第7話 アースコアクリスタル

 気が着くと、ミカは闇の中に浮かんでいる。闇の漆黒の中に、かすかに遠くキラキラしたものが見える。光は遠くなかった。目の前に、白い光の粒子がキラッキラッと僅かな輝きを放っている。

 何だろうこれ、と両手で捉まえる。そっと両手を広げて、覗き込み、眺めてみた。

 小さな白い光の中心に、小さな青い光。地球が両手の中にあった。まるで消え入りそうな儚い地球だった。

「それよ。平和な東京は」

 遠くから怜の声が聞こえてくる。

 平和な来栖ミカの東京は、今にも消えかかっていた。

「えっ--------これが……、平和な世界の可能性? こんなに小さいの?」

「そう。平和の可能性が、わずかだけど、それくらい残っているわ」

 ミカの地球は、人類との共存を諦め、この世界を閉じようとしているのだった。両手の中に、新宿のホテルの屋上で座り込んでいる自分が居る世界を抱えたミカは、自分が以前何の疑問も持たずに住み、平和を享受していたその世界の気持ちを知った。両手から悲しい気持ちが伝わってきた。平和な世界は、辛抱強く、ずっと耐えている。だけど、結局は諦めるしかないのか、そういう悲しみの感情だった。

「待って、消えないで! 諦めないで。わたしの願いを聞いて」

 光はいっそう弱々しい。まるでホタルのような輝きだ。

「私は、バカな人間を代表するような女だけど、次こそ失敗しないって約束するから。あたしなんかが人類代表なんて、とんでもない話だけど、今度こそ生まれ変わる。だから、滅びないで。もう一度やり直して欲しいの。亮と会って、今度こそ、平和な世界を完成させてみせる。だからお願い! もう一度元気になって、元の姿に」

 幸せな地球は、薄明かりの裸電球を遠くで見るような青白い輝き。

 ミカは孤独。寒かった。寂しかった。誰でもいいから、みんなに会いたい。

 ミカの両目から音なく涙がこぼれていく。無重力空間でその雫は、一瞬にして結晶になってミカの周囲を回転し、やがて軌道を離れて消える。

 ミカは、地球に自分の願いが届かなかった事を知って、がっかりする。

 ミカは消えゆく地球を見つめていた。地球の小さな青い輝きを暗黒が覆い尽くす。見ていちゃ駄目だ。光を引き寄せなくては。このままでは、マイナスが勝ってしまう。

 ミカは眼を瞑る。耳をふさぎ、じっと心の音に耳を傾け、心の光を見る。ドームで歌った曲が響いてきた。ハートに光を感じる。その光を地球に流し込むのだ。

 手を耳から胸に持っていき、地球を抱いた。ミカは吹き込むようにメロディを口ずさむ。

 わたしは誰のために歌う? わたしは自分のために歌う。わたしは……。亮のために歌う。

 ドームで唱った歌を呟くように唱い続ける。地球は変わらず、沈黙したままだ。ミカは唄う以外に、何も手はない。

 ミカは光の中の小さな地球を胸に抱いた。地球の温かさが伝わって来た。ミカは長い事、小さな声で唱いながら地球を抱き続けた。永遠にも感じられる時間だった。ミカには分かっていた。消えようとしている世界を、ミカが引き止めているという事を。僅かでしかない囁くような光でも、光であるに違いない。このまま星と共に運命を共にし、来栖ミカは地球と同化する。そう決心する。

 世界の中心であるミカの生命を、この小さな地球に捧げる事ができれば、世界は生き延びる事ができるはず。たとえミカ自身が消えたとしても、ミカの生命は地球の中の一部となって生き続ける。だから心配ない。

 ミカは自分の生命エネルギーを世界に注入し始めた。意識が遠くなる。ミカの身体は像が薄く、ぼやけてきた。世界の始まりは寂しかった。

 ミカはエネルギーの注入を止めなかった。ミカ自身がどうなるかは知らない。

 ああそうだよこの感覚、温かい……。なんて力強い光。

 ミカは地球が光を増す事に手ごたえを感じた。……よし、いける。これ以上やったら危ない。だからミカは消える事を決心する。意識はどんどん遠のいていった。

 皆バイバイ!

 地球の中から音が響いてきた。地球の歌声か。


 屋上のミカは体育座りしたまま、歌を歌っている。自分が宇宙に浮かんだミカに見られているのを実感している。


 光は少しずつ強くなる。光は成長した。正二十面体と正十二面体が組み合わさった形の、完璧な美しさを備えたダイヤモンドの固まりだった。キラキラと輝く、惑星グリッドの形状の結晶体。純粋で力強い。気高く慈悲深い。バレーボールくらいになると、ミカの頭上に打ち上げられたダイヤモンドは、どんどん巨大化した。光のシャワー、大洪水。

 ダイヤモンドは今や一つの小惑星ほどまで成長していた。大きさは、たぶん東京二十三区をすっぽり覆うくらい。ダイヤモンドから発せられた光の洪水は、根源的なクリエーティブ・フォースであり、来栖ミカのアストラル体を浸透してくる。それだけでなく、遥かかなたまで飛び去っていく。

