第三章 真紅の薔薇

   1


「エスハイネル士官。貴様は、これが自殺行為だとは思わないのか?」

「艦長室からです。ここには誰も入ってきません。通信記録も残らないように改造してあるんです」

 ビショップ級戦艦ベーゼンドルクの艦橋の左奥に立ち、トシム士官がモニタ越しに部下の弁解を聞いてやっていた。

 ヨロメーグはそこへゆっくりと歩み寄り、自分と同じくらい身長のある部下の肩を叩いた。

「私が話そう」

「ハイ」と、素早くトシムが一歩下がる。

「エスハイネル士官。潮時だよ。我々は一旦引く。標準時二〇時〇〇分までに帰還したまえ」

「無茶を、そんな無茶を言わないでください。どうやって、ここを出て旗艦まで戻れとおっしゃるのですか!」

 小さなモニタの中で、ライトグレーの軍服の男は両手で頭を抱えた。三〇億キロの距離があるとはいえ、上官の前で許される行為ではない。彼はスパイとして体制軍に潜入し、一二年かけて大佐にまで昇進したエリートである。このような事態は覚悟していたはずではないか。

「閣下。もし、間に合わなかった場合は、どうなるのですか?」

「八日前に回答済みだ」

 ヨロメーグは部下の反論を待つことなく、自ら回線を切った。

「エスハイネルを回収するメリットが分かりませんが」

 トシム士官の感想は、不満より疑問が多くを占めているようだった。ブルックリーバー将軍の息のかかった者を排除するには、絶好の機会なのだから。

 ブルックリーバーとは、地球解放戦争開戦時すでに士官であったという老練の猛将だ。今でこそヨロメーグが従える四将軍の一人に過ぎないが、かつては直属の上官だった。

 異例の昇進を果たしたばかりのメンバーズエリートは、苦笑しながらまた部下の肩を叩き、提督席へと歩き出した。すると、艦橋の後ろの方から大きな声がした。

「閣下。マツー将軍から緊急入電です。戦艦リューオーから高速連絡艇が発進して、直後にワープしたそうです。ブルックリーバー将軍との連絡も取れないとのことです」

 トシムは、「だから言わぬことではない」とでも言いたげだったが、上官に対して批判などできるはずもないのだ。

 エスハイネルがあっちへ泣きつくのは、予想していた。ただ、互いの手際の良さは誤算だった。以前から、こちらに覚られないように連絡を取り合っていたのだな。昼行灯のマルオ・モリノ大佐よ、せいぜい仲良し連中に真の姿を見せてやるのだな。

「全艦、高速連絡艇のワープアウトを確認せよ! 確認出来ない時は……」

 口ごもったヨロメーグへ、いくつかの鋭い視線が向けられた。トシム士官。艦長のテラッジ将軍。機動部隊指揮官のエンチャー士官らである。テラッジはいつもの半笑いだが、視線に迷いはない。小柄だが鍛え上げられた体を持つエンチャーは、目をギラギラさせニヤリとした。皆、次のセリフは聞くまでもないのだろう。それでも、言わねばならぬ。

「ブルックリーバー将軍が、シリンの真実を手にしたと考えるのが妥当だろう」

 長く潜入するスパイは、敵に感化される。体制軍という甘い組織は、特にそうだ。大佐にまで昇進すれば、つまらない夢も見よう。その中枢にありながら八日前の陽動作戦について連絡を怠った理由も、そんなところだろう。

 今すぐ赤い薔薇を落とすのは、ベーゼンドルクをもってすれば容易い。が、それでは芸がない。だいいち、わが旗艦の性能をつまらぬところで晒すのは避けたい。

 六〇メートル四方の大空間が、二〇分間に渡って沈黙した。

「プロキオン、チェスキー、ラリベラ、ルイテンB、C、フレーネック、シリウス、ロス二四八、一二八、及び太陽系の全監視システム、何もキャッチ出来しませんでした」

 一人の下士官の声が艦橋にこだますと、無数のコンソールが一斉に操作音を立てた。

 偽装のため、ブルックリーバーは虚無の空間にワープした可能性がある。二度目のワープで監視システムに引っかかることもあるだろう。探索はしばらく続けなければなるまい。それより、裏切り者の始末である。

 さて、赤い薔薇はどういう航路を取るか。デッドラインから逆算すれば、三時間以内に何らかのアクションがあるはずだ。

「私は空母オリゲルドで指揮を取る。エンチャー士官は、第二、第三機動部隊とともに、同行せよ」

 エンチャーは勢いよく立ち上がり、敬礼した。好ましいことではないが、好戦的な人間が前線にいるのは重宝する。

 ヨロメーグは、早足で艦橋を出た。


   2


「右舷後方六二〇〇キロに、ワープアウト反応! 敵空母デルハーゲン……赤い薔薇です」

 ヨロメーグが空母オリゲルドの艦橋に入った途端、オペレータの声が聞こえた。肉眼で見える距離ではないが、宇宙においてはニアミスといえた。相手からも、無論こちらからも射程範囲内での遭遇なのだから。

