第3話 また逢いましょう

 風を感じて路上に立っているミカの携帯が鳴った。画面を見ると夏来からだった。ほっとした。やっと現実に戻ってこれたような気がする。

 ミカは携帯を操作しながら、これで、仲直りできるんだ、と思った。夏来がいなかったら、今のミカはとても生きてはいけない。小さい頃からずっと一緒だった友達は夏来しかいない。

 ミカが出ると、知らない若い男の声が唐突に早口でしゃべり出す。

「ああ俺、原田だ、あぁよかった。やっとつながった! いつまで繋がってるか分からないから急いで話すけど、俺今新宿に来てんだよ。タワーの前にさっきからずっと居る。しかしやっぱ、俺には中に入れなかった。中を見ると、どうも誰も居ないみたいだ。ひとみ、どこに居る? やっぱ建物の中に居るのか? 俺を中に入れてほしいんだが」

 ミカは状況が飲み込めなくて黙った。

「ひとみ、おい、ひとみッ? 聞こえてる?」

 少年は叫んでいた。

「あの、違いますけど」

「え? -------違う?」

「…………」

「時輪(トキワ)ひとみだろ! この番号で、合ってるはずだ」

「いいえ。番号違いますケド」

「ちょっと待ってくれ。冗談はやめてくれ。いやいや俺は間違ってない。アドレスに登録して、何度も掛けてるし。さっきだって、この番号がアドレスのメールで、メールが届いた。写真付きで。だから何度も掛けてた。それで今やっと繋がったんだから、間違ってないと思うけど?」

「もしかして、それって新宿の夜景の赤い月?」

「-------そう、それだけど」

「それ、わたしがさっき撮って友達に送ったんだよ」

「何だって? だからえーと俺はひとみに連絡して……。ちょっと待て君は誰? ひとみの友達? ひとみと何か関係のある人?」

「ひとみ? 知らないよ、そんな子。---------それよりさ、あなたの番号、あたしの友達のだよ。あなたこそ、夏来と何か関係ある人なの?」

 誰なのか全然検討が着かない。夏来に、学校で知り合いの男子高生、ましてそうでない男の知り合いなどいない。ひとみという名に、心当たりはなかった。

「夏来だって? いや……、知らないな。なぁそれより、そっちは、本当にひとみの携帯じゃないんだって?」

「ちょっと待って、あなたもしかして夏来と一緒に居るの? イタズラしてるんじゃないでしょうね?」

 間違いなく夏来の番号だった。

「いたずらだって? 冗談言うなよ、こんな状況で」

 沈黙が流れる。良く考えたら、夏来がそんなイタズラするわけがない。

 ミカはさっきから自分の声のトーンが妙に高くて女の子らしいことに気づいていた。ミカは、話すにつれ急速に男の声に惹かれていたのだ。若くて、それも高校生くらいの声に聞こえる。だが、ミカの同級生たちのようなチャラチャラした子供っぽさがまるでない、いや、ミカと同年代くらいだろうが、大人びた雰囲気を漂わせていた。今のミカはどこかおかしい。普段ならこんな電話は切ってしまう。しかし、間違い電話である事がはっきりしつつあるのに、ミカは電話を切らなかった。赤い月のメールがどこへ飛んだのかという謎を解明したい気持ちもあるが、今はもう少し彼と話してみたいという気持ちが強い。

「あたしだって、嘘なんか着いてないんですケド?」

 ミカは自分の声が、かわいくて恥ずかしい。ミカはドキドキして、胸の辺りが温かくなっていた。まさか、ひょっとして新しい展開の始まり? そんなワクワクした期待感が勝手に高まる。

「う~ん、じゃあもしかすると混線だな。ありえなくはないか。電話が繋がっただけでも奇跡だし。きっとこの大混乱で、業者のコンピュータがおかしくなっているのかもしれない。無理もないか。しかしまいったな」

