121話 三者会談

「以上のように様々な面で優遇されていることを、ボクは軽視していた。その点に関して……」


 四十一区。

 現在、リカルドの屋敷にて三者会談が開催されている。

 出席者は、四十区からは領主アンブローズ・デミリーと木こりギルドのギルド長スチュアート・ハビエル。四十一区からは領主リカルド・シーゲンターラーと狩猟ギルドのギルド長メドラ・ロッセル。そして、四十二区からは領主代行エステラ・クレアモナと陽だまり亭従業員オオバ・ヤシロ。……俺だけ、明らかに場違いなんだが……

 それから、立会人として三区を股にかけて活動している行商ギルドのアッスントと、狩猟ギルド支部のウッセ、そして木こりギルド支部のイメルダも同席している。この三人はあくまで話を聞く立場で、求められない限り発言権は与えられない。


「……というわけで、リカルド。本当にすまなかった。この通りだ」


 エステラが深々と頭を下げる。

 以前の手紙で伝えた通り、三者会談の前に時間をもらって、これまでの非礼を直接謝罪しているのだ。

 これを済ませないと、対等な立場での話し合いが出来ないからな。

 まぁ、エステラが進んで謝りたいと言い出したことなので、俺は特に口を挟むつもりはない。強要されたのなら、あの手この手で妨害したかもしれんが。


「それから、デミリーオジ様、ミスター・ハビエル、ミズ・ロッセル。ボクのために時間を作ってくれてありがとう。心から感謝します」


 胸に手を当てて、礼をするエステラ。

 その後でもう一度リカルドに向き直り、清々しい表情で言う。


「リカルドも。聞いてくれてありがとう」

「…………ふん」


 向けられる笑顔に、リカルドは不機嫌そうに視線を外した。

 だが……


「『ふん』じゃないよ、リカルド!」


 メドラがリカルドに怒号を飛ばす。……まぁ、本人は「ちょっと強く注意した」くらいのつもりなんだろうがな。……リカルドがやかましそうにメドラ側の耳を塞ぐ。


「……声がでけぇよ、メドラ」

「デカくもなるさ! 一地域を治める領主の代行が、きちんと筋を通して高貴な頭を下げたんだ! だったらあんたも、それなりに言う言葉ってもんがあるんじゃないのかい!? えぇ、どうなんだい!?」

