第56話 山田太郎殺人事件 09
◆
夕食は、山田を除いた全員が食卓に着いていた。従業員三人も、そして最初の案内の際に欠席していたイチノセも食卓に着いている。
ヤクモは宣言通り、鳥と魚をメインにした豪華な食事を提供してきた。
うむ。見ているだけでよだれが垂れそうだ。
匂いもかなり良い。
そんな料理を目で見ながら、私は哺乳瓶内のミルクを吸っていた。気分はうなぎの匂いをおかずにご飯を食べているようなものだ。いつの時代の知識だ。私が知りたい。
「では皆様、明日は朝九時に『幻の塔』の前に集合願います。そこで、今回のモニターを実施いたします。それまではどうぞごゆるりとおくつろぎください」
ニイが、みんなが食事を終えた頃にそう告げる。
夕食を終えた皆はそれぞれ散開すると思いきや、意外とほぼ全員、娯楽室へと集まっていた。かなりくつろげるスペースなので、部屋よりも居心地がいいのかもしれない。
娯楽室ではミワとサエグサとポンコツ刑事がビリヤードをし、ゴミは椅子に揺られながら本を読んでおり、ロクジョウはテレビでお笑い番組を真顔で見ている。イチノセとシバはどこかにあったのだろうトランプを使ってポーカーをしていた。因みに母親は老警部と何やら話をしているようだ。何の話をしているかは聞き取れない。ヤクモとニイは明日の仕込みでもあるのだろう、姿を見せていない。
そして私は、兄に付き添ってもらいながら、ゆったりとその様子をベビーカー上で眺めていた。本当は卓球をやってみたいのだが、身体の大きさが付いていかない。腕の筋肉も足りていないだろう。大きくなったらやってみよう。
さて、そんなスポーツへの思いを馳せていた所――
突如、娯楽室の空気が変わった。
その理由は簡単だ。
山田太郎が入室してきたからだった。
ラバーマスクの彼は顔だけでぐるりと周囲を見回すと、左手で持ったペンでタッチパッドの表面を叩く。
『みなさん、おくつろぎの所申し訳ありません。
不躾ながら、私も少しみなさんにお聞きしたいことがあったため、
この場に参じさせていただきました』
「聞きたいこと? 何ですかー?」
ビリヤード台から離れ、ミワが真っ先に反応する。彼女は唯一、山田に物怖じしないように見える。
「ふっふっふ……この女刑事にお任せください。私は聞き上手と言われる女ですよ」
あ、違った。
ポンコツ刑事も物怖じしていなかった。
というよりも、ポンコツだから何も考えていないかもしれない。
その二人が前に出て山田の話を聞く。
私も興味があったので、兄に『キコウ』とメッセージを送り、よりタブレットの文字が近く見えるように移動する。
そしていつの間にやら、山田を中心に皆が耳を傾け――いや、目をタブレットに向けていた。
『さて、みなさんにお聞きしたい事ですが』
山田は問い掛ける。
『みなさんは「
現実館事件。
名前的にはこの『幻想館』と真逆のようだ。
勿論、私は知らない。
だが、何人かは知っているようだ。
空気が、明らかに変わった。
「つまり貴方が犯人ですね」
空気を更に微妙に変えた奴がいた。
というか、自身は変わらない奴が一人いた。
……本当にポンコツだ。ある意味すごい。
何も話していないのにそう言うのはおかしい。母以外にもそう言うのか。訴えられるぞ。
『ははは。私は犯人ではないですよ』
山田は笑い声を上げずに肩を揺らすだけで微笑を表現しながら続ける。
『この事件は五年前に「現実館」というとある山奥にある洋館で起きた殺人事件ですよ』
「さ、殺人ですか!?」
ポンコツ刑事が声を跳ね上げる。お前は刑事なんだから殺人くらいでがたがたするな、なんて言わない。人間だし、仕方ないだろう。実際に殺人事件に出くわした私がおかしいのだ。〇歳なのに。
自覚しよう。
どんな事件なのかわくわくしている自分が異常なのだと。
『館で一人の女性が殺害されました。死因は刺殺。容疑者はその洋館にいた人達全員。嵐が到来して陸の孤島と化しました。つまり、犯人含め、館の中に閉じ込められたのです』
