五、心の隙間

 シャルティアは茫漠ぼうばくとした意識の狭間で、絹を裂く絶叫を聞く。


 その声はあらかじめペロロンチーノの指示で使用したアイテムによって、観客席の上から二段目でのみ反響し、消える。

 二人の至高には届かない声は、その代わりにアイテムで区切られた一画においてはこだまを伴い長く尾を引く。


 だというのに、彼女はそれを親しい守護者アウラの声として認識することもなく、そちらに顔を向けることさえしない。


 絶望に囚われたまま、彼女は闘技場を見下ろし続ける。

 目に入るものもよく理解しないまま。


 席の陰に身を隠して……どうして隠れているんだったっけ。


 ああそう、ペロロンチーノ様が命じられたから。

 隠れて、それでどうするんだった?


 アインズ様が為すべきことを……何を為されるのだったか思い出せないけれど……とにかくあの御方がおひとりでこなせるようならば、わたしたちは何もしなくていい。だけれどそうでないならば……ないならば……


 混沌という名の自己防衛。

 そのまま沈み込んでしまいたい願望と、そうあってはならないと駆り立てる焦燥。


 彼女は幾度目かの回想へ落ちる。


 久しぶりに現れた創造主。心躍るひととき。そして残酷な告白。守護者たちへの頼み――命令としてではない、とあの御方はおっしゃった。命令する権利なんてないんだから、と。


『ごめんな、シャルティア』


 泣きすがるシャルティアに、ペロロンチーノは優しく言った。


『俺はさ、シャルティアには元気に走り回ったり跳びはねたりしてほしいんだ。たくさん笑ってほしいし、おいしいものを食べてほしいし、うれしいとか誇らしいとか思えることがいっぱいあるといい。ずっと眠り姫みたいに動かないんじゃなくてさ』

『でも、夢の中でわたしはきっと走り回るし跳びはねるし、笑うしおいしいものも食べるし、うれしいとか誇らしいとか思うことがいっぱいあるようにすればいいのではありんせんか? わたし……いえ、わらわは、きっとペロロンチーノ様に喜んでいただけるようにしんす。きっと、きっと……』

『でも、それは夢なんだ。現実じゃない』

『夢では、いけんせんの?』


 束の間の沈黙に、シャルティアは希望を繋いだ。

 けれどペロロンチーノは彼女を抱き締めて、


『いい子だ、シャルティア。お前は本当にいい子だ。お前の声を聞けたとき、俺がどんなに嬉しかったか。ああ、俺が想像したとおりの声、どんな精巧な機械よりもしっかりとした、生きたお前の声だ。……もっとお前の声が聞きたいよ。もっとお前といっしょにいたい。もしもお前をただの人形だと思えたなら、俺は夢の中にお前を閉じ込めることを望んだかもしれない。でも、お前はそんなもんじゃないんだ。俺の大事な、大事な娘なんだよ。その輝きを、俺のせいで消してほしくない。もっともっと、生きてほしいんだ。生き続けてほしいんだ』

『分かりんせん……わらわにはぜんぜん、分かりんせん……っ。わらわを愛してくださるんなら、そんなことはおっしゃらないで……そんなことを、おっしゃるくらいなら……どうしてわらわを置いて行ってしまいんしたの……?』


 か細い声が問いかける。

 あの御方は、答えてはくださらなかった。


 曖昧模糊あいまいもことした思考の狭間、狂おしい回想がループするその間隙かんげきを、シャルティアはたゆたう。

 想いの切れ端が取り巻くなかで、なにかをつかもうと足掻あがいている。

 大事なことを聞いたはずだ。いま、たしかにいま。


 彼女は人形のごとくに立ち尽くす。

 少し離れたところでは、アウラが弟を抱き留めている。彼は意識を失っている。アアウラがぐいぐい『強欲と無欲』をマーレに押しつけるも、目を覚ます気配はない。


 シャルティアは見つめ続ける。

 闘技場を。








 アインズは冷静に、相対した者を見つめていた。


 その姿。その構え。引き絞る弓の音。強さを増す光。

 すべてがペロロンチーノそのままに、

 しかしゆえにこそ、許しがたい。


「モモンガさん、何もしなくていいんですか? そろそろ撃ちますよ」

「どうぞ、お好きなように。その程度の攻撃力では、さして脅威にはなりませんから」

「あはは! 油断ならないなあ、ほんとに。動揺しまくってたかと思えば、ちゃあんと分析はしてたわけだ。おおせのとおり、俺はオリジナルより弱体化してますよ。エフェクトと速度は変わらないはずですが、攻撃力ががた落ちです。まあでも、ちりも積もればなんとやらってね」