「混線? 携帯電話が? 混線してるって?」

 聞いた事がない。しかし何度も地震が起こっているし、その影響という事はチョットはあるのかもしれない。

「ちょっと、まだ切らないでくれよ。聞きたい事があるんだ。このメールで送ってきた写真は、君が撮ったんだよな。で、いつ撮ったんだ?」

「ついさっき」

「じゃここに映ってる赤い月は、つまりこの月か。確かに奇妙に真っ赤なのは同じだな。じゃ、この写真の景色は、合成か?」

「合成って?」

「だから、この送ってきた満月の画像の事だよ。どう考えても変だろう。街が全然壊れてない。さっき撮ったっていうなら。俺も都庁の前に居るんだ。それにしては--------。もう新宿はこの都庁舎以外、火の海だ、建物はほとんど崩れていなきゃおかしい」

 ミカはキョロキョロと見渡したが、携帯を掛けているそれらしい人物は見当たらない。

「あなた何言ってんの?」

「ここは一体どこなんだ。こんなに綺麗に建物が建っていて。本当に新宿か?」

 駅前の古いビルはさっきの地震で崩れているが、摩天楼の高層ビルはどこも崩れていなかった。

「新宿だよ。あなた言っている事がおかしいわね。あたしが撮ったのは間違いなく新宿だよ。今だって、さっきの地震でも、壊れてないでしょう」

「地震って? 地震があったのか?」

「あったでしょ、何度も何度も大きいのが。その事言っているの? でもこの辺壊れてないよ」

「気が着かなかったな」

「気が着かない訳ないでしょ」

 あんな大地震を。全くこの男は何を言っているんだか。

「まぁそうかもしれないな、あいつらが撃ちまくった青い光のお陰で、こうあっちこっちでビルが崩れると、地震があっても俺は気が着かなかったかもしれない。けど、君はずいぶん落ち着いてるな」

 一貫して変わったことばかり言う少年だった。もう完全に意味不明だった。相手の言葉は、全くもってミカの現実と食い違っている。この男の言う事も、さっきの女と同じくらい話がブッ飛んでいる。しかし少年が冗談を言っているようには聞こえないのだった。大地震の破壊の直後にこんな冗談を言うやつが居るわけがないかもしれない。

「青い光って何の事よ? あいつらって? 何の事言ってんの」

「なんだって--------もちろん冗談だよな?----------と、いうより君は戦争中によくそんな冗談が言えるよな!」

「戦争って? 一体どこの国とどこの国がよ?」

 彼は押し黙った。ミカも黙った。

 その瞬間、相手はミカが冗談を言っていないという事に気づいたらしい。ミカもまた同様だった。両者の何かが根本的に食い違っている。

「まさか、本当に知らないのか、この戦争を」

「知る訳ないわ。戦争て何よ。そんなの起こってないでしょ! 中東の話じゃ、ないんでしょ。じゃあどこがよ? この日本が?」

「ちょっと待った。どういう事だ。もし君が嘘を言っていないんだとしたら、いや、信用して欲しいけど、俺も全く嘘は着いていない。この、君が送ってきたメールの写真の新宿が合成なんかじゃなくて、本当に君の住んでる世界なら、君は確かに戦争がない新宿に住んでいるのかもしれない。俺の居る新宿は、都庁周辺以外、真っ赤なマグマが吹き出している。ドロドロに溶け始めている。マグマの海に、遠くのビルが崩れて沈んでいっているところだ。そうか、もしかすると……、ひょっとしてコレの事か……」

「え?」

 男が次に言う事が何であるか分かる予感がした。

「俺達が、全然別の世界の住人かもしれないって事」

「え? 何、何て言ったの」

「だから君の居る新宿と、俺の今居る新宿が、全く違った新宿かもしれないって言ったんだ。まさかと思うが、混線の影響で……つまり、君の、平和な世界と、こっちの世界が繋がったのかもしれないって事だよ。つまり平行宇宙同志が」

 あの女と全く同じ事を言う。それが、二人が同じ都庁の前に居ると主張しているのに、会えない理由らしい。

「平行宇宙なんてあるの? ほんとに」

 これってオレオレ平行宇宙か?

