<2>




 どれだけの時間が過ぎただろうか。それぞれの想い出話が彼らの行動を制限しているという事に最初に気付いたのはイザベラだった。


「とりあえず広場行きましょう」

「でもよー、行って何をするんだ?」

「いつまでも木の枝振り回しているよりはよっぽど有意義よ」

「はっ! 女には分からないさ。男にはこういう時間も必要だってことは」


 馬鹿にしたようにウィルソンは言う。しかしすぐにこうも付け加えた。


「でもいつまでも横で暇だ退屈だと言われ続けるのを聞いているのにも流石に飽きてきたしな。買えもしない物なんか眺めても仕方ないけど、女の趣味に付き合うか」


 先程のジョセフの誘導に比べてなんて底の浅い計略だろう。自分のためではなくイザベラのために譲ったという意図が見え透いている。しかしこのウィルソンの不器用な心配りがイザベラは好きだった。ジョセフの知的な心配りは回りくどく、かつ友なのに隠し事をされているという不快感を覚えて素直に喜べなかった。


「えっと、そうだね」


 ジョセフも賛成を見せたので、そこで三人の行動は決まった。


 ウィルソン達は秘密基地を抜け出す。この場所は丘の上に建つ巨大な都市であるジャシー要塞の端っこにあった。街全体は要塞都市というだけあり背の高い城壁に囲まれている。その城壁に寄り添うように並べられた大きな煉瓦造りの家々に挟まれていて出来た空間、それが秘密基地だった。

 周囲を背の高い建物に囲まれたせいで日はろくに当たらず、またここに来るまでに家と家の間の道とも言えない狭い路地を通らなければならない。新しく何かを建てるにはこの場所は死んでいた。だがしかし、それ故に子ども達にとっては最高の秘密基地だった。


 狭い路地は隠されるように色々な物で溢れていたが、それらを慣れた調子ですり抜けて三人の子どもはようやく広い道に出た。少し勾配のあるその道を三人は談笑しながら上っていくと、すぐに大きく開けた場所に出た。

 中央に街路樹が何本か植えられた広場で、どこかの主婦らしき女性が設置された井戸から水を汲んでいる姿も見える。

 先程まで三人がいた秘密基地とは比べものにならないくらい広い。風も日差しも鳥も花も、そして人もうららかな空間だった。


 いつも店を出しているブランディ果樹園の出張屋台や、ちょっと高価な指輪やネックレスといった装飾類を売っている鍛冶屋のおじさんといった馴染み深い店は今日もまた顔を出している。昨日まではそれ以外にも街の色んな人や外から来た商人が、簡易的に組み上げた出店や馬車をこしらえて作ったりしていた屋台を所せましと並べていた。ウィルソンの父親のマルコムもその一人で、お祭り騒ぎに乗じていつもはしない出張店を出していた。

 皆がそれだけ騒ぐだけのお祭りがあったというのに、今の広場にはその名残を僅かに匂わせるごみや資材の山を脇に残すばかりでいつもの落ち着いた雰囲気だけが三人を出迎えていた。



「んー、流石にもうお店はないね。普段通りかな」

「だな。残念」


 広場の中央付近に来て周囲を見回しても、珍しい出店を見つける事は出来ない。

 お祭りの雰囲気に街が酔いしれていた時は、子ども相手なら優しくしてくれる大人がたくさんいた。マルコムならば子ども達に自分の店で扱っている肉を焼いて配り、他の大人達も普段よりもずっとずっと優しかった。しかしそんな天国はもう寒さと一緒に過ぎ去ってしまったらしく、ジョセフとウィルソンが眉尻まゆじりを下げて残念そうな顔をした。


「じゃあ死体も片付いているな」


 そう言ってこれまた残念そうに肩を竦めるウィルソンを、イザベラは悪戯した子どもを叱るような目で見つめた。


「……ビリー、人の死体を見て喜ぶのはちょっと悪趣味よ」

「なんでだよ。悪い奴等がいなくなったんだぜ。嬉しいことじゃないか」

「そうだけど……人が死んだっていうのに、それを見て喜ぶのはおかしいと思う」

「……イザベラは神経質だな!」


 そう言って冗談めかして笑うだけでウィルソンは背中を見せて歩き出した。

 しかしその仕草から言いたいことは分かってもらえたとイザベラは確信していた。自分の非を認めているから誤魔化ごまかしたのだと。それで十分だった。

 イザベラはある方向に目を向けた。それはこの要塞都市を取り仕切る首長の、大きな屋敷に繋がる道がある方向だった。



 事の始まりは十日程前の事だった。



 この地域で広く信仰を集めている土地神のジャスという神様がいて――勿論の事だがイザベラとその家族も信者の一人である――その関係施設は街の内外問わずたくさんあった。

 その一つである祭壇さいだんのある丘が街外れにはあった。祭壇といっても簡素なもので、丘の上には風雨にさらされてあちこち凹凸が目立つ石畳が敷かれ、捧げものを置くくらいにしか使えなさそうな石棚と昔の言葉や模様が彫られた石の柱が数本立っているだけである。

