118話 動き出す前の準備運動的な

「ど、どう……かな?」


 四十区にてデミリーたちと話をした翌日。

 エステラは約束通り陽だまり亭に飯を食いに来ていた。

 寄付の時に姿を見かけなかったのでまだへこんでいるのかと思ったのだが……


「ひとまず先に手紙で謝意を伝えておこうと思って。ほらボク、シャイだし」


 つまらないダジャレにはデコピン一発。


「ぁうっ!? ……元気になったアピールなのに……」


 その空元気が少々目につくからこそのデコピンだ。

 もっと普通にしていればいいものを……


 今日のエステラは、少し落ち着きがない。

 まぁ、一念発起したところで、そうそう変われるものではない。

 もうしばらくは空回りの時期が続くだろう。


 エステラの手紙は実にシンプルでありつつ、誠意が込められていた。

 まず、自分の至らなさに気が付いた経緯を説明し、これまでのことを書面で明確に謝罪している。先代領主の葬儀や、領主のお披露目に出席しなかったこと。街門の利用料や狩猟ギルドに関するあれやこれやの取り決めをなぁなぁに踏襲していること。……まぁ、まだ領主が引退していない以上、踏襲云々は微妙な問題な気がしなくもないがな。

 そして、すべてを手紙で済ませてしまった無神経さに対する反省が、エステラの言葉でしっかりと綴られていた。

 そして最後に、この次会った時に改めて、今度は顔を見て謝罪させてほしいというお願いが書かれていた。


「いきなり押しかけて一方的に謝るのも、結局はこっちの都合だからさ……どうするのが一番いいのかは分からなかったけど、これが今ボクに出来る最善のことだと思ったんだ」

「まぁ、いいんじゃないか?」


 手紙だけで済まさず、会って謝りたい旨を伝えてあるんだ。

 この手紙に関しては目くじらを立てられることもないだろう。


「三者会談の日程はまだ決まってないけど、その日までにはきちんと……」


 エステラがグッと拳を握る。


「リカルドを殴り飛ばしたい衝動をコントロール出来るようになっておくね!」

「……殴りたいのを我慢してたのかよ」


 こいつ、リカルドの前で大人しかったり、ちょっと震えたりしてたのは、緊張してたからじゃないのかよ……


「いやぁ、小さい頃からホンッッッッッッッッッッット色々されてきたからねぇ。食べようと思ったスープの中に飛び込んでくる虫より大っ嫌い」


 すげぇ爽やかな笑顔で言い切りやがった。

 けどまぁ、そういうことが口に出来るようになったのは、きっと心の中で何かが整理された証拠なんだろう。

 これまでのこいつなら、そんなことすら言えなかったろうしな。


「まぁ、領主代行として礼を失していたことは認めなきゃいけないしね。でも、ただの幼馴染として会う機会があれば、四発殴る」


 領主にオフなんて日があるのかは知らんが、ただの幼馴染同士なら、好きにすればいいさ。

 やり過ぎない程度にな。


「あと、六発蹴る」

「何をされてきたんだよ、これまで……」


 骨にひびくらい入りそうな、本格的なダメージを与えにいってんじゃねぇか。

 六発もローキックを入れられたら、俺は立てなくなる自信がある。


「リカルドは、お前のことが好きだったのかもしれないぞ?」

「あははっ、ヤシロ~…………統括裁判所に訴えるよ?」

「……顔が、マジ、怖いです」


 そんなに嫌か?


「でも、ガキの頃って、好きな娘をいじめて興味を引こうとしたりするからよ」

「リカルドのはそういうんじゃないよ。……ボクたちは、良くも悪くも領主の子供だったんだよ」


 とにかく対抗意識があったと、エステラは苦笑を浮かべる。

 リカルドにしても、格下の区の、それも娘にだけは負けるわけにはいかなかったのかもしれない。それで、ことあるごとにいじめて自分の方が上だと力を鼓舞したのかもしれないな。