「さっき言ったひとみから、前に聞いた。それは隣り合って存在しているんだけど、普段はその存在に気づかない。しかし、どういう訳か俺たちは今、異なる平行宇宙同志が繋がって、話す事ができている。ところでそっちは、タワーが青白く光っているか」

「都庁、こっちも青白く光ってるよ……」

 ミカは不安げに都庁を見上げる。その理由は相変わらず分からなかった。

「君んとこの都庁も? なるほどな。じゃあここが原因か。それにしても……。君の新宿は、戦争なんか起こらず、平和なんだろ。それは正直いって、うらやましいな」

「いいや、地震が起こったりして、ぜんぜん平和じゃない」

「こっちは地震どころじゃないからな」

「戦争が起こってるの? どこの国とどこの国が?」

 彼の世界では、ここ以上に世界が滅びかかっているらしいことだけはビンビンに伝わってきた。ミカは、さっき街に出現した亡霊女が語った、世界の滅亡について考える。女によると、ミカの世界も決して平和ではなくて、間もなく世界が滅びるという。それは、この電話の少年が語る世界になるという事かもしれない。ミカはそう思い至ると、女の話が現実味を帯びてきて、急速に不安が広がっていった。自分が世界を決定したとか、女のした訳の分からない説明、あまりに途方もない話を嫌でも考えさせられる。だからミカは、男と話していると安心する。あの女が言った事について、何か知っているのかもしれない。ミカは携帯を両手に持って、すがりつくように男の声に聞き入った。

「人類の敵だ。世界中に侵略してきたんだ。科学力も力も何もかも、比較にならない。圧倒的だ。もう半年くらいかな。-------しかし奇跡だな、俺はそんな中で今、平和な世界の人間と話しているんだな」

「だから、もう平和でもないんだけど」

「比べ物にならない。君の声から感じるよ、平和を。俺の世界の人間は、もう誰も君みたいな話し方をする奴はいない。毎日、疲れ果てて、誰もが切羽詰まっている。俺もずっと地獄の中に漬かってる。ろくでもないことを浴びるほど経験してきた。生き残るので精いっぱいだ。だから俺は君が嘘を着いていないって信じられる」

 のんびりしててすいませんね、と思いつつ、ミカはどう返答していいのかよく分からない。

「……もうしばらく平和なんて忘れていたから、なんだか懐かしい。それにしてもこうなると、ひとみとはもう連絡が取れないかもしれない」

「かもしれないわね。こうしていても-------助けてあげられなくて申しわけないんだけど」

 時輪ひとみというのは、彼の恋人かもしれないとミカは思い至る。

「急いでいるんだよね?」

 いつか混線が切れてしまうかもしれない。

「ひとみは、俺の母親の行方を知っているはずだ」

「あぁ、そうなんだ」

「母親とはずっと連絡が取れなかった。生きてるのか死んでるのか分からない。ひとみだけが唯一のパイプだった」

「じゃあんまり、あたしたち長電話しない方がいいかも。もう一度切って掛けてみたら?」

 と言ったものの、ミカはもっと話したかった。極論すると、彼の話がすべて作り話のいたずら電話でもいい。ミカの心に空いた穴をすっぽりと埋めるだけのパワーが彼の声にはある。たとえ内容が荒唐無稽でも嘘を言っているような気がしない。彼になら騙されてもいいかも。

「……そうしよう。君の言う通りだ」

「うん」

 自分の変に高い返事が切ない。

「最後に一つだけ。君の声を聞いて、さっきから気になっていて」

「えっ、何?」

 自分の事を?

 この超展開は一体何。期待が、急激に膨らんでいく。心の準備、一気に整えよう。

「変なことを言ってすまない。君の声を聞いてさっきからずっと考え込んでいた。ある人のこと。もしかして、いやたぶんそうなんじゃないかと。君って、来栖ミカさん……じゃないですか?」

