49G.マシンハイブ エクスプローラー

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 衛星ベルオル地下都市第4層、行政区画。

 そこは上層の軍事施設を抱える区画と違い、白く飾り気の無い地味な構造物が立ち並ぶ場所だった。唯理たちが上下にブチ抜いて来た天井と床を貫く建物が役所にあたる。

 外に出た途端に飛行型無人機ドローンに襲われたが、一瞬で落とすと後続は現れなかった。軍事施設の無人機も降りて来ない。管轄エリアを離れられないのだろう、とオペ娘は言っていた。


『ここの職員は艦隊が優先して避難させてったみたいだぜ、ログに残ってた。でも一般人が外に出た記録は無いな。インフラ区画に避難したって情報も無し。やっぱ直接降りないと分からないっぽいわこれ』


 エイムを降りて手近なターミナル――――――階層プレート内メンテナンスルート入口――――――にアクセスすると、行政区画の業務記録を確認出来た。

 しかし、階層のネットワークハブでもない端末のひとつに過ぎなかった為、大した情報は得られず。

 唯理たちチームAは予定通り中央シャフトへ向かう。

 第4層は完全に無人だった。

 21世紀で見るような地下街ではなく、本当に地下に建築物群がある光景は、唯理に映画のセットか実験場のような印象を与える。

 こうやって見ると東京もニューヨークも十分人間的だった。そんな懐かしささえ覚えるものである。


 中央シャフトは地下都市の芯柱のような物で、層全体の重量をドーナツ状に分散させているらしい。非常に剛性は高いが、実は中は空洞になっているのだとか。

 直径にして約500メートルもの太さがある8角形の柱。それに沿うように、エレベーターやライフラインが通されている。

 材質はスーパースチールR.M.Mコンポジット。

 『鉄鋼スチール』と名付けられているが、当然ながら21世紀の鋼とは比べ物にならない硬度と弾性を有しており、また金属疲労を自律組み換え素子R.M.Mが引き受ける事によって高い耐久性も得ているのだという話だ。複合材コンポジットなのでR.M.Mその物ではないらしいが。


『いくら成金共和国だからって都市の要を丸々R.M.Mで作ったりせんわ』


『そうだよねー……宇宙船丸ごとR.M.Mで作るとか何考えているんだろうね』 


 技術的説明をするオペ娘とエンジニアの理系女子ふたりが、改めて呆れたように某宇宙船について言及した。

 とことん非常識な存在らしい。今まさにそんな船に乗っている上に、これから何隻も回収しに行くのだが。


 膝を着くヒト型機動兵器から降り、メカニックの姐御がエレベーターの端末を操作する。気圧調整機構エアロックなど複雑な設備を備えてない分、こちらのガードは甘かった。

 カーゴが下層から引っ張り上げられ、オレンジの警告灯が回転し、ブザーの音が鳴り響く。

 床から迫り上がっていた立ち入り禁止のフェンスが、エレベーターが開くと同時に床の中に収納されていった。

 が、ここで問題が発生する。

 外部搬入口からのエレベーターはエイム3体を一度に運べるほど大きかったが、中央エレベーターは半分の容積も無い。


『エイムを載せる事なんか想定していないんだろうな。多分マシンヘッドやライトキャリアーくらいだろう』


 そもそも地下都市内で15メートル平均のエイムなど運用するとは考えてないのだろう、とメカニックの姐御は言う。

 確かに200メートルや300メートルの天井や密集した遮蔽物などがある空間で、1秒平均245メートルでぶっ飛ぶヒト型機動兵器など危なくて使えやしない。赤毛は平気で振り回しているが。

