刀剣問答

 雪の大白球こそが、コキュートスの住居だ。

 壁も天井も家具も、氷で出来ている。

 広々とした空間は、四本の腕が縦横無尽に剣を振るえるだけのスペースがある。


 倒れ伏した二体のシモベを、コキュートスはためつすがめつして、首を傾げる。

 どうやら眠っているだけらしい。


(イッタイドウシタトイウノダ……。床ガ沈ンダ錯覚ノアトニ、コイツラハ倒レタ)


 外の様子を見に行くべきか、とも思うが、襲撃である可能性を考えると、コキュートスはすぐには動けなかった。『伝言メッセージ』のスクロールを手元に置いておかなかったことが悔やまれる。


 優先すべきはナザリックの安全。

 守護者として現状を把握し、敵を排除する。

 可能ならばアインズに迅速な連絡を。


 分かってはいるが、創造主たる武人建御雷がコキュートスに与えてくれたこの特別な空間を、侵入者が潜んでいるやもしれぬと分かっていて明け渡すのには抵抗があった。


 突如として睡眠状態に陥れられたシモベたちを見るに、少なくとも攻撃の範囲内にこの場所は含まれているはずで、つまりコキュートスがここを離れて行動を開始すれば、敵は拠点としてまずこの大白球を押さえようとすることは十分に考えられる。


 実のある報告内容があれば思い切りもするが、いまアインズのもとに行ったとて、何をどう伝えればいいのかも分からないのだ。


(シカシ……アルベドカラハ何ノ連絡モ受ケテイナイ。第一カラ第四階層マデヲ飛ビ越シテ、コノ第五階層ニ達シタトイウノカ?)


 コキュートスはシモベたちを部屋の端に移動させる。

 出来れば巻き添えにしたくはない。


 そうしておいて部屋の中央に戻り、四本の腕にそれぞれ剣を構える。


 不動の巨体はライトブルーに輝く。

 太くたくましい尾は無数のスパイク状の突起を持ち、悠然と揺らめいた。


 あえて盾を装備しなかったのには理由がある。


 ここまで気付かれず侵入したなら、敵は隠密に優れているはずだ。


 視界を塞ぐ面積のものはかえって相手にとって都合良く作用する。

 刀身が細く、それでいて十分な攻撃力をもつ武器を選んだ。


 耐久力にはやや不安が残るが、なによりもスピードと視野を優先し、敵を負傷させることで機動力をそぐことを第一に考えたのだった。


 戦闘センスにおいて、彼は階層守護者のなかでも際だったものを備えている。

 武器防具についての知識は他の追随を許さない。


 ゆえに。


 死角から迫った豪快な剣の風切り音に対して、

 馬鹿正直に剣を合わせたりしなかった。


 この風速。この風圧。この音。

 四本のどの剣を直接ぶつけても、へし折られる。

 威力をいなすには、位置が悪い。


 コキュートスは剣の一本を――捨てた。


 敵の攻撃軌道上。

 落下しようとした剣はへし折れ、飛ぶ。

 コキュートスが直感で捉えた通りの角度と速度で。


 待ち構えたコキュートスの剣が、叩き付ける。

 敵そのものではなく、へし折れた破片。

 斜めからの威力を加え、軌道をねじ曲げる。


 敵が加えた力と、コキュートスが加えた力。

 さらに叩き付けた方の剣には雷の属性攻撃が付与されており、破片を帯電させる。


 それらが重なり、攻撃力を増し、

 いわば即席の手裏剣となって、敵に襲いかかる。


 命中する場所によってはひどく食い込むだろう。

 そしてコキュートスが捨てた方の剣には、猛毒が付与されていた。


 耐性があれば無視できるものだ。

 しかしながらとっさのことで、この武器がなんらかの属性を持っているとまでは直感的に把握し得たとしても、それがなんであるかまでを見極めることは難しい。


 賢明な相手ならば、回避を選ぶ。


 その判断に従ってコキュートスは、敵が移動するであろう位置に攻撃を仕掛ける。


 空振りだ。


 コキュートスはすぐさま背後に向き直る。

 敵の姿はない。六つの目のどれにも映らない。

 高度な不可知化だろうか?