 イザベラも何度か見に行った事がある。本当に何もない祭壇だった。数百年前までは使われていたそうだったが、今では幽霊がいるといった噂話くらいにしか使えなさそうな、そんな古びた祭壇だった。


 しかし、その十日程前の事だった。その祭壇には秘密の地下施設があり、そこをいつの間にか盗賊団が根城にしていたという話が街中に流れた。その盗賊団を、悪事を働かせる前に事前に察知し、見事殲滅殲滅せしめたという街の衛兵隊とその隊長は首長直々に称えられた。

 そんな話が昼間公示人によって皆に知らされ、夜には吟遊詩人達が英雄譚にし、酒場がかつてないほどに人で溢れた程に街はその話に盛り上がっていた。

 どのくらい盛り上がったかというと、もうお祭り騒ぎとしか言いようがない程だった。前述の通りに街の正門を開け広げ外の商人を中に呼び寄せて広場の一画を場所代なしに貸し与えたり、都市の執政官が首長に頼み込み、国庫を開いて盛大な祭りをもよおしたりと街を上げて彼らの生還を祝ったのだ。


 それもそうである。なにせそれを倒したという英雄達はたったの十一人で、回収された盗賊の死体は百に届き、街の衛兵や哨士しょうしが総動員になって片付けに追われたらしい程の数があったというのだから。

 たったそれだけの数で悪を成敗して見せたその勇と武を称える意味を込めて、そして法を守らない輩はこうなるという見せしめもあるのだろう、執政官は死体のいくつかを見せしめとして吊し上げた。


 ウィルソンが興奮する理由は分からなくもない、とイザベラは内心では思っていた。同年代の女友達とくらべればお転婆と言われるくらいに活発なイザベラの中にも、その十一人の英雄の活躍を思うと胸の奥でくすぶる何かがあった。そして彼らの打ち立てた功績の最も分かりやすいのがその吊るされた男達の姿なのだから。

 ウィルソンとジョセフが最近ずっと剣の訓練に熱中してしまっているのも、また彼らの影響だ。ウィルソンもジョセフも、彼らは吊るされて当然と言う。いや、二人だけではない。皆が口を揃えてそう言うだろう。イザベラだってそう思う。しかし、それが当然だという事とそれを見て楽しむ事とはまた違うとイザベラは思っていた。


「あ、ジョセフじゃないか。それにウィルソンとイザベラも」


 三人が広場を歩いていると、突然声を掛けられた。驚いて振り返った三人の眼前に、濃い灰色のローブを着た男が立っていた。


「ヴィンス! 久しぶり!」

「あら、久しぶりね」

「元気してたか!」


 三人がそれぞれ声を掛けながら駆け寄る。ヴィンスは中性的な見た目をした青年だった。ジャス教の信徒であり、その証であるローブを深々と着込んでいて体の線を隠しているのにも関わらず分かる線の細さ。成人しているのに高い声のトーン、そして肩口近くまで伸ばしている髪はイザベラが少し嫉妬してしまう程に陽光に照らされてキラキラと金色に輝いている。


「ねぇねぇ、何をしているの?」

「うーんと、私は今、仕事を頼まれてて……これ」


 ヴィンスは手に持っている袋を小さく上下させた。大事そうに両手で、胸の下辺りに抱えている。


「これを聖堂にまで運ぶのが仕事なんだ」

「へー、何が入ってるの」

「見てないけど……多分何かの祭具じゃないかな。ちょっと重いし」

「見てもいい?」

「えっと……その、ちょっと遠慮してもらった方がいいかな」


 困った笑顔を浮かべてヴィンスはそう言った。なんとも煮え切らない返答だったが、それが拒絶を表していると三人は、長い付き合いで分かった。


「そんなに大事なものなんだ」

「うん。落としたら私も屋敷の前に吊るされるなんて言われたし」

「そんな物をヴィンスに預けるなって感じだよなあ」

「はは、あははは……」


 乾いた笑みを浮かべるヴィンスを見て、イザベラは溜め息を吐いた。ジョセフも、それにウィルソンも呆れたような、困ったような顔をしている。

 自分より一回りも二回りも幼い子ども相手にこんなに下手に出ている。相手が大人なら尚更だ。


 ジョセフをして小心者と言わしめる程肝が弱い、そんな青年だった。


 彼は孤児であり、ジャス教が彼の身柄を預かって育ててきたのもあって、今は神の言葉を伝え祭典の時に歌を披露ひろうする読師どくしをしていた。階級的には下位ではあるがジャス教の信徒である。信者に神の教えを伝えるべきはずの彼はなんとも頼りない。

