ブラッドスミス

T・S

序章

 カーン、カーンと金属を叩く音が聞こえてくる。その鍛造の音を合図に、僕の一日は今日も始まった。睡眠を阻害するその音は、安眠妨害の騒音としては一級品だ。普通の人間なら眉を顰めて「静かにしろ!」と怒鳴り返すに違い無い。けれど、僕にとっては子守唄と相違なかった。これは単純にそういう環境に慣れているというだけの話。だからその音を気にせずに寝ることは容易い。とはいえ、だ。それをすると格好悪いということを物心付いた頃に覚えた僕は、今日もしっかりと起きて台所に向かうのだ。


「おはようラシール」


「おはよう。ちょっと待っててカリス」


 起き出してきた僕に気づいていたのだろう。彼女は昨夜に用意していたスープの鍋を火の魔法で暖めていた。既にテーブルの上にはちょっと焦げ目がついた熱々のチーズとハムが乗せられたパンがあり食われる気満々で待機している。これに先ほどから良い匂いを放っているスープが加われば、このささやかな朝の幸せを噛み締めたくもなるものだ。だってこれは、新婚さんの朝みたいなものじゃないか。


「なにニヤニヤしてるのよ。いい夢でも見たの?」


「あ、いや、なんでもないよ。顔洗ってくるから」


 席にも着かずに突っ立ったままの僕は、急いで洗面所へと逃げ込んだ。そうして、手近に吊るしてあったナイフを握り締め魔力を通す。すると、ナイフの表面に刻まれた魔術文字が薄っすらと光って水を勢いよく放出し始める。その水を桶に溜め込みながら、僕は鏡の向こうに居る自分を眺めた。


 鏡の向こうにはボサボサの黒髪をそのままに、どこか子供っぽい顔つきの少年が突っ立っている。間違いなくそれは僕だったが、もっとこう身長が欲しいとか、格好良く生まれたかったと思わずにはいられない。こんなんじゃあ、全然自信が湧いてこない。


ドワーフの親方に相談すると、髭を生やせばいいとアドバイスをくれたが、そうしようとするとラシールには不評だった。そのため美的センスの差が露呈しただけに終わった。実に情けない話だ。ちょっと勇気を出せばいいだけのことなのにこのヘタレ魔族! と、毒づいて気づく。そういえば、この目の前に居るヘタレは十七歳の僕だったか。


「はぁ……」


 ラシールは多分、僕の好意に気づいている。だっていうのに、僕は一体いつになればヘタレを卒業できるのだろう。


 ラシール・エル・フィシュテルは僕にとっては複雑な女性だ。何せ侍女で護衛で母親代わり、オマケに姉のような他人であり魔法と武芸の先生でもある見目麗しいダークエルフの女性だ。属性過多で我ながら呆れるほどだし、年も多分かなり離れている。


彼女の侍女仲間のタレコミ情報によればなんと年齢は三桁台。二桁台の僕とは文字通り大人と子供を通り越した年の差がある。だっていうのに、ラシールは僕とそう変わらない程度の年齢にしか見えない外見なのだ。彼女の周りだけ時間が止まっているのではないかと錯覚することさえある。僕がいつまでも子ども扱いなのはきっとそのせいだ。

しかもエルフ族の美しい容姿で僕をからかうのだから手に負えない。なんだあの思わず触りたくなるサラサラの金髪は! けしからんボディは! なんだあの、あの――、


「――っと」


 桶に溢れそうな水を見て、ナイフから水を出すのを止めて顔を煩悩と一緒に洗い流す。そうして、もう一度鏡の向こうの僕を見た。


 真紅の瞳が僕を見返し「がんばれ」と、何故かエールを送ってきた気がした。なんとなくそれに頷き返して、僕は台所へと戻る。するとパンにかぶりついているラシールが居た。思わず口を開こうとして――、