「……っせぇな……言われなくても分かってるよ」


 メドラを一瞥した後、リカルドは座ったままエステラを見据える。

 数秒間ジッと見つめた後……軽いため息とともに視線をあさってな方向へと逸らす。


「まっ、いいんじゃねぇの……」

「そうか。それじゃ、これからもよろしくね、リカルド」

「………………あぁ」


 どんな毒にも真正面から立ち向かえるようになったエステラに、リカルドの方が毒気を抜かれた感じだ。

 この勝負は、エステラの勝ちだな。

 長々と二区間の間に横たわっていた軋轢を払拭してみせた。


「アタシからも、正式に謝罪させてほしい」


 エステラの話が一段落した後、今度はメドラがそんなことを言い出した。


「今回、双方にとってよくない噂が広がっちまったのは、ウチの若いもんの不手際、つまりはアタシの不手際だ。思慮に欠ける、短絡的な行動だった。申し訳ない」


 デカい体を『く』の字に折って、メドラが深々と頭を下げる。

 これで、四十二区と四十一区、双方のわだかまりも取れただろう。


 頭を上げたメドラは、体を少しひねり、リカルドへと振り返る。


「リカルドも、すまなかったね。勝手なことをしちまって」

「まったく。テメェが勝手なことをするから、ここまでこじれたんだろうが。耄碌してんなら、いい加減引退したらどうだ?」

「引退したら、ここのメイドとして給仕に勤めてやるよ」

「……冗談でも、そんな縁起の悪ぃこと言うんじゃねぇよ」


 本気で嫌そうな顔をするリカルド。

 ……昨日のふりふりエプロン姿を見せてやりたかったよ。……夢に出てくるんだぜ、アレ。


「狩猟ギルドを引っ張っていけるのはミズ・ロッセルだけだよ。引退なんてとんでもない。考え直すことを勧めるよ、リカルド」

「ほぅらごらん! エステラ嬢の方があんたよりも見る目がありそうだよ、リカルド」

「うるせぇぞ、クソババァ」

「リカルドッ! わざわざ足を運んでくれた他所様の領主代行に向かって、ババアとはなんだい!?」

「テメェに言ったんだよクソババァ! 何をさりげなく他人になすりつけてんだ!」


 思わず立ち上がり抗議するリカルドだったが、俺たちが見ていることに気が付き、咳払いをして再び椅子に腰掛けた。

 ……こいつ、コレが素なんだろうな。


「しかし、これで妙なわだかまりもなくなったわけだ。よかったじゃないか」


 場を取り繕うようにデミリーが言う。

 丸く収めるのが得意なのだろう。さすが丸坊主。


「つるっと収めてくれてありがとう」

「うん、黙ろうか、オオバ君」


 笑顔のデミリー。だが、こめかみがぴくぴく引き攣っている。


「だがまぁ。謝罪を受け取ったからといって、街門を許容するわけにはいかねぇけどな」

「え、なんでさ? ケチくさいこと言ってるとハゲるよ?」

「ほっほぅ、エステラよ。それ、私にもかなりのダメージ与えているから、気を付けてな」


 デミリー、とばっちりである。


「俺『は』ハゲねぇよ」

「ん~、もう帰っちゃおっかなぁ~!」

「まぁまぁ、アンブローズ。いいじゃねぇかよ、ハゲくらい。減るもんじゃねぇんだし」

「これ以上減りようがないからねぇ!」


 ハビエルが火に油を注ぐ。

 ったく、挑発するようなことを言ったリカルドも悪いが、くだらない挑発に乗るデミリーも大人げない。

 しゃーない。俺がちょっと空気を引きを締めてやるか。


「お前らいい加減にしろよ。大人、毛がないぞ」

「な~んで、そこで切ったのかなオオバ君!?」

「ハゲを煽んじゃねぇよ、テメェは」

「ヤシロよぉ、そりゃあワシも擁護出来ねぇぞ」

「ダーリン。オイタが過ぎるよ」

「ヤシロ。真面目な場なんだから、弁えてよね」


 猛抗議を食らった。総攻撃だ。

 なんだよ、人が折角親切心でさぁ……


「とにかく、四十二区が街門を作るってんなら、少なからず四十一区の収入は減る。その分の補填は必ずどこかでしてもらう」


 四十一区の現状を鑑みるに、リカルドの言い分は仕方のないことなのかもしれない。

 今でさえ、四十一区内では経済が上手く回っていないのだ。富は一部に偏り、多くの者が割を食っている。ワーキングプアとニートの巣窟なのだ、今の四十一区は。


 これ以上、わずかでも収益を減らすわけにはいかない。

 それは、リカルドたち四十一区にとって切実な思いでもあるのだ。


 かと言って、街門を白紙撤回するわけにもいかない。

 四十二区だけのことを考えているとか、わがままだとか、なんだかんだで結局陽だまり亭に客を呼びたいだけじゃねぇかとか、そんな非難は一切聞こえない。

 こいつは四十二区と、それから、四十区にも関係することなのだ。

 木こりギルドは、四十二区側の森へ簡単に行き来出来る街門を求めている。

 そのために支部まで作ったのだ。施設も、もう七割方完成してしまっている。今更撤回は出来ない。


 だからといって、四十一区の減益分を補填するために通行税なんてものを導入されたりしたら、今度はアッスントたち行商ギルドが割を食う。もちろん俺たち四十二区の住民にとっては死活問題だ。


 あぁ、困った、どうしよう。


 リカルドが心底嫌なヤツで、人間のド底辺で、沼の底に沈殿したヘドロのような最低最悪のクズ野郎であったならば、四十一区にすべての負荷を押しつけて、俺たちだけで「ソーベリーハッピー!」ってエンディングも悪くはなかったんだが……


 なまじ、ヤツのことを知ってしまったばっかりにそうもいかない。

 エステラにしても、リカルドの屍の上に築かれた幸福では居心地が悪かろう。


 そして、メドラを放し飼いにしたら、マジで俺がヤバイ……

 あいつはリカルドのところで面倒を見てもらっているのがベストなのだ!