 エネルギーの注入で消えかけたミカが、逆流してダイヤモンドから生命力を与えられている。消えゆくミカは再び力を回復した。ミカはダイヤモンドの巨大なエネルギーの流れの中に、今度は身も心も溶けてしまいそうになった。ミカは、自分の身体がバラバラに吹っ飛んでしまうのではないかと思った。太陽の目前に立てばすぐに溶けてしまうように。なんだかそんな感覚だった。

 無限の力がダイヤモンドの小惑星から放たれている。照射された光は柔らかくなり、ミカを包み込んでいる。今までに感じたことのないくらいの絶対的な安心感。その瞬間、失恋、コンプレックス、焦り、怒り、悲しみ、今までの苦しみを忘れた。それらは今、足下の遥か下方に遠のいていった。

 ミカを生かしている力。ミカは両親よりももっと遥かな以前に、そこから産み出された。ミカを生み出し、一切をあらしめているもの。すべての存在は一つの巨大な存在を形成する一部だ。来栖ミカも、何かに産み出された存在だった。偶然が生み出したものは何一つない。一個一個が全体の中で、使命を持っていた。全体は一つを生かし、一つは全体のために。何一つ、欠けてはならない。全てが美しく、また完全だった。

 ミカは再び、かつての自分を思い出す。ミカと地球人が、滅亡に向かって突っ走った姿を。その結果地球を破壊した。それがさっきまでの自分のまぎれもない姿だ。ミカは、その種族を代表する一員だった。いや、他ならぬそんなミカこそが、世界の中心だったのだ。無性に悲しくなる。

 ミカが落ち込んでいると、巨大なダイヤモンドの小惑星は、突如パーンと周囲に弾け飛んだ。ダイヤモンドの光のシャワーがミカに降り注ぐ。

 粒子の中から、カラフルな鉱石が誕生した。何度も目を凝らして数えると、十二個の輝く鉱石だった。十二の鉱石は、ミカの周囲に回転した。ルビー、パール、アメジスト、エメラルド、金、銀、銅、サファイア、ガーネット、プラチナ、黒耀石、ビスマスの十二種類。十二個の石は、それぞれの輝きを放ちながら、それぞれの旋律を奏でながら自転し、ミカの周囲を公転していく。

 ミカは産み出された自分の宇宙を引っさげ、翼を生やして時空を越えて飛んでいく。虹色のトンネルを通り、自分が光になる。

 遠ざかる亮の宇宙へ向かって。光より早く。いやそうじゃない。光の速度は一定じゃあないんだ。無限大。だから自分と亮の間に、距離なんか関係ない。

 ミカの足下の、ずっと下に突然、大地が出現した。ミカはその上空に浮かんでいる。赤茶けた砂漠の大地。晶のジープに乗って走った、死んだ星の時空。それが亮の宇宙の未来の姿。そこまでたどり着いた。その大地に、さっき無数に砕け散ったダイヤモンドの雨が降り注いでいく。赤い大地は、ダイヤモンドのシャワーが降り注ぐと、次第に砂漠から緑へと変わっていく。世界が再生しようとしている瞬間だ、とミカは思った。

 宝石たちは、回転しながら、一個一個が光り輝く流星になって大地に飛び下りていく。その中でミカの周りに、ただ一つ、金だけが残った。金はミカの周囲を飛び回って、離れようとしない。

 金はミカの前を誘うように飛んでいく。「こっちだ、こっちだ」と言って、元気よく飛んでいった。

「どこへ行くつもり! ちょっと待ってよぉ!」

 ミカは叫ぶ。あまりに金のスピードが早くて追いつけないからだった。金はミカが文句を言ったので、立ち止まってミカを待っていた。ミカが追い付くと、また勢い良く飛んでいく。金とミカは、それを繰り替えした。やがて金は、空に浮かぶ巨大な赤い月に向かって飛んでいった。

 赤い月は亮の居る異東京へのゲートだ。金はすでに通り抜けている。ミカは決意し、赤い月の中へと特攻した。すぐに外へ出た。赤く焼けただれたマグマの世界が広がっている。真っ黒な空に向かって真っ赤に焼けた大地の毒々しい光が輝いている。ダークフィールドの帝国はミカを待ち受けた。ダークフィールドの突風の中を、ただ一つ光々しく輝いている金だけを見てミカは空を飛ぶ。恐怖に取り込まれたらお終いだ。帝国はミカを恐れさせようとしている。だが守護天使のような金が、「私を見ろ」と言う。金から八方に放射される眩いオーラが、ミカの身体を包み、憎しみと怒りから守っている。だからミカは飛び続けることができた。金がミカを守っていた。そしてナビゲートしていた。帝国のエネルギーを突っぱねて飛ぶ事ができた。何という心強い味方だ。金から吹き出すオレンジ色のガードのエネルギーは怒りと憎しみの嵐の中で、愛と調和の意識を撃ち返す。その力は、どんどん強くなる。

