解放

「……いらない」

 消え入りそうな呟き。その左手に鈍く光る輝き。

「兄……貴……?」

 渇いた喉の奥から、どうにか絞り出された声は届かぬまま、統の目に激しく感情を剥き出しにした創が映る。

「いらない! いらない! いらないっ! お前なんか……お前なんかぁぁっっっ!」

 ゆらりと揺れる体。スローモーションで上がってゆく左腕。その一連の動作が、まるで別世界での出来事に思えて実感に乏しい。

 しかし、それは抗いがたい現実だった。瞬間、愛しい人の姿が、健気な声が、儚くも美しい笑顔が統の中で弾ける。

 樹がいる。樹だけは……助けなければいけない……!

「お前さえいなくなれば僕をっ! 僕だけを見てくれるんだっ!」

 一気に振り落とされた凶刃を、反射的にかわしていた。ごろごろと地面を転がりながら、どうにか距離を取ると体を起こす。だが鋭い痛みが、統の顔を苦痛に歪めさせる。

 寸前で切っ先を避けたつもりだったが、シャツの右袖部分に裂目が走っている。触覚的に認識すると、痺れにも似た感覚が思考を麻痺させた。

 明確な殺意。薄闇の中、漂う気に呼吸が喘ぐ。創の表情は見えない。

 その体の何処にそんな激情を秘めていたのだろう? 統は穏やかで優しい兄しか知らない。だが今、目にしている姿が創の本当の姿だとしたら、辛すぎて苦しかった。ずっと側にいたのに、一体何を見てきたのだろうと絶望した。

 それでも譲れないものがあるとしたら……それは樹だった。自分だけでなく、樹にまで危害が及ぶかもしれない。そう思うと、身体の芯から震えた。

「心配しなくてもいい」

 まるで、そんな統の心の内を読み取ったかのように創は告げる。

「樹は僕が守る」

 狂気に垣間見える揺るぎない決意。

「最初に約束したのは僕。だから、これからは僕が樹を……樹だけを守る」

「兄貴……」

 創がどれだけ樹を大切に思っているかが、伝わって来る。その時、統は樹の言葉を思い出していた。

『あの時、言ってくれたよね?』

『約束する。これからは僕が君を守る』

 本当に本当に嬉しそうな表情をしていた。記憶を失っていた樹にとって、それは煌めく思い出だった。光輝く宝物だった。そう誓ったのは、きっと。

「やっぱり……兄貴だったんだ」

 無抵抗だった。逃げたいとも思わなかった。

「ないものねだりだったんだ……お互いに……」

 不思議と怖くはなかった。生まれて初めて、本当の創に触れた気がした。

 そして、樹を守れればよかった。それだけでよかった。

「……約束、したよね」

『指切りげんまん。嘘ついたら……』

 縁側に腰かけ、西陽に包まれながら交わした。

『針千本、の~ます』

 重なり合う幼い二人の声。

「嬉しかったんだ」

 病床でも何でも出来た創が、初めて自分を頼ってくれた。それだけで今までの孤独が報われた気がした。

 迫り来るナイフに、統は笑みすら浮かべる。

「今度は……俺が頼むよ……」

 滲む世界で切に祈る。自分がいなくなれば全てが終わる。ならば、この命を差し出しても構わない。

「だから……樹を守って……お兄ちゃん」

 樹がいなくてよかった。もう見せたくなかった。

 傷付けるもの。悲しませるもの。そういった全て。

 統は目を閉じた。

 鮮血が舞う。紅く染まる。支えを失った体は、ゆっくりと倒れていった。


 ごめんね。本当は悪くないのに。仕方のない事だと、わかっていたのに。

 これが運命だと受け入れる覚悟は出来ていたのに。

 弱い自分が、悪魔の囁きをするんだ。だから全部、君のせいにした。

 全部全部、君のせいにしたら……楽になれたんだ。


「もう……沢山だ……」

 哀しい声に統は動けない。

「あき……ら?」

 でも違う……何かが違う……! 友の姿が脳内を駆け巡る。幼かった時の啓。優しい啓。

『ありがとな』

 雪と映る写真を渡すと弾けるような笑顔を見せたが、その瞳は切なげだった。

 自分と創の間に立つ背中が、大きく傾く。その先に血塗られた手を伸ばす創の、悲痛な顔が見えた気がした。

 動けぬままの統の前で、辛うじて創がその体を受け止める。だが長身の啓を支えきれず共によろめいた為、まるで覆い被さるような形になった。それでもどうにか踏ん張ると、微かに震える声で問い詰める。

