第28話 サイレント・ペイン

「相談したい事があるんだ」

 亮が思い詰めた表情で、学校の帰り際にミカに声を掛けてきた。

「うちに、来てくれないか」

 久しぶりに亮に声をかけられて、ミカはドキドキする。

 亮は自転車で天秤市にある天秤ニュータウンのマンションの自室に、ミカを案内した。天秤ニュータウンは、ギリシャの白い街並を彷彿とさせる美しい新興住宅街である。ミカは心臓をバクバクさせていた。

 ミカを部屋にあげ、椅子を進めると、亮は話し始めた。

「どうもよく分からない事があって……このところ、俺は変なんだ。夜になると、急に体を動かしたくなって、部屋で飛んだり跳ねたり……。部屋でドタバタしてたら壊れるから、川辺に行って走ったり、シャドーボクシングしたりしてた。もしかして、君に起こっている出来事が何か関係しているのかなって」

「……さぁ?」

 ミカは、亮に守護霊との特訓の事を言うわけにはいかなかった。

「そうか」

「でも、あたしも、急にその……、なんか変な気分になったりするんだよね」

 ミカはうつむいて唇に人差し指を当てる。亮がじっと見ている。

「そうかと思うと、突然落ち込んだり。あたし、変だよね」

「……俺たち、銀河の渦みたいに一体化してるって伊東アイが言ってたけど、双子のテレパシーみたいにお互いの状態が分かるんだと思う。俺が弱れば来栖も弱まるし、来栖が強くなれば俺も強くなる。だからお互いの状態に、責任を持たなくちゃいけないと思うんだ。それで話し合おうと思ったんだ」

 亮は思い詰めた顔で言った。

「俺は、最近、ある人の幻覚を見るんだ。それが何で見えるのか分からない。だが、今すぐ時空研や、伊東アイに言うのはまずいと思って……信頼できるのは来栖しか居ない」

「幻覚?」

 ミカは、すぐに自分の守護霊の事を思い付くが、黙っていた。今、亮にも守護霊との訓練のことを話すわけにはいかない。それについてミカは罪悪感を抱いていた。だが亮も、同じようなアプローチをアストラル界から受けているのかもしれない。しかし、亮の口から出たものは、守護霊のような存在とは違って、ミカの予想を超えていた。

「実は、幻影って時輪ひとみなんだ」

 ミカは目を丸くした。亮は最初に携帯でミカと話した時、時輪ひとみは高校のクラスメートだと言った。時輪ひとみが、彼の母親の居場所を知っていると、亮は電話で必死になって叫んでいた。だが、今この再生された世界にひとみは存在しない、そうこれまで亮は言っていたのだ。異東京で、亮とひとみがどんな関係だったか分からないが、この世界に時輪ひとみが居ないことはミカにとって、正直ほっとすることだった。

 ミカは気が気でならなかった。最近亮の態度がそっけない理由がこれではっきり分かったような気がした。

「君には嘘は着けない。だから正直に言おう。ふと街に歩いていると、突然見かける。でも、探してもそこにはいない。幻覚だと思う。俺は、ひとみの事なんか全く考えていなかった。それなのに、彼女は現れる。実は、この部屋にも現れたんだ。でも、すぐ居なくなる。物憂げで、俺の事を見ているかと思えば見ていない。それでいて、魅力的で、俺をまるで誘惑してるようだった。こんなこと君に言うのは嫌なんだけど。俺の意思とは関係がないんだ。何でこんな幻覚を見るのか自分でも分からない。俺は彼女の事なんか考えていないのに、それとも俺は心の奥底で考えているのだろうか、などと思ってしまう。それで今、俺は思う。あの時俺は、ただ母さんを必要としてひとみに電話しただけなのだろうか?と」

 亮はひとみについて一人思いをぶちまける。まるで、そこにミカが居る事に気づいていないように。その事が、ミカにはショックだった。特に、時輪ひとみが魅力的であるという言葉に、そして夢中で話している亮に。亮は自分じゃない他の女の子の事を考えていた。いくら前の宇宙のクラスメートとはいえ。しかも、いやらしい。亮は異東京で時輪ひとみさんの事が好きだったんだ。私に出会う、ずっと前から。そして今でも好きなんだ。幻影で悩んでいる様子は、ミカには亮が他の女の子の事で頭が一杯になっているのと同じにしか見えないのだった。