「なんであたしの名前知ってんですか!」

 やっぱいたずら電話かも。

「ほんとに? やっぱりそうか。あ、あのこんな時だけど俺ファンで……。携帯に全曲入れて持ち歩いてるんだ、それでどれだけ励まされたか分からない」

「えぇ? それってあたしじゃない」

「いや、その話し方、その声何度も聞いて知ってる。歌手の来栖ミカさんでしょ。CDもDVDも持ってるんだ。で、不思議なことがあったんだ。俺は都庁に来るまで、戦争中、多くの仲間を失った。俺自身も殺されたかけた。俺はやつらと戦うことなんかできない。逃げるだけだった。あいつらが憎い。憎むことしかできない無力さの中で。それで諦めてかけていたんだ。だけど、あなたの曲を聞いていた時に、突然目の前にコンサート会場が広がった。たぶん東京ドームだと思うけど。俺は最前席に立っていて、あなたが唄う姿を目の前で見た。二メートルも間隔がなかった。あなたは、まるで俺に向かって歌ってくれたようだった。歌が終わると景色もあなたも消えた。だけど、全てがリアルな体験だったと信じられて。なぜなら、その時俺には不思議と生きる力が湧いていたからだ。俺が生き延びて、ここへ来る事ができたのも、あなたのお蔭なんだ」

 いくらいたずら電話でも、これは作り過ぎている。それに、ミカがアイドル歌手みたいな存在だなんて。それも東京ドームで歌うような。

「あぁ……あ、そう。そうなんだ。でも期待させといて申し訳ないんだけど、あたし、ただの高校生だし」

 たしかに学生ながらソプラノ歌手としてのキャリアはある。だが、プロではない。

「……そうか。じゃあ、あなたは――、君は、そっちでは歌手じゃないってこと?」

「あー、うん」

 声楽科であることを彼にいちいち説明するのはおっくうだったが――。

「俺の世界じゃ、君はスーパースターだよ。見せたいくらいに!」

「わたし確かに唱ってるよ。学校でだけど。声楽科なの。でも、あなたが居るところって、他の世界なんでしょ。どうして他の世界にいてわたしを見る事ができるの?」

「俺は、こっちの来栖ミカを見ただけだったのかも。でも戦争中に変だよな。もしかしてそれも平行宇宙か。けどとにかく俺はそれを見て、感動した」

「見たっていうのは戦争中に? それとも戦争の前?」

「戦争の真っただ中だった。不思議な体験だった。今思うと、現実なのか、幻想なのかどうかも、はっきりと分からない。戦争中だってのに、俺は変だと思わなかった。俺はただただ君の声に聞き惚れていた。君の歌は人のハートに入る。君の歌は宇宙に向かって響いている、そんな感じだ。あんなに歌で感動したのは初めての体験だ。あの時俺は、一瞬。一瞬だけど、戦争の事を忘れる事ができた。絶望しかけた俺は、救われた思いだった。そんとき、生きていけるって思った。俺はあの時、君にお礼を、言おうとして――。けど残念なことに、その気持ちを伝える事ができない内に君は消えた。それが心残りで--------。だけど君が俺の見た来栖ミカであってもなくても、俺はうれしい。話してるだけであの来栖ミカと話してるんだと思うと。一言、お礼を言いたかった。電話が切れてしまう前にお礼を言いたい。ありがとう。あれは、確かに君だった」

 ミカの歌は人の心に響くと、多摩音大付属高で言われてきた。

 ミカは男の言葉に心底救われた想いがする。自分みたいな人間が、たとえ何かの間違いのような出来事でも、奇跡を起こして彼を救っていたのかもしれない。そう思うと、幸せな気分だった。

「そうなんだ。……ド、ドウイタシマシテ」

 ミカは、電話口に頭を下げた。

「いやー、こんな形で話せるなんて……」

「わたし、そんな所で唱ってないけど、何だか唱ってたような気がしてきた。変ね」

「いいじゃないか、だって君なんだから」

「あたし、なのかな。……あのね、わたしも変な事言っていい?」

 ミカは真っ赤になりながら、ドキドキしながら切り出す。

「ああ、どうぞ」

「わたし、わたしもね、実は----------なんだか、あなたの声、聞いた事があるような気がして」

 電話が突然切れた。いよいよという時に。きっと、混線が途切れてしまったのだろう。最後の言葉が伝わったかどうか自信がない。彼の声を初めて聞いた瞬間の不思議な懐かしさ。それが一体どこから来たのか分からない。ミカはさっきから必死に考えていた。それと、彼が言った事。ミカは歌手を目指していたし、確かに学校でなら多くの人を前に歌っていた。だけど彼が言っているのは夢みたいな話。そんな風に東京ドームみたいなところで何万人も感動させることができたら。最高だ! もっと話を聞きたかった。だけど夢の続きを見ることはできない。