「むぐむぐ。カリス、遅いから先に食べちゃってるわよ」


 ――質問よりも先に答えられた。


「また僕の心を読んだな!?」


「そんなに恨めしげな目で見られたら誰だって分かるってば」


「なら待ってくれたっていいじゃないか!」


 抗議するが、ラシールは取り合わない。それどころか碧眼の目元をニヘラッと歪めて楽しげに言うのだ。


「おやおやぁ、カリス君はそんなにお姉さんと朝餉を一緒したかったのかなぁ?」


「くっ、なんてやらしい目をしやがるんだ」


 僕の全てを見透かしたようなその目が、僕はとても苦手だ。視線を反らし、パンにかぶりつき、スープを飲む。そうして、視線を合わさないようにしてやる。断じて楽しませてなんてやらない。だっていうのに、悪態をつきながらも僕はきっと笑っていた。心の中の冷めた自分が、この他愛ないひと時を永遠のモノにしておきたくてしょうがない。嗚呼、でもなんとなく気づいてもいたのだ。そろそろこんな生活も限界かもしれないって。


「ねぇカリス」


「なにさ」


「そろそろ潮時だよ。連中がこの国をうろつき始めてる」


「……そっか」


 何度味わっても嫌な沈黙。息苦しくて、張り詰めるようなその空気が食事の手を自然と止める。ラシールはいつも選択を僕に委ねる。進言するし提案もするが、決断だけは僕にさせる。そうやって僕を立てようとしているのだ。僕に仕える理由なんてもうないはずなのに。


「親方に言うよ。ただ、今の仕事が終わるまで今日を入れて三日は欲しい」


「了解。行商が来るのは五日後だしね。ちょっとその間に買出しに行って来るね」


「うん。それで、次はどこに行こうか」


「この際だからラレンツェルまで一気に行っちゃうのは?」


 商業都市ラレンツェル。今住んでいるリスティン王国から東にある、この大陸最東の国だ。ドワーフやダークエルフの多い国で、妖精まで住んでいるという。商業都市だけあって仕事も多いことだろう。そこなら確かに都合が良い。


「いいね。あそこは海運も盛んだって聞くし、いざとなれば船で逃げられる」


「じゃ決まりね。準備は任せてしっかりと仕事してきなさい」


「分かってるよ」


「後、スープのおかわりまだあるけどどうする?」


「……貰うよ」


 空になった器を差し出し、ぶっきらぼうに言う。そんな僕の様子をやっぱり楽しみながら、ラシールは満面の笑みで僕の好きなスープを器に注いだ。




 馬に乗り込み、武装したラシールが山を下るのを見送った僕はその足で仕事場へと向かい、親方に出て行くことを話した。


「そうか」


 鍛治の腕を止めずに、親方は素っ気無く言った。理由を聞いたりもしない。僕とラシールを住まわせてくれたときも、そういえばこうだった。職人気質な者が多いドワーフにとってはどうでも良いことだったのかもしれない。


 低い身長ながらもどっしりとしたその体躯は、まるで樽のようにも見える。しかし、骨太で筋肉質な彼らドワーフはその体格に似合わない瞬発力と膂力を備えている。拳骨を貰えば人間の頭部なら陥没するのは間違い無い。まぁ、子供ならともかく大人の頭を殴るには身長がかなり足りないだろうけど。親方は間違い無く気風の良い粋な男だ。特にその髭の渋さは名工に相応しい貫禄を持っている。僕も将来は親方みたいな髭が欲しいものだ。


「すいません親方。こんな急に」


「好きにすればいい。だが、気が向いたら戻って来い。お前のエンチャント技術を腐らせるのは惜しいからな」


 エンチャント技術。俗に言う魔剣を作成するために必要な必須技能だ。付与魔法とも呼ばれ、鍛冶師〈ブラックスミス〉が作った剣に魔法の術式を刻み込んで魔剣化させることができる。そのことから付与が出来る鍛冶師を付与鍛冶師〈エンチャントスミス〉と呼ぶのだ。


 名工の場合はどちらの技術も習得している場合があるが、そんなのは希少だ。親方もエンチャントできるが、余り得意ではないそうだしその種類も少ないらしく専ら剣を作ることを専門にしている。後は勝手に剣を買った者がエンチャントの専門家にやらせればいい。