 まぁ、憶測でしかないが。

 ただ、そんなことを繰り返してきたのなら…………蛇蝎の如く嫌われても仕方ないだろうな。


 エステラとリカルドの件は、俺に言わせればどっちもどっちだ。もちろん、軍配はややエステラの方に寄っているけどな。

 ガキの頃から敵意剥き出しで、今もなお不遜な態度のままの、器の小さい狭量なリカルド。

 子供時代と領主代行としての立場の線引きが明確に出来ていなかったエステラ。


 外野が騒げば、自分の知り合いが絶対的に正しいと水掛け論になること必至な状況だ。

 あらば、これまでのいざこざはいったん脇に置いておいて、先のことを話し合った方がよっぽど建設的だろう。


 先にエステラは誠意を見せた。

 あとは向こうがどう出てくるか、ってところだな。


「まぁ、どっちにしても三者会談まではちょっと時間があくだろう。それまではゆっくり過ごすとしようぜ」

「うん。そうだね」


 少し晴れやかな表情で、エステラはパスタをちゅるんと啜る。

 ……麺類を啜る文化圏なんだな。箸もあるし、日本に近いんだよな、ここ。


「今日はこの後、溜まった書類の整理だよ……あぁ、憂鬱だよぉ」


 カツカツと、パスタにフォークを突き立てる。刺さらないぞ、たぶん。


「そうだ! 困った時はヤシロに頼もう!」

「気安く使うんじゃねぇよ」

「えぇ~……昨日は……その、困った時は俺を頼れとか……言ってくれたのに……」


 おいおい。言って照れるんなら口にすんじゃねぇよ。

 そもそも、雑用を引き受けるために言ったわけじゃない。


「エステラさん」


 水を注ぎに来たジネットが柔らかい笑みをエステラに向ける。


「お仕事が大変なようでしたら、ご相談くださいね。わたしに出来ることはなんだって協力しますよ」

「ほ~ら、気を遣わせた」

「あ、いやいや。冗談だよ、ジネットちゃん。美味しいご飯を作ってくれるだけでもう感謝感謝だよ」


 ニへラと笑ってパスタを啜るエステラ。……ソースを飛ばすんじゃないよ。子供みたいに。


「ヤシロさん」

「ん?」


 水差しを手に持ったまま、ジネットが俺に笑みを向ける。


「ヤシロさんは平気ですか? また無理をされてはいませんか? わたしに出来ることがあれば、なんだって言ってくださいね」


 ……昨日の今日なんで、そういう顔をされると……ちょっと照れる。


「らいじょ~ぶなのらっ!」

「どんなキャラだい、それは?」

「うっさいな! 素だよ!」

「……なら、一層深刻だよ」


 エステラが深刻そうな表情で俺を見る。

 バッカヤロウ。語尾が「ら」になると可愛さ急上昇だろうが!


 過去に可愛いもの好きを豪語していたくせに『かわいいヤシロたん』には一切目もくれなかったエステラは、ちゅるちゅるちゅっちゅとパスタを完食し、仕事のために館へと戻っていった。……割と可愛いのになぁ、俺。


 さて、俺もやるべきことをやっておくかな。


「ジネット。少し出てくる」

「はい。あの……どちらに行かれるか、お伺いしても?」

「ん? あぁ。ちょっと四十一区までな」

「……お一人で、ですか?」


 心なしか、不安げな表情を浮かべるジネット。

 昨日一昨日と、各区の領主に会い、それなりに考えさせられていたせいか、また面倒に首を突っ込むと思われたらしい。

 つか、ジネットにそんなことを思わせてしまうような顔を、俺はしていたのだろうか。


「大丈夫だよ。ちょっと街の様子を見てくるだけさ」

「危険では、ないですか?」


 むむむ……これは少し反省しないといけないかもしれないな。

 ジネットがこんなに心配するなんて……俺はよっぽど怖い顔をしていたということなのだろう。

 ……昨日は違う意味で顔を見られなかっただけなんだが……


「話し合いは平和的な方向に進んでる。何も心配はいらねぇよ。ただ、知っておきたいと思ってな、相手のことを」


 特に、台所事情なんかをな。


「そうですか……本当は、わたしもお供出来ればいいのですが……」


 今日は、客の入りがそこそこいい。なんの準備もなくジネットが抜けるのはマズい。


「こんな視察にジネットを連れて行くなんてもったいねぇよ」

「もったいない……ですか?」

「どうせ休みを取るなら……もっと楽しいところに出かけようぜ。買い物とかな」

「……はい。是非」


 一瞬驚いて、その後で柔らかい笑みを浮かべて頷く。

 論点のすり替えだが、ジネットの不安が和らぐならそれでいい。


 それに、俺が四十一区に行ったからって、何か危険な目に遭うわけでもないだろう。

 …………ない、よな?