 けど、ミカはずっと夢を見つづけている感覚だった。ぽーっと温かいエネルギーが全身を包んでいる。結局全部、男の冗談だったのかもしれないけど、それでもいい。

 確か、ハラダとか言ったっけ。ミカは何としてももう一度、彼と話してみたかった。もし本当に平行宇宙なら、偶然繋がっただけで、二度と繋がらないだろう。混線でまた繋がるとは到底思えない。どう考えても、もう一度電話が繋がる可能性はない。ミカは急速に現実に引き戻され、こっちの世界に置き去りにされた気分になる。再び体が冷え、寒くなってきた。

 夏来。こんな時に、側に居てほしい。……ごめんね。謝りたい。声を聞かせてほしい。話したいことが、共感したいことがいっぱいあるのに。わたしはもう大丈夫。それを早く伝えたい。

 摩天楼の谷間に浮かんだ満月は、一層血のように赤く巨大に滲んで今にも滴り落ちそうだった。そして巨大な赤い眼が、ビルの渓谷からミカを睨んでいるように感じられる。ミカをまるで監視しているような恐ろしさだった。ミカのアーモンドアイズはルビーの瞳に釘付けになっている。この月の巨大さは異常ではないか?

 静寂を取り戻した新宿に、突風が吹く。

 空を見ると雲の流れが早くなり、空気が静電気を帯びているのがミカには、はっきりと肌身で感じられる。新宿の夜空を、稲妻が走った。それは巨大な龍のようにはっきりと見えた。幾十もの稲妻が地上に打ち降ろされていく。雨は降らず、突風と稲妻の嵐が吹きすさぶ。また台風が上陸したのか。

 青い稲妻の走る空を見上げると、黒雲の裂け目に何かが居るのが一瞬見えた。黒い何かが地上を見下ろしているような気がした。まるで3D映画のような超現実的感覚。黒い巨大な人の形をした物体だった。スーッと横に移動した。ミカは、それをギョッとして眺めていたが、形がはっきりしてくると、立ち上がって、唖然として見守った。雲から足がニューッと出て来た。

 黒い巨人はミカのすぐ近くの路上に音もなく降りた。それは幻想ではなかった。それは現実だ。きっと三十階建てのビルくらいの大きさはあるだろう。ミカは腰を抜かして目の前に出現した巨人を見上げた。

 藍色のメタリックの鎧に覆われた、二つの赤い眼を持つ巨人が立っている。鎧は全身から巨大なトゲが突き出ていた。鋭い爪を持つ手には長い槍を持っている。槍は西洋の騎士が持つ突撃用のランスと呼ばれるものによく似ている。そして巨大な尾が地面に垂れている。藍色の巨人は槍をミカの目の前に建っている都庁に向けてかざす。青白い発光を続ける都庁に、槍から青白い光が放たれた。都庁舎と槍が青白い光に覆われ、輝き続ける。それ以上、都庁に変化はなかった。

 突如、ミカの周囲の路上が避け、裂け目からマグマが吹き出した。街は炎に包まれた。寸断された電線が、ビシビシとショートする音を立てて風に煽られてのたうっている。

 全く、あの電話の相手・原田が語った光景ではないか。炎にまかれ、人がどんどん死んでいく。ミカは生まれて始めての壮絶な恐怖を味わっていた。地平線に達するまで、すべてがマグマに覆われていく。どこまでも、どこまでも。都庁周辺の摩天楼だけが、不思議と奇跡的に無事だった。

 世界は本当に終わるんだ。ミカは走った。あの女の言った事は間違いない。あの巨人が世界を滅ぼしてしまう死神だ。原田の言った敵だ。原田の仲間は、あいつに殺された。そしてあたしも、あいつに殺されるんだ。そんなの嫌、まだ若いし、やりたいこといっぱいある。こんな中途半端な人生で死にたくない!