 そんなわけで、俺がまたほんのちょこっとだけ出しゃばってみようかと思う。


「一度各区の要望をまとめてみないか? 小出しにしても時間の無駄にしかならないだろう?」


 俺が動くと、全員の視線が集まってきた。

 あ、言い忘れていたが、現在俺たちはリカルドの館の応接室に通されている。

 広い部屋に机が『口』の字に並べられ、と言っても、机をくっつけているわけではないので四角というよりひし形の頂点みたいだとも言えるが……とにかく、各々が中心を向くように座っている。

部屋最奥にリカルド。入り口から見て左手にデミリー。右がエステラだ。付き添いはそれぞれ各領主の斜め後ろに椅子を置いて座っている。

 そして、入り口の前に三つの机が並べられ、そこに見届け人が三人並んで座っている。


 で、俺は、シェイクスピアの戯曲よろしく、悠々とした足取りでエステラの隣にまで歩み出て行った。

 三方向から視線が集まる。そうだ。よく聞いておけ。これから俺が重大な話をしてやるからな。


 その前に、まずは準備運動だ。


「四十二区としては、街門を設置しそこを木こりギルド、狩猟ギルド、及び冒険者らに開放し、区の新しい収入源としたいと思っている。当然、四十一区の通行税はやめてもらいたい」

「……ふん」


 リカルドが鼻を鳴らし、不愉快そうな表情を浮かべる。

 今度はそのリカルドを見ながら、確認するように俺は話す。


「四十一区は、四十二区の街門設置計画を白紙撤回させ、出来るならば通行税を導入、区の税収をアップさせたい。で、いいか?」

「……まぁ、そんなとこだ。もっとも、街門を諦めるってんなら、通行税は考えてやってもいいがな」

「う~ん……それだと話し合いは平行線になりそうだね……」


 リカルドの意見を聞き、エステラが腕を組む。

 四十二区と四十一区の望みは、見事にぶつかるのだ。妥協点は見つけられそうにない。


 最後に俺は、向かいに座るデミリーに視線を向け、確認を取る。


「四十区の望みは、育毛でいいんだよな?」

「そんな話、どこで出たかなぁ!? いや、それが望みなのは確かだけどね!」

「アンブローズ落ち着け。あまり興奮するとハゲるぞ」

「興奮してきたなぁ!? 仲間に背後からザックザク攻撃されちゃってるからねぇ!」


 まぁ、四十区の望みは、四十一区と四十二区の諍いがなくなり、この近辺が平穏になることだと言えるだろう。

 戦争なんか始められたら流れ弾を喰らう可能性が高いからな。それに、交易も止まる。


 まぁ、本当のところは、四十二区の街門を使えるようにしてほしいんだろうが……それをここで言うと、四十区が四十二区に肩入れしているような印象を与えてしまうので口外はしない。

 あくまで、四十区は中立の立場にいてもらった方がいいのだ。


 リカルドを釣り上げるためにはな。


「私の望みをあえて言うのであれば、この話し合いが、双方……いや、我々も含めた三区すべてにとって平和的に、且つ友好的に終結することを望む。多少の不満は残るかもしれんが……どうにか、妥協点を模索してほしい」


 デミリーが人のよさそうな顔で模範的な意見を述べる。


 だが、それじゃあダメだ。

 今はよくても、妥協した分だけ不満が残り、経済格差の分だけその不満は肥大化していき……十年と経たないうちに再燃する。五年持てばいい方か。

 なにせ、妥協案ってのは「何も解決してないけどお互い我慢しようね」ってことだからな。


 今回の妥協案ってのはなんだ?