 あれ、なんか不安になってきたぞ。あのゴロツキみたいなのに絡まれたりしたら………………う~ん……行くのやめようかな。


「そんなに不安なら、あたいが付いていってやろうか?」


 背中をポンと叩いてそんなことを言ってきたのは、デリアだった。

 今日は川漁ギルドの漁が無いらしく、暇潰しでウチの手伝いをしているのだ。


「そうですね。デリアさんがいればきっと安全ですよね」

「おう! 暴漢だろうが魔獣だろうがクルクルポイだぜ」


 なんとも可愛らしくも頼もしい発言だ。

 魔獣をクルクルポイする女子は間違いなく危険人物ではあるが……味方ならば頼もしい。


「じゃあ、頼もうかな」

「よし! じゃあ、早速行こうぜ!」


 心なしか、いつもより上機嫌なデリアは急かすように言う。

 こいつも、あんまり遠出とかしないタイプだろうしな。遠出が嬉しいのかもしれん。

 甘い物でもあったら買ってやるか。


「んじゃ、ちょっと行ってくる」

「はい。お気を付けて」


 ジネットに見送られ陽だまり亭を出た俺たちは、ぷらぷらと大通りを目指して歩いた。

 今日は領主の館の前を通って区外へ出る。四十一区へ行くなら、こっちの道が使いやすい。


「どこに行くんだ?」

「四十一区だ。細かくは決めてないんだが、街の雰囲気を見てみたいと思ってな」

「んじゃ、大通りから外れて二、三本奥の路地を歩くといいぞ。あそこが四十一区の本当の風景だ」


 訳知り顔で言うデリア。

 こいつは四十一区に詳しいのか?


「あたいはマーシャに会うためによく通るからね。たまに四十一区で飯も食うし、行きつけの店もあるんだ」

「甘味処か?」

「いや。普通の酒場だけど、美味いフルーツが置いてあるんだよな」


 やはり、デリアは酒より甘味のようだ。

 四十一区には、甘味処は無いかもしれない。

 これまで砂糖なんてものは一般的じゃなかったからな。


「デリアを連れてきて正解だったかもしれないな」

「だろぉ? よぉっし! じゃあ、早速乗り込もうぜ!」


 デリアが言うと『攻め込む』に聞こえるから怖い。


「ヤシロさ~ん!」


 四十二区を出ようかとした時、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、イメルダが誰憚ることなくおっぱいを揺らして駆けてくるところだった。


「……アメリカンクラッカーを思い出すな」

「ん? なんだ、それ?」

「いや、なんでもない」


 デリアには分からないだろうよ、きっと。

 とにかく、ばいんばいんで大暴れってことだ。


 そんな無益な会話をしていると、イメルダが俺たちの前までやって来て、盛大に肩を揺らして息を整える。肩が上下する度におっぱいもゆっさゆっさ……


「……スライムを思い出すな」

「ん? なんだ、それ?」

「いや、なんでもない」


 デリアには分からないだろうよ、きっと。

 ぷるぷるなんだよ。


「はぁ……はぁ……き、奇遇ですわね!」

「そんな息を切らせて奇遇もないだろう……」

「ワタクシも……はぁ……同行して差し上げても……はぁ……よろしいですわよ……はぁ…………はぁ……」

「一緒に行きたいんだな?」

「……はぁ……えぇ……はぁ……まぁ……はぁ…………はぁ……」


 疲れ過ぎて虚栄を張ることを放棄しやがった。

 まぁ確かに、ここ最近イメルダとゆっくり話す時間もなかったしな。

 気軽な視察だ。いてもらっても問題ないだろう。


「じゃ、一緒に行くか」

「ヤシロさんが、そこまで言うのでしたら、しょうがないですわね」

「復活早ぇな、お前は」


 なんか知らんがお供が増えた。

 木こりのお嬢様は四十一区では有名人なのだろうか? なら、得られる情報もあるかもしれないか。

 逆にトラブルになることもないとは言えないが……その時はきっとデリアがなんとかしてくれる。


「よろしくな、デリア…………あれ、なんか機嫌悪い?」

「……別に」


 デリアが頬をぷっくり膨らませていた。

 いやいや。別にデートってわけでもなかったわけだし、ただの視察だし…………


「今度、甘い物食べに行こうな?」

「二人でか?」

「あぁ。ちゃんとデートのお誘いに行くから……機嫌直して」

「しょうがねぇなぁ! 約束だぞ!」


 バシバシと背中を殴られる。……あれ、デリア、今丸太とか持ってなかったよね? なにこの衝撃……俺の骨、あと一発喰らったら疲労骨折しちゃいそうだよ。


 しかしながら……デリアもどんどん女子化していっている気がする……昔はこういう感じじゃなかったと思ったんだが……まぁ、あけっぴろげな好意を向けてくれるのは相変わらずだけどな。