 僕はその中から数本を魔剣化し、その差分を仕事代としても貰っている。無論、親方には宿代を払っているわけだが僕が付与した魔剣は最近評判になっていた。元々付与技術の維持のために親方も何本かは売っていたので、それに紛れて少しずつ売って貰っている。おかげで在庫が随分と堪ったが、少しずつ売り払ってもらえれば怪しまれまい。故あって名前を売りたくない僕たちだ。親方の気遣いには頭が下がる。もっとも、そのせいで得意先から親方に魔剣製造の依頼が来て親方が少し困っていた。


 そもそも親方の鍛治技術は一級品。そこに僕の付与が加わればざっとこんなもんだ。唯一今の僕が自信を持てる技術であるだけはある。


「その時はお願いします。今までありがとうございました」


「なんだすぐに出て行くみたいじゃねーか。そういうのは直前に言うもんだ」


「ですね。あっ、そうだ。注文の分はなんとか出て行く前にやっときますから」


「急ぐのはいいが、ミスるなよ」


 鼻を鳴らしながら、更に威勢よく親方がハンマーを振るう。鉄を打つその音が、どこか寂しげな音を奏でたのは気のせいではないとその時に僕は思った。滅多に褒めない親方が、口にして惜しいと言ってくれた。嬉しいことだった。一度黙って親方の背中に頭を下げ、僕は工房の奥へと引っ込む。


 そこには多種多様な武器がある。親方が一番得意なのは剣なのだが、剣だけでなく槍や斧もあった。やはり名工と呼ばれるだけあって技能は豊富なのだ。最近は軍で標準的な装備として集められている長剣や槍を専ら作らされているそうなので、僕もそれらへのエンチャントに絞っている。おかげで一山当てた気分だ。


「えーと、後は槍一本と長剣二本か。あちゃあ、これだと今日中に終わるな」


 作業台に置かれた注文書と自分の記憶違いに頭を悩ます。ラシールに知られれば呆れられるに違い無い。まぁ、お礼の意味も込めて親方の在庫を適当にエンチャントしてお礼にすればいいか。


「さて、とりあえず依頼を完遂するとしようか」




 僕にはありがたいことにそれで食っていけるだけのエンチャント技術がある。そのおかげで仕事には困らない。魔剣には細かく言えばいくつかの種類があるが、巷で売られているような基本的な三種類全て作る技術があるというのはかなりの強みだ。


 一つ目は所持者の魔力を込めることで刻まれた術式の魔法を簡単に使用できるスペルソード。二つ目は所持するだけで常時効果を発揮するマジックソード。そして最後に先の二つが組み込まれたコンポジットソード。依頼書によれば、防御障壁と威力強化に治癒の三つのエンチャントが欲しいようだ。この三つだと間違いなくスペルソードになる。必要な時に必要な魔法を使うことで対処する仕様だ。エンチャントの内容から考えれば生存力に特化した仕様とも言える。間違いなく対人用。これはいよいよ戦争が始まる前触れか。


 今の所大きな戦は周辺国ではないけれど、それでも自衛のために国は強力な武具を欲するのが常だった。しかし、そんな建前よりも確かな脅威として大陸中央で幅を利かせている神聖ラルガス帝国がある。彼の大国が大陸制覇を狙っているのは周知の事実で、ここ百数十年で膨れ上がった彼の国から身を守るため、領土の西側が隣接しているリスティン王国は防衛戦力の強化や隣国との同盟関係の維持に余念がない。来るべき戦争に向けての準備が着々と進んでいるというわけだ。


 ロングソードの表面に指先を這わせ、魔力で術式を刻んでエンチャントを施していく。重ね合わせてはならないため、刻める術式の数には自然と面積による限界ができる。また、複数組み込むにもセンスが居る。術式の意味合いを持つ魔法文字同士が干渉しないようにする必要があるのだ。失敗すると使用時に魔力が暴走して爆発することがあるため、これには繊細な注意が必要だ。気を抜くことなく一本仕上げ、更に二本目。昼ご飯を食べた後に最後の槍を仕上げにかかる。槍の場合は握りに刻むため少しやり難い。


 術式を刻み込むための魔力放出の熱で、全身に薄っすらと汗が流れる。親方と比べれば大したことはないけれど、やはり僕は魔剣鍛造が好きらしい。張り付くシャツの不快さも、出来上がりの瞬間を思えばなんてことはない。エンチャントするのが楽しいのだ。


