129話 カレーを作ろう

 レジーナから香辛料をもらい、……あ、ちゃんとお金払ってだぞ……、陽だまり亭へと戻った俺は、早速カレーの試作に取りかかる。


「まさか、香辛料と一緒にウチまで駆り出されるとはな」


 香辛料を粉にするためにはレジーナの薬研が必要になる。なので、道具一式と一緒に付いてきてもらったのだ。


「ヤシロさん、準備が整いましたよ」

「今度は何が始まるんだい?」

「薬でも作るのか、ヤシロ?」


 ジネットとエステラ、ついでにデリアにも参加してもらい、カレーの試作を行う。

 マグダとロレッタは分店の方へ行っている。美味いカレーが出来たら食わせてやらなきゃな。

 諸々の準備が整い、俺は腕を捲り、気合いを入れる。……よぉし。俺の本気を見せてやる!


「さぁ、いっちょ始めるか!」


 野菜の皮むきとカットをエステラに、洗米をジネットに頼み、俺はベースとなるガラムマサラに取り掛かる。レジーナの秤を使い、香辛料の分量を量ってから大きな中華鍋のような作りのフライパンへ投入する。


 クミンシード、コリアンダー、シャンバリーレ、ベイリーフ、唐辛子、フェンネル……

 これらの香辛料をまずは軽く乾煎りする。地味な作業だが、味を大きく左右する重要な工程だ。決して焦がさないように、けど程よくパリッとするように……


 ――昔、どこかで読んだ本を思い出す。

 香辛料からカレーを作るなんて、普通はそうそうないからな。だいたいが固形ルーか、でなきゃレトルトを温めて終わりだ。

 まさか、俺がこんなことをするなんてな。

 異世界でカレー……はは、ドコ壱だよ?


「あ、いい匂いがしてきたね」

「なんだか美味そうな匂いだな」


 最初のうちは不安げな顔をしていたエステラとデリアも、香辛料の香りが立ち上り始めると、関心を示すようになり、好奇心が顔中に広がっていく。

 乾煎りを終え、香辛料の粗熱をとっている間に、具とは別に用意したタマネギを飴色になるまで炒める。


「あの、ヤシロさん……それは、焦げていませんか?」

「大丈夫だ。飴色玉ねぎは必須なんだよ」

「そうなんですか。すみませんでした、差し出がましいことを」

「いやいや」


 乾煎りの済んだ香辛料は火からおろして粗熱をとる。

 熱がとれた香辛料をレジーナの薬研に入れる。これを細かい粉にすればカレーの素となるガラムマサラの完成なのだが、これが重労働なのだ。植物の種や葉っぱはなかなか粉になってくれない。特にカルダモンとクローブが曲者だ。

 ミキサーなんて洒落たものは無いので、ガリガリと薬研を押して、引く。

 俺の作業を覗き込んでいたレジーナが俺の手からそっと薬研を取り上げる。


「貸してみぃ。プロの技ちゅうやつを見せたるわ」


 得意げな笑みを浮かべ、慣れた手つきで薬研を動かし始める。

 ザッザッと、俺がやった時とはまるで違う軽い音が響いてくる。動きも滑らかで、中の香辛料も見る見る粉へと変わっていく。それに合わせて、香ばしい匂いが広がっていく。


 この女、やりおるなっ。

 こういう姿を見ると、「あ、やっぱりプロなんだな」って気にさせられる。


 飯はジネットが作っているのでなんの心配もいらない。

 俺は、カレーに全神経を集中させて仕上げにかかる。


 鍋に油を引き、生姜とにんにくを炒める。香りがついてきたところで肉を入れ、焦げ目と香りをしっかりつける。野菜を入れ火を通したら、そこへ飴色タマネギを投入する。その後、トマトの水煮とこちらの世界の調味料を加え水を入れる。このまま煮込めば野菜と肉の旨みでしっかりとした出汁になってくれるだろう。