「積もらせるとお思いですか?」

「おやさしいモモンガさんなら、そりゃもう」

「……本当にあなたは、声も口調も、ペロロンチーノさんにそっくりだ」

「でしょうね」

「中途半端に似ている方が、かえって差異が鼻につくんですよ。我慢ならないほどに」

「あれ? ご機嫌ななめですね。そんなに怒らないでください――よぉ!」


 第三射が放たれる。

 なんのひねりもない同じ攻撃を、三度続けて。


 アインズは落ち着いた声で、


「中位アンデッド作成 デス・ナイト」


 あえて矢が通過したあとの場所に。

 デス・ナイトを召喚する。


 三発目が命中し、アインズは冷静にダメージを計り、予測と変わらないことを確かめる。


(……油断させておいて絡め手をつかうとか、そういうわけでもないのか。ほんとに無作為に、ただ攻撃してくるだけ。必要以上に間合いを詰めて、自分の強みをまったく活かさずに)


 いま目の前にいるバードマンは、まがい物だ。どうしようもなく。

 似姿として受け入れることさえ、叶わないほどに。


「デス・ナイト、お前は盾だ。私の前に在り、私を守ればよい」


 冷徹に命じれば、デス・ナイトは雄叫びを返答とする。

 ペロロンチーノは肩をすくめ、


「ひどいなあ、モモンガさん。ゲームのときとちがって、今はもうそいつらにも心があるって分かってるでしょうに。殺す気満々の捨て駒にするんですか? いくら俺が弱体化していても、そいつぐらい楽勝でひねり潰しますよ?」

「ええ、そうですね。ただゲームの頃と違って、私も少しばかり人間をやめてますから――甘さを期待しないでもらいたいな」


 声の温度が、下がる。

 仲間に対する親しみの欠片さえ、吹き消して。

 杖でデス・ナイトを指し示し、


「まさか知らないことはないと思うが、あえて説明しておこう。このデス・ナイトは弱いシモベだ。しかし二つの特殊能力をもっている。一つは敵の攻撃を必ず引き受けてくれる。そしてもう一つ、どれだけ威力のある攻撃であろうとも、一度だけは必ず堪えしのぐ」

「ああ、もちろん知ってますよ。モモンガさん、そいつ盾にすんの好きでしたよね」

「……知っている、か」


 低く笑う。

 その様子には、さっきまでの混乱も、必死さもない。

 どこまでも淡々としていた。


「さて、これから私は超位魔法の詠唱に入るとしよう。その馬鹿の一つ覚えのごとき攻撃を改めて、少しは工夫を凝らすんだな」

「あっはは! モモンガさん、ひとつ聞いていいですか? まあだめって言われても聞きますけど――怒ってます?」

「……自覚があるのなら、真剣になってもらいたい」

「怖いなあ。他人行儀にしないでくださいよ。で、俺の方からも忠告なんですけどね? いいのかなーここで超位魔法使っちゃっても。使用回数に制限ありますし、冷却時間けっこういりますよね?」

「特別扱いだ。喜んでほしいものだがな」

「そいつはどーも」


 へらへらと笑い、両腕を広げてみせるバードマンに、

 そのおどけた様子に、揺さぶられる。


 懐かしさよりも、悲しみに。

 悲しみよりも、怒りに。


 ペロロンチーノの姿をし、ペロロンチーノの能力をもつからには。

 たとえ劣ったものであれ、ふさわしいだけの戦術を見せてみろ。


 出来ないならば、

 その姿、その声、その装備、その振る舞いのすべてがあのひとへの冒涜ぼうとくとみなす。


 ……殺す。


 そこにはわずかばかりの祈りと、希望が隠されている。

 潰えても潰えても、しぶとく息を吹き返す希望の、最後のひとしずくが。


 なんて甘い試練だろうか? こちらは詠唱時間をゼロにすることも出来るのに、あえてそのアイテムを使うことすらしないのだ。

 この程度の、たかが一体の壁モンスターがいる状況でどうやって超位魔法を阻止するかというだけの、簡単な課題。

 解ければやはりまだ未練を残し、説得しても土下座をしても戦いをやめたいと願っているというのだから――


 仲間たちがいたら呆れ、笑うだろう。


 ――ほんとに、モモンガさんは寂しがり屋ですよね。


 さんざんメール攻勢していたころ、冗談まじりにペロロンチーノが返信してきた文面が、ふっと頭に浮かんだ。


 ……なのに。


 目の前にいるペロロンチーノは――ペロロンチーノの姿をしたまがい物は。


 また、矢をつがえたのだ。

 さっきまでと、何一つ変わらないままに。


 す、とアインズの眼窩が暗くなった。










 ペロロンチーノの背筋を、寒気が走った。


(う、わぁ……まじキレちゃったな、これ)


 吹き付ける怒り。絶望のオーラⅤも発動しているようだ。本人は無自覚っぽいが。


(ひとまずは計算通り、っと)


