第29話 思い詰めた瞳

 ミカは落胆した。亮があまりにそっけない。もう、自分に関心がなくなったに違いない。何もかも絶望した。

 ミカは戦闘訓練に行かなかった。学校を休み、もう時空研にも行きたくなかった。時空研での地球と人類の運命を背負った使命のことを思い出すのが嫌だった。守護霊の押し付けも煩わしかった。戦士になれとか、地球に対する責任とか、重苦しい、そして殺伐としたありとあらゆる事が耐えられなくなった。そうしてミカの中で緊張の糸がぶっつり切れた。同時に孤独の闇は一層増していった。自分に迫ってくる闇に恐怖が募り、ミカはどんどん追い詰められていく。

 ミカはたまらず電車で渋谷に向かった。都会の雑踏に自己を、埋没させたい。カラオケ屋に入って唱った。久々だった。カラオケで何時間唱おうと、歌手になれる訳じゃない。マイクをソファに放り出し、唄うこともやめて、ミカはカラオケボックスを勢い良く飛び出して、そのまま渋谷の街中を走った。あまりにも遠い、自分の夢が。人込みを突っ切ると、走る来栖ミカは目立っていて男達の視線が集中する。心地よい。

 チクショウ! この力を使って芸能界デビューできたらいいのにな!

 変身してやる。平行宇宙で体験したスーパーアイドル歌手来栖ミカのステージ衣装になってやる! ピンクのミニスカート、光沢のある生地の細部まで覚えているんだから。華々しくステージで唱った体験は、これから起こる未来を示しているに違いないのだ。そう思うと、急にワクワクしてくる。しかし人前でいきなり変身するのははばかられた。人の通らない裏路地を見つけると、イメージを描き、集中させる。

 ミカは特訓で鍛えたアストラル波のエネルギーを、イメージで具現化させた。学校の制服が変容し始める。みるみるうちにミカはピンク色のミニスカートのステージ衣装に包まれていく。夢で見たあの衣装に。ミカは恍惚感に浸った。

 ミカは嬉しくなってそのまま背に白い巨大な翼を生やすと、夜の渋谷を飛び上がり、巨大モニターのあるビルの屋上まで上がっていった。羽が出現するのだから、服そうを変えるくらい簡単だったのだろう。屋上は風が心地よい。ミカは、渋谷の下界の喧噪を見下ろして、この格好であのスクランブル交差点のど真ん中に天使のように舞い降りたいと思った。

 背後に気配を感じ、ミカはハッと振り返る。

 睨んだ顔の守護霊が仁王立ちしていた。

「遊びで力を使うとは不謹慎な」

「何よ、文句でもあるの?」

 ミカはキッと睨んだ。

「お前の力は、真の力へと到達して敵を倒すためにあるのだ。決して遊びではない。お前には訓練が待っている。今すぐ戻れ」

 長い黒髪をたなびかせた守護霊の手には槍が握られている。

「こんな力なんか、要らないのよ! もう武者修行なんかやりたくない! 私は歌手になりたい。歌手になりたかった。戦う事しか考えないあなたに、わたしの気持ちなんか分からないでしょうけどね!」

 ミカは顔を背ける。

「訓練というものは、いいところまで行っても、途中でやめたら、また振り出しに戻ってしまう。獲得した感覚を忘れない内に、自己を究極まで磨き上げなければ、短期間での覚醒は不可能だ。もう時間がないのだ! お前を、お前がまだ知らない本当の自分へと導くために私はここに居る。お前がこの星のグリッドに点火し、真の力を活性化させるタイムリミットは迫っている。時が来るまでに、お前はなすべき事をなし、戦闘天使へと進化しなければならない……! なさずして時が過ぎ去った時に、お前は大事な事を失った事に気づくだろう。だがその時ではもう遅い。その時のお前の苦悩を、わたしは予想するから言っているのだ。それが、分からないのか!」

 誰も彼もが時間がないと言う。この黒髪の霊も同じだ。

「私が歌手になる事が余計な事だって言うの?! 守護霊ヅラしちゃって守ってくれるなんて言っても、私の気持ちなんて何も分かってないのね。そうよ、誰も私の気持ちなんか分からない! 那月もだめになっちゃったし、亮も私を見てくれないから、ヱンゲージも中止になっちゃって。私がどれだけ孤独で苦しんでるか、あんたもどーせ分かってくれないんだわ! 自分の都合のいい時だけ出て来て、もう出て来ないでよ!」

 ミカは振り向いて怒鳴った。ミカはあまりにも固く、厳しい守護霊から逃げたくて、喧嘩した。

「お前の覚醒までの道のり、それはお前自身がかつて決めた事だと、そうでなければ私はくだらん事に悩んでいるお前につきあったりはしない。わたしはお前とのかつての約束を果す為にお前を見守り、お前を新しい存在とするために導くために来た。だからこそ、この世界に居る。お前はかつて私と約束しただろう! それを忘れたとは言わせないぞ。私は、お前との約束を裏切らない!」