「どうして? どうしてっ!」

「本当はわかってる……そうだろう?」

 苦しそうに洩れる息遣いから傷の深さを察知し、創が叫ぶ。

「駄目だっ! いくなっ!」

 泣き出しそうな悲痛な声音に驚いた表情を見せ、次いで啓は優しく微笑む。

「ごめん、創。でも……もう俺を……解放してくれ」

 切実な願いにすら、創は激しくかぶりを振る。

「そんなの許さないっ! 約束しただろうっ? 僕を独りにしないとっ!」

 駄々をこねる子供のごとく、創は引かない。引く訳にはいかない。引いてしまえば、それは永遠の別れを意味していた。

 困ったように創を見つめる啓の眼差しは限りなく穏やかなまま、呆然と背後に座り込む少年へと移る。

「統」

 啓の声なのに違和感を拭えず、そして芽生えた小さな気付きに胸を抉られる。

「さ……とる……?」

 囁くような問いかけは、闇に呑み込まれていく。

「赦してくれなんて言わない。でも、創を受け入れてやってくれ。そして樹を……妹を頼む」

 そう告げると鮮やかに微笑んで、啓は体を翻す。一瞬前まで触れていた手が、微かな温もりを繋いでいた指先が、するりと抜けていく。がくがくと震えながら膝から落ちた創の姿が、薄闇にぼんやりと浮かぶ。

 蛍に似ていると思った。儚く淡く、心許無い。だが直ぐに荒々しい呼吸が続き、統は息を呑んだ。発作だと気付いた時、体が勝手に動いていた。

「兄貴っ!」

 這いながら側に寄る。額には脂汗が滲み、苦しそうに肩は上下していたが、冷えきった手は信じられない程に力強く、統の腕を掴んだ。

「……ね……がい……めて……」

 お願い。止めて。瞬時に理解すると、統は啓が走り去った方角を見る。

「わかった」

 創を岩場に寄りかからせると、統は大地を蹴った。


 いつの間にか雨は止んでいた。

 右脇腹に刺さったままのナイフを押さえながら、暗い山を駆け抜ける。走りながらもシャツの裾で柄を拭き取り、しっかりと握り直した。

 創の指紋を、創がいた痕跡を残してはいけない。あの清らかな青年には似つかわしくない。

 今の槙に出来る、唯一の贖罪だった。

 それに抜いてしまえば、たちまき大量出血を起こし、動く事すらままなくなる。だからこそ忌まわしい凶器は、自分と共にあるべきだと思った。

 わかっていた。もうここに居てはいけない。いかなければならない。

 本来なら既に尽きていた命だった。それに背いた一度目。自分の意志ではなかったと目を逸らした。しかし、少なくとも二度目は望んだ。雪と生きたいと渇望してしまった……!

 生まれ変わり、育った場所を思う。封建的で古い仕来たりに縛られ、それでも存在し続けてきた小さな村。

 柾理として生きた年月は、槙にとって大切な日々だった。例え秘密を抱えて生きる辛さが年を重ねるごとに重くのしかかっても、それを有り余る程の幸福があった。

 限り無い平和があった。穏やかな暮らしがあった。家族がいて、友がいて、愛する人がいた。


 祖父を思う。杠の名を捨て、愛する妻と別れてまで育ててくれた。共に過ごせなかった時を埋めるように、惜しみない愛情を注いでくれた。並々ならぬ覚悟で、自分を守り抜いてくれた。