 門じゃなくて扉にでもすればいいってのか? ふざけているだろう、そんなもん。


「あの、じゃあさ。『門』じゃなくて、『大きめの扉』ってことにしたらどうかな?」

「ふざけてんのか、テメェは!?」

「妥協案だよ!」

「んじゃあ、こっちは『通行税』をやめて『入場税』にしてやるよ!」


 ……な? こうなるだろう。

 つか、俺があり得ないよなって思ったものを真面目な顔で提案するなよ。


「このように。この問題は簡単には解決しない。なぜなら、双方引くに引けないわけがある。……そうだろ?」


 リカルドに視線を向ける。

 分かっているぜ。お前の街の台所事情はな……というニュアンスを込めて。


「……ふん」


 機嫌が悪そうに、リカルドは背もたれに身を預ける。

 あ~、リカルド。それはダメだ。相手から距離を取りたがるのは図星を突かれた人間の特徴なんだよ。そして、胸の前で腕を組むのは、精神的に追い詰められた者がこれ以上攻め込まれないように身を守る仕草だ。

 お前は今、俺に言われたことが図星で反論の余地がないと、体で語ったことになる。

 俺がお前を詐欺にかけようとしていたならば、この瞬間に勝負がついていたところだぜ。


 まぁ、今回は甘々の判定を下してやるけどな。


「つまるところ、お互いにもう譲れないところまで来ちまってるんだ」


 リカルドはそっぽを向いたまま何も言わず、エステラも不安な目つきで俺を見上げてくるのみだ。

 デミリーは難しそうな顔をしてハゲ上がった頭を撫でていた。


「……ここまで来たら、やることは一つしかないだろう」


 机についていた手を離し、前傾姿勢だった体を起こす。

 背筋を伸ばし、流れるように大きく一歩後退する。

 全員の視線が俺を追い、エステラも含めた全員が、俺に相対する格好になる。


 視界に全員の顔を収め、俺は唯一の解決方法を口にする。

 両腕を広げ、堂々と、自信たっぷりに。



「戦争をしようぜ」



 瞬間、部屋の空気が張り詰める。

 ハビエルとメドラの視線が鋭くなり、デミリーの眉間には深いしわが刻まれた。


「…………マジで言ってんのかよ、テメェ」


 最初に口を開いたのはリカルドだった。

 エステラか、でなければアッスントあたりが食いついてくるかと思ったのだが……二人ともあっけにとられて呆然としていやがる。

 こういう話は、荒事に慣れているヤツの方が平常心を保っていられるのかもしれないな。


「もちろんだ」

「オオバ君……」


 ゆっくりとした動作で立ち上がりかけたデミリーを、片手を上げて制する。

 大丈夫だ。言いたいことは分かっている。


 その思いが伝わったのか、デミリーは再び椅子に腰を下ろした。

 幾分、表情が柔らかくなった気がする。


 ……ハビエルとメドラ、怖ぇ。怒るなよ。必要な手順なんだから。


 俺たちは、もうそこまで踏み込んでしまっているということを、進むことも戻ることも出来ない袋小路に囚われちまっているってことを、この場にいる全員に認識してもらいたかったんだ。


 誰も口にはしなかった。

 だが、誰もが頭の片隅によぎっていたはずだ。その可能性が。

 それを気付かなかったことにしようとして、変に避けようとするから、話の本筋がブレて堂々巡りをしてしまうのだ。


 一度認識するんだ。

 俺たちは……この三区は、戦争の一歩手前まで来てしまっているってことを。


「だが……この場にいる全員が、もちろん、ここにいない三区の領民すべてが、そんなもんを望んではいない」


 俺の意見を言葉にしてやると、ハビエルとメドラの肩からスッと力が抜けた。

 臨戦態勢は解かれた。

 だが、エステラとリカルドはまだ表情を固定させたままだ。

 エステラは不安な、リカルドは苛立ちの表情を。


 もっと単純に考えればいいんだよ。


「戦争はしたくない。だが、決着はつけなきゃいけない。……なら、どうするか…………」


 バカバカしいと笑い飛ばされるだろうと、そうに決まっていると、お前ら全員が最初から選択肢から除外してしまっていたもんを、大真面目にやってやろうぜ。


「戦争の代わりに、各区が代表者選出して、正々堂々勝負をしようじゃねぇか!」


 拳を握り、声を張り上げる。

 これは決して、ふざけているわけでも、血迷っているわけでも、ましてバカにしているわけでもない!