 女の霊は人さし指でミカを差す。

「そんな約束知らないわよ! 知る訳ないでしょう! あんたも伊東アイと同じようにあたしを利用しようとしているのね! フン、ヤなこった」

 ミカは否定するように右手を大きく祓う。

「かつてお前程の戦闘天使はいなかった。私はそれを知っている。お前はそれを思い出さなければならない。こんな事をしている時間はないのだ! こうしている内にも刻々時間は過ぎていく。選択の余地も、ためらう暇すらない。自分が今ここに存在している事の意味をよく考えろ、生きる意味をもっと切実に考えろ-------。それとも、逃避するような、そんな程度の生き方しかできないと言うのか?」

 守護霊のツヤのある黒髪がフワフワと風に靡いている。

「そんな程度の生き方って何よ! じゃああたしがこれまで何も努力してこなかったっていうの?! だったらもういいわ! あんたがやりゃいいじゃん! あたしを利用しないでよね! 誰もかれもがみんなあたしに偉そうに言う、使命だとか、あたしの心が地球の中心だとか、そういう話にはもううんざりなのよ。こんなあたしに何も期待しないでよ!!」

 ミカは今までの色々なムシャクシャを目の前の霊に全てぶつけて、立ち去ろうとする。

「お前は、わたしから逃げられると思うな。わたしからは逃げられない。お前のその腐った魂を根底から叩き直してくれる!!」

 守護霊は雷のような声で怒鳴った。

「フン、逃げてみせますとも、あんたなんか怖くないわよ!!」

 ミカは立ち止まったが、引かない。

「やれやれ、頑固なだけが取り柄か。タイムリミットが来れば、お前はこのままでは、奈落の底へと落ちてしまうぞ。--------それでもいいのか? 今ならまだ間に合う。お前を救えるのはわたししかいない。どうする、このまま落ちるか! それともお前のかつての力を取り戻して天高く飛翔するか!! さぁどうする!!」

 守護霊はミカの喉元に槍を突き付ける。

「どいつもこいつもわたしを利用しようとばかりして、すがりついてこないでよ! わたしは誰にも、偉そうに説教される覚えはないわ。わたしはあんたが何と言おうと、やる気はないんだから」

 ミカはムカッとして、また背を向けた。

「自分ばかりが何もかも、押し付けられているとお前はいつも言う。だが、この世界で起こっている事に偶然は一つもない。すべて宇宙で起こる事は必然があって起こっている。お前が魂の本質において同意してきた事だけが、現象の場で廻っているだけなのだ。この世界の事もな。全ての現象はお前の心と一致している。そしてお前は、それらの現象に耐えられるだけの力を持っているのだ。お前が耐えられないような試練は与えられない。何一つだ。巨大な試練を与えられているのなら、それはお前がそれだけ大きな力を持っているという事を示している……。だからお前はもっと自分を信用しなければならない。もっともっと自分の力を信じろ! そして力を出せ! それは何も自分が持っていない力を新しく獲得する事ではない。本当の自分自身に戻るだけだ!」

 こんなに饒舌な霊だったのか。普段むっつり黙っていたのは何だったのだろう。

 守護霊が言った事を、ミカも何となくは自覚していた。きっと自分は本質的に戦士なのだろう。けど、それだけがミカの本質ではないのだという確信がある。唱う事。それこそがミカの本質。それは絶対的確信として、自分の中にある以上、二者選択を迫られてはたまったものではない。

 だが、この守護霊は躍起になって、一本調子に戦いの事しか口にしてこない。その弁舌で守護霊の必死さだけは伝わってくるが、どうしてもミカとの食い違いが出た。本当に、一体何者なんだ、この霊は。

「真の力に目覚めたなら、もう眠ってなどいられない。お前は、その時、まるで違ったお前になれる。お前の人生は、その時完全に前後裁断される! お前のその負けず嫌いで頑固なところを、すべて力の解放にぶつけてみろ。すべてを……その一点に集中してみろ。そうすれば、爆発的なエネルギーの導火線になるはずだ」

 ミカは守護霊の思い詰めた目を見ていると、何となく可哀想に思えてくる。きっと、こういう言い方しかできないんだ。しかしここで、可哀想だと思ってはいけないと思いつつ、守護霊の目を見ているとどうしても同情心が芽生えてしまう。自分がここで拒否したら、きっとそれっきりだと分かっていた。何も守護霊が怒って自分を殺す訳はない。守護霊は追ってこまい。その後、ミカがどうなってしまうのかは分からない。だが、少なくともここで守護霊との関係は途絶えるだろうという勘があった。

 ミカは守護霊を睨んで言ってしまった。

「分かったわよ! やりゃあいいんでしょ! やりゃあ」

「お前は、親友の鮎川那月が堕ちたことで、覚醒に対する抵抗感がある。それが障壁となって、逃避へと繋がっている。仲間のためにも、お前は戦闘天使として覚醒し、乗り越えるんだ」

「えっ初めから見てたの?」

「そうだ、お前は……」

 最後の言葉は聞こえない。

 守護霊は姿を消した。ミカはビルの屋上から渋谷の街を見下ろす。

「分かったよ。私、きっと力を解放する。そして、あいつ、伊東アイの支配から脱出してやる。那月の為にも-------」

 ミカは渋谷のビルの屋上から、巨蟹市の解体区画へ飛んでいく。

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