「新しい現実を、創ってみせる! グリッドを点火する!」

 ミカは自分に言い聞かせるように呟いた。現実を作り出すのは、自分の心だ。新しい現実を認めたら、直ちに現実は変わる。こんなの現実なんかじゃない。光を見ろ。光を見ろ。

「来栖ミカ、君はまだ、亮の居る場所から遠く離れすぎている。いくら飛んでもきりがない。二つの平行宇宙を繋ぐもの、それは音の波動だ。音の波は宇宙全体に行きわたる。亮の音を捉え、亮の波動に自分の意識をチューニングするんだ」

 そう金が言う。

「分かったわ。やってみる」

 ミカは亮の声を探した。

「亮! 亮! あたしの声が、聞こえる? ミカよ、あたしここに居るよ? 返事して!」

 ミカは強烈なキョウ声で叫んだ。ソプラノで叫ぶと、改めてアニメ声だと自己認識しつつ。

「……栖!」

 小さく、ミカの名を叫ぶ亮の声が聞こえた。ミカはますます声を張った。

「亮! ここだよ、あたしはここに居るよぉ-------!!」

「……」

 亮の声は黒い嵐に阻まれて、聞き取れない。

 ミカは虚空に、亮の聞こえる方向へと飛んでいき、手を伸ばす。指先が硬質な物体に触れた。真っ黒いガラスのような障壁が二人を遮って、その向こうに亮が居る事は感じるが、姿は見えない。しかし、亮はこちらにミカが居る事に気づいていない。そこにあったもの、それはディモン軍によって構築された、いやそうではない、元はといえば原田亮が作り出した無限に続く壁が立ちはだかっている。原田亮はディモンとの戦いの末に強固な壁を構築し、今それがミカとの邂逅を遮っていた。

 ミカは拳を固めて壁を突き破るつもりだった。ディモン軍は、ミカと亮を遮るカレ自身が作った心の壁を利用したのだ。ミカは思いっきり右拳をその障壁へと叩きつけた。衝撃が脈打つ震動として四方の空間に伝わる。ミカの居るこっち側の時空と、亮の居る向こう側の時空を完全に隔てている壁は、ヒビすら入らない。しかし、壁を打ち破るには、壁なんか存在しないという現実を思い描きながら、自分の拳を打ち込むしかないと気付いていた。最初のきっかけはミカが感じた亮の中の心の壁……。つまり自分がきっかけで産み出されたものは、自分で壊さないと亮のところへたどり着けない。

 ミカは、永遠に続くかと思われるような、原田亮の心の壁に向かっての特攻を続けた。小さな拳を何度も何度も叩きつける。そのつど、衝撃が四方に伝わっていく。だが壁に変化は起こらない。負けたくない。


「この壁、こっちで破れるといいんだけど、怜。どう?」

 ミカをモニターする晶は腕を組んで言った。

「ミカを守るゴールドを使って、今、結界の中に入るのにあらゆる手段をこうじて向こうの世界と連絡を試みてる。だけど、こっちのやることはあの壁が全て撥ね飛ばしてしまう」

 怜はキーボードを煩瑣に叩きながら返答する。

「あらゆる手段て?」

「ヱルゴールドのあらゆる攻撃プログラムだよ。任せてよ。それもダメなら、もう後はミカに任せるしかない」


 ミカは、くじけそうになる心と格闘していた。次第に溢れる涙に強気が負けてしまわないために、躍起になって拳を壁に打ち込む。漆黒の壁は無表情に強力に立ちはだかる。なぜ、二人を阻むこんな強固な壁を? ディモンの侵入は防げたかもしれないが、これじゃ再会できないじゃないか。歯を食いしばるミカの小さな口元から、わずかな血が滴る。泣きながら唇を噛むほど力を込めて壁を殴る、蹴る、殴る、蹴る。

 どれほど長いこと拳を繰り出したか、叩きつけたかしれない。ミカには、永遠の時間のように感じられたのだった。手が痛い。自分の手を見ようとしなかったがズタズタだろう。壁を破れる。きっと壁を壊せる。壊せないはずがない。そうミカは信じるしかない。

 見ると、やはり無残な手から真っ赤な血が流れていた。

 長い長い戦いの果て、ミカは悟った。もともと壁なんかない。そうかもしれない。現実は、自分たちが作り出しているんだから。なら、壁があると思って、壊そうとしてはだめだ。壁はここにないものと思って念じなければ打ち破ることはできない。ミカのハートから、なぜかそんな言葉が浮かんできて、それを信じることができるのだった。

「ここに壁はない。ここに壁はない……」

 呪文のように繰り返しながら、ミカは拳を壁に叩きつけていった。

 ミカの輪郭がまばゆく輝き出した。


 壁なんかない!

 二人の間に、もともと壁なんかなかった!


 ミカのボディに輝く身体が重なり合うようだった。その輝くボディには背中から羽根がオーロラのように噴出しており、虹色に輝いていた。その瞬間、ミカは、自分の中から何かの力が誕生したことを知った。


「ミカの力が勝ったんだわ。どうやらあたしの小細工は要らなかったみたい」

 怜はモニターに釘づけになって言った。

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