 付与の内容を考え、術式を構築し、時にはしょうもないものにエンチャントして実験する。ただそれだけを延々と繰り返し、ラシールと一緒に平和に日々を過ごせたのならどれだけ幸せなのだろう。まぁ、彼女に関しては僕が振られたらそれまでの話なわけだけど、それぐらいは少年時代の淡い恋ということで我慢してもらいたい。それだけ魅力的だという意味で。無理かな? いいや、貴重な初恋だ。それぐらいならきっとロマンスの神様だって許してくれるに違い無い。というか許せ神。


「ん、槍も終わりだな」


 作品を持って工房の外へ。そしてエンチャントの失敗が無いことを確認する。まぁ、この程度なら問題はない。完璧な仕事だと胸を晴れるほどの出来栄えに、思わず顔が綻ぶ。


 軽く振り回し、もう一度だけ具合を確かめた後で完了分として依頼書と一緒に工房内に仕分けておく。後は適当に親方の作品をエンチャントするだけだ。


(久し振りに付与限界に挑戦してみるのもいいかもな)


 びっしりと剣の表面に隙間無く術式を込める。所持者や鑑定者が見れば、思わず頬をヒクつかせること間違いない。手間が掛かるが、魔剣としての能力も凄まじい。今の自分がどれだけできるのかを知るにはいいかもしれない。我ながら子供染みた悪戯心を持っているとは思うが、この遊び心が無ければエンチャントなどできやしない。適当にロングソードを一本拝借し、付与の内容をボンヤリと考え始めたところで来客が来たことに気づいた。


 入ってすぐの親方のメインの仕事場の方から話し声が聞こえて来たのだ。よくやってくる行商人の男とは違う。それに、彼が来るのは五日後だ。なら親方の腕を知ってオーダーメイドの注文をしにきた傭兵か、それとも金持ちの道楽者か。気にはなるが僕にはまったく関係がない、そう思っていたのだが親方が僕を呼んだ。


「小僧、ちょっと出て来い」


「はいーっす」


 親方が呼ぶということは、危険はないということか。そう思って顔を出す。すると、そこにはエルフの少女が居た。見た目の年齢だけなら僕とタメぐらいだろうか。やってきた僕に気づき横目でチラリと僕を見た。


 後ろで結い上げられた銀髪がその拍子に揺れ、エルフ特有の長い耳が顔を覗かせる。ラシールの褐色の肌と比べればその色の白さは病的だとも思えるかもしれない。だが、大してそれは気にならない。本当に気になるのは、彼女の高貴な雰囲気とその切実さだった。


「難しい注文でも?」


「ああ。こいつを見てみろ」


 口惜しそうに手にした剣を僕に差し出す親方が、思わず顔を顰める理由がそこにあった。それは、真っ二つに両断された魔剣の残骸だった。


「聖剣だとよ。それも、祝福が付与されただけの簡易版じゃなくて本物の聖人の血で作られた……な」


「ブラッドソードってことですか」


 通常の方法では製作できない魔剣というものがこの世には二つある。一つはゴッドソード〈神剣〉。そしてもう一つが秘匿されている禁断の秘術で作られたという、今僕の手の中にあるこのブラッドソード〈血剣〉だ。


(しかもこれは血を浴びただけの偶発タイプでもない。確かな命が宿っている本物だ)


 呆気に取られながらも、僕は久し振りに見たその魔剣に興奮を隠し切れなかった。長剣タイプのシンプルなその剣には華美な装飾など一切無い。だが、その純白の刃には一点の曇りも無く金属とは思えないほどに軽い。そしてこの工房にあるどの魔剣よりも強力な力を持っているのを感じた。この圧倒的な存在感には素直に感嘆の吐息を吐きたくなる。


「ブラッドソードは鍛造できる者にしか修復できないって話だ。悪いことは言わない。この国での修復は諦めろ」


「そんな……リスティン王国が誇る名工グリシュテン殿でも無理なのですか!?」


「悔しいが、そいつは剣であって剣ではない。ワシには到底作れん代物だ」


 少女はうな垂れるように地面に膝を着き、拳を震わせた。恐らくは、家宝か何かだったのだろう。少なくともリスティン大陸の中央から東側にはこれをどうにかできる鍛冶師はほぼいないと考えたほうがいい。でもまぁ、必死そうだし可能性だけはプレゼントしておこうか。


