二 異なる世界で新しい暮らし

 やっぱり夢だったんだ。ダイスケは毛布の感触を頬に感じている。あれ、でもおれ裸で寝たっけ。

 それに空気がちがう。自分の部屋のかぎなれた臭いではない。最近母さんが嫌がるようになったあの臭いではなく、もっとさわやかな、野山のような匂いだった。

 額が濡れている。はっと目を覚まして上体を起こした。濡れた布が額から落ちて胸から腹にかかった。

「お目覚めになりましたか」

 横で女性の声がする。自称女神、いや、サイ子よりは大人っぽい感じだ。そちらを向くと、ベッドのわきに椅子を寄せて女性が腰かけていた。編み物の道具がサイドテーブルに置いてある。

「どうかそのままになさっていてください。神の子よ。すぐに女官を呼んでまいります」

 その女性はすぐに部屋から出ていった。周囲は石と木でできており、ダイスケの部屋とおなじくらいだった。部屋にはベッドやいす、サイドテーブル以外なにもなく、収納もなかった。窓はただ壁に開いた穴で、覆いは開け放ってある。さわやかな風はそこから流れ込んでいた。

 まだ夢は続いているらしい。こんどは神の子と言われた。なにがどうなっているのか。まあ、待っていればわかってくるだろう。逃げようにも裸だし。

 そこへさきほどの女性がもうひとり連れて入ってきた。その態度や服装、装飾品を見れば身分が上なのはわかる。どこの世界でもえらい者はえらそうな格好をしたがるのだろう。


「神の子よ。ようこそわれらの元へいらっしゃいました。歓迎いたします」

「あ、これはどうもごていねいに」

 そう言ってから、自分だけ裸なのが急に恥ずかしくなり、毛布を上半身まで引き上げた。それを見てふたりとも微笑む。えらいほうの女性がうしろに控えている女性に手ぶりをし、持ってきた服を着せてくれようとしたが、ダイスケは自分で着るからと断った。

 服は植物の繊維で織られているらしく、薄い茶色でごわごわしていた。下着と上着があって、それぞれ上下に分かれている。

 下着は毛布の下でごそごそやって着られたが、上着にジッパーやボタンはなく、すべて革の紐か帯でとめるようになっていた。ダイスケはしばらくあちこち試してみて降参した。

「ごめんなさい。着させてください」

 たまらなくなったのか、格下の女性が笑いをこらえながら着せてくれた。衣服はここの者の普段着だと言うが、ゆったりしていてよゆうがあり、紐や帯で調節してもらうと悪くはなかった。それを注意深く観察する。次からはひとりでできるようにならないといけない。手順さえわかれば簡単そうだった。履物はサンダルだったので迷わずに履けた。

「よろしい、下がっていなさい」

 その女性は一礼して部屋を出た。ダイスケはどうもと礼をする。たまらなくなったのか大笑いする声が廊下からきこえてきた。

「もうしわけありません。神の子よ。手伝いの子は村から来たばかりで礼儀がなっておりません」

「いえいえ、気にしないで。お世話をかけました」


 その女性はそばの椅子に腰を下ろす。背筋をのばしてこちらをまっすぐ見ている。あらためて見ると思ったより若いかもしれない。

「ところで、ぼくは寝ていたようですが、前後の記憶がありません。ここはどこで、いつごろでしょうか」

 相手の物腰がやわらかなのでダイスケも合わせた。サイ子の時とはちがう。

 相手はそれをきいて驚いたようだった。しかし、さきほどの女性のようにはっきりとは表わさない。

「あなた様は神の子です。それだけです。ここは神殿に付属している女官用の住居で、いまはサイ歴四十五年、花の月の二十五日です」

 なるほど、とダイスケは思った。役に立つ情報をありがとう。たいへんよくわかりました。さて、もっとかみくだいて教えてくれる人はいませんか。そうどなりたくなったががまんした。

 必要な情報を得るためにはばかにならないといけない。自分はものを知らないと言うことを知るべきである。そういう教えがあるが、いまほどそれが身に染みた時はなかった。

 まずは名前から始めよう。いつまでも「神の子」なんて呼ばれてたまるか。

「すみませんが、ぼくはフルヤダイスケと言います。あなたは?」

「まあ、お名前を教えていただけるとは思ってもいませんでした。たいへん名誉なことです。わたくしはイチバンともうします」

「イチバン……、さん(変わった名前だな。でも、判断は後。いまは情報を集めなきゃ)」

「はい。それにしても神の子のお名前は長いのですね。それに神にかかわりのある方のはずなのに数字が入っていない」

「はあ、まあ、数字が入ってる人もいますが、ぼくは入ってないんです。あ、それと、名前が長いようならダイスケで結構です。神の子は勘弁してください」

「はい、か……、ダイスケ様」

「できれば、様も取っていただければ」

「まあ、ご冗談を。さすがにそれは失礼でしょう」

 イチバンは笑って取り合ってくれなかった。

「ぼくはどうやってここに来たのですか」

「もちろん、神殿地下の『預言の池』を通ってです。いつもは神の意志があらわされるのですが、昨夜あなた様が突然水中から出現しました。素裸で、すこし熱っぽかったので皆でここまで運んでお休みいただきましたが、熱は取れたようで良かったです」