「エンチャー士官の機動部隊の着艦はまだか? 急がせろ」

 マツー将軍が誤った指示を出したので、ヨロメーグは遠くから修正しなければならなかった。

「いや! 収容しなくていい! 赤い薔薇の後方へ回らせろ!」

「しかし、閣下」

 いいのだ。エスハイネルめ、これだけ部下たちの目がある中で、連絡艇を出してオリゲルドに着艦する気でも無かろう。とはいえ、ヤツの戦術は見えない。

 これが一〇年の経験差か。エスハイネル士官、五二歳。地球人の年齢にすれば、三六、七歳というところか。要塞艦ハンニバル時代は優秀な参謀だったという。両軍の兵器に通じた彼ならば、このオリゲルドを落とせるやもしれない。火力で劣る薔薇は、艦載機戦に持ち込むつもりだろう。

 一二枚、その表裏合わせて二四面の離発着甲板が開いたなら、三分間で三〇〇機の艦載機が出てくると覚悟せねばなるまい。

「全機発艦急げ! 薔薇が咲く前に沈めろ!」

「ワープアウト反応多数確認中。自動迎撃、対処仕切れません!」

 新たな指揮官の命令をかき消すように、オペレータの声が重なった。ベーゼンドルクとは対照的な黒い内装が、いっそう緊張感を高める。八連のメインパネルには、次々大破していく敵の駆逐艦や巡洋艦が鮮明に映し出された。

 こちらの被弾はほとんどないが、艦載機を出すことは出来ない。やはり、エンチャーの部隊を展開させておいたのは正解だった。

「機動部隊が赤い薔薇と交戦に入りました。敵、艦載機の発艦ありません」

 エンチャーはよくやっているが、牙を剥いたエスハイネルはこの程度ではないはずだ。といっても、一艦の艦長に過ぎない。只今一掃中の援軍とて、提督に進言して送らせたのだろう。手足のようには使えまい。ヤツがもう少し昇進していたら、また違った展開であったろう。向こうの提督殿も事態を察したか、援軍のワープアウトも打ち止めだ。

 それにしても、薔薇はなぜ開かない? 電磁シールドも効かないこの近距離では、被弾する面積が増えるだけという考えか? 開かなくとも、毎分一二機ずつは艦載機を発艦させる性能のはず。なのに一機も出てこない。

 メインパネルの一枚にコックピットが映し出された。顔は見えないが、ヘルメットの装飾からエンチャー士官だと分かった。

「敵空母の甲板が、徐々に開いています。しかし、艦載機は一機も見あたりません」

 そういうことか。三〇〇か四〇〇の艦載機はワープする前に発艦していたのだ。待機していた艦載機がこちらに奇襲をかけ、開いた甲板から次々着艦して離脱するつもりである。艦載機は空母から出てくるものという先入観にとらわれてしまった。

 こうなったら、赤い薔薇の至近距離まで接近し、艦載機の着艦も援軍からの攻撃も不能にする他に手はない。それでも、火力、装甲ともにこちらが有利だ。となると、それは……?

 マツー将軍もこの数分間、上官の指揮を邪魔しないように沈黙しつつ、戦況を的確に分析していたらしい。

「ひょっとして、エスハイネル士官は、二隻を激突させて白兵戦に持ち込むように仕組んだのではないでしょうか?」

「つまり、ヤツは白兵戦に紛れてこちらへ戻る気だと言うのだね」

「上舷後方より、小型機多数接近中! 八分後に射程範囲に入ります」

 数名のオペレータたちが、コンソールの操作を始めた。読みは当たったが、対抗策は無い。

「強引な手段だとは思いますが、他に帰る方法があるでしょうか?」

 相変わらずの善人ぶりである。空母オリゲルドは三年前の就航だから、エスハイネルが艦内配置を知るはずがない。仮に、エアロックの場所とそのどれが開くのかまで分かったとしよう。それでも、開いた隙に飛び込んでくるなんて芸当は、ヤツには到底不可能だ。

 逆に、赤い薔薇の内部に関する資料も、我々は持っていない。戦闘員が突入して艦橋なり艦長室なりを突き止め、ヤツを捕まえて戻ってくるなど、無謀すぎて作戦として成立しない。