 その強い意志を持つ遺伝子が、自分の中にもある事が誇りだった。そんな祖父の志を継ぎたいと思った。だからこそ、雪に対する思いを封じなければと思った。

『槙、よくお聞き』

 苦渋の面持ちは、今でも忘れられない。

『お前の本当の父親は椿忠。雪ちゃんのお父さんだ』

 きっと気付いていたのだろう。だから、真実を告げたのだ。


 祖母を思う。儀式を行った直後、一時的だが槙は記憶が欠如していた。

『理君は、いい子ね』

 いつも優しく接してくれた知が大好きだった。やがて実の祖母であると崇から聞かされた時、胸が張り裂けそうになった。そして全てに合点がいった。

 知もまた樹を守る為に、愛する夫との別れを受け入れた。たった一人で祖父と同様、妹を愛情深く育ててくれた。

「お婆様の煮物、また食べたかったな」

 思い出すのは温かい眼差し。頭を撫でてくれた手の温もり。


 母を思う。

 芽は今も眠っている。あの事故の衝撃が余りにも強すぎたのか、自我を保てなかった。前例のない事だと聞いていたが、今は寧ろよかったのではないかとさえ思う。

 本当の原因は別の所にあるのかもしれないと、崇は自身を責めていた。

『新しい人生を歩む。それで今度こそ、あの子が幸せになれるなら』

 そして、力強く抱き締めてくれた。

『お前と樹には寂しい思いをさせてしまう……本当にすまない』

 姿が変わり、何もかも忘れてしまっていても、生きていてさえくれればいいと願う。

 そこにいるのは紛れもなく、一人の父親だった。


 友を思う。

 啓。お前は、ずっと雪の側にいた。影のように寄り添い、そっと佇んでいた。

『姫を守る騎士みたいだろ?』

 成長するにつれ、互いに同じ存在に恋焦がれる故に疎遠になった。それでも、こんな形になってしまった今でも、やはり大切な幼なじみだと思うなんて……虫がよすぎるよな? 赦してなんてくれないよな?


 もう一人の友を思う。

 統。いずれ村を継ぐ者と俺は言い聞かせられ、育った。

 だから、その時には助けよと。統、お前が望む望まないに関わらず。

 その不器用な位に真っ直ぐな所が眩しくて、俺はいつも言葉を飲み込んだ。

 でも、いつか……本当にいつか伝えたかった。樹を守ってくれてありがとう、と。


 妹を思う。

 仁の腕で眠る樹を見た時、全てを思い出してしまったのだと悟った。でなければ、たった一人で儀式を行った祠に来る訳がないと思った。

「最後まで守ってやれなくて……駄目なお兄ちゃんでごめん」

 出来る事なら、思い出してほしくなかった。樹には幸せになってもらいたかった。

 笑っていてほしかった。天使のようだといつも思った、あの大好きな笑顔で。


 親友を思う。

 創。本当にありがとう。なのに、いっぱい傷付けてごめん。

『友達に……なってくれる?』

 あの夏の日、俺は本当に嬉しかった。創と出会えて、友達になれて、これから毎日が楽しくなると思った。

 出来る事なら……もう一度、あの日に戻りたい。


 愛する人を思う。

 我儘な瞳。風に舞う髪。同じ父親だと、血が繋がっていると知っても、思いは増すばかりだった。例え自分を見てくれていなくても、幸せを願えば答えは一つだったのに……!

 全ては遅すぎた。でも……

「雪」

 槙は駆けながら微笑んだ。

「今……還すから」

 勢いは止まらぬまま、闇を縫っていく。遥か後方で、誰かの制止の叫びを聞いた。

 創の声に似ていた。統のような気もした。思わず笑んでしまう。

「なんだ……やっぱり兄弟なんだな」

 遠退く夜空。急速に流れる視界。そして………激しい衝撃。


 杠槙は解放された。


 明るくなって間もない空には、不釣り合いな人々のざわめき。そこには、ただならぬ雰囲気が漂っていた。

「見付かりませんでしたね。流されてしまったんでしょうか?」

「その可能性は高いな」

 警察官の沈んだ声に、来栖は顔を曇らせた。

「現場検証終わりましたので、どうぞ」

 鑑識の八戸はちのへの呼びかけに頷くと、来栖は地に手を付きながら身を乗り出し、眼下を覗き込む。その遥か下では昨夜の豪雨で増水した川が、激しい音を立てながら流れているのが見えた。脳裏には数時間前の事が甦る。