「親方、帝国の更に西にあるっていう魔族の国なら直せるんじゃないかな。ほら、もう帝国に滅ぼされたけど、ブラッドソードを鍛造できる魔剣王も魔族の人だったんでしょう」


「馬鹿野郎。ラルガスの西に行くのは今は無理だ。いつ戦争になっても可笑しくはないんだぞ。国だって国境を封鎖してるぐらいだ。とても薦められん」


「あ、そういえばそうだったっけ」


「魔剣王……そうか。魔族の国なら可能性はあるかもしれないのだな!?」


 エルフの少女が縋るような目で見上げてくる。


「確実とは言わないけど恐らくは」


「可能性だけならそうかもしれんが、遠すぎて情報は曖昧だぞ。悪いことは言わねーから止めとけよ嬢ちゃん」


 親方が余計なことは言うなと、僕に目で釘を刺す。それに苦笑しながら頷く僕だったが、素朴な質問を投げかける口は止められなかった。


「それで、直せるか直せないか以前の問題として聞きたいんだけどさ。どうしてこんなになったんだい?」


「むっ、それはその……」


「本物の聖剣……というか、ブラッドソードなわけだし普通の方法だと簡単に壊せないと思うんだ。相手も似たようなのを持ってたの?」


「うっ――」


 どうやら図星のようだ。でもそれにしたってこんなあっさりと折れるのだろうか? 切断面以外に刃こぼれが見あたらない。一撃で折られたとしか思えない有様なのだ。


「……まさか、相手は神剣だったとか言わないよね?」


「何故分かった!?」


「「――」」


 どうやら、彼女は嘘を言えない人種のようだ。ウチのダークエルフさんにも見習わせたいほどの素直さである。でもそうか。だからラシールは潮時だと言ったのか。


「神剣ってことはまさか嬢ちゃん。帝国の神剣使いとやりあったのか?」


「ああ。リスティンの聖剣の性能テストだとか言っていたな。三日前に夜道で襲われた」


 待て、ちょっと待て。今この女はリスティンの聖剣と言ったのか?


「親方。もしかしてこの人、やんごとない身分のお方?」


「まぁ、そんなようなもんだ」


「クリア・リスティンだ。一応はこの国の第一王女になる」


「えっと、こういうときって普通は身分を隠したりするものなんじゃ……」


「生憎と私は素性を隠さなければならない国になど住んではいないのでな」


 自信満々な顔で言われ、堪らず僕は親方を見る。すると親方は明後日の方向を向いていた。認めたくない事実とやららしい。この国の未来が心配だ。


「えーと、だとするとこの剣は王家の聖剣マリアードですか?」


「うむ」


 真っ二つに折られた聖剣を見て、胸を張る王女。そういえば、この国の王女はハーフエルフで国内を練り歩き治安維持活動に従事していると聞いたことがある。年は十六だったか? 帝国の間者にでも情報が回り、威力偵察でもされたということか。なんで見逃されたのかが気にはなるが、まぁ、相手が間抜けだったというオチであって欲しいものだ。まさか本当に魔剣の性能テストがしたかっただけなので見逃したということはあるまい。うん、それはありえないな。


「なんで帝国に襲われて生きてるんですか」


「折られた瞬間に破片を拾って脱兎の如く逃げ出したからだ。うむ。我ながらよく逃げ切れたものだ。日頃の修練の賜物だな。こう見えて機動力には自信があるんだ」


 逃げ足が凄まじいのか、それとも相手が故意だったのか。まぁ、どちらにせよ神剣使いから逃がれたということはいろんな意味で只者ではない。素直に関心しつつ、僕は折れた剣を持って手近な台に乗せ断面をくっつけてみる。