 それに言われてみれば、上層階の無人機も背が低くタイヤ履きで三次元戦闘を捨てていたのを思い出す。


「降りて行くしかありませんか?」


『下の警備は上ほどじゃないと思いたいな。フィス、どう思う?』


『物が密集し過ぎて細かい識別なんて出来ねーよ。とりあえずルート検索。ドローンの来そうな広いところ避けてメンテナンスルートとかを行けば安全なんじゃねーかな。

 ターミナルにアクセスできれば周辺の状況が把握できるし、セキュリティーシステムも制御できるかもな』


 例によってエレベーターカーゴを破壊する事も考えたが、中央シャフトに万が一の事があると都市全体に問題が出かねないので却下。

 ここで、唯理は自分のエイムを残してダナと下に降りる事となった。メイとラヴは、エイムの番と万が一のバックアップの為にここに残す。


 本来ならば唯理は残る方が良いし、もっと言えばパンナコッタから出るのも避けるべきだっただろう。この後に、唯理にしか出来ない役目があるのだから。

 それでも自ら動くのは、唯理自身自分が一番手馴れているだろうという奇妙な確信がある故の事だった。


 地下5層は4層と同じく行政区画なのでスルー。

 地下6層から、一般の住民が住む居住区画となる。一般人と言っても共和国の植民政策における浸透作戦の尖兵たる社員だが。


 エレベーターのドアが開いた瞬間、アサルトライフルを構えたダナが全方位の安全を確認。キレのある特殊戦特有の動きに、唯理は奇妙な懐かしさを覚える。

 そんな事を考える赤毛娘もまた、ハンドガンを真正面に構えて目線だけで周囲を警戒していた。安全確認クリアリングの基本動作だが、自分はどこでこんな事をおぼえて来たのだろうと思う。

 とはいえ、ここは遥か未来。昔ならハンドサインなどで静かに意志疎通を図る場面だが、情報機器インフォギアによる文字通信という便利な道具ツールのおかげで、その必要はなかった。


 その手の技術が錆び付きそうで少し怖い。


『前方150メートル、守衛事務室だな。ターミナルがある。あそこまで走るぞ。援護できるか?』


『どうぞ』


 唯理が請け負うと、間も無く息を整えてダナが走った。肉体派だけあって船外活動EVAスーツの上からでも力強いストライド。

 しっかり周辺に目を配っていた唯理だが、特に何かのセンサーに引っかかって警備ドローンが飛んで来るような事も無かった。

 実は情報機器インフォギアを対センサーの電子妨害ECMモード――――――改造及びソフトのアップデートで――――――で使用しており、一応の対策はしているのだが。

 これをやっておかないと自動照準システムに捕まって泣く事になるという。フィスから教わった必須技術のひとつである。


 エレベーターの周囲は重機の無い小奇麗な工事現場のようだが、側面を走る道路や5階建て程度の建物を見ると、ちょっとハイテクでも21世紀で普通にありそうな街並みだった。