「ほいな! 完成やっ!」


 予想以上に素早く、レジーナがガラムマサラを完成させてくれた。

 出来たガラムマサラは綺麗な粉末状になっており、筋や皮も入っていない。


「お前、プロみたいだな」

「黙ってたけど、ウチ、プロやねん。……よぅ覚えといて」


 拳を握り、ちょっとイラッとした顔でレジーナが言う。

 やっぱ、そこは譲れない部分か。よし、今後いじるならそこだな。


 煮込んだ鍋にガラムマサラを加えると、辺り一帯にぶわっとカレーの香りが広がっていく。鼻腔を通り胃袋に訴えかける豊かな香りだ。このまま煮込めばカレーの完成だ。


「ヤシロさん。ご飯が炊けましたよ」


 ジネットが釜の蓋を開けると、むわっとした湯気と共に炊き立てのご飯の香りが顔を覆い尽くす。


「あぁ、美味そうな匂いだなぁ……」


 デリアがでれでれになっている。

 エステラも、興味深そうにカレーを覗き込んでいる。


「はい、ヤシロさん。ご飯をよそってきました」


 ジネットが皿にご飯を盛って、持ってきてくれる。

 真珠のように艶やかに、純白のご飯粒たちは一粒一粒が輝いて、まるで宝石のようだ。

 そこへ、オリジナルブレンドのカレーをかける。


「これで、カレーの完成だっ!」


 なんだよ、なんだよ。

 本で読んだ知識だけでも、なんとかなるもんじゃねぇか。

 出来ちゃうもんだな、意外と。


 少しとろみが足りないが、それは紛れもなくカレーで、堪らなく食欲をそそる香りが厨房に広がっている。


「ぉおおおっ! 堪らないな、この香り! 食べようぜ!」


 デリアが興奮して瞳をキラキラと輝かせる。


「香辛料をこうも惜しみなく使った料理だ……美味しくないわけがないよね」

「いうても、ここらへんのはオールブルームでは使われてへん香辛料やさかいに、全部が全部高いもんでもないんやで。バオクリエアでは日常的に使ぅてるやつや」

「バオクリエアには、こういう食べ物もあるんですか?」

「いや、こんなんは初めて見たな。『カレー』やったっけ? どんな味がするんか、楽しみやで」


 レジーナがぺろりと舌なめずりをする。

 それが、なんだか妙に艶めかしくて、色っぽかった。


「お前は、無駄にエロいな」

「無駄てなんやねん!? 適度にエロいんや!」

「エロいのは認めんのかよ……」


 言いながらも、その場にいる全員の意識はカレーへと向いている。

 俺も早く食べたくて仕方がない。


「よし、じゃあ試食と行くか!」

「待ってました!」

「テーブルに運んでからだよ。女の子ならお行儀よく、だよ」

「お、おぉ、そうか。そうだな」


 がっつこうとするデリアを、エステラがスマートに制する。

 まぁ、男の子も行儀よくしろって思うけどな。しないとぶっ飛ばすし。


 食堂へと運び、着席して、全員で声を揃えて斉唱する。


「「「「「いただきますっ!」」」」」


 スプーンをカレーに突き刺し、掬い上げ、口へと運ぶ。

 口に入れた途端、芳醇な香りが鼻腔を抜けて堪らない幸福感を与えてくれる…………の、だが。


「「「「「――っ!?」」」」」


 それは、突然やって来た。……その、『悲劇』は。


「「「「「辛っ!?」」」」」


 辛い! いや、痛い!