 そうであったとしても、剣で捉えた感触はなかった。


 いかに巧妙に隠されていようとも、獲物を命中させたということは感じ取れるはずだと、なんとも根拠の薄い自負を、しかしその無根拠ゆえに揺るぎない自信を、武人として彼は抱いている。


 油断なく周囲をうかがう。


 再び死角からの攻撃。

 今度は素早く対応するも、やはり敵の姿は見えない。

 視界の端にちらりと黒い影が過ぎった気がしただけだ。


 だがこれで、コキュートスはほぼ確信する。

 敵は不可知化を駆使しているのではない。

 そうであれば、死角に限定して攻撃してくるはずがない。


 彼の目は彼の腕よりも多い。

 死角、というのはほとんど無いに等しい。

 注意を振り向けている場所があれば、実際には目に入るはずのところが意識に上らないこともある。

 しかしあえて、敵が意識的にせよ身体構造的にせよコキュートスの死角となる地点に身を置いているとするならば。


 可能性のある箇所はごく少なく、それを意識したからには対応もしやすい。


 だが。


 いなしたはずの腕が、ぶるぶると震えた。

 ほんの一瞬、刃を交えただけで。

 こちらは完璧に剣の角度と軌道を調整し、敵の力をほとんど殺したはずなのに――


(イヤ……殺サセテモラッタ、ノ間違イカ)


 敵はあえて、先ほどと同じ死角を狙ってきた。

 それはつまり、受けてみろ、ということ。

 受けてみて、受け流してみて、流しきれぬことを知れ、と。


 なんという攻撃力。

 防御特化のアルベドでも、この相手はやりづらかろう。


 装備を変えるべきだ。

 分かっていても、その隙を突かれることはすぐ予想出来た。


 迂闊うかつだった。

 敵が突如としてこの階層に出現したことで、高機動隠密特化だと考えてしまっていた。高火力の可能性も考え、ああして対応策を練っていたとはいえ――甘かった。


(……弐式炎雷様ヲ思イ出ス)


 ずきりと胸の奥に、寂しい痛みが走る。


 ……だが。


 飛来するものをとっさに受け止め、コキュートスは困惑する。


 大ぶりの剣。

 見事なものだ。

 武器に詳しい彼の目からみても、一級品であると分かる。


 そもそもナザリックに貯蔵されているものではなかったか。


 しかし、この剣は。

 攻撃を意図して投げつけたにしては、あまりに容易く受け止められた。

 むしろそれは、贈り物のようで。

 ……だが、何のために? 敵にわざわざ?


 疑念にとらわれているひまはなかった。


 気配を捉えることは叶わないまま、しかし敵の攻撃にすぐさま対応出来たのは、相手のいる位置をすでに特定していたからだ。


 すぐさま死角に回り込もうとする敵を、今度はもう逃がさない。

 ついに視界に捉えるも、相手は全身を黒い煙で包むアイテムを使用していた。


 煙はときおり使用者もろとも透明になる。

 ほんの一、二秒。その間だけは、スキルによる完全不可知化よりも完全な不可知を実現している。

 この透明時間を利用して、コキュートスの知覚を逃れる一助としていたらしい。


 このアイテムならば知っていた。

 たしか使用時間は一分。

 そのうち完全な不可知となる透明時間が訪れるのははじめの二十秒間のうち数回のみだ。

 二十秒はいままさに、過ぎ去ろうとしている。

 残り四十秒を持ちこたえれば、敵の姿はあらわになる。


 しかし。


 コキュートスの片手にある細い剣が、壊れる。

 返す刀でもう一本も。


 残るのは、もともと装備していた細い剣が一本と、

 先ほど投げられた大ぶりな剣が一本。


 他に選択肢など、ない。


 コキュートスはその大ぶりの剣を構える。

 二刀流。細い剣はあくまで補助。


 敵がぶらりとさげるは一刀。

 黒い霧に包まれていても刀身の形は分かる。

 大ぶりな剣とほぼ同じ形――否、


(同一ノ剣、カ)