 天井は、花曇に輝く空のようだ。青空とはいかないが、閉塞感も無い。


『開いた、いいぞユイリ』


 壁面の扉が開いたらしく、半開きのそこから褐色肌の姐さんが周囲にアサルトライフルを向けている。

 その援護を受けて、黒とオレンジの船外活動EVAスーツもダッシュ。ダナが目を剥くような速力で150メートルを駆け抜けた。


 守衛のオフィスも無人だったが、そこの端末にアクセスし情報を得る事ができた。

 やはり予想通り、第7惑星宙域にメナスが出現して駐留艦隊が追い散らされた時点で、第3衛星ベルオルの地下都市では非常時体制プロトコルが発令されている。

 これに従い、ベルオルにある共和国の施設群は自動迎撃機構のみ稼動させた状態で、救助が来るまで完全封鎖ロックダウン

 敵対勢力の欺瞞工作なども警戒し、連絡も断ち最下層に引き篭もっていると、こういう状況であるらしい。

 らしい、というのは、守衛のログに残っているその情報以降、現状がどうなっているのか分からない故であるが。


「フィス、ここからメインフレームにアクセスするラインは無いのか?」


『そこの端末からじゃ権限足りないから無理だな。最上位アクセスコードがあれば関係ねーんだけど、んなもんあれば苦労しねーし。

 とりあえずその階全体とエレベーターのセキュリティーオーバーライドは出来た。今度こそ問題なく最下層までいけるぜ』


 そこそこの権限しかない守衛の端末だったが、それを経由しフィスは第6層から下17層までを走査スキャンできた。結果、どこも無人に等しいと。

 10キロメートル四方の、無人都市。それが12層分とは、唯理も溜息しか出ない。

 実際には火事場泥棒やら何やら怪しいのがここぞとばかりに動いているらしいが。

 自分たちも似たようなものなので、何も言えなかった。


               ◇


 無人の第6層に用など無いので、赤毛も姐御もさっさとエレベーターに戻る。

 ここからは最下層、生活インフラや中央制御システムたるメインフレームの集中している20層まで一気だ。

 約7,000メートルを時速100キロで約4分。

 多少の気圧調整はされているのだろうが、耳がキーンと言い出した気がするので船外活動EVAスーツのヘルメットを展開、閉鎖する。

 スーツと言っても、全身を軽合金や硬質素材の装甲で覆い、無重力の真空中でも動けるようブースターと酸素フィルターを持つ循環系を備えたディフェンスアーマーに近い。

 唯理のスーツはエイムオペレーター用なので、コクピットで邪魔にならないよう身体の線が出るスマートな物になっていた。女性用なのでなおさらだ。

 ちなみに外から顔は見えない。全ての船外活動EVAスーツがそうではないが、唯理の物に関しては顔の輪郭のみ模し、眼孔部分にセンサーパーツが嵌め込まれているのみのシンプルなフェイスガードとなっている。


 そして、ハイスペリオン星系での残り活動時間、約40時間。

 唯理とダナは、地下20層に到着した。


 エレベーターから外に出ると、そこは巨大な工場の内部といった印象だった。

 少なくとも上階では地上の街や施設を再現していたのに比し、地下20層では広大な空間にそのまま設備が置かれている。

 何かのモニュメントのようにそびえる演算フレームの筐体。冷却機や中継機と思しき何列にも並ぶ機械に、床に埋め込まれているらしい何かのラインの模様。

 唯理たちが居る箇所以外の照明は落とされており、無数に連なる駆動音が微かに足下を震わせている。

 各機械が副次的に発する光が、ぼんやりと機械の群れを浮かび上がらせていた。


 フィスの説明によると、18、19、20層は緊急時に隔離され、独立して機能を維持するらしい。

 元々最下層が都市全体のライフラインなどの生命維持インフラを担っているので、上階を切り離して施設の防衛に専念するのだ。その際、居住区画と軍事区画は自前の非常用設備を使うのだとか。

 唯理とダナが簡単に入れたのは、偏にパンナコッタのオペ娘さんが優秀な為だ。今回は色々苦戦しているが、多種多様なシステムを同時に掌握するのは並大抵の技術ではないのである。

 直接アクセスできればエレベーターの制御システムを乗っ取るオーバーライドするなど、難しくはなかった。


 とはいえ、目の前にドーンと鎮座しているメインフレーム本体は、外装を引っ剥がしてその辺のケーブル引っこ抜き直接アクセスすると言うワケにもいかない。


『だいたい主要な制御システムは2重か3重にハードウェアが構築されてて、適切な権限を持ってるインターフェイスじゃないとコントロールできないしね。

 仮に並列予備のシステムを切り離して制御系を書き換えても、多分ハード側のシステムの方が受け付けないと思うし』


 ハードウェアの専門家であるエンジニア嬢がいればどうにかしたかも、と思っていた赤毛だが、ご本人の意見としては正規の方法でアクセスしろという話だった。

 よって、唯理とダナもシステムの密林を潜り管制センターを目指す。


 途中、延々と続く金網の通路に入ると、足元が底の見えない裂け目になっていた。最下層のはずだが、それだけ巨大なシステムだという事か。


 薄緑色の液体が溜まるプールは、キャットウォークすら無い為に引き返すか否かという話になった。

 大きなタイムロスになるので、赤毛娘が壁走りで突破した後に対岸のクレーンを動かしダナを吊り下げた。

 フィスは唯理に重力制御システムの搭載を疑ったが、無論そんなワケが無い。


 ミラーハウスのように均一な大きさの鏡で囲まれた空間は、大量のストレージが置かれている場所らしい。鏡のように見えるのは保護カバーであり、同時に熱を可視光に変えて放出していると言う話だった。エンジニア嬢談。