 道が途中で終わっている。そこが新宿とは思えない、まるでグランドキャニオンのような裂け目だった。その下には、赤いマグマが輝きながら流れている。とてもそれ以上は進めない。ミカが振り返ると、巨人がゆっくりとこちらに向かって迫ってくるところだった。空を飛ばなきゃ、空を飛ばなきゃ、空を飛ばなきゃ……。恐怖で身がすくみ、どうやって空を飛んだのかが分からなくなっている。

 ミカは眼を瞑り、がっくりと膝をついた。自分の両肩を抱き、ガタガタと震えた。巨人の足音が自分に向かって響いて来る。ミカは路上にヘナヘナと倒れこんだ。顔を覆ってうずくまる。しばらくそのままの姿勢で動かなかったが、ミカの中で次第に悔しさが溢れて来た。ミカは激情を押さえられず、突如立ち上がった。

 空を見上げると、さっきは存在しなかった紫色の光の帯が出現している。オーロラだった。新宿上空がオーロラに包まれていた。地上は真っ赤に燃えている。

 ミカは不安げにオーロラを見上げる。やっぱり本当に、この東京の状況は、自分が生み出したのかもしれない。だとすればこのままじゃ、自分のせいで世界が滅び、自分も死んでしまう。

 世界の終焉と共に死ぬのは嫌だ。あの巨人に殺されるのはまっぴらごめんだ。死んでたまるか。生きてやる。何としても生き残ってやる。ミカは巨人を仁王立ちして睨み据えた。生きぬいてみせる!

 ミカは自分の体内からエネルギーが吹き出してくる感覚を覚える。活力、生命力が沸き出して何かの実体を結ぼうとしている。確かに自分には力があるのかもしれない。空を飛び、未来を予知し、物体を空中に停止させる念力のような力。だが、それ以上のパワーが、自分の中には秘められているに違いない。今日が来栖ミカの第二の誕生日だ!

「ここで死ぬもんか。死ぬもんですか! あんたなんかに殺されるもんか!」

 ミカの眼の前にまたあの女が立っている。巨人はビルの死角で見えなくなったのか、いつの間にか姿を消している。

 ミカは目の前に立っている女の両目をキッと睨んだ。女は、この大惨事をモノともせず平然と立っていた。幽霊特有の非物質的な存在の希薄さなのだから当然だろう。女はまた語りかけて来た。

「決心付いた? 来栖ミカ。アメリカ大陸は沈んだわ。ヨーロッパも半分沈んでしまった。今、世界は破壊に向かって突っ走っている。もうすぐ地軸が大きく変化する。人類の意識と繋がっているヴァン・アレン帯に、巨大な裂け目が生じる。それが、人の生み出すダークフィールドによって起こる最悪の事態。ヴァン・アレン帯の破壊は人の意識を混乱させ、そこから宇宙線が大量に降り注ぎ、気候の大変動で全ての大都市は破壊され、何十億人も死ぬ。この世界はさらなる大混乱に陥り、完全に終わる。このまま世界が終わってしまったら、悔しいでしょう……。あなたの夢。あなたは歌手になりたかった」


(チ、なんてやな女なの。出てくるなって言ったのに)

 屋上ミカは愚痴った。


「これでいいなんて思ってないって言ってるでしょ!」

「生きていれば、夢が叶う可能性だってあるからね」

 女は微笑んだ。

「……また現れたのね。あんた一体何者? 人間なの」

「わたしはもちろん人間よ。でも、今わたしはここには存在しない。今あなたはわたしの姿を見ているけど、あなたが見ているのは、ホログラム映像よ。あなたには声も聞こえるし、触れて実体もあるように見えるだろうけど、高度なホログラフィの技術であなたにコンタクトしている」

 女の眼は強靱な意思と悲壮さに満ちていた。

「じゃあ本物はどこに居るのよ」

「わたしは、今とても遠い場所にいてあなたと話している。私は、ここではない別の時空に存在している。この会話は、あなたのソウルを構成しているボディの一つ、アストラル体を通して通信を行っている」

「なんで本物が来れないくせに、あたしにいちいち面倒なこと言うのよ」

「本当はあなたの側へ行きたいけど、今は行く事はできない。けれど私は、緊急にあなたとコンタクトする必要に迫られた。だから、私たちは今、アストラル体を使った特殊な通信法を取っている。幽霊みたいで気持ち悪いかもしれないけど。勘弁してね。アストラル通信ができるのも、今あなたのアストラル体が、都庁によって、増幅されているお陰って訳。あの建物は、あなたにとっては単なる都庁にすぎないけど、特別な存在なのよ。特に他の宇宙ではね。だから都庁が世界の中心なのよ」