 ヨロメーグは、艦橋の中央を歩き回りながら徐々に考えを変えた。これまで、スパイとの連絡にマツーを介在させたことはなかったし、敵の間では彼は猛将と恐れられている。だから、その人柄を知らないエスハイネルが頼ってくるはずがない。だが、ブルックリーバー将軍からアドバイスがあったのなら、話は別だ。ヤツが単純にマツーの善意に期待し、救出を待っているという線もあり得る。

「もう時間が無い。私は予備艦橋へ下がっているから、マツー君、丁重に迎えてやるように。不測の事態に備えて、ベーゼンドルクも準備させておく」

「お任せください」

 マツーは立ち上がって敬礼したが、ヨロメーグは軽く右手を挙げただけで艦橋を後にした。


   3


 艦橋の真下にある予備艦橋の指揮席に、ヨロメーグは腰を下ろした。狭くはなったが、指揮には適した空間だ。周囲では十名ほどのオペレータが非常時に備えて戦闘をモニターしている。

 室内が小刻みに震動し始めた。

「赤い薔薇との距離、二五〇キロ。互いの電磁シールドが干渉し始めました」

「波長補正開始。九〇秒後に相殺されます。第一八、二六、四一番ゲート開放準備」

「敵艦載機群、接近中。二〇〇秒後より、迎撃開始」

 艦橋の方ではそんな明瞭な声が飛び交っているが、こちらはそれを聞いているのみだ。いよいよ、白兵戦が始まる。マツー将軍の勇ましいことよ。

 三座四座の格闘機で突入するのだろうが、オリゲルドのように格納庫と複数の離着艦口がすべて通じた構造とは限らない。生身で敵艦内を侵攻するのはガズミク人に相応しくないが、避けられないだろう。こうなると、ベーゼンドルクは後方支援に回るしかない。

 六年前の「黄色い薔薇事件」のこともあるから、あの時の同型艦を不自然な形で葬るのは避けたいとは思っていた。それでも、一撃で破壊する道が閉ざされるのは痛い。

 赤い薔薇が完全に開花した。と同時に、エンチャーの部隊も後退せざるを得なくなった。艦載機が無いのがかえって幸いしたか、一二枚の甲板から張られた弾幕は、こちらの侵入を一切許さないのだ。

 さすが名参謀。この艦型の戦闘記録にこんな戦術は無かった。

 敵の艦載機が次々本艦に急接近し、一撃離脱で赤い薔薇へと吸い込まれていく。ここは美しい戦場だ。

「赤い薔薇から、ガズミク標準プロトコルで入電」

「艦長室からか?」

 上の艦橋では、オペレータがマツーの質問に口ごもった。

「かまわん。回線を開け」

 メインパネルに映ったのは、敵機のコックピットであった。乗員は二名。後席の一人がヘルメットを取ると、先ほどより引き締まってはいたがエスハイネルに間違いなかった。

「第二甲板左翼から発進します。カタパルトが点滅するので、確認して回収してください。機体は青いアスロックです」

 用件だけ述べると、ヤツは前席の者に手先で合図をしてヘルメットを被った。操縦など出来ないから、パイロットを連れてきたのだろう。あのパイロット、ガズミク基準言語は理解できないまでも、状況ぐらいは分かっているに違いない。

「閣下。エスハイネルを帰還させてよろしいのですね」

 ヨロメーグは、この部屋へ降りて初めて声を掛けられた。答えは当然だ。問題はこの先である。

 善人には一芝居打ってもらうとしよう。いや、芝居ではないな。彼なりの考えで尋問してもらうということだ。

「マツー将軍。手筈通りにな。私は頃合いを見て出ていく」

 それにしても、オリゲルドの防御は鉄壁である。ダメージなど、自動修復で対応出来るものばかり。それに引き替え、赤い薔薇の萎れたこと。大破は免れたが、しばらく戦場で会うことは無さそうだ。

「赤い薔薇、急速後退中。エスハイネル士官の艦載機は、エンチャー士官が曳航しています」

「亡命してくるのか?」

「いや、スパイで潜入してたって話だ」

 艦橋の方では、珍しく私語も混ざって慌ただしい様子である。

 ムチの準備はいいが、アメも用意しておかねばならない。ヨロメーグは要塞艦ハンニバルへの回線を開き、ある交渉を始めた。


   4


 防弾の透明スチールで囲まれた小部屋を、マツー将軍たちは艦橋から、ヨロメーグは予備艦橋からモニタで眺めていた。尋問室である。艦橋を映し出した大きなパネルが壁に埋め込まれているだけで、スイッチ類は何も無い。