「亮はずっとひとみさんの事を想っていたのね? それで、あたしたち、エンゲージができなかったんだ。あたしのことよりひとみさんのことが気になって仕方がなかったんだよね、もういい!」

 ミカはすねて、アヒルみたいに口を尖らせて立ち上がり、バタバタと部屋を出ていった。なんて馬鹿。せっかく亮が相談してくれたのに。写真を見た事もない時輪ひとみに嫉妬し、その感情をどうすることもできない。

 巨蟹学園の事件の時、ミカは鮎川那月に心を囚われていたのかもしれない。そして、今度は亮がひとみに囚われている。

 ミカの予想以上の反応に、残された亮は、激しく罪の意識に嘖まれる。

「違うんだ……俺は……」

 一人部屋に取り残された亮はテーブルの上に突っ伏した。

 時輪ひとみの幻影は、本当に奇妙だ。まるで自分とミカの間を引き裂こうとしているかのようだった。

(-------俺は来栖が好きなんだ。決してひとみの事なんか考えていないのに!)


 ミカは亮と完全に気まずくなった。学校でも時空研の日課でもミカは亮と顔を合わさないようにしていた。だがそうしたことでミカは再び孤独に陥った。入院中の親友・鮎川那月は、無論ミカの相談に乗ってくれるような状態ではない。むしろ、ミカが助けてあげなければならない立場だ。ミカは孤独に耐えられない恐怖に襲われた。孤独は大嫌い。だがすっかり孤独の闇が自分の周りを取り巻いている。寒い。辛い。孤独が怖い。闇が怖い。ミカは部屋で一人、ベッドにうずくまった。

 眼をつぶっていると、イメージが浮かんでくる。夕闇迫る巨蟹学園の学園祭、校庭で多くの人が集まってイベントを楽しんでいるのだ。だけど、暗がりにある隅のベンチに座るミカの周りには、誰一人居ないのだった。ミカは涙が止まらない。身体がガタガタと震える。だから夜になると、たまらず二階の自室の窓から飛んでいって解体現場に向かうのだった。ミカは守護霊との実戦特訓に無我夢中で打ち込んだ。学校より時空研より、特訓をしている時が一番生きてるという感じがする。今のミカは、厳しい守護霊と対峙していると、気がまぎれて亮の事を忘れることができる。


 時空研での二人の日課が済み、一人でヱルゴールドに向かって仕事をしている不空怜のところへ、亮が物言いたげにやってくる。ミカは先に帰っていた。

「まだ帰ってなかったのね」

 怜は眼鏡越しに微笑む。

「怜さん、相談があるんですけど」

 怜は二人の様子を見て、とっくに異変に気づいていたので、亮の方から怜に相談しに来たと分かって、ほっとした。

「俺が悪いって分かっているんです。来栖とすれ違う事が多くて-------。それが実験結果に出て、ヱンゲージが中止になったんだと思います」

「そうかもね……君達が、前みたいにうまくいってないって、私にも分かってた。君達の気持ちのすれ違いが、率直に反映してるなーって。特にミカの方がね。話さないけど、凄く深刻な状況に陥ってるみたい」