「はい……ええ、来栖です。……え?」

 皇司からの通報を受けたのは、今朝早くの事だった。榊啓の身を案じた杠樹が山に一人で入り、その後を皇統が追い駆けたという。そして橘仁が樹だけを発見し、救出。

 夜明けを待ち、仁を筆頭に自警団で再捜索すると、この崖の側で放心状態の統を見つけ、状況を確認。統は榊啓が、目の前で身を投げたと証言した。

 立ち上がり、腕を組みながら右手で顎を二度叩く。

「被疑者死亡ですね」

 残念そうに告げた警察官は、そっと目を伏せると去って行く。

 最悪の結末を迎えつつあった。事実、榊啓は柾理殺害を苦に自殺したという結論が出されるだろう。だが結局、真相は藪の中。

 綾部の死についても謎は深まるばかりだが、このままでは榊啓に更なる容疑がかかりかねない。苛立つ気持ちを抑えながら考えに耽っていると、名を呼ばれる。

 振り向くと赤井が立っていた。返事をするよりも早く上司は口を開く。

「今回の一連の事件の関係者への事情聴取、頼めるか?」

 その目は見極めろと言っていた。真相を突き止めろと強く訴えていた。

「はい」

 短く放つと、赤井は深く頷く。まだ沢山の警察従事者がひしめく中、来栖はその場を後にする。

 向かう先は皇邸だった。


 自ら車を運転するのは久し振りだった。

 こんな時にも、思い出すのは綾部の姿だった。まだ直ぐ側に、いてくれているような気がする。

 解決したい。そう強く思うのに、言い知れぬ何かを感じる。

『あの村……何だか不思議な感じがしました』

『いや、不思議というよりも……不気味でした』

 かつて綾部が言っていた事が、脳内に響く。

 皇邸に着くと誘導に従い、駐車場に停車させる。車窓から村人らしき複数の人々が、門扉に向かって歩いている姿が見えた。各々の表情からは様々な感情が滲み出ており、村長たる司に事情を求めに来たのだろうと察した。

 そう思うと、何とも言えなくなる。やるせないという気持ちに近い。

 車を降りると、待機してくれていた案内係の後に続く。そして、館に足を踏み入れた。

「わざわざ御足労いただき、ありがとうございます」

 出迎えてくれたのは司だった。昨夜の事を詫びつつ、再度事件解決に尽力したいと申し出てくれる。

「統君と樹さんに、お話を伺いたいのですが」

 来訪の旨を伝えると、沈痛な面持ちながらも快く場を提供してくれた。

「橘はいますか?」

 事前に連絡をした際、仁が赴いていると聞いていたので、自分を待つようにと指示してある。司は頷き、居間に設置されている内線電話を手にする。二言、三言と話すと受話器を置き、退いた。


「失礼します」

 そう告げると、仁は部屋に入って来た。手でソファに座るように促すと小さく会釈をし、従う。

 目の前にいる仁だけが今の時点で唯一、当時の状況を確認出来る存在だった。

「話してくれ」

 多くを問わなくても彼ならば大丈夫だろうと見つめると、仁は頷く。

「自分はいつものように、パトロールをしていました。その時、山へと向かう灯りが見えたんです。最初は雨で視界も悪かったので、見間違いかとも思いました。しかし胸騒ぎが止まらず、入山すると杠樹さんを見つけました。彼女は意識を失っていました。ひどい熱でした」