 コキュートスは確信する。

 武人としての、彼の直感に従い。


 そして彼は矜持きょうじに従い、

 細い剣を投げ捨てる。


「面白イ」


 かたかたとコキュートスの下顎が揺れた。

 笑っていた。


「互イニ武器ハ同ジ。純粋ニちからト技術ノ競イ合イトイウワケカ」


 敵は何も言わない。

 だが、笑っている。


 気配もなく、音もなく。

 黒い霧に隠されていても。


 コキュートスには、分かる。


 この相手もまた、武人だ。


 刹那の静止。


 開始の合図はない。

 ただ互いに、踏み込む。


 甲高い金属の悲鳴。

 ぶつかり合い火花を散らす武器のわななきを、二人の武人は嬌声きょうせいと聞く。


 突き、払い、薙ぎ、貫かんとする剣と剣は、

 互いに使い手の死という絶頂を目指す。


 刹那を無限に引き延ばす圧倒的な快楽の味。


 コキュートスは身震いする。


 スキルによる補助。

 全力の殺意を載せた剣。


 悪意もなく敵意も越え、無垢なる修羅の恍惚こうこつに身を委ねる。


 血のしたたるがごとき笑みをもらし、コキュートスはさらに連撃を繰り出す。

 己の最強たる技を惜しみなく披露する。


 この時間が終わることを、彼は恐れる。

 己の攻撃が防がれ、弾かれ、思いも寄らぬ方法でしのがれるとき、コキュートスは悔しさよりもむしろ、賛嘆と歓喜を覚える。


 懐かしい感覚だった。

 かつてこの世界に転移する前、まだナザリックに侵入者たち訪れていたころには、こういう強者とまみえることが何度かあった。


 いつかは終わるはずの時間。

 終わらせねばならない時間だ。

 己の勝利か敗北か。

 敵の勝利か敗北か。

 使命感はある。責任感も。守護者としての自覚も。

 だが、それでも。


 いまはただ、闘争の悦びにだけ身を浸していたい。


 剣を交えた時間は、これまでで十秒足らず。

 いったいそれだけの間に、どれほどの攻防があったのか。

 敵もまた、アイテムによる隠密効果のタイムリミットに追われているのか、苛烈に仕留めにかかってくる。


 必殺を狙う攻撃には隙も生まれやすい。

 待ち受けた好機に、コキュートスは慌てることなくさらなる布石を放つ。


 『フロスト・オーラ』発動。

 極寒の冷気でダメージを与えつつ、相手の動きを微妙に低下させる特殊能力だ。


 あえてこのときまで使わなかったのは、彼なりに学んだからだ。

 アインズとシャルティアの闘いを見、リザードマンたちとの闘いを経て。


 己の本分は闘いにこそある。

 知略においてデミウルゴスには遠く及ばず、むろんそちらとて可能なかぎり高みを目指すにせよ、なによりも至高の御方に役立てるのは戦闘においてであるとコキュートスは見定めていた。


 実際、アインズとシャルティアの争いにおいては、デミウルゴスよりも彼の方が的確に戦況を読み、解説を加えてやったほどだ。またデミウルゴス自身、戦闘の勝率についての予測をコキュートスに尋ねていた。


 敵が質より量で攻めてくるならば、『フロスト・オーラ』は早い段階で使用した方がよい。


 だが強力な個が向かってきたならば、あえてその能力を使わぬまま闘い、互いに互いの戦闘の呼吸を見切ったタイミングで『フロスト・オーラ』を発動する。


 わずかなりとも能力低下が起きた場合――それが戦闘開始前であったり、戦闘開始直後であったりすれば、強力な個はすぐさま己の力量を分析し、その状態での最善の動きを探るだろう。


 だが、すでに戦闘がある程度進み、互いのリズムをつかんだ状態だったならばどうなるか。


 相手の知覚からすれば、わずかずつコキュートスが速くなり、強くなったと見える。


 結果、リズムが狂う。

 これまでのつばぜり合いではっきりつかんだはずの、リズムが。


 ほんのささやかな――しかし完全に調和したハーモニーにおいて、どうしようもなく決定的なずれ。


 不協和音がもたらす効果は計り知れない。


 それは本来よりも強く敵を揺さぶり、

 体勢を整えるに必要な時間を延長させ、

 技と技の組み立ての緊密さを緩め、

 チューニングが完了するまで、その本来の実力に遠く及ばぬ状態で闘わざるを得なくさせる。


 コキュートスの秘策にして、奇策。


 『フロスト・オーラ』が敵に吹き寄せる。

 敵の動きがわずかに、しかし決定的に乱れたと、コキュートスの目に映った。


 だからこそ、仕掛けた――このときとばかりに、大技を。


 分かっていたはずだった。

 大技にこそ、隙は生まれる。

 敵のその隙を、さらに大きく広げ、いまや己が必殺の一撃をたたき込める状態のはずだった。


 しかし――


 まるではじめからすべて、予測していたように、

 否、おそらくはまさしくその通りに、

 敵はさらりと身をかわし、


 コキュートスは背後に吹っ飛ぶ。

 腹に叩き込まれた剣の柄、その豪腕に巨体は為す術もなく壁に激突する。


 驚き、痛み、疑念、

 なぜかわせた。

 なぜこのタイミングで。

 それになぜ――峰打ちにした?


