五、ならば永劫の喪失を

 己が創造主の似姿を刺し貫いた感触が、消えない。


 いっそこの手の皮をぎ取り、えぐり、火あぶりにして、ぐちゃぐちゃにしてやりたい。

 黒の手袋の内側に隠すならば、どんな陰惨いんさんな責めも許されるだろうか、とデミウルゴスは自問する。


 踏み留まるのは、その痛みが己の心をわずかなりとも楽にすることをよしとしないからだ。


 どんな拷問を受けるよりも、ただ許されている現状こそが何よりの責め苦となることを、知っていた。







 アインズの私室からパンドラズ・アクターが出てきたとき、デミウルゴスは軽く目礼した。


 入れ替わるように呼ばれ、入室する。

 護衛も一般メイドも寄せ付けず、ただ二人きりで話がしたいと命じられ、デミウルゴスはここに来た。


 普段であれば、浮き立つ心に尻尾も知らず揺れるところ。

 けれども心を地獄の業火がき続ける今は、到底喜びに身を浸すことなど叶わず。

 そんな己の状態を、慈悲深き至高の主に対してあまりにも不敬だと責めずにはいられない。



 内心はどうあれ。

 表面上、デミウルゴスは落ち着いた笑みを浮かべ、深々とお辞儀をし、「デミウルゴス、ただいま参上いたしました」と挨拶する。


「うむ。急に呼び出した上に、待たせてしまったな。すまなかった」

「お望みとあらば即座に。アインズ様のご命令をたまわることは、我らにとって最上の喜びにございます」

「命令、ではないんだが」


 かすかな苦笑の気配に、デミウルゴスは失言と捉え、恐縮きょうしゅくする。


 謝罪を口にすれば許しを求めるも同然。

 何も言わず、ただかしこまって御言葉を待つ。


此度こたびの件、お前にはつらい役目を背負わせてしまったな。まずはそのことを謝りたい」

「謝罪など!」


 とっさにすごい勢いで言いかけて、慌てて自制する。

 若干じゃっかんアインズが引き気味になってしまったのを見て、もはや自害したくてたまらなくなるが、どうにかこらえ、


「……謝罪など、アインズ様がなさる必要はまったくございません。アインズ様は全てにおいて完璧な対処をなさいました。私こそ、至高の御方々の意図をみ取るに遅きに失し、多大なご迷惑をおかけいたしました」

「そんなことはないぞ、デミウルゴス。ウルベルトさんの意図を正しく読み取れる者は、ナザリック全てにおいてもお前一人だけだったろうと私は考えている。ウルベルトさんによって創られ、ナザリック最高の智者とされたお前だからこそ、事態の収拾が可能だった。……そうだな。謝罪よりも先に、礼を言うべきだった。ありがとう、デミウルゴス。見事な働きだった」


 デミウルゴスは反論をどうにかみ込んだ。

 しかしまた、礼を述べることもしない。

 真っ向からアインズの言を否定するのは不敬に過ぎるが、かといってその賛辞を受け入れることは到底とうてい出来ない。


「誇れ、デミウルゴス。お前はNPCにとって至難のわざをやり遂げた。そしてウルベルトさんもまた、最期にお前のことをたたえた。だから、……悔やむな。己を責めるな。ウルベルトさんのためにも」