「あっはー。ミステリー臭がぷんぷんしてきましたねえ」
ミワが眼を輝かせた。私も輝いていると思う。似たものかもしれない。
「ふんふん。で、その先は?」
『結局、その刺殺した犯人は分かりました。その場には何人も優秀な思考を持った方がいましたから』
「えー? 謎はー? トリックはー?」
『密室という謎があったのですが、蓋を開けてみれば背中を刺された被害者が身を守るために自分で鍵を閉めて絶命した、ということでした』
「なーんだ。そりゃ拍子抜けだわ」
ミワに同意する。
そんなの密室と言わない。
『しかしこの事件ですが、最後にもう一つ、展開があったのです』
「え? なになに?」
『犯人は最後の悪あがきとして、館を火の海に包ませました。逃げ遅れた人、親しい人を助けようと身を犠牲にした人、それ以外にも色々、ですね。この火事の方が、殺人事件よりも犠牲者が多かったです』
それも結局は殺人だろうと思う。だが、ミステリー的な意味合いでは言う通り異なるだろう。
『この「現実館事件」はむしろ、この火事の中での方がミステリー要素が多いのです』
「どんなのがあるのですか?」
ポンコツ刑事が問うと、山田は少し考えた後にタッチパッドを操作する。
『例えば、火事場から見つかった首切り死体とか、館から消え失せた大金とか、後はいるはずもない所にいた少女の亡骸など』
「――ふん。本当につまらねえ話だな」
いいところで話の腰を折る者が一人。
「なんでそんな辛気臭い話を聞かなきゃいけねえんだよ、おい」
「おい、イチノセ。何で突っかかるんだよ」
シバが止めるが、イチノセは山田にツカツカと近づく。
「何とか殺人事件とか知らねえけどさ、そんな昔の話をして何の嫌がらせだよ、ああ?」
『嫌がらせ、ですか』
山田がタッチパッドを操作して首を横に振る。
『そう感じるのは、あなたがどれかの事件にかかわっていた、ということですか?』
「ッ!? はあッ!?」
イチノセの顔が真っ赤になる。
「何言ってんのマジ有り得ねえふざけてんのか、ああっ!?」
「おいイチノセ!」
「っざけんなよてめえ! 顔見せやがれ!」
イチノセの手が山田のラバーマスクに伸びる。
が、次の瞬間。
ふわり、とイチノセの身体が舞った。
直後に、ダン、という大きな音。
イチノセが背中を地面に叩きつけられた音だった。
「っ、てぇっ……」
イチノセが唸る。大した怪我はしていないようだ。
それはイチノセの受け身が上手かったわけではない。
山田の投げ方が上手かったのだ。
『やめてください』
山田は息を全く乱さず、タッチパッドを操作する。
『私のマスクを剥がそうとするものは、誰であっても許しません』
無表情。
無声。
文字だけなのに、異様な恐怖が、そこにはあった。
「っくしょうふざけんな!」
イチノセは立ち上がると怒声を上げ、
「マジむかつく! てめえとなんかいられるかくそっ!」
「お、おいイチノセ」
シバが止めるのも振り切り、顔を歪めながら娯楽室を退室していく。
残された面々に、何とも気まずい空気が流れる。
『お騒がせしてすみません』
「いいえ、山田さんの所為ではないですから」
シバが首を横に振る。
「あいつはよく分からない所でぶちぎれるところがあるんですよ。子供の頃から、ちょっとずれているというか……なので、あいつが全面的に悪いので、山田さんは気にやまないでください」
『そうはいきませんよ。一度、謝罪に行ってきます』
そう言うなり、山田も駆け足で退室して行った。
「……ふう」
シバが全くやれやれ、と深い息を吐く。
「本当にすみません。イチノセは人に絡むことがかっこいいと思っているのか、結構つっかかるのが多いんです。小さい頃から思考が変わっていないという馬鹿というか」
うむ。私も気を付けよう。
〇歳の時と思考が同じだと言われてしまうとショックだからな。
もっとも、私の場合は逆の意味になりそうだけど。