 こんなにデカいけど、なんか姪っ子とか、そういうのを見ている気分になる。


「さぁ、参りますわよ! 付いてきなさい、ですわ!」

「おい、飛び入り。仕切ってんじぇねぇよ」


 にこにこ顔のイメルダを先頭に、俺たちは四十一区へと入っていく。







 四十一区は、やはり今日もどこかくたびれて見えた。

 大通りを外れ一本路地に入ると、とたんに華やかさは見る影を失う。

 薄暗い路地に何軒かの店が軒を並べて立っている。客の入りはイマイチなようだ。


「お、姉さん体格いいねぇ。狩猟ギルドの人かい?」


 武器を扱う店の前で、デリアが声をかけられていた。


「いや、あたいは川漁ギルドのもんだ」

「あぁ、そうかい……」


 狩猟ギルドではないと分かるや、店の者らしき男は途端に興味をなくし、店の中へと入ってしまった。


「狩猟ギルド以外は客ではない、とでも言いたげな態度ですわね」

「この街は狩猟ギルドメインで回っているような街だからな」


 もしかしたら、この異様に狭い路地も、狩猟ギルドのために大通りを広げようとして割を食った結果かもしれない。大通りを拡張するために。両端の店を少しずつ引っ込めたとかな。

 ……はは、あり得る。


「もう一本裏へ行こうぜ。一本目の連中は変なプライド持ってて付き合いにくいんだ」


 四十一区では、大通りから見て各路地に拠点を置く者を『一本目』『二本目』と呼び合っているらしい。

 三本目四本目と、奥へ行くにつれ貧しくなっていくようだ。その分、仲間意識も強いのかもしれんが。


「大通りを拠点にしてる連中はセレブってわけか」

「どんぐりの背比べだけどな。みんな金なんか持ってねぇし。だから、誇れるもんがそれくらいしかないのさ」


 自分は『一本目』だという、この地域でしか通用しないプライド……選民意識……くだらない。


「狩猟ギルドがおいしい思いをしているしわ寄せが、庶民にいってしまっているんですのね」

「木こりギルドはどうなんだ? 立場的に似たようなもんなんじゃないのか?」


 四十一区の有り様を見て呆れ果てているイメルダ。だが、四十区における木こりギルドはそれに近しい状態なのではないだろうか?


「ウチは近隣住民と上手くやっていますわよ? そもそも、木材を使う職業が多く集まっていますし、バランスの取れた共存共栄をしていますわ」


 自信たっぷりにイメルダが胸を張る。

 はち切れろ! はち切れるんだ、シャツの胸元よっ!


「ヤシロ。そんなガン見してんじゃねぇよ」


 デリアがまたほっぺたをぷっくりと膨らませる。

 いや、デリアの方が大きいんだけどな、なんとなくデリアはそういう目で見ちゃいけないような気がしてなぁ……


「なぁ、デリア。ここら辺で飯を食ったことがあるなら、聞いたことはないか? 領主や狩猟ギルドに関する噂……特に、不平不満なんかを」


 路地の本数でお互いを呼び合うような連中なら、きっと仲間意識が強くなっているはずだ。強くなった仲間意識は、身内以外に敵意を向けやすくなる。

 同調圧力というヤツだ。

「あの人やーねー」「そーよねー」「あ、私もそー思ってたー」「ねー」というヤツだ。


「愚痴なら、連中いっつも撒き散らしてるぞ。なんなら、ちょっと見に行ってみるか?」

「そうだな」


 まだ夕飯には早いが……少し覗いてみるか。


 デリアに連れられて、俺たちは三本目の路地へと足を向けた。

 道も建物も汚くなっていき、イメルダの眉間に深いしわが寄りっぱなしになっている。


「……臭いですわ」

「これなんかまだまだマシな方だろ?」

「もっと強烈な場所がありますの?」

「五本目を超えると、あたいでも無理だ。飯なんか食う気も失せる」


 どんな場所だよ。

 かつての四十二区より酷いんじゃないか、それは?


 結局、最下層の区はどっこいどっこいだったってことか。


 三本目の路地には、酔い潰れて道端で寝ている男や、座り込んでボーっと空を見つめているヤツ、四本目の路地からジィっとこちらを見つめている不審者などなど、なかなかエキセントリックな人物が目白押しだった。……帰っていいかな?