「この三区が共に納得出来る条件で、ルールで、正々堂々戦うんだ。いいか? 冗談じゃねぇぞ。やる時は、これが戦争だと思え! それぐらいの覚悟がなきゃこの問題は解決出来ない!」


 つかつかと足を進め、もう一度エステラの隣まで出てくる。

 そして、力任せに机を叩く。


 バンッ! ――という音が、緊張感を高める。


「これは戦争だ! 誰の血も流さない、新しい時代の戦争なんだ!」


 シン……と、室内が静まり返る。

 誰も言葉を発さず、黙考している。


「…………はっ」


 そんな中、リカルドが俺を嘲るように鼻で笑う。


「そんな子供騙しで解決出来るのかよ? 勝負に負けたら街門の設置を許可しろってのか?」


 ゆっくりと、リカルドが立ち上がる。


「こっちはな、領民の生活が懸かってるんだよ……テメェらみたいに浮かれた遊び感覚で行政やってんじゃねぇんだ! ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」


 力任せに机を蹴り飛ばすリカルド。

 激しい音を立て、机が倒れる。

 上に載っていたインクの瓶が床の上で跳ね、黒い染みを広げていく。


「……だったら、交渉は決裂だ」


 カッカと頭に血をたぎらせるリカルドに、冷ややかな視線を向ける。

 お前が人を見下せる立場か?

 俺が、本物の嘲笑を見せてやるぜ。


「こっちは勝手に街門を作らせてもらう。魔獣のスワームに関しての話は聞いたな? アレはウチの街門に関係なく、早急に討伐しなければいけないものだと判断された。そうだろ、メドラ?」


 難しい顔をしていたメドラに話を振る。


「……あぁ。このまま放置すれば、魔獣が街に入り込んで、四十二区はもちろん、四十一区も、四十区も……それより先の区もみんな、滅茶苦茶に荒らされてしまうだろうからね」

「だ、そうだ」


 おい、リカルド。

 今、どんな気分だよ?


 自分の陣営にいる味方が、お前の背後から『敵対している俺に賛同した』んだぜ?

 途端に背中が寂しくなったろう?

 居場所の心理ってものがある。

 人は、背後と隣にいる人間に敵対されると、非常に居心地が悪くなる。向かい合っているヤツの何倍も、背後の人間には意識を取られてしまうんだ。


 なぁ、リカルド。教えてくれよ……孤立した気分は、どうだ?


「狩猟ギルドは、早い段階で魔獣のスワームを討伐する。これは、この街全体の意志だ。背くことは不可能。分かるな?」

「…………けっ!」

「結構。で、スワームさえいなくなってしまえば、四十二区の街門の工事を止めておく理由がなくなる。……それは、分かるな?」

「いちいちメンドクセェんだよ! 何が言いたい!?」


 苛立つリカルド。

 だが、お前に出来るのはその場で床を踏みつける程度のことだ。

 今、お前がやったようにな。それが、今のお前に出来る精一杯だ。


 殴りかかれないだろう?

 お前は今、心の中で自分の非を認めちまっている。

 勢い余って立ち上がったはいいが、振り上げた拳の収め先を見失っちまっている。


 今、お前が置かれた状況を考えてみろよ。

 俺とエステラは当然敵で、メドラもある部分では俺に同調している。

 デミリーとハビエルは中立だが、木こりギルドが四十二区の街門を使いたいと思っている事実は耳に入っているだろう。


 孤独はつらいよな?

 普段は気にならない些細なことまでもが気になり、ネガティブな結果を引き連れて、頭の中を負の要素で埋め尽くしていく。


「俺たちはお互いに引き下がれないところまで進んじまったんだ。今さらやめるわけにはいかねぇ。このまま交渉が決裂すれば、ウチは強行させてもらう。おそらく、そっちもそうするだろう。…………そうしたら、おしまいだ」