「イタタタタタタタタッ! アウチァァァアアアッ!」


 思わず、世紀末救世主みたいな雄叫びを上げてしまった。世紀末救世主と大きく違う点といえば、甚大なダメージを受けているのは俺だってことくらいか。


「て、店長っ! み、水っ!」

「あ、あのっ、しょ、少々っ、お待、お待ちっ、くだっ……」

「あぁっ、ボク、取ってくるっ!」


 悶絶するデリアがジネットに助けを求めるも、ジネットもあまりの衝撃に腰を抜かしてしまっているようだった。そこでエステラが厨房へと駆け込んでいく。

 しまった、水を用意してから食うべきだった。


「さぁ、みんな! 水だよ!」


 地獄の亡者のように、水へと群がる俺たち。

 行儀とか、もうそんなもんどうでもいい! 水差しを傾け水を浴びるように飲む。


「ひゃっはぁー! 水だぁ!」


 今の俺、世紀末救世主にアタタタされちゃう人みたいだな。


「……んぐっ、んぐっ、んぐっ! …………ぷはぁっ! ……死ぬかと思ったよ」


 真っ先に立ち直ったのはエステラだった。

 ジネットは相変わらず腰を抜かし、こくこくと水を口に含んではその中で舌を泳がせているようだ。

 デリアに至っては泣きが入っている。「からいよぉ~からいぃ~……」と、あまりの衝撃に幼児化してしまっている。

 まぁ、分からなくもない。俺だってぶったまげてちょっとチビりそうだった。

 香辛料の破壊力ってすごいな。直接脳みそに突き刺さるようだ。


「なんやのん、大袈裟に。美味しいやん」


 ただ一人、香辛料に異様なほど耐性を持っているレジーナだけは例外だったが。


「き、君、大丈夫なら水とか取りに行ってくれてもよかったんじゃないかな?」


 うっすらと目に涙を溜めたエステラがレジーナに抗議をする。


「アカンねん。ウチの故郷ではな、『たとえ親にでも立ってへん時は使われるな』って言うことわざがあってな、ウチはそれを破ることが出来ひんねん」


『立ってる者は親でも使え』よりも酷い言葉だな、それは……


 あぁ……しかし驚いた。

 やっぱ素人が見よう見まねでなんだって出来るわけじゃないんだな……


「あ、あの……ヤシロさん…………これは、これで完成……なんでしょうか?」

「いや……完成ではあるんだが……これは無理だ。食えねぇよ……」


 完全に失敗だ。

 なんでだろう?

 唐辛子が想像以上に辛かったのかな……いや、たぶん、すべての香辛料が俺の知っているものよりもいろんな意味で強烈なのだ。

 辛さも、香りも、きっと効能も。


 味の方向性は悪くない。

 ただ、香辛料の『攻撃力』が高過ぎただけだ。『あとを引く辛さ』なんてニクイ味でもない。これはただただ人の味覚を破壊しに来ている、食べる凶器だ。


 まさに悲劇……こんなことになるとは………………ん? 『ヒゲキ』……?


「そうだ! リンゴとハチミツ!」


 カレーが辛過ぎるのなら、リンゴとハチミツを入れればマイルドになるはずだ!

 なんで『ヒゲキ』で思い出したかは、上手く説明出来ないけれど、リンゴとハチミツがあれば『ヒゲキ』を『カンゲキ』に変えることが出来そうな気がする!


「あとでベッコのところに行こう」

「ハチミツでなんとかなるのかい?」

「なる! その後、ミリィに頼んでリンゴを採りに行こう」


 確か、以前森に行った時にリンゴの木を見た気がする。

 あ、そうだ。ミリィとは森デートの約束があるんだ。これはちょうどいいじゃないか。


「え~、ウチ、これでえぇ思うけどなぁ……」


 あっさりと一皿を完食したレジーナ。

 ……まぁ、日本にもいたけどな、十倍カレーとか好きなヤツ。


「ベースはもっとマイルドにして、お好みで辛さを選べるようにしよう」

「そうですね……さすがにこれはお子様たちには食べさせられません」


 ジネット的には、このカレーはお子様ランチの新メニューのつもりなのだ。

 なら尚のこと、甘口の中の甘口にしなければ。子供が変なトラウマを背負っちまう。


「どうしましょうか……これ」


 ジネットの視線の先には、一口だけ食べられたカレーの皿が四つ。


「ウチ、さすがに四人前は食べられへんで?」


 レジーナに大食いは期待していない。

 かと言って、捨てるなんてのは言語道断だ。そんな行為は俺とジネットが許さん。


「…………ウーマロを……」

「ヤシロ。君はよくその解決方法を選ぶけど、いい加減ブチ切れられると思うよ?」


 俺の妙案はエステラによって封殺される。


「……ぐるるるるっ!」


 さっきまで幼児化していたデリアが、今度は野生化してカレーを威嚇している。どうやら敵と判断したらしい。

 ……無理して食うという選択肢もないか。


 なら……

 辛くて食べられないものは、薄めて食うのがセオリーだ。


「生クリームとチーズを入れて、カレー風味リゾットにでもするか」

「あぁ、それならなんとか食べられそうな気がしますね……」


 ヒリヒリとする舌をぴろっと覗かせつつジネットが言う。

 ……なんか可愛いな、その顔。


「あ、でも。全員一口食ったヤツが混ざる感じだけど……平気か?」


 なんなら、俺一人で頑張って食うけど。


「ボクは、このメンバーなら気にならないよ」

「わたしも平気ですよ」

「……あたいも平気」

「…………なぁ、それって、ウチの分が入ってへんから平気なん? ウチが混ざってたらアカンのん?」


 誰もそんなこと言ってないだろうに、レジーナが拗ねている。

 こいつは孤独好きの寂しがり屋なんだから……しょうがねぇなぁ、慰めてやるかぁ。


「俺は、レジーナの使ったスプーンだって舐められるぜっ!」

「ド変態やな……引くわぁ……」


 えぇい、ちきしょう! 加減の難しいヤツめ!