「神の子、とおっしゃいましたが、ここの神はなんと言うのですか」

 この質問にはイチバンも驚きを隠せなかった。じっとダイスケの顔を見つめている。どうやら頭をフル回転させてこの状況のつじつま合わせをしているようだった。

「そうでしたか。ダイスケ様はただの神の子ではなく、試練の子なのですね。それで理屈が通ります。白紙のように真っ白な方を遣わされてわれらの信仰を試されようと言うのでしょう」

 イチバンは天を仰ぐ。

「神よ、至高なるサイ様。あなたの試練、たしかにわれらが受けました」

 サイ様、と言ったのか。年号もサイ歴だったし、嫌な感じしかしない。

「その、サイ様ってのはサイ子とも言いますか」

 仰いでいた天からふりかえったイチバンの顔は驚きを通りこしてあきれととまどいがまじっている。しかし、すぐに冷静な表情を取りもどした。

「さっそく試練ですか。わざとそのような神聖名をおつかいになるのですね。たしかにそのようにも呼びますが、それはわたくしども人の子は口に出してはいけない名です。ダイスケ様は試練の子なので平気で口にできるのでしょう」


 どちらも口をきかず、静かになったところで腹がなった。

 どのくらい食べていないのか。サイ子のところでは初七日と言っていたし、ここに出現したのは昨夜と言っていた。でもそれはあてにならない。落下して『預言の池』から現れるまでどのくらいたったのかわからない。この腹だって信用できない。たしか、サイ子が体を作り直すとか言ってた。

 なにか手がかりはないのか。ないな。


 ダイスケは一瞬でこれだけ考えた。空腹は頭をさえさせる。

「あの、少々遅めですが、朝をごいっしょにいかがですか。わたくしどもが食べるようなものですが」

 たしか、サイ子は食べ物は食べられると言っていた。とりあえず、飯を食わせてくれるなら愛想よくしよう。

「はい、いただきます。それから、食事の後、ぼくが出てきた『預言の池』を見せていただいていいですか」

「もちろんです。か……、ダイスケ様。神殿周辺も案内いたしましょう」

 イチバンが先に立って食堂まで案内してくれた。ならんでみると頭ひとつ分背が高い。すらりとしていて、凹凸がなくて棒みたいだ。黒い髪は腰まで垂れていて、いい香りがする。

 歩きはじめた時に気が付いたが、その腰の背中側に短剣らしき鞘をぶら下げていた。リラックスしかけていたダイスケはまた緊張して周りを見回す。いざとなったら逃げる場所はあるだろうか。

 階段を降りるとすぐに食堂だった。この住居棟は二階建てで、一階が食事や風呂、トイレなど生活をするところで、二階が女官や手伝いの者たちの部屋になっているとのことだった。

「ここには何人くらいいるんですか」

「女官が六人。手伝いがふだんは三人、忙しい時には臨時にもう三人ほど雇います」

「みんな女性ですか」

「ええ、サイ様をお祭りできるのは乙女のみです」


 食堂の中央のテーブルに案内されると、さっきの人とはべつの手伝いが出てきた。イチバンの指示をききながらこっちを盗み見ている。そばかすが散らばっていた。

 食事が運ばれてくると、ダイスケは驚いた。皿の上だけがあまりにも元の世界とおなじだったからだ。目玉焼きにゆでたソーセージ、サラダ、味噌汁、ご飯。それを箸で食べる。味もおなじだった。目を閉じると朝のニュースがきこえてくるんじゃないかと思うが、鳥のさえずりしかきこえなかった。