 おしまい。

 ついさっき、満場一致で回避しようと思った、『アレ』が現実のものとなる。

 そう。


 戦争だ。


「くっ…………そ、がぁ!」


 リカルドがもう一度床を蹴る。

 その間に、メドラが倒れた机を起こし、元の位置へと置き直していた。


「バカげた勝負について、耳を傾ける気にはなったか?」

「………………」


 無言で睨みつけてくるリカルド。

 だが、答えなど一つしかない。


「……さっさと話せ」


 視線を逸らし、リカルドは自席へと戻る。メドラが机を戻していてくれたおかげで様になってよかったな。自分で倒した机を自分で起こすのは格好悪いもんな。


「さて……と、その前に水を飲んでもいいか?」

「あぁ。ゆっくり飲むといい」


 デミリーが答えてくれる。

 これは、「私も聞くつもりがある」という意思表示だ。友好的な態度を見せることで、出来る限り協力をしたいと思っていると、暗に伝えているのだ。


 あらかじめ、最悪の結末を明示し、全員の意識をそこに結びつける。

 そして、『最悪、それだけは避けたい』と思わせることで、それよりも『マシ』な案で妥協するように仕向けるのだ。

 ドア・イン・ザ・フェイス・テクニックの応用だな。


 リカルドのおかげで、今この場にいる者の意識は皆同じ位置に並べられた。

「一度でも判断を誤れば、即戦争」

 その緊張感から、話の腰を折ったり、自分の要求だけをゴリ押ししたりはしにくくなる。

 誰だって、開戦のきっかけが自分だとは言われたくないからな。


 ゆっくりと水を飲み、口の中を潤す。

 さぁ、いっちょやってやるか。


 オオバ・ヤシロ、ソロ公演だ。


「俺がやろうとしているのはただの勝負事だ。死人は出ない。だが、勝敗如何によっては領土を失うこともあり得る」

「それは……物騒な話だな」


 緊張に耐えられなくなっているのだろう、デミリーが明るい声で言う。

 だが、その愉快な空気はすぐに沈黙にのみ込まれる。


「話を続ける。決められたルールに則り、正々堂々勝負をして、明確に白黒をつける。後から文句のつけようがない、誰の目にも明らかな勝敗を、群衆の前でな」

「観覧試合にするんだね」

「そうだ。各区の領民にとっても、この勝負は重要な意味を持つからな」


 エステラの表情がいつになく真剣だ。

 こいつは俺に馴染んでいるから、俺の考えがなんとなく分かっているのかもしれない。

 やってやろうという気持ちと、言い知れない不安。そんなもんが混ざり合ったような顔をしている。


「勝者を決めて、それでどうするんだ?」


 リカルドが背もたれにもたれて、横柄な態度で聞いてくる。

 だが、視線は真剣そのものだ。


「勝者は、敗者に一つ、好きな条件をのませることが出来る」

「……ほぅ」


 リカルドの顔があくどく歪む。

 あ、こいつ今勝った時のことを考えたな。はい、それ、負けフラグ。ご愁傷様。

 だが、ここでリカルドが乗ってこないと話にならないので、もう少しだけ神輿に担いでおいてやる。


「もし四十一区が勝ったら、素直に街門の設置計画を白紙撤回しよう」

「その代わり、そっちが勝ったら街門を作った上で、通行税を取らないように俺たちに指示出来るわけか」

「そうしたいと、思ったならな」


 当然、それ以上のことでも可能だ。


「四十区にはデメリットの方が大きい話だね」

「まぁな。得るものが少ない上に、リスクが高い」

「オジ様。今回のことはボクたちの区の問題です。どうか、ご無理はなさらず……」

「いや、エステラよ。我々だけが安全圏に立ち、二区の勝負を高みの見物というわけにはいかんよ。中立と言った以上、不干渉は筋が通らない。私たちは『中立』という立場で、この問題に参加したのだからね」