 そこへ、銃を構えた三人の衛兵に囲まれながら、エスハイネル士官が入ってきた。わが軍標準の褐色の軍服姿なのは、艦載機に乗る際に軽装宇宙服を着ていたため、適当な着替えが無かったという事情である。

「ガズミク第一機甲師団作戦司令室所属、ハワーズ・エスハイネル士官です」

 彼はパネルの向こうのマツー将軍に敬礼した。

「帰還ご苦労。あちらでは、モリノ艦長が乱心したと騒ぎになっているな」

「いいえ。副長と管制室長には事前に話しました。でなければ、こうスムーズにはいきません」

 マツーはアゴに手を当ててため息をついた。

「どこまで話したんだね?」

「自分はガズミクのスパイだと。それで、帰還に失敗すればデルハーゲンごと沈められると話しました。八日前の警告射撃が、妙なところで役立ってくれました」

 マツーは大振りな艦長席に深く座り直し、またため息をついた。

「よく指揮系統が乱れなかったものだな。君は戦術家としても指揮官としても大した人物のようだ」

「いいえ。私は事務屋ですから。提督が優秀なのです。今は不在ですが、我々は彼の考えた戦術を使ったに過ぎません。体制軍はよく統制されていますから、こうしたやり方がうまくいくのです」

 マツーがまた座り直したので、ヨロメーグは彼の苛立ちを心配しなくてはならなかった。感情を押し殺しているにしても、このスパイの言動は淡々としすぎている。我々に暗殺されかかったことに気づかない鈍感な男ではあるまいに。

「戦術とは、艦載機運用のアイデアのことか? それとも」

 話の流れに従っただけの雑談に近い質問に、思いがけずヤツは食いついた。

「アイデア一つで戦えるものではありません。将軍もご覧になったはずです。緻密に設計された戦術でした。鉄仮面……、いえ、このビショップ級でなかったら、確実に沈めていました」

 鉄仮面とは、言い得て妙。黒とシルバーに塗られた厳つい艦体。オリゲルドは空母にしては離着艦口が小さく、運航時の表情に乏しい。その上、被弾しても表層さえ破損しない重装甲。だが、ビショップ級よりワンランク下のナイト級に過ぎない。

「提督の名は、フランツ・リライト・イワシュー准将。わが国ならメンバーズエリートの称号を与えられてます。確実に」

 イワシューとは、聞かぬ名だ。その話は後でするとして、ブルックリーバー将軍の件を急がねばならん。マツーは本題に入る前に相手を知っておく考えだろうが、時間が無い。ヨロメーグが指示を出そうとした時、エスハイネルが先にしびれを切らせた。

「尋問したいことは、他にあるでしょう。シリンの情報は、ブルックリーバー将軍に渡しました。情報の真偽を確かめるため、サンサダール・チェスキーへ飛びましたが」

「飛んだとは……」

 饒舌になった事務屋は細い目の奥を光らせ、マツーが口にしかけた質問さえ無視して続けた。

「監視システムをすり抜けたんでしょう。チェスキーの亡霊ですよ。あちらには、昔、第二次移民が旅立つ時、大規模なサイコ・テロが起こったという伝説がありましてね。新天地の場所を知らせないために、超能力で地球人の記憶やコンピュータの記録を消したといいます。当時のチェスキーの科学力なら、あり得ない話ではないでしょう」

 その時の超能力波か何かが、第二次移民の拠点だったチェスキー星系にまだ残っているというのか?

「では、八日前の敵の長距離巡航艦隊と、ひと月前からの青い大型艦の所在不明の件も、シリンと関係しているのだな」

「いいえ。あれは反乱の鎮圧です。イワシュー提督も派遣されました。私見ですが、この一件で体制軍は大きな戦力を失うことになるでしょう。反乱軍を指揮しているのは、彼以上の名将という噂ですから」

 ガチッ。三人の衛兵がほぼ同時に銃を構え直した。心労のためか、エスハイネルが体のバランスを崩し、左手を壁についたのである。

「任務は十分に果たしたと存じますが、マツー将軍、私を本部へお連れくださいますね?」

「本部とはハンニバルか? それとも、ガズミク本国へ帰るというのか?」

 尋問室のドアが開いた。衛兵たちがエスハイネルに銃口を突きつけたのは、ヨロメーグが入室してきたからである。

 今の自分に比べればたいがいの人間は小柄だが、間近で見るスパイはえらく小さく感じる。

「茶番だな、マルオ・モリノ大佐殿。善人マツーも、言われるほどの善人ではないということだ」

「ヨロメーグ閣下。そういうことでしたか。軍法会議にはかけていただきますよ」

 二階級も下の者が上官を脅す。感化の度合いは深刻なようだ。重大な背任行為を犯した者を、生かしておける道理がない。

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