「理屈はいいけど、どうやら手おくれね。世界はもうほとんど滅んでるんじゃん」

「ううん。おめでとう、あなたは生きようと決心した。希望は繋がったわ。このまま終わるんじゃなくて、人がうらやむ恋をしようって。歌手になって成功しようって。友達に謝ろうって。あたしの説得も、無駄じゃなかったって訳。だけど宇宙の存続は、あくまで本人の意思で決定されなければならない。だから私はもう一度あなたの前に現れることができた。都庁は、さっきあなたが話していた、原田(ハラダ)亮(リョウ)の居る世界では、セレンタワーと呼ばれている。彼は特別な理由があって、あそこに居たわ」

「またあたしの心を……。それに、やっぱり彼の事も知っているのね! 聞いていたの? さっきの電話」

 ミカは睨んだ。

「ええ、その通り」

「あたしの事をずっと監視してるなんて! 全くなんてヤツらなの」

 ミカは背が高くて大人の雰囲気を漂わせたこの女がムカつく。

「あなたが光の方向へ選択を切り替えたから、私たちはさっきの電話を繋ぐことができた。察しの通り、彼は他の平行宇宙の住人。私たちは異東京と呼んでいる。あっちの世界では、彼が世界の中心に立っている。異東京のザ・クリエイター。二人は、それぞれの世界の代表者ってワケ。あなたと亮を繋げたものも、やはりあの都庁、向こうでいうセレンタワー。あのタワーは、二つの異なる宇宙を繋げる増幅装置でもある。すべては計画された事。あなたは、これから彼と会って、一緒に世界を再生させなくてはいけない」

「あー頭が混乱する! でもさっきの電話、ほんとあんたの言った事少し証明したかもね。一体何がどうなってるの? もう一度、分かるように初めから説明して」

 ミカには以前、自分が屋上で座っている感覚がある。それは平行宇宙というものの証明なのかもしれない。

「もう時間がないから、とにかく説明してあげる。意識は世界に影響を及ぼしている。あなたの意識は力なのよ。ここまでは?」

「うん」

「OK。想念の磁気エネルギー、それはアストラル波というもの。世界は人の心が作り出す。人類の想念は、地球の未来を明るいものにも暗いものにもする。人間程、強力な想念エネルギーを放つ存在は、この星に存在しない。人間のアストラル波は人間自身のみならず、鉱物、植物、動物、地球の環境の全体に影響を及ぼしているほどよ。だから、人間のアストラル波の集積が地球の運命を握っている。誰もが世界と有機的に繋がっている。考えた事は一瞬にして世界を駆け巡り、現実化する。そう、世界は繋がっているの」

「はいはい」

「あなたがこの宇宙の運命を決定する以前から、人類の歴史は、大量の闇を放出し、取り返しの着かないところまで来ていた。今、地球は大量の人間のマイナスの想念エネルギーが渦巻いている。目下増大している最中よ。ダークフィールドが溜りに溜って、スモッグのように地球を覆い、苦しめ、死にいたらしめようとしている。これまでの人類の歴史が生み出した破壊想念の集積。地球を取り巻いているヴァン・アレン帯は、グリッドを経由し、地上の人間、動植物、鉱物の集合的無意識と繋がっている。それが地球と生命の意識、及び時空を維持している。人の生み出したダークフィールドはヴァン・アレン帯を通して世界に天変地異をもたらす。……でも、希望もあったわ。闇の反対のライトフィールドは、世界を平和に保つ。これまで、両者の均衡は辛うじて保たれ、地球は維持されていた。でも今、ダークフィールドがライトフィールドを圧倒しつつある。もしこのままダークフィールドが、ライトフィールドに勝ってしまったら、地球は滅亡へと突っ走っていく。全てを破壊する天変地異が起こり、文明も自然界も破壊する。それは、地球という生命体が自らの生命を維持するために、体内に溜め込んだダークフィールドを宇宙へと放出する事によって引き起こされる。つまり、生命の毒素排泄機能、デトックスということよね。少しでもエネルギーの比率がダークフィールドに転じたら、あっという間に世界は滅びる。そうしないと、星がダークフィールドによって死んでしまうからね。ヴァン・アレン帯に渦巻く、ダークフィールドとライトフィールドの天秤の、ちょうど真ん中に立っていたのが来栖ミカ、あなただった。光と闇の均衡の中で、あなたはグリッドに接続され、『創造主』として世界の運命を物理的に決定するように調整された。あなたは今、人類の代表者として、あなたの想念が世界の運命を決定する立場にあった。少しでも、あなた自身のダークフィールドがライトフィールドを勝ったら、それで世界の運命は決まった。怒りや憎しみ、恐怖の想念にとらわれた時、この世界は滅びる。そのギリギリのターニングポイントにあなたは立っていた。だから、あなたの選択が、世界を崩壊へと導いたという訳」