「シバさんってよくイチノセさんに付き合えますよね。あっはー」
「……本当、腐れ縁ってすごいよなあ」
ミワの問いにしみじみと言葉を落とすシバ。苦労してそうだなあ。
と、そこで扉が開く。
二人が戻ってきたかと思ったが、入ってきたのは違う人物だった。
「皆様、お楽しみでしょうか? お飲み物を持ってきました」
ニイがワゴンを引いて、にこやかに声を掛けてきた。
が、その笑顔はすぐに強張る。
「……と、どうなされましたか、皆様? 何かありましたか?」
「えっと、実は……」
シバが口を開いた所、
『すみません。私のせいです』
ニイの肩を叩き、左手に持ったタッチパッドを見せるのは、ラバーマスクの彼。
「あ、えっと、山田様。どうなされました?」
『私がケンカを起こしてしまったが故に、空気を悪くしてしまったのです。申し訳ありませんでした』
山田が頭を下げるのと同時に、シバがおずおずと手を上げる。
「あの山田さん、やはりイチノセは……」
『申し訳ありません。部屋に引きこもってしまわれました』
「あーあ。やっぱりそうか。……ま、どうせ明日には機嫌直っていると思うんで、気にしないでください」
手をひらひらと振って、シバは山田に向き合う。
「話を遮って申し訳ありませんでした。山田さん、続きの話をお願いします」
『ありがとうございます。でも、私ももう聞くことは最初から一つしかないのです』
山田は右手の人差し指を立てた後、タッチパッドで文字を打つ。
『五年前の「現実館事件」について、何か知っている人はいますか?』
最初と同じ質問。
だが、全てを聞いた後は違う質問になる。
現実館で起きた、事件。
正しく言えば、殺人事件の後の、火事の中で起きた事件。
このことについて知っている人間がいるのか。
そういう問いだ。
何故、その問いをするのか。
そのことについて、私は本日、ミワが口にしていたある言葉を思い出す。
『五年前、燃えさかる洋館で起こった不可能犯罪の真実を暴け――』
五年前。
燃え盛る洋館。
この二つのキーワードが一致するなんてほとんどない。
更に、当時の館と今、私達がいる館が対称の名前である。
完全に関係があると言い切ってもよいだろう。
だからこそ、彼は応募したのだ。
このモニターを。
――五年前の何かを探るために。
「……」
だが、予想に反して皆は口を閉ざした。
見た限り、本当に知らなさそうな反応は五人。
サエグサ。
ポンコツ刑事。
母親。
兄。
そして意外だが、ニイ。
「あれれ? ニイさんは知らないの?」
ミワが素早く問いを投げると、ニイは首を傾げる。
「と、言われましても、私は『現実館事件』というのは初耳でして、何のことか分からないのです。この『幻想館』と真逆の名称だな、と思ったくらいで」
「キャッチコピーは?」
「五年前、とか、燃え盛る、というところがリンクしますね、と思いましたが、あれは上の者が付けた煽り文句でして……実際の事件をモチーフとしている、ということ存じ上げておりませんで……」
しどろもどろでそう答えるニイ。まあ、企画者と管理責任者は違うし、仕方がないか。
『分かりました。みなさん、ありがとうございました。すみません。くだらない質問をして』
山田は皆に向かって一礼をする。
『ではこれにて、私の方は失礼させていただきます。みなさん、よい夜をお過ごしください』
「あの、一つ質問良いですか?」
退出しようとしていた山田を引き止めるように、ずっと黙っていたゴミが、そう声を掛けた。
「どうして山田さんは、先のような質問をしたのでしょうか?」
『先のような、とは?』
「『現実館事件』について知っているのか、という質問をです」
『簡単な話ですよ。調べて解決したいのです』
山田はさらさらと右手を動かし、続けて次のように書いて見せてきた。
『私をこんな状態にさせたあの事件そのものを、徹底的に』
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