 サイ子のやつ、世界をコピーしたって言ってたけど、むちゃくちゃ適当にやったんだな。

「お味はいかがですか」

「おいしいです。なんか食べなれてる感じで」

「まあ、お戯れを。神の世界の食べ物はこんなものではないでしょう」

「いや、こんなものです」

「お気に召したようで良かった。おかわりは?」

 ダイスケの食べっぷりを見て微笑んで言う。

「いただきます」

 ご飯を二杯食べ、お茶(これもおなじだった)を飲んでくつろぎ、トイレを済ませると、イチバンが神殿を案内しましょうと誘ってくれた。


 ちなみにトイレは天然水洗だった。質は悪いが紙まである。下に川から流れが引き込んであって、出したものが即流れていく。かなり流れは速く、どうやらここら辺は山の上のほうらしい。


 住居棟を出て、すぐとなりの神殿に向かうために外に出ると、想像通り高い山の上にいるとわかった。ただ、樹木が豊富に生えており、周囲のようすからしてもダイスケが考えるような修行僧がこもるタイプの山ではないようだ。第一、さっきの朝食からも荒行をしているような雰囲気は感じられなかった。

 神殿は山頂を削って建てられており、威厳を感じさせる浮彫が掘られていたが、中央に目立つようにサイ子がいるので台無しだった。また、建築様式がはっきりしない。ギリシャと日本の古寺をまぜたようなあいまいな建物だった。


 イチバンがふもとのほうを指して、村や川を教えてくれる。ミドリ村にオオ川。

 畑の作物は青くそよぎ、田にはられた水がきらめいて美しい。その風景もヨーロッパの田園に見えるし、日本の田舎ともとれるなんともピントのぼけた景色だった。そのさらに向こうには海がかすんでいた。漁港の町があって、オオカゼ町と言うそうだ。


 神殿の内部も似たようなもので、美しいが、これといった特徴的な装飾や、初めて見る工芸品などはなかった。すべて教科書や博物館で見たような物ばかりだった。もちろん、サイ子の彫刻や像はべつだが。だれも見ていないときに傷つけてやろうかと思ったが、あいつが観察しているだろうからやめておいた。


 地下の『預言の池』に降りると、階段の途中から湿気が増えてきた。池といっても直径五メートルほどで、自然の洞窟にたまった雨水と湧き水だと言う。あふれた水は少しずつどこかへ流れ去っている。天井付近に大穴が開いていて光がそこから差し込んでくるので、思ったより暗くはない。

 池のまわりには石が積んであり、床はお祈りをする部分だけ石畳がはってあった。きれいに掃き清められている。そのあたりだけ照らすようにかがり火の台が据えてある。そこにだれかがいた。


「ニバン、きのうの神の子、ダイスケ様を連れてきました」

 ニバンと呼ばれた背の低い女官はお辞儀をしてこちらにやってきた。

「ニバンは主に『預言の池』の管理をしているの」

 イチバンが説明してくれた。ダイスケより頭ひとつ半くらい背が低いが、イチバンより体形にめりはりがある。

「昨夜はどうも、と言っても覚えていらっしゃらないかしら。池から跳び出してきてわたくしを押しつぶしましたのよ」

「ニバン、そんなこと言うものではありません。ダイスケ様は試練の子ですのよ」

「ダイスケ様?」

 イチバンはニバンに朝の会話を説明する。ニバンは疑わしそうにきいていた。どうやらイチバンほど素直になにもかも信じているわけではないらしい。この人は頼りになるかもしれないと、ダイスケはニバンの反応を見て考えた。

「よろしくお願いいたします、ダイスケ様」

「ニバンさんですか。フルヤダイスケです。すみません。昨夜のことはまったく覚えてなくて。よろしくお願いします」

「ここへはなにをしにいらっしゃったのですか」

「自分の出てきたところを確認したくて。池を見たり水にさわってもいいですか」

 ダイスケは、『ここにはなにをしにきたのか』という質問は二通りに解釈できるなと考えたが、そのうちあたりさわりのない小さいほうの意味にとって返事をした。

 ニバンは胸がふれるくらいダイスケに近づいて下からじっと目をのぞきこんだ。近くで見ると少しふくよか気味だ。それから言う。

「いいわよ。変な人じゃないみたいだわ」

「ニバン、失礼すぎますよ」

「ごめんなさい。でも目に神聖さはないわ。面白い目をしてるけど。たしかに試練の子かもしれない」


 池はそれほど深くはなく、明るいうえに澄んだ水なので底までよく見えた。水草は生えていない。底一面、粒子の細かい泥が覆っているようだ。池のなかには出入口のような部分はなにもなかった。昨夜ダイスケが跳び出たはずなのに、泥がかき乱された跡もない。水はとても冷たかった。