 この時代は当たり前に常温超電導素子を用い電気抵抗など無いに等しいのだが、それでも未だに廃熱という問題は無くなっていないそうだ。


 最後の難関、機械区画と重要区画を隔てるセキュリティーゲートを越えると、都市の頭脳とも言えるコントロール施設に入る事になる。

 センサーに埋め尽くされたトンネルだったが、機械類を何も身に着けていなければ突破できる、というシステムの穴をフィスが発見。

 機械類、とは言うが、要するにそれは身体以外の全てと言う意味だ。この時代、下着ひとつ取っても何かしらの素子が埋め込まれていたりするのだから。ましてや潜入用装備である。

 ならば唯理が先行してセキュリティー落としに行くか、と言うと、マリーンに緊急時に備えるよう指示されたので、ダナの姐御が素っ裸になる事となった。

 ふたり揃って気恥ずかしい思いをさせられたが、非常に健康的で逞しい美体だったと赤毛は記述しておくものである。

 骨格が華奢でどうしても一定以上筋肉の付かない赤毛娘には、羨ましい身体だった。


 コントロール区画は他の場所とは一転し、天井や壁の距離感が人間の住環境に即したスケールになっている。少し狭く感じるほどだ。

 今までと同じくヒト気は無いと思ったが、入って間も無く情報機器インフォギアと唯理自前のセンサーに感有り。


「ダナさん」


「……職員か何かか?」


 聴音センサーのフィルターが、機械とは違うランダムな音と話し声らしき音を拾う。

 ヒトがいる事自体はいい。むしろ今まで会わなかった事が不思議だ。

 しかし、現状侵入者の身であるパンナコッタのふたりは、当都市の住民との接触は慎重を期さねばならない。


「と言うか目的の人物以外と会わず本人たちだけ連れ出すのが理想ではある」


「メインフレームで確実に居場所を特定したいところですね。ヒトのいる所を探すとなると遭遇リスクは高まりますが……。どうします?」


「そうだな……フィス、この施設をモニターできるか? 見つからず利用可能なターミナルを探してくれ」


『りょーかーい……。とりあえず10メートル先、左の部屋に汎用端末がある。そこから手を広げるからアクセスしてみてくれ。光学センサーだけは避けてくれよ、汎用のインフォギアじゃ流石にごまかせねーぞ』