「イメルダ。付いてきたことを後悔してるだろう?」

「そ、そんなこと……ちょっとしかありませんわ……」


 純白のハンカチで鼻を押さえ、イメルダが表情を歪める。

 美しいもの好きのイメルダには耐えがたい場所だろう。


「ここだ。ここのフルーツは甘くて美味いんだぞ」


 三本目の路地の奥まった場所に、その酒場はあった。

 常連客たちだけで持っているような、控えめな看板を掲げた店だ。


 店内に入ると、十数人の客がいた。

 夕飯前だってのに、大入りだ。……こいつら、働いてないのか?


「マスター! 久しぶり」

「おぉ……クマの子」


 そんな、かくれんぼを見ていたヤツみたいに。

 ……お尻、出すのか? そしたら、一等賞くらいいくらでもやるぞ。


「ほれ、いつものヤツだ」

「おぉ! ヤシロ! ヤシロ! これこれ! これが美味いんだ!」


 デリアが大興奮のフルーツとは、マンゴーだった。

 まぁ、確かに甘いよな、マンゴーは。

 今度マンゴープリンでも作ってやろうかな。


「くっ……くやしいですが、美味しいですわ!」

「だろぉ?」


 カウンターでマンゴーに舌鼓を打つ二人。

 俺は別にマンゴーとかどうでもいいんで、マスターに話を聞くことにする。


「ここにいる連中ってのは、普段なんの仕事をしてんだ?」

「色々さ」


 カップを拭きながら、マスターは静かな声で言う。

 見た感じ六十歳超えのジジイに見えるんだが、この世界の定年ってのはどうなってんだろうな。


「あいつは果樹園でマンゴーを作ってるし、あっちのヤツは武器を作ってる」

「狩猟ギルドのおかげで恩恵を受ける口か?」


 武器職人なら、狩猟ギルドが使う武器に需要が生まれてウハウハなはずだ。

 だが、……どうもみすぼらしい。


「狩猟ギルドの使う武器は、領主様から貸与されてるのさ」

「貸与?」

「税金代わりに納めさせた武器を、狩猟ギルドに流してるのさ。貸与ったって、返したりはしない。壊れたら廃棄さ」


 狩猟ギルドに狩りを続けてもらうため、武器は領主が用意する。

 確かに、理に適っているような気もしなくはないが……


 税金として納めた武器が流用されているなら、こいつらの利益はどこから湧いてくるんだ?


「この街ではな、狩猟ギルドが一番で、そこから零れ落ちるわずかな稼ぎを他の全員で奪い合っているのさ」

「よく反乱が起こらんな」

「勝てない戦をするのは愚か者だけだ……こらえていれば、最低限の生活は出来る」


 出来てるのか、これで?

 まぁ、外で酒を飲めるほどには稼ぎがあるってことか。


「狩猟ギルドがいれば、四十一区は破綻しない。そのうち、景気が良くなることもあるだろうよ」


 マスターはそう言い残して、拭いたカップを厨房へと持っていった。

 背を向けたマスターは「それ以上聞かないでくれ」と言っているように思えた。


「ったく、やってらんねぇよなぁ……毎日毎日働いても、全然楽にならねぇ……」

「酒が飲めるだけマシだろうが」

「そりゃそうだけどよぉ」


 後ろの席で、男たちがくだを巻いている。


「ちょっといいか?」


 四人掛けのテーブルに座る二人の男。

 一人は完全に出来上がっており、べろんべろんだ。もう一人は、この飲んだくれを見守るためか、あまり飲んでいなかった。


「随分不満があるみたいだな」

「そりゃあ、ここまで露骨に格差をつけられたらよぉ……なぁ、お前もそう思うよな?」

「確かにな。だが、不満を口にしたって始まりゃしねぇ。俺は真面目に働いて、いつか四十区に家を買うんだ」

「ははは! 無理無理! お前なんか、四十二区がせいぜいだ」


 カチン……


「あ、領主……」

「えっ!?」


 飲んだくれていた男が急に背筋を伸ばして店内を見渡す。


「お、脅かすんじゃねぇよ! てめぇ、カエルにしちまうぞ!?」

「なんだよ。『領主のことで聞きたいことがあるんだけど』って言おうとしただけだろうが」


 まぁ、嘘だけど。


「そうだぞ。お前が早とちりしただけだ。すまんな、兄ちゃん。こいつも悪気はないんだ。許してやってくれ」

「それは別にいいけど……。なぁ、ここの領主ってのはまだ若造なんだろ? そいつの失策のせいでこんな状況になってんじゃないのか?」

「若造って…………おい、兄ちゃん。滅多なこと言うんじゃねぇよ。憲兵に見つかったらえらい目に遭うぞ」

「圧政までしてんのかよ?」


 飲んだくれていない方の男が小声で忠告してくれる。

 この街では言論統制でも敷かれてんのか?