「ここからどうやって跳び出てきたんですか」

「わからない。その瞬間はだれも見てないの」

 ニバンが答えた。その時にはイチバン、ニバンがいた。大きな水音がして、天井が剥落したのかと思ったら、ダイスケが跳び出てきてニバンを押しつぶしたと言う。

「素っ裸の男がこっちに跳んできたときには頭が真っ白になったわ。できれば今度からは予告してね」

「ニバンったら。口に気をつけて」

 池や池の周りを探ってもなにか手がかりのようなものはなにも見つからなかった。そもそもなにを探せばいいのかわからないのだからしようがない。ダイスケはニバンに礼を言って神殿の一階にあがった。後ろ姿を見ると、ニバンも帯に短剣を挿していた。


「あの、ほかの人たちは?」

「サンバンとヨンバンはミドリ村へ相談を受けに行っています。帰りは明日になるでしょう。ゴバンとロクバンはもう一人の手伝いを連れて村の向こうのオオカゼ町へ日用品の入手に行っています。こちらはもうすこしあとになるでしょうか。みんなびっくりして喜ぶと思います」

 イチバンは大きな黒い目をきらきらさせてダイスケを見た。

「あの、いつもはなにをなさっているんですか」

「もちろん、サイ様をお祭りし、神託を受け、それを解釈して村や町に伝えます」

「神託?」

「ええ、田植えの時期や、畑に植える作物の相談、漁場の選択、長期の天気予報、ほかに失せ物や縁組の相談。商売についてや引っ越しの方角。学業。そういった生活に関する諸々のことです」

(おみくじみたいな人たちだな)

「どうかされましたか」

「いいえ、それで、当たるんですか」

「もちろん。変なことをきくんですね。当たらない神託なんてないですわ」

 イチバンはさらりと答える。

「じゃあ、迷うことはないんですか」

「いいえ、決められないことばかりです。今朝もどのイヤリングにしようかさんざん迷いました。いかがですか。これ」

「きれいですね。似合ってますよ」

 愛想を言いながら、ダイスケは元の世界とのちがいがわかってきた。サイ子は自分の世界の住人に干渉しまくってるんだ。神託と言ってるけど。ここの人たちは重大な決断に迷うことはないのだろう。


 もしかしたら、という考えがふと頭に浮かんだ。ダイスケは自分の仮説を確かめるために質問してみる。

「あの、急に変なことをききますが、ここらへんを支配している人はいますか。王様とか」

「オオ様?」

「ああ、殿様でも、領主でも、貴族でも呼び方はなんでもいいです。ある範囲の地域を治めて政治をしている人はいないですか」

 イチバンは眉間にしわを寄せ、怪訝そうな顔をして考えている。ダイスケの言った言葉が理解できないらしい。「ちょっとお待ちください」と言って階下にかけていき、ニバンを連れてきた。そのニバンもはっきりと意味をつかめていない。

「ダイスケ様の言うのは、人々の上に立ってまとめる人がいないかってことですよね。それならミドリ村には村長がいますし、オオカゼ町には町長がいます」

「そう、そういう人たちです。どんな仕事をしていますか」

「どんなって……、質問の取りまとめと、過去に神託があればそれで回答してますよ」

 今度はダイスケがわからない顔をする番だった。イチバン、ニバンとしばらくやり取りをしてやっとわかったのはこういうことだった。


 村や町で決めなければならない重大な事態が発生した場合、まずはそこの年長者など代表がききたいことを簡単な質問の形にまとめる。

 そして、まずは資料庫にある膨大な過去の神託を探し、それで答えが見つかればそれでおしまい。

 回答が見つからず、まったく新しい質問だった場合は巡回してくるサイ子の女官にそれを託して回答してもらう。緊急なら代表者が神殿にやって来てきく。

 そうやって人々の生活は迷いなしに成り立っている。なんといっても神託だからまちがいない。これまで神託通りにして困ったことはない。

 そういう神殿は町や村などのそばにあり、規模にもよるが、この神殿はふもとのミドリ村、海沿いのオオカゼ町、合わせて千人ほどの面倒を見ている。この世界にはそういう神殿が一万ほどあると言う。


 だから、思った通り、ここには明確な支配者はいない。サイ子が直接人々の上にいるんだ。

「ありがとう。よくわかりました。でも、神託に従わなかったり、捏造してだまそうとする奴はいないのですか」

「おりませんわ。なんの得にもなりませんもの」

 イチバンが答え、ニバンはばかにしたような目でダイスケを見る。そのニバンの顔を見て、ここらへんで自分の立場をはっきりさせておこうと思った。その結果、ここを放り出されてもいい。なんとかなるだろうし、誤解されたままでいるよりましだ。

「あの、ぼくについて、ここに来た経緯などをきちんとお話ししたいのですが、おふたりとも時間をください」

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