 近くにヒトがいる為、情報機器インフォギアを応用した電子妨害ECMを今まで以上に厳に。しかし、完全受動パッシブ型のセンサーだけは妨害し辛い為に警戒して避けていく。

 ロックを外してスライド式のドアを開けると、そこはガンロッカーのもある備品庫だった。

 ダナはフィスにリクエストされた端末へ接触。

 赤毛の方は、姐御の勧めでロッカーの武器をひとつ持っていく事になった。当然これもロックされているのだが、当然オペ娘が開錠してくれるので。

 この時代の武器の良し悪しなどなど分からない元JKだが、それ程悩まず丸みを帯びた明るいオレンジ色のアサルトライフルを選択。

 発振サイクルと熱量や焦点距離を変えられる、宇宙船や重要施設内で重宝されるレーザー銃だ。


 カナヤゴ重工業製歩兵用光学兵器システム。

 KHRSカーズ-SWS.0110。


『センターの監視システムにアクセスできたぜ。よりによってメインコントロールルームに20人詰めてる。あとエレベーターとフロアのメインルートに歩哨。

 でー、メインコントロールにいるヤツのひとりが顔認証に該当。ブラウニングの娘婿だコイツ』


「娘の方は?」


『20層のシェルターに10万人避難しているけど今のところ見つかんねー。タグ見る限りシステム関係者が集まってるみたいだし、家族は上の方なんじゃねーかな』


 レーザーライフルの電源を入れ照準を確認しているところで、オペ娘のフィスから報告が。20階層に居る人間を調べていた際に、目標に非常に近い・・人物を発見したと言う。

 ブラウニング社長の娘の夫は、共和国の入植事業における責任者だと言う話だ。

 ならば都市中枢部に居るのは不思議でもなんでもないが、こうなると少々問題となる。

 用があるのは嫁と娘の方だ。

 ブラウニングから夫は救出する必要は無いと言われているが、実際どうするかは誰も考えていなかった。

 何となく、嫁さんと娘さんを連れ出すならば、当然旦那さんも連れて行く事になると思っていたが。

 なお、まだメインフレームを抑えたワケではないので18、19層までは把握できないとの事である。


「どうする、旦那に接触するか。それとも上を先に確認するか」


「中央制御以外からメインフレームにアクセスは?」


『サブコントロールは軍事区画にあるし、使えるのはメインが死んだ時限定だ。めんどくせーけどここの施設は主要モジュール毎にインターフェイスを識別してやがる。割り込みは難しいな』


『こういう所は前からしっかりしているのよ、共和国はね。楽をするのは諦めましょう。ダナちゃんとユイリちゃんには悪いけど、直接上の監視システムを使って社長の家族を探してみて』


 せっかく苦労してここまで来たが、もと来た道を戻る事になった。

 力尽くでメインコントロールを抑えるというのは危険過ぎる。ふたりでは分が悪い、と思われた。

 正規のインターフェイスを使う以外のメインフレームへのアクセス方法も無い。

 よって、今まで通り各ローカルターミナルに直接アクセスし、先に最優先目標であるブラウニング社長の娘と孫を走査スキャン。これを確保し、夫を連れて脱出するか否かの意思確認。

