメルに対し、プレイヤーの操作する歌姫は見るから死にもの狂いで立ち向かっている、という様相の歌唱バトルだった。
それでも挑戦者は一歩も譲らなかった。プレイヤーの操る歌姫は、鬼神と化したエメルと互いに激しい火花を散らしながらも歌の饗宴を遂に演じ終えた。
曲が終わり、ギャラリー達のどよめきの中で結果が表示される。勝敗は……
「両者パーフェクト! 引き分け」
パーフェクトの引き分け、ということはエメルに勝つことは絶対出来ないのだ。驚きの声があがったがプレイヤーの健闘を讃えて拍手が起こる。
だが、その直後に彼等は更に驚愕することになった。
何故なら画面に「However, you lost all(しかし、貴方はすべてを失った)」と表示され、画面がフェイドアウトしたからだった。
「何だと!」
「どういうことだ!?」
切り替わった画面は、プロダクションルームが背景のメニュー画面ではなく、プレイヤーが育てていた少女のプライベートな部屋だった。
ベッドから彼女が起き上がりボンヤリした表情でつぶやく。
「何だろう。私、歌手になっていた夢を見ていた気がする……」
「えええー!」と、ギャラリーから驚きの声が上がる中、少女は登校を促す母親の声に急き立てられ慌てて制服に着替えると部屋を出て行った。
閉まった扉に被さるように「Your and her dream reached the end in this way(あなたと彼女の夢はこうして終わりを迎えた)」と表示され、スタッフロールが始まる。
文字通り、悪夢のようなバッドエンディングだった。
「夢オチだと? 確かに酷い選択肢だったけどそこまでするか。いくら何でも……」
「見ろ、スコアがゼロになってる! 今まで積み上げた点数も剥奪されたんだ。じゃあ、ランキングは……」
「Null(無)」というランキングにギャラリー達は悲鳴じみた声を上げた。それまでトップレベルにいたプレイヤーの歌姫はただの少女となり、最下位へと転落してしまったのである。
筐体から排出されたカードをプレイヤーは震える手で抜き取り、屈辱の刻印を打たれた自分の記録を見てガックリとうなだれた。
ゲームオーバーの表示の後に、音楽を侮辱した選択肢を選んだプレイヤーへメッセージがフェイドインして現れた。
『――音楽とは君自身の経験であり、思想であり、知恵なのだ。もし君が真の人生を送らなければ、君の奏でる楽器は真実の響きを何ももたらさないだろう――』
伝説となったジャズサックス奏者、チャーリー・パーカーの名言である。
野次馬気分で見ていたギャラリー達は何か叱られたような顔でこそこそと散っていった。興味本位でエメルの逆鱗に触れた件のプレイヤーは、抜け殻のようにへたり込んでいる。
衝撃の目撃談は、たちまちブログやSNSから拡散され、ゲーム愛好者や声優ファンの間に伝播していった。
「最後の選択肢は禁忌。引き分けでも夢オチエンドが待ってる」
「思いやりをもった歌手を目指せばエメルは天使みたいに祝福する。だが守銭奴を目指す歌手は鬼神化して容赦なく屠る」
「エメル、マジ天使。オレら声豚やドルオタの代わりに搾取系アイドルを血祭り!」
様々な感想まで交え、このゲームに関わるファン達はエメルへの好感度と評判を高めていった。
……可憐な容姿と謎めいた言葉、凄まじい歌唱力と高貴な心を持つ歌姫エメル・カバシは一体何者なのか。ファン達は興味を惹かれずにいられなかった。
社会のあらゆる出来事が、インターネットで瞬時に知り得る時代である。彼等はさほど労せずしてエメルが二次元のアイドルではなく、実在の歌姫であることを知ることが出来た。
日英ハーフの一七歳。出生は日本だがイギリスに移住した後、母親を病気で亡くしたこと。一年前半ほど前、ロンドン近郊の公園で一人歌っているところを見出され、厳しい修練を積んだこと。翌年、イギリス音楽界でも最も権威の高いオーディション「ブリティッシュ・アルティメットシンガー」に出場、ラストステージで劇的な歌唱を聴かせて伝説と謳われたこと。史上稀に見る高い評価を受けながら些細な登録ミスによって失格となってしまったこと。その後、大手レコード会社と契約してCDを発表、ゴールドディスクの栄誉に輝いたこと。オーディションで優勝したリアンゼル・コールフィールドとは以前敵対関係だったが、今ではコラボレーションで歌うこともあるほど気心の知れた親友になったこと……
「アルティメット・エメル」と呼ばれる由縁となった伝説のステージはネットの動画サイトでも公開されていない。どんなステージだったのか様々な諸説が流布されていたが、荒唐無稽なデマも多く真偽は分からなかった。
謎といえば「探している人がいる」と彼女が言っているのは誰なのか、それこそが最大の謎だった。
彼女にはプロデューサーがいたという。
無名の彼女を見出し、伝説の歌姫にまで育て上げた凄腕のプロデューサー。日本人らしかったがオーディション直後に行方不明になっている。探しているのは彼ではないかと推察されたが、どんな男だったのか、何故探しているのか、それは誰にも分からなかった。
ただ、聴く人を侮辱する歌手を激しく憎み、人を思いやる歌を目指してこそ歌姫と認めて祝福するこの少女に、人々は高貴なプライドと親しみを感じ、好感を持たずにいられなかった。
探している人がいる、その人が教えたことを大切にしている、と出会う者に語り掛けるエメルは、彼等の間でいつしか「追慕の歌姫」と呼ばれるようになっていった。
そして、ゲームの中に追慕の歌姫が現われて半年が経った頃……
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