 かけられた言葉はやさしさにあふれていて。

 デミウルゴスはただ感激し、涙を流しながら、さらなる忠誠を誓い、退室する。





 このアインズの気配りのゆえにこそ、

 デミウルゴスは、徹底的に壊れた。





 もっともその変化に気付いた者はいなかったろう。


 彼は己が役割を完全に果たした。

 『デミウルゴス』ならば笑うであろうときに笑い、

 『デミウルゴス』ならば口にするであろう助言を口にした。

 てきぱきと仕事をこなし、指示を出し、報告を上げた。

 文句のつけようのない振る舞いだった。


 その心がとっくにひび割れて、壊れてしまっていることに、

 誰も気付けないほどに。






 アインズは言った。

 悔やむな。

 己を責めるな。

 誇れ。

 それがウルベルトのためでもあると。


 最後まで残ってくださった至高なる主と、

 己を創り出してくださった創造主とが望むというならば、

 是非も無い。



 けれど彼の心は。

 悔やまずにはいられず、

 己を責めずにはいられず、

 誇ることなど出来ようもなくて。



 だから彼は、心を見捨てた。

 役割を演じるだけの人形たらんと望んだ。

 人形と成り果てたことを知られまいとした。

 知られれば、己が至高の御方々の意に染まぬ存在と認めることになる。



 かといって、心を完全に消すことも出来なかった。

 心なき人形は、誇ることがないのだから。

 心なき人形は、ウルベルトがかくれと望んだ形ではないから。



 心を消して、さりとて心を引きずって。

 矛盾を抱え、けれども誰にも打ち明けられず。


 一人きりの時でさえも、演じることをやめるわけにいかない。


 『ナイトメア・カーニバル』で現出した至高の御方々は、このナザリックに染みついた記憶と想いから構成されていたという。


 ならばたとえ誰の目がないように見えても、

 天井が、壁が、床が、

 机が、椅子が、棚が、

 ありとあらゆるものが、

 あの御方々の目となり耳となっていないとも限らない。


 だから。

 いついかなるときも、ナザリックに在る限り、気を抜くわけにはいかない。


 アインズが、この『ナイトメア・カーニバル』の余波がないかを確かめる目的でしばらくNPCたちをナザリック内に留め置く意向を示したからには、

 外での仕事の合間に、わずかなりとも息つく時を己に許すことも叶わない。



 存在意義の限界。

 精神崩壊の瀬戸際せとぎわ



 いっそ完全に崩壊したなら楽だったろう。

 けれども彼には、アインズより任されたいくつもの仕事があった。

 今この場で退場するわけにはいかない。



 ……だから。



 ナザリックを離れての仕事におもむく前に、

 第七階層の神殿で、空の玉座を前にして。



 彼が目にし、耳にしたものは、

 彼が己の存在を維持して役割を果たすために、彼の精神が無理やりに生み出した幻覚、だったのかもしれない。














 神殿の玉座に、ウルベルト・アレイン・オードルが座していた。

 左手で頬杖をつき、右手の指は苛立たしげに肘掛けを叩き、長い足を組んで持て余しながら。


 唖然あぜんとするデミウルゴスに、ウルベルトは苛立たしげに、


「まったく目も当てられないな」


 デミウルゴスは電撃でも走ったようにびくりと震え、急ぎ跪いた。

 何が創造主を怒らせたかと、脳裏にあれこれと記憶を探り、理由を追い求める。


 気にし始めると、あれもこれも、何もかも、

 至高なる存在を苛立たせる原因に思えてきて、パニックに陥りそうだった。


「お前はいったいどうなってるんだ? とんでもなく有能だと思えば、がっくりくるほど一つ所にとらわれて身動き出来なくなる」

「も、申し訳……」

「ああ、いい、いい。お前の言い分など聞いているひまはない。俺には時間がないんだ」


 はっとしてデミウルゴスは創造主を見上げた。

 再び消えてしまう前にと、引き留める言葉を口にする前に、ウルベルトは命じた。


「俺に世界を捧げろ、デミウルゴス」

「……世界を」

「この俺に、すなわちギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が誇る最強の魔術師に、つまりはナザリックに、この世界を。

 お前が悔やんだところで俺にはなんら得ることがない。

 お前が嘆いたところで俺にはなんら得るものがない。

 この俺のためにあらゆる手段を尽くして世界を捧げるがいい、だがその報いを俺から与えられると思うな。

 それが罰だ。俺がお前に与える罰だ。お前が喉から手が出るほどに欲しがっているものだ。

 本来俺がいたならば得られたであろうあらゆる歓喜と幸福を想像しろ。そしてそれが奪われたと知れ。

 功績を重ねれば重ねるほど、喪失が深まる。それでもなお、忠義を示せ」


 デミウルゴスは身を震わせ、「はっ」と返答し深々と頭を垂れる。


 抜け殻のようだった自身の内に確かな熱が宿る。

 おぞましくも甘美な罰だった。


 あの御方を傷つけた罪、似姿であろうともこの手で殺したという度しがたい罪に釣り合う罰などない。

 ならば永劫の喪失を、永遠に積み重ねる苦痛と苦悩を、終わりのない罰を。


 終わらないからこそ、ナザリックのために、アインズのために、そして創造主のために尽くせば尽くすほど、苦しみが深まるであろうからこそ。


 デミウルゴスの心は息を吹き返す。


 なぜならこの罰には、確かな感情が不可欠だからだ。

 心が死んでしまっては、決して喪失の苦痛を十全には感じ得ない。


 自分自身を赦せないからこそ、

 前を向いて歩かせるという罰。


 ……気付けばすでに、創造主の姿はなかった。


 デミウルゴスは苦笑する。

 まがい物と名乗ったあの御方を、創造主とみなすことは冒涜ぼうとくなのかもしれない。本当のウルベルトにとっても、あの御方自身にとっても。

 それゆえ名を呼ぶことだけはしなかった。

 それでも心の中ではただ一つの名以外に、彼を呼称することが出来ない。


 分かっておられたからこそ、あの御方はあえて、ウルベルト・アレイン・オードルとしてあのように命令を下さったのだろうか。





 白昼夢、というものがあったな、とデミウルゴスはふと思う。

 人間にとっては珍しくなく、悪魔には無縁むえんであるはずのそれ。

 しかし夢なら夢で構わない。


 彼らは夢の中にいる。

 白昼夢に現れるならばまさしく、まぎれもなく、まがい物であろうと、

 言葉をもてあそび、悪魔は微笑む。



 デミウルゴスは神殿の入り口で、空の玉座に深々と一礼し、

 行って参ります、と落ち着いた声音で言った。

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