 ペロロンチーノをまがい物と認識させるために、彼が選んだ作戦は、『傭兵NPCのように振る舞う』ということだ。それもろくな指揮官プレイヤーがついていないときの。


 単調で単純な攻撃をひたすら繰り返すだけの、お粗末なAI。

 それを執拗に、かつ過剰に再現する。


 あとは――

 ただ殺されるのを待てばいい。

 無意味な攻撃を繰り返しながら。


 胸の奥に、重たいものが落ちる。


 いやだ、と思う。


 死にたくない。

 消えたくない。

 怖い。

 失われるのが怖い。

 失うのが怖い。


 いっしょにいたい。

 モモンガさんと、ギルメンみんなと。

 シャルティアと、シモベたちみんなと。


 ずっと、いっしょにいたい。


 その感情を――観客席にひそんでいるであろうシャルティアのことを思い浮かべ、抑え込む。


(……すいません、モモンガさん、たっちさん。俺、たぶん……そう長くは頑張れないと思うんですよ)


 この感情の渦に、弱い心が押し流されてしまう前に。

 本気でモモンガを殺して、自分は生き延びようと望んでしまう前に。

 少しでも役に立つ形で、モモンガに殺されなければ。


(ごめんな、シャルティア)


 俺は弱いから。

 みっともなく命乞いして、モモンガさんを困らせてしまいそうだから。


 お前が見ていると思えば、俺は頑張れる。

 シャルティアの前では、かっこいい創造主でいたいから。


 ほんと、ごめんな。

 勇気がほしくて、夢を見たくて。

 お前に、甘えたんだよ。

 言い訳をつくって、偉そうにして。

 ほんとはどうしようもなく――みっともないのにな。


 矢を放つ。

 デス・ナイトはHP1でそれを堪えしのぐ。


 それからもう一度、矢をつがえる。


 どこまでもただそれだけを。

 なんの意味もなくなんの意義もない、無為な人形を演じるために。


 そして、

 超位魔法は発動する。

 無情にも盾となるシモベさえ巻き込んで。

 ペロロンチーノは何もせず、ただ愚かしく弓を構えたまま――


 その灼熱を受け入れた。


 苦痛。恐怖。

 それ以上に――


(……駄目じゃないですか、モモンガさん。これ、対アンデッド用の超位魔法ですよ?)


 焼けただれそうな思考の狭間に、奇妙に冷たく冴え渡る部分が、彼に苦言を呈させる。

 これは間違いだ、こんな選択はおかしい、と。


 それでいて、本当は分かっているのだ。


 モモンガがどうして、この魔法を選んだのか。


 バードマン相手に使うべきではないこの魔法を、

 バードマンだからこそ使わずにいられなかったという矛盾。


 理性よりも感情で。

 理屈よりも感傷で。

 選ばざるを得ないくらいには、

 モモンガはまだ、未練があるのだ。


 だからこそ。

 そんなモモンガだからこそ。


(あなたになら託せる――だから)


 この弱さを、

 逃げ出したい臆病さを、

 この熱が灼き尽くしてくれることを望んだ。










 『失墜する天空フォールンダウン』。


 闘技場を荒れ狂う灼熱。

 シャルティアはその頬に熱風を感じる。ぼんやりと頬に手を当てる。


 ペロロンチーノの体勢が崩れる。

 膝をつく。


 ああ、HPが。それとも防御力が。もしかしたら両方が。

 かつてに比べ、ずっと低いんだ。

 いや、それも当然か。

 あの御方は――本物の、あの御方ではないのだから。

 あの御方の影。あの御方の劣化コピー。あの御方の……


『寒くないか? シャルティア』


『いや、ほら。手をつないで歩こうかな、って』


『俺の背中に乗りなよ』




 ……あの、御方は。




 シャルティアは唇を噛みしめる。

 その目が見開かれる。


 傷つき膝をつく創造主と、

 冷然と見下ろすアインズ。


 殺されてしまう。

 あの御方は。

 本心を隠したまま。

 アインズ様のために自らをなげうったことを、秘したままで。


 殺されてしまう。

 何も言わず。

 黙って――

 黙って、殺され――


『じゃあ黙って殺されてくださいよ。ナザリックの奴らが全員戦闘不能になれば、俺たちも安泰なわけですから』


 シャルティアは息を呑む。

 ああ、そうか。

 なにか大事なことを、聞き逃した気がしていた。


 そう、だったか。


 美しい唇が歪んだ。


 傍らにちらりと目を向ける。

 アウラは弟を起こそうとしたり、ペロロンチーノの様子をうかがったりしていたが、アインズが殺すつもりになったことを悟って頷き、弟にかかりきりになっている。


 シャルティアは鎧をまとい、スポイトランスを手にした。

 その気配にアウラが振り返ったときには、遅い。


 観客席の壁を蹴り、

 闘技場へと――


 アインズへと襲いかかった。

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