「――あ、くっついた」


「馬鹿を言うな。そんなわけがあるか」


 冗談だと思ったのだろう。親方が呆れた顔で僕を見る。王女の方も不謹慎な冗談を言う僕を見て、眉根を寄せた。


「え? でもほら」


 そんな二人に元に戻った聖剣の柄を握って見せる。折れた断面は消え、しっかりと元の形状を取り戻した聖剣様だ。それを見た瞬間、二人が絶叫を上げた。


「ちょ、待て! どうやったそれ!?」


「断面が綺麗だからくっつけたら治るかなと思ってさ。やってみただけなんだけど……うん。何事も試してみるものだね」


「ざけんな! そんなのでブラッドソードがくっつくか!」


「でも親方、くっついちゃったよ」


「貸して見せろ!」


 ひったくるように親方が剣を取り、断面を見る。だが、その顔が驚愕に包まれているのを見れば答えは出ている。そう、完全に修復されているのだ。


「剣の特性もあるのかもね。どうやら防御に秀でているみたいだし、治癒方面の強力な加護〈プロビデンス〉が幸いしたのかな」


「確かにマリアードにはそういう能力もあるが……刀身自体に作用するなんて聞いたことがないぞ」


「自己復元能力を持った魔剣もあるにはあるがそれと同じってことか? 嬢ちゃん、持ってみろ」


 腑に落ちないという顔をして、聖剣を王女に渡す親方。試しに親方が在庫の魔剣を王女に切らせてみると、魔剣の方がすっぱりと切れた。聖剣の方には当然のように刃こぼれ一つ見当たらない。


「ふははは。さすが我が国の至宝! これで神剣使いに何度折られても戦えるな!」


「あー、その、二度目は無いタイプかもしれないからそれは止めたほうが……」


「むぅ、そういうものか。まぁ、私も進んで折られたいわけではないからな。以後気をつけることにしよう。しかし、今日の所は感謝させてくれ。ありがとう。これで父上に大目玉を食らわずにすむ!」


「あ、どうも」


 そう言って極上のスマイルをプレゼントしてくれたクレア王女。ラシールとはまた違った凛々しくも清楚なタイプではあったが、両手を取られて至近距離からアタックされたせいで僕の羞恥心は今にも限界を超えそうだった。


「ふふ。グリシュテン殿は腕のいい弟子をもっているな。今後も何かあれば頼むぞ」


 親方にも礼を言って去っていく。まるで嵐のような人だ。お姫様にしては割と剛毅なのかもしれない。しかし、親方が抱きつかれて真っ赤になったのは面白かった。アレで親方も結構純情なところがあるんだな。無駄に親近感が沸いた。と、そんな僕の新しい発見など露とも知らずに親方は僕に背を向け仕事に戻る。


 鍛造の音が、子守唄のように工房に響く。良い音だ。澄み切っていて、迷いがない。この音で、業物が作れないわけがない。ああ、ここは本当に良い工房だ。


「なぁ、カリス」


「なんです親方」


「魔剣王には子供が一人居たそうだが、お前さん知ってるか?」


「いいえ。でも十年何年か前に帝国に滅ぼされたんでしょ、魔剣王の国アーカイバは。だったら、その子供も捕まって殺されたんじゃないっすかね」


「――かもな。世知辛い世の中だよまったく。お前も旅に出たら気ぃつけろや」


「親方も長生きしてくださいよ。親方の剣にエンチャントするのは楽しいんですから」


「ふんっ。当然だ」


 謙虚さはそこにはない。あるのは確かな自信と自らの誇りだ。ただそれだけあれば不遜な言葉も当然のように聞こえてくるから小気味良い。


 僕は再び工房の奥の部屋へと戻り、エンチャントの限界に挑戦することにした。親方の鍛造した剣が、後世でも認められることを祈って。でも、ふと疑問が沸いた疑問が頭を過ぎった。


(聖剣の修理代ってどうなるんだろう?)


 もしかしてこれは王女に踏み倒されたことになるんだろうか? それとも、あの笑顔が報酬ということか? 納得の仕方がどうにも純情少年路線で気に食わないが、まぁ、しょうがないか。どうせこの国から出て行くのだから国宝級の魔剣を拝めただけで納得しておくべきなのだろう。強欲は身を滅ぼすと遥か昔から決まっている。


――とはいえ、僕ことカリス・アーカイバはこの日のことを生涯悔やむことになる。このとき、彼女から報酬を貰っておけば良かった、と。

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