「詰めが甘いんだよ」


 ぼそりと、

 しかし、どこかうれしそうに、

 敵は言う。


「狙ってることが丸わかりだ。ま、こっちがお前のステータスを把握してるせいもあるけどな。しかし――予想よりはいいじゃないか。楽しませてもらったぜ」


 懐かしい声。

 懐かしい響き。


「オ」


 コキュートスは瞠目どうもくする。


 黒い霧が、晴れる。


「オオオォオオォッ!」


 叫びは驚愕から歓喜へと色を変え、

 壁から身をもぎはなし、跪く。


「武人建御雷様! オ戻リニナラレタノデスカ!」


 感涙にむせばんばかりに見上げたコキュートスだったが、はっとしたように己の手元の剣を見下ろし、ぶるぶると震え出した。


「ワ、私ハナントイウコトヲ……御方ニ刃ヲ向ケルナドト……コノ無礼、死シテオ詫ビ申シ上ゲル所存ッ!」

「いいって、そういうの! だいたい、仕掛けたのはこっちだろうがよ」

「シ、シカシ……」

「俺がてめえに喧嘩ふっかけたからっててめえが腹切るなんざ、筋が通らないだろ。あーあー、そうかよ。やり合ってすっきりして楽しかったのは俺だけか」

「! イエ、ムロン血湧キ肉躍ル闘イデシタ!」

「なら、いいじゃないか」


 にかっと笑う建御雷に、コキュートスの肩のこわばりもほぐれる。


 しかしそれからほどなく、再び彼は緊張に見舞われることになる。


 創造主と信じた相手が、そのまがい物だと聞かされ、

 このナザリックを眠りに閉ざさぬためには、建御雷を含む五人の至高の御方々を殺さねばならぬと知ったがゆえに。


「と、まあめんどくせえ説明はここまでだ。さて、……お前はどうしたい? コキュートス」

「ワ、私ハ……」


 声が喉につっかえる。

 頭が混乱し、明晰な答えが出て来ない。


 コキュートスの直感は、目の前にいる者を己が創造主として認めている。


 当人はまがい物と言っても、しかし実際それは創造主の一部が組み上げられ、組み直されて生成されたものであり、不純物を含まぬがゆえにやはりオリジナルと同一性を保っているように思える。


 などという理屈での分析が為されたわけではない。

 それはもっと曖昧に、ぼんやりとした輪郭で彼の脳裏に浮かんだだけだった。


 長い長い沈黙を経て、いまだコキュートスは答えを見出せず、ただ跪くばかりで。


 建御雷はふっと笑って、


「難しく考えることないって」


 そのあっさりとした言いぐさに、驚いてコキュートスは顔を上げる。


 コキュートスの頭を、建御雷はぐわしぐわしと撫で、


「なあ、本気で剣のやりとりをするんなら俺とたっちさん、どっちがいい?」

「……稽古デアレバ、是非トモ武人建御雷様ニオ願イシタク……シカシ真剣勝負デアレバ、たっち・みー様ト闘ウコトハ死シテモ構ワヌ誉レト考エマス」


 建御雷は小さく身じろぎする。

 どこかくすぐったげで、照れくさげに。


「そう言うと思ったぜ。お前は、俺がつくったNPCだからな。……さて、話は決まった。俺と来い、コキュートス」

「……デスガ、アインズ様ニ刃ヲ向ケルコトハ……」

「アインズ? ああ、モモンガさんか。そりゃ嫌なことはやらなきゃいいさ。なんならたっちさんを倒した後で俺の敵に回るんでもいいし、俺の味方のふりして後ろから撃ってきても構わない。お前のやりたいようにやれよ」


 身も蓋もないことを言ってのけ、

 呵々かかと笑うこの男を、

 コキュートスは眩しく見上げる。


「なあ、コキュートス。ゲームってのはな、楽しんだ者勝ちなんだよ」

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