 その時の事を思い出したのだろう。仁の表情が苦痛に歪む。

「急いで御館様の所へ運ぶと、樹ちゃんを探して統も山に入っていたと知りました」

 その後、樹を司に託すと、一人闇雲に探すのではなく、何人かで手分けして山に向かう事にする。

「村の自警団に声をかけ、再び捜索に向かいました。また現状から上にも報せておいた方がいいと判断しました」

「それは何故?」

 来栖の問いに、神妙な面持ちで仁は返す。

「榊啓がいるかもしれないと思ったからです」

 その瞳は複雑な色を讃えていた。

「確証はありませんでした。ただ……」

「ただ?」

 仁は意を決したように告げる。

「こんな事を言える立場ではありませんが、強いて挙げれば……刑事の勘です」

 来栖は驚いた。しかし、納得もした。

 橘仁は職務に忠実だ。そして何よりも信頼のおける人物だと、来栖は評価していた。


「すみません……」

 少女は布団から身を起こせない程、衰弱していた。

「何も……憶えていないんです」

 驚きで言葉を失うと、診察を施した司が、そっと告げる。

「原因はわからないのですが、極度のショック状態による一時的な記憶の欠如のようです」

 何かを見たからか? それとも高熱のせいか? その儚い横顔を探るには、余りにも痛々しい。

 疑うのが仕事だ。しかし、病人を相手に詰め寄る事は憚れる。

 だが、もしも……もしも樹が嘘をついていたら? 司もそれに加担していたら? 挙げれば、きりがない疑惑を飲み込む。

 綾部だったら、あの真っ直ぐな瞳で、ぶつけていたかもしれない。そう思うと、また胸の奥が苦しくなった。

「改めて伺います。今は、ゆっくり休んで下さい」

 離席しようとする来栖に、申し訳なさそうに樹は瞳を伏せる。

 立ち上がると、部屋の片隅に控えていた静と目が合った。ひっそりと咲く、清楚な一輪の花のようだと思った。恭しく頭を垂れられ、会釈で返す。

「後は頼む」

「はい」

 そんな静に一瞥もくれず、司は先に進む。そこに、この夫婦の形を見た気がした。


 廊下に出ると、待ち構えていた司が障子を閉めてくれる。衣擦れの小気味よい音に、視線が向いた。

「少し休みましょう」

 障子と障子が合わさる寸前、来栖の視界に映ったのは枕元で膝を折る静の背中だった。

 遮られ見えないが、きっと少女は泣いているのだろう。そう思えて、また胸が痛んだ。

「参りましょう」

 促され、来栖は後に続く。

「知さんは?」

 今日は、まだ姿を見かけていない樹の祖母が気になった。司は一瞬、言い辛そうに顔を曇らせたが、不在の理由を話してくれる。

「そうでしたか」

「今回の事を耳に入れてしまうと、心労が増すかもしれません。ですので……」

「わかりました」

 知が発作を起こしていた。そんな祖母を残し、樹は山に一人で入ったというのか?

 何が少女を、こんなにも追い詰めたのだろうか?


 再び居間に戻ると、既に統が鎮座していた。司は来栖に一礼すると、退席する。

「お待たせして……」

「啓を説得するつもりでした」

 まだ言い終えぬ内に目の前の少年は、徐に言葉を発する。

 その虚ろな眼差しに、胸が抉られそうになる。

 つい何日か前に出会い、行動を共にした事もある統だが、今はまるで別人のような表情をしていた。憔悴しきった顔立ちから疲労の色が濃く滲み、最初に抱いた影の度合いを増している。

 来栖は黙って先を待つ。きっと話したくて仕方がなかったのだ。自分自身と向き合いたかったのだ。

「あの時、俺は樹が啓の手がかりを見つけたんじゃないかと思いました」

 だから、直ぐに後を追った。だが、その頃には少女は仁により救出されていていた。しかし、そんな事を知る由もなかった統は更に山へと分け入る。

「そして……啓に会えたんです」

 秘密基地と称していた洞穴にいた啓は、統に気付くと逃げ出してしまう。

「走って追い駆けました。でも、そのまま……」

「榊啓は何か言っていたかい?」

 来栖の問いに、統は首を振る。

「何も……何もありませんでした」

 最後の方は、涙声で震えていた。

「俺は……啓を……救えませんでした」

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