「俺は、どうすればいいでしょう。来栖にどうやって接したらいいんでしょうか?」

「君はもちろん、ミカの事好きなんでしょ?」

「はい」

「気持ちは冷めてないのね。でもミカは君がそっけないって悩んでるみたいよ」

「分かってます」

「じゃ何を悩んでいるのよ?」

 怜は椅子にもたれて腕を組んだ。

「うまく、感情を表せないのかもしれません。教室でも、時空研でも、彼女の顔を見ないようにとしてしまって、話し掛ける事もできなくて。凄く誤解されてると思います」

「なんで、そんなに避けるのよ」

 亮は、時輪ひとみの幻影のことを言うのを憚り、全て自分のせいにする他にない。

「ミカの、どんなところが好き?」

「それは」

 亮が照れているのを怜はおかしがった。

「教えてよ。誰にも言わないから」

「-------全部です。座ってるだけで可愛いし、来栖の話し方とか、甘くて、その声で凄く強気な事を言うところとかも------何もかも」

「可愛いもんねー。私が男でも、彼女にしたいよ!」

 亮は頷いた。

「そうですね」

「だったら何も心配要らないじゃん! その気持ちをあの子にぶつけたらいいじゃん! ミカは、君の事好きなんだからさ!」

 怜は両手で亮の肩をがっと掴んだ。

「……そうなんですけど-------」

「あのさぁ亮。女の子はね、男の子の愛をいつも確認してないと不安になるものなのよ。君が心の中で思ってるんだったら、形で示さなきゃ。愛されているという確かな実感があって、輝いてくんのよ。男の子の愛を沢山受ける事で、自分の存在を輝かせるのよ。愛されているという自覚が、女の子の存在理由となって、いきいきとさせ、もっとかわいくさせる。まぁあたしもそんなに経験ある訳じゃないんで、あたしが言っても説得力ないかもしんないけど、女の子っていうのは、そういうものなの。ミカは、君のアクションを待っているのよ。相手が好きだって分かってるんだから、悩む事なんか、なぁんもない筈でしょ? あたしが男だったら、どんどんもう-------。あたしなんか、君達がうらやましすぎるわよ」

「俺は、好きすぎて辛いのかもしれない、あまりに、意識し過ぎて、俺と彼女の間に、大きな壁があるんです」

「何言ってんの? 壁なんか、君が自分で勝手に作ってるだけじゃん? いい、ヱンゲージ計画はね、人の心を扱う繊細なものよ。君たちが意識的に壁を作れば、計画は阻むことになる。一度壁を作ったのだったら、君の方から壁を取り壊して、ミカの方へ一歩踏み出すの。とにかくやってみなよぉ!」

「…………」

「彼女の愚痴話でも聞いてあげて。ミカはああいう、ハキハキしているように見えて、発散するのがとても不器用なところがあるから。真面目なのよ。自分の中で必要以上に溜め込んでしまうのよね」

「……はい」

「まぁいいわ。年頃の君達だから、色々悩んだって当たり前。先は長いし、ゆっくりでいいんだからさ、積極的に努力してみな!」

「はい」

「よく相談に来てくれたわね。また報告して!」

 最初にミカと出会って以来、ミカが好きだという気持ち自体は、亮の中で燃え上がっていた。決して衰える事はない。どんどん募っていた。ミカが教室に居るだけで、時空研でちらっと見かけるだけでも亮は幸せだ。本当は素直に、ストレートに気持ちを表して、ミカの全てを受け入れたい。しかし思いが募ると反対に会話も減り、顔も合わせられなくなっている。


 その夜、亮は夢を見た。高校の教室の夢だった。ミカが出て来た。ミカは周りに五~六人の女子達に囲まれて、自分の手を見せていた。ミカは右手の薬指に指輪を嵌めていた。

「何これ」

 と一人の女の子が言う。ミカの右手の薬指の指輪は、二つ重ねて着いていた。

「何で二重にしてんの?」

 ミカは答えた。

「強く願いが叶うから」

 そこへ亮は近づいて言った。

「そんなの迷信だよ------」

 するとミカは亮を見て立ち上がり、ムキになって、

「何で?! 本当だよ! だって、私、あなたとどれだけ話したいと思ってるの? 私、あなたと話したいの! -------どうして話してくれないの。どうして学校で無駄話でもいいから話しかけてくれないのよ!」

 とキンキン高い声で叫んだ。怒り顔で、しかも悲しそうに。

「じゃあデートしようよ」

 と亮もムキになり言い返す。

「うん」

 ミカは怒ったまま即答する。

「カラオケいこう、カラオケ」

 亮は畳み掛ける。

「いいよ。いこう」

 ムキになった二人は、映画に行こう、ボーリングに行こう、海に行こうとあれこれとデートの約束をポンポン決めていく。

 それを見ていた一人の男が、亮に言った。

「いや、亮、この二重の指輪は本当でね、本当に願いが叶うんだよ。約束されてるんだ。こうしてるとね、君とミカが自然にくっつく事になる。二つの指輪は磁石みたいなもので自然に引き寄せ合うんだ」

 亮は気づいた。こんな都合のいい展開は夢だな。そう思った途端、目が覚めた。がっかりする。どうして夢って気づいてしまうんだ、いい夢に限って------。

 亮には、ミカをカラオケとか映画とかに誘う勇気がなかった。夢みたいに、あんなにスムーズに誘う事なんてできるはずがない。

 次の日、ミカを見ると、実際の彼女は指に何も着けていなかった。最近ミカの笑顔を見ていない。ミカの笑顔が見たい。だが結局、亮は自分の中の情熱とは裏腹な態度で、彼女を遠くから眺めることしかできない。自縄自縛。そんな自分の愚かさを、まるで呪いにも似た感情で見つめている。

 そしてその日も、相変わらず時輪ひとみの幻覚が出現した。

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