 然る後に脱出、という手順を取るものと思われた。


 ハイスペリオン星系で活動できるのは、残り約38時間。

 20層の監視システムを押さえたので、行きよりは楽に中央シャフトエレベーターに戻る。

 次は18層と19層どちらにするかという話になるのだが、都市のデータからマリーン船長が幹部社員用の住居にアタリを付け、そこに向かう事とした。


 そして、地下18層。

 広大な部屋に超大型ジェネレーターが格子状に立ち並び、その制御室と避難用の個室が並んだ階層。

 20層と同様にここも警備が厳重だったが、やはりエレベーターが使われるとは予想されてないのかフィスの隠蔽が完璧なのか、特にトラブルも無く唯理とダナは侵入する。

 警備兵なども居たが、先んじてターミナルにアクセスし周辺の状況を把握したので簡単に回避。

 ノック無しで、幹部社員用の部屋のひとつに滑り込んだ。


「え……? だ、誰ですか!? 呼び出しも無しに勝手に……!!?」 


 室内には、焦げ茶の髪を緩くウェーブさせた妙齢の女性と、5歳前後に見える幼い少女が居た。唯理やダナと同じプロエリウムの母娘で、子供の方は母親に良く似ている。

 母親は娘の手を握り締めて、庇うように身体の陰に入れていた。当たり前だが不意の侵入者を警戒しているようだ。なんとも申し訳ない話で。


「エスタ=ロートナンとクリア=ロートナン? グルー=ブラウニングにここからの救出を依頼された者だ。レストカードだ、受領してくれ」

「パパが……!?」


 しかし、褐色肌の長身女性が身内の名前を出すと、その警戒を少しだけ緩めていた。信頼できる者の名前を聞いて、安心感を覚えたのかもしれない。

 エスタ=ロートナンと娘のクリア。このふたりが、ブラウニングに救出を依頼された家族だった。

 一応口頭でも本人確認をしたが、当然初見の段階で顔認証済みだ。

 ブラウニングの娘もまた、バイオメトリクス認証の暗号鍵によってのみ開封できる電子データを受け取り、父からのメッセージを確認していた。


「ああパパ……ありがとう…………」


 本人にしか見えていないのだろうが、空中投影されているであろうメッセージを見て涙ぐむ妙齢女性。

 とりあえずここまで来て追い返される事はなさそうである。


「上に私たちの船を待たせてある。すぐに出発したいんだが」


「ご主人は20層にいるようですが、一緒に行くならご本人だけ他の人間に知られないよう呼び出してください。

 他の住民の避難とかは具体的に決まってないんですか?」


 ダナの言葉に、一も二もなく承知し子供と共に出発の準備を始める母親。夫の方にも情報機器インフォギアで連絡を取る。

 そして唯理が訊いた所によると、共和国本体による救出計画は完全に未定だという事だ。

 見通しは全く立っていないが、地下都市の責任者である夫は「本社の指示に従い待機しろ」と言うばかり。

 住民にも家族にも、その一点張りだという。


「…………旦那さん、もしかしてここに残るのでは? 誰かに仕事を引き継いで、って感じじゃないんですけど」


「でも、一応言っておかないと…………」


 どうにも話の内容から夫婦仲は順風満帆とは言えない印象を受けるが、それはともかく。

 夫が都市に残る可能性について、妻の方は否定しなかった。

 それならそれでいいと唯理は思う。何と言っても責任者なのだ。職務に忠実ならば、それも致し方なし。単なる仕事人間で家族よりそちらを優先しているだけかもしれないが。

 それでも、妻と子供だけは安全地帯に逃がそうとするのも拒否はしないだろうと、この時は思った。


 ところが、事態はもう少し面倒な事となる。


『ん? おいダンナの方セキュリティーの連中ゾロゾロ引き連れて近づいてんぞ!?』


「なんだと!? おい私達の事を喋ったのか!!?」


「ち、違いますそんな事…………!?」


 フィスから中継される映像には、件の夫を先頭に列を成して来る武装した男達が映っていた。

 家族に会いに来る度に警備を引き連れてくるワケではないとしたら、何かしら気付いているのは明らかだ。

 そして、妻が伝えてないのだとしたら、部屋の方に独立した監視システムでも入っていたか、あるいはメインフレーム側で侵入を感知されたか、とオペ娘は分析するが。


『ダナちゃんユイリちゃん、すぐにそこを出て。フィスちゃん、セキュリティーをわして逃げられるルートを』


「こいつらはどうする!?」


『共和国の幹部社員は付け入る隙を見逃したりしないわ。知っているでしょう? 後でまた連れていく方法を考えればいいわ』


 マリーン船長は任務中止、即時離脱を指示。

 共和国の支配企業、その重要ポストに就く人間程、ヒトの弱みに付け込み利用し何かしら自分の利益にしようとするものである。

 そうでなくても侵入者だ。何より捕まらないのが最優先で、のんびり今後の相談をする時間など無い。


「ま……待って! 私たちも連れて行ってください! パパ……父からはそう言われているんでしょう!?」


 状況に付いて行けない母親だったが、ハッと我に返ると唯理たちへ同行を願い出た。


「そりゃ私達はそれが目的ですが……旦那さんはどうされるんです? 脱出に賛成してくれそうには見えませんが」


「…………主人は仕事が忙しいでしょうから、安全なところに着いてから連絡すればいいと思います」


 赤毛娘が小首を傾げて問うと、目を逸らして平坦な声で言う奥方。夫へに対して微妙な温度。

 とはいえそれが本来の目的なので、パンナコッタ勢としては願ったりではある。

 だが、夫の意思がよく分からない上に余計なオマケが付いて来ている以上、快く送り出されるとも思えない。

 しかし、奥さんの方も夫と同じく相手の意思はこの際どうでも良いそうだ。子供の安全確保が優先で、自分たちをかえりみない夫に配慮する気は無いとの事である。

 やはり夫婦仲はよろしくなかった。ブラウニング社長は知っていたのだろうか、と唯理はいまさらながらに思う。 


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