「そうじゃねぇよ。ここいらの兵士は、みんな領主様に心酔してんだ。領主様の悪口を言うヤツは、『領主様に見つからないように』粛清されんだよ」


 ……なにそれ、怖い。

 完全に狂信者じゃねぇか。


「出て行こうなんて、考えたりしないのか?」

「そういうヤツもいるにはいる。生活が苦しくなってここを出ていくんだ。……最近じゃ、住民の流出が深刻になってきてんだよ」


 領民が減れば、その分税収は下がり、街は苦しくなる。

 そうなると税金が上がり、物価も上がる。

 領民流出は、何がなんでも避けなければいけない重要事項だ。


 それを放置してまで狩猟ギルド優先政策を取っているのか、リカルドは。

 ……ただのアホなのか、それとも…………


「けどまぁ……」


 飲んだくれていない方の男が、ぬるそうなエールをぐびりと煽る。


「……嫌いには、なれねぇんだよな。やっぱ」


 それだけ呟いて、しみじみと自分の世界に浸ってしまった。


 嫌いになれないのは、領主か、この街か……



 狩猟ギルドを軸に、経済の立て直しを図ることは間違いじゃない。

 全体主義でじり貧になるよりも、大胆な政策で利益を確保し、その後領民に恩恵を分配する方が上手くいく可能性は高い。


 だが、その方法は反感を買いやすい。

 反感を買ったまま放置すれば……ここでくだを巻いている連中のようにやる気を失い、活力をなくしていくヤツが現れる。

 それに歯止めが利かなくなった時、この街は終わる。


 リスクの高い賭けだ。


 先代領主が亡くなって二年弱と言ったか……

 狩猟ギルドを優待するような政策は先代の頃から引き継いだものだとして……リカルドになってからあまり芳しい成果は上がっていないように見受けられる。

 領民の目が死んでいるのがその証拠だ。


 大雨もあったし、四十二区の変化も、四十一区にはストレスになっていたのかもしれない。


 要因はいくつもあるだろうが、リカルドはいまだ明確な成果を上げられていない。

 それは、十分過ぎるくらいに……領民からの信頼を失わせる理由になる。


 領主はある種のカリスマ性を持っていなければいけない。

 領主がいれば大丈夫だと、領民に思わせる必要がある。そうでなければ領内はまとまることはない。


 リカルド……お前、今、すげぇ焦ってるだろう。

 領内の隅々にまで目が行き届いていない……かつてのエステラみたいだ。


 突破口が欲しい。

 そう思っているよな?


 思ってなきゃ、お前は領主失格だ。現状維持ではどうにもならないところまで来てるんだぜ、お前の四十一区は。


「ヤシロ~、お前が遅いからイメルダがみんな食っちまったぞ、マンゴー」

「んなっ!? あ、あなたの方が二切れ多く食べましたでしょう!? 人のせいにしないでくださいまし!」

「いや、マンゴーとかどうでもいいんだけどな」

「「どうでもいいとはなんだ!?」」


 いや、怖ぇよ。

 女子のマンゴー好きって、全世界共通なのか?


 ま、それはともかく。

 やっぱり視察に来てよかった。


 解決の糸口が、ようやく見えたからな。


 三者会談が待ち遠しいぜ。

 それまでに、準備するもんはしておかねぇとな。


 その後、もう少しだけ四十一区を見て回り、俺たちは四十二区へと帰った。


「デート、忘れんなよ!」


 きつく言い残して、デリアがスキップしながら帰っていく。

 ……甘味処の『檸檬』にでも連れてってやるかなぁ。


「デート、お忘れなきよう!」


 澄ました顔で言って、イメルダが鼻歌交じりに帰っていく。

 ……いや、お前とは約束してないだろう!?


 ……まったく。

 こっちは上手く立ち回ろうと頭を悩ましてるってのに……お気楽なんだからよぉ。


「頭痛いわ……」



 だが俺は知らなかった。

 この翌日……もっと頭が痛くなる出来事が起こるということを…………




 そう、早朝に聞こえてきた地鳴りのようなあの足音を耳にするまでは…………




「アタシのヤシロはいるかい!?」




 四十二区に、メドラ襲来…………つか、誰がお前のだ。






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