 こういう者がトップを務める街は運がいい。

 もしここで四十区が、中立を理由に不参加を表明したら……


「勝った方が負けた区を吸収して侵略戦争を仕掛けていた可能性があるな」

「あぁ、俺もテメェと同じことを考えたぜ。同じフィールドに立たなかったヤツに、情け容赦は必要ねぇからな」


 腹立たしいことに、リカルドと意見が合ってしまった。

 どっちつかずは、どちらにも嫌われる。そんなのは、子供でも理解出来ることだ。

 最もリスクの高い四十区がリスクを回避するには、同じフィールドに立つのが最もいい。


 同じフィールドに立ち、一番傷の浅い方法で負けるのがいいだろう。

 例えば……どちらかと結託して、傷の残らない負け方をする、とかな。

 勝ちに行くならば、それはそれでありなんだが……やはりメリットは少ないだろう。


「なぁに、デミリー。心配はいらんぞ」


 椅子から立ち上がったハビエルが、デミリーの肩をバシンと叩く。


「お前にはワシら木こりギルドがついておるんじゃ。狩猟ギルドに手を焼くかもしれんが、負ける気はせんぞ」

「はっ! なぁに抜かしてやがんだい、このヒゲ親父が! アタシら狩猟ギルドに力で勝とうってのかい!? 身の程知らずがっ。百年森ん中で修行しといで!」

「なんだと、このババァ!?」

「やんのかい、ヒゲジジイ!」


 ハビエルとメドラ。

 デカい二人が立ち上がり、バチバチと火花を散らす。

 怪獣映画のポスターかっつうの。


「あ、あの、ヤシロさん……」


 恐る恐る挙手をしたのはイメルダだ。発言権が欲しいらしい。

 リカルドとデミリーを見ると、どちらも「了承」の合図をくれた。


「発言を許可する」


 俺が言うと、イメルダは立ち上がり、静かな声で言った。


「その条件では、四十二区があまりにも不利です」


 イメルダの隣でアッスントとウッセが激しく首を縦に振っている。


「木こりギルドも狩猟ギルドも、どちらも腕に覚えのある者揃いですわ。いくら四十二区にマグダさんやデリアさん、ウッセさんたち狩猟ギルドの支部があると言えど、戦力差は歴然。また、選抜された者同士が勝負をするにしても、やはり人材に大きな差がありますわ。具体例で言うならば、全区から一人だけ代表者を選び試合をする場合、マグダさんでメドラギルド長やウチの父に対抗出来るとはとても思いませんわ」


 アッスントにウッセ、それにエステラまでもが同じ意見のようで、みなしきりに首肯している。

 見れば、デミリーやハビエル、メドラも俺に同情的な視線を向けている。


「おい、お前。名前なんつったっけ?」


 リカルドが目を閉じて俺に話しかけてくる。

 頭の後ろで手を組んで、悠々と足を組んでいる。


「オオバ・ヤシロだ」

「ヤシロか…………」


 体を起こし、膝に肘を置いて前傾姿勢で座り直すリカルド。

 手を組んで、睨むような上目遣いで俺を見つめてくる。


「……お前、そんな内容の勝負で勝てるとでも思ってんのか?」


 これは忠告か?

 ふふん。なかなか親切なところがあるじゃねぇか。

 これで「ぷぷぷ、あいつ気付いてない。よっしゃ楽勝!」とならないあたり、筋を通せとうるさいメドラがガキの頃からそばにいた影響なのかもしれないな。


「勝てるかどうかはまだはっきりとは分からんが……惨敗することはないと思うぜ」

「相当腕の立つヤツでもいるのか、四十二区は? 軍備拡大もただの噂だったんだろ? それでどうやってメドラみたいなバケモノと……」

「リカルド」

「……あ?」


 呼び捨てにされたのが気に入らなかったのか、リカルドがスゲェ怖い顔で睨んできた。

 ま、構わず続ける。


「お前は、この勝負がどんな内容だと『思い込んで』いるんだ?」

「はぁ?」


 どいつもこいつも筋肉自慢、力自慢ばかりしやがって。

 俺がそんな野蛮な勝負方法を提案するわけがないだろう?


「俺の提案する勝負方法は、完璧に白黒がつきつつも安全で平和的、血なんか一滴も流れないにもかかわらずドラマティックで感動すら出来る、そういう素晴らしいものなんだ」


 日本のテレビでこれをやると、結構な視聴率を叩き出す、企画力抜群の大人気コンテンツだ。


「ヤシロ」


 エステラが立ち上がり、俺の目を見つめて尋ねてくる。


「君は、何をやろうとしているんだい?」


 ナイスな振りに感謝しつつ、俺は全員の顔を見渡して、たっぷり間をあけてもったいぶった後、ゆっくりはっきり大きな声で言ってやった。




「大食い対決で、白黒つけようぜ!」






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