「ただいまですぅ~!」

「……アイムホーム」


 予定よりだいぶ早く、ロレッタとマグダが帰ってきた。


「ふなぁっ!? なんか物凄くいい匂いがするです!」

「……興味深い香り」


 店内に立ち込めるカレーの香りに、二人が瞳を輝かせる。


「ズルいです! あたしたちに内緒で美味しいもの食べてたですね!? あたしも食べたいです!」


 ……言ったな?


 エステラと視線を交わすと……「いいんじゃない、食べさせてあげれば」と、道連れを所望する目をしていたので、実行に移す。


「しょうがねぇな。ロレッタ、俺の食いさしだが、これ食っていいぞ」

「いいですか!? わっほ~いです!」

「……マグダは?」

「マグダは、ちゃんと出来てからな」

「……ちゃんと?」


 マグダが小首を傾げるのと、がっついたロレッタが絶叫するのはほぼ同時だった。


「ほにょぉおぉおおおおおおおっ!?」


 崖の上にでもいそうな悲鳴だな。


「……納得。ヤシロの優しさを実感した」


 マグダにこの辛さは、あまりにも酷だ。

 ロレッタ? まぁ、大丈夫だろう。


「どうだロレッタ。『おいしい』だろ? 違う意味で」

「ち、違う意味じゃない方の『おいしい』がよかったです……」


 イヌが水を飲む時のように舌を水に浸けてこちらを睨むロレッタ。

 目に涙を溜めているところなんかが萌えポイントだな。


「ロレッタ、最近可愛くなったな」

「このタイミングで言われても、敵意しか湧かないですっ!」


 褒めたのになぁ。


「……でも、ちょっとだけ、食べてみたい……気も」

「あ、バカっ! やめろマグダっ!」


 ロレッタの、あまりにも面白過ぎるリアクションに、マグダが好奇心を掻き立てられたようで……俺が止める間もなく、一口カレーを食ってしまった。


「……………………………………しくしくしく」

「だから言ったろ……」


 大きなリアクションはなかったが……号泣している。

 よしよしと頭を撫で、水を渡してやる。


 こくこくと静かに水を飲んだ後、涙の溜まった目でカレーを睨むと、「きしゃー!」と牙を剥き出して威嚇した。……デリアと同じ行動だな……獣人族の習性か?

 じゃあロレッタはなんなんだってことになるが……


 とにかく、余ったカレーはリゾットにして辛みを誤魔化してなんとか平らげる。

 リゾットは割と好評で、こっちをメニューにしろという意見が出たほどだ。

 だが、カレーなくしてカレー風味を置くわけにはいかん!

 まずはカレーを完成させる!


「そういや分店、どうしたんだ?」

「……材料の節約のため、少し早目に閉店した。ここ最近、売り上げの伸び率が激しい」

「売れるのに売れないってのは、なんかつらいよなぁ」

「でも、その分、大会が終わった後陽だまり亭に来てくれるお客さんが増えるかもですよ」

「それは嬉しいことですね」


 ロレッタの情報に、ジネットはにこにこ顔だ。

 やっぱり美味いものを食うと心が広くなるよな。これがさっきの殺人カレーを食いながらだったら罵声が飛び交っていたかもしれん。


「……凄く食べる男が四十一区にいる」


 マグダが、気になる情報を寄越してくる。


「……近場の店の食材を食べ尽くしては別の店に入っていく……驚異的な胃袋の持ち主」

「そいつは……強敵になりそうだな」


 そんなヤツがいるのか……

 一度調べた方がいいかもな……


「それでは、後片付けが済んだらみなさんでベッコさんのところへ行きましょう」


 時刻は15時過ぎ。まだ日は高い。

 ベッコのところでハチミツをもらって、リンゴは明日に持ち越しかな。

 どこかで珍しい花でも摘んで、明日の朝にミリィをデートに誘うか。

 んじゃ、ベッコのとこから戻ったら花探しでもするかな。


 アバウトながらも、今後の予定を立てた俺なのだが……この後、ベッコのところでちょっと面倒なことに巻き込まれるとは、考えてもいなかった。






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