 ヴィンスが臆病な原因は彼が孤児の頃頻繁にいじめられていたからだそうだ。しかし三人は同時に思っていた。ヴィンスがいじめられていた原因は臆病だったからではないかと。


 子どもにすら気おくれした言動を振舞い、結果として他者から侮られている。教会は小さな子ども相手に勉強を教えているのだが、ジョセフ達がそれに参加した時、ヴィンスは補佐としてその場にいた。しかしおどおどとした態度はいつも子どもに笑われていた。ジョセフが機転を利かせて場を治めたこともあったが、その時の恩でヴィンスはジョセフに頭が上がらない状態だ。その姿は義理深いようで、ひどく滑稽こっけいでもあった。


「もっと胸を張れよ。男だろ!」


 かつてウィルソンは何度もそう言った。しかしヴィンスの臆病さは治らない。一生このままではないかと思うと、他人事ながらイザベラも心配してしまうのであった。


「三人は何をしているんだい?」

「遊んでたんだけど、ちょっと暇になって広場に出てきたんだ」

「もうお店とか片付いちゃってて、どうしようかなって思ってた所」


 ウィルソンとジョセフがそう言って再度周りを見回した。ヴィンスもそれを目で追うが、真新しいものが見付かったという声は上がらなかった。


「そうだね……もうみんな元通りかな。お祭りは楽しかったけど、でも普段の街があるからお祭りの時に楽しめるんだしね」

「お、良い事いうじゃん」

「すごい、なんか先生っぽい」

「あはは、私は一応君達に勉強を教えているんだけどね」

「あはは」


 イザベラも釣られて笑った。今のヴィンスの苦笑は、いつも通りの自虐が入った居たけれど、年上という感じがして、決して嫌いではなかった。


「お店ももうサービスしてくれそうにないし、どうしよっか」

「うーん……やっぱりどこかで遊ぶ?」

「ちょっと小腹空いたし、家に帰って何か食べられる物でも探す?」


 三人がそれぞれ頭を突き合わせて相談しているのを、一つ高い所から見ていた。少しの間会話には加わらず、徐に周囲に視線をやった。

 ヴィンスは、そして何かを見つけたのか、三人には何も言わずに突然歩き出した。三人はそんなヴィンスの背中を呆けるようにしばし見て、そして顔を見合わしてからその後ろについていった。


「すみません」

「はいよ」


 ヴィンスが声を掛けたのはブランディ果樹園の出張店だった。台に屋根を付けただけのものが広場の隅に組まれていて、そこに新鮮な果物を並べて売っていた。

 ブランディ果樹園はこの地方で最も大きな果樹園で、林檎やオレンジを栽培している。他にも酒にも欠かせない葡萄を作ったりしている。果樹園の持ち主であるブランディ一家は相当な金持ちとして有名だった。


林檎りんごを一つ、もらえますか?」

「10カッパーね」


 ヴィンスは一度抱えていた袋を屋台の上に置いてから懐をまさぐった。ローブの内側から財布を取り出すと、紐を緩めて中から銅貨を十枚取り出す。それを商人に手渡しながら、


「すみませんが、四つに切り分けてもらえませんか?」


 と頼み込んだ。


「へぇ、子ども達と分けるんですかい」

「ええ」

「お優しいなぁ」

「たかが林檎一つですよ」

「それもそうだ――はい」


 四等分された林檎のうちの一つをヴィンスに、


「はい、お坊ちゃんお嬢ちゃん方も」


 残る三つも一つずつウィルソン、イザベラ、ジョセフへと手渡した。


「またどうぞ」


 笑顔のおじさんに軽く会釈して、ヴィンスは歩き出した。

 子ども達も慌ててヴィンスに付いていく。


「いいの?」

「いいんだ。私もちょっとお腹空いてたし。僕の林檎を少し分けているだけだよ」

「でも四分の一しか残ってない」

「人に良い事をするのは、間違った事じゃない。私はそう習ったから。それに君達もこれで誰かに良い事をしてくれるのなら、それはみんなが良い事を体験できるって事じゃないか」


 イザベラはなんて素晴らしいんだろうと思った。その事自体はイザベラだって考えないでもなかった。でも実際に行動にするとなると話はまた別だった。

 自分では想像でしか出来なかった事を易々とやってのけるヴィンスにイザベラはまたしても大人っぽさを感じた気がした。


「……うん」


 しかしジョセフはイザベラとはまた違った感想を抱いたように、少し暗い顔をしながら林檎を見つめていた。


「それじゃあ、私は仕事に戻るよ。林檎の事は気にしないでね」

「ありがとな!」

「美味しくいただくから」

「ありがとう」


 三人がお礼を言って、それからヴィンスは広場を突っ切って歩き始めた。


「俺達はどうする?」

「どこかで林檎を食べましょ」


 イザベラがそう言うと、ジョセフが思いついたように言う。


「教会に行こうよ。あそこの塔に昇って街を眺めながら食べよう」


 その提案はなんとも魅力的だった。


「それ賛成!」

「よっしゃ、教会まで競走な!」


 三人はそれを合図に駆け出した。慌ただしい足音が広場から消え去っていく。

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