「ごめん、やっぱ訳分かんない」

 ダークでライトでなんたらかんたら。あーもう訳分からん。しかし女の表情ははっきりと物語っている。

「どうしても私に何か、やれって言うつもりね?! そうなんでしょ」

 ミカはキレ気味に叫ぶ。

「わたしたちには出来ない事。この宇宙の中心に立っていて、そして選ばれたあなたにしかできない。私たちは、滅亡回避の為に、ある計画を進めていた。だけど、その計画はつぶされてしまった。色々と努力はした。でも、全ての努力が破壊された。それだけダークフィールドの力は大きかった。そうしてプランAが失敗に終わった直後、私はすぐにあなた達を使った、プランBへと計画変更を上に願い出たわ。たとえあなたが一度滅亡へと舵を取っても、この世界を救える可能性はまだ残っている。人類は今、死に向かって突き進んでいる。けどこのままじゃ、あと二十分で、私たち人類はこの星に生きられなくなる。人類は、全滅して、それで終わりになる」

「であたしに、どうしろと?」

 ミカは相手が次に何を言うのか様子を伺う。

「世界を救う方法はただ一つ。東京のあなたともう一人、異東京の原田亮の二人が協力して第三の宇宙を生み出す。あなただけに頼む訳じゃない。もう一つの世界とクロスユニバースして、あなた達は時空を隔てた、二つの宇宙の代表としてこれから出会う事になるわ。平行宇宙のクロスユニバースは、滅亡までのタイムリミットをわずかに引き延ばすができる。一日の時間を引き延ばし、時を稼げるの。そして、二人のグリッドを点火し、世界と接続する。エネルギーを交流し、融合させて、第三の宇宙、新しい宇宙を創り出す。それが平和な、存続する宇宙よ……それが、世界を救う唯一の方法。今、世界はこの新宿だけ、原田亮の世界と繋がってるわ。電話だけじゃなくて、これから、二つの宇宙を完全に一つにする」

 女がそう言った時、世界は無音になったようだった。

「わたしが……彼と……一体何をするっていうのよ」

 会えるんだ。ワクワクしてくる。

「会えばすべてがハッキリと分かる。都庁舎の前に戻り、彼と会いなさい。あなただけじゃなくて、彼と一緒なら、世界を救う勇気も湧いてくるわ」

 ミカはついに黙った。やっぱり彼との電話は偶然に繋がったのではなかった。

「あなた達に世界の運命を頼まなければいけないことに、わたしは罪悪感を感じる。でもお願いする他ない。今は、自分の力を信じるのよ。そして彼を信じるの。分かったわね。わたしはあなた達の心の力を信じているわ。では、また逢いましょう」

 そう言ってほほ笑んだ女の像はぼんやりとし始め、ミカの前から姿を消した。やっぱりオバケみたいなもんだ。

 都庁の方面がまるで夜明けのように、まばゆく輝く。摩天楼群に巨大な白い太陽が降臨したようだった。白い球体は、ビルを飲み込み、ミカに迫った。世界は無音だった。ミカには、地面に落ちた自分の影が一瞬十字架のように見えた。来栖(クルス)の十字架。その十字が目に焼きついたまま、すべてが白くなった。これが、クロスユニバース。

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