2G.インサイト即テイクアウト



 『村瀬唯理むらせゆいり』、それが自分の名前であると、赤毛の少女は認識していた。

 それは間違ってなかったと思うが、全てでもなかったような気がする。

 何故かよく思い出せない。


 頭がボンヤリする。思考がハッキリしない。病院で目覚めた時は、いつもこんな感じだった、とおぼろげに思い出す。

 今日は学校に出席日数を稼ぎに行く予定だった、はずだ。

 いや本当にそうだったか。

 もしかしたら、まだ仕事が残っていたかもしれない。今日も学校に行けない可能性がある。

 とはいえ、それも仕方がない。

 学校は仕事に優先しない。

 唯理にはもっと大事な、やるべき事があるのだから。


 もっと大切な、何か。


 ぼんやりと記憶を手繰って行くと、そこに妙な違和感を覚え始める。

 何かが、釈然としない。

 古くて大きな家、両親の不在、祖父、弟、友人? 同僚、部隊、任務。

 目を凝らして近づけば遠退き、掬い上げようとすれば零れてしまう無数の記録。

 そして唯理は、ここに来て何かが致命的におかしな事になっているのに気が付き、慌てて目を覚まそうと、した。



 その瞬間、全身が衝撃に撃ち抜かれる。



「ッう――――――――――!!?」


 辛うじて纏まりかけた記憶が、上から下まで滅茶苦茶になった。

 視界が歪み、頭の中の時系列が細切れになる。

 気が遠くなり、力が抜け地面に膝を付く感覚。

 しかし、そのまま抵抗なく沈み込むと、更に下へ下へと落ちていく。

 足元が消え自由落下に入る、よく覚えのある浮遊感。

 ところが、周囲の空気は粘付くように身体に絡み付き、動きを酷く重たくする。 

 息が出来ず、何かに捉まろうとするかのように、腕が勝手に空中を泳いでいた。

 だが、そこから急激に吸い上げられて行くかのような感じを覚え――――――――――――。


「脳波に異常! 血圧上昇! 心拍上昇!」

「素体の脳電荷過負荷……!? コンバルジョン反応!」

「スタビライザーを注入! 落ち着かせろ!!」


 ゴンッ! と、少女の拳が内側から透明なケースを叩いた。

 薄緑色の液体の中で、全裸の少女が四肢を動かし暴れている。

 その少女が収まるケースの周囲では、白衣の研究者が慌しく動き回っていた。

 誰もが想像だにしない事態で、半ばパニックになっている。


「失敗か?」


 軽肥満で大柄の男、この施設の統括官であるホーリーは、そんな騒ぎを他人事のように見下ろしていた。

 場末の秘密施設に左遷されてきた男が、何百年も成果を上げない研究に興味など持てるはずがない。

 規定上、最重要実験の際には臨席するのを決められているから、そうしているだけだ。

 今日もまた貴重な素体がひとつダメになったらしい。

 認識としては、その程度だ。


 ところが、対照的に若い主任研究員は、舞い上がっているのかと言うほど興奮していた。


「い、いえ! いえ成功ですよ! ネザーズのシンクロ率が100%!? 地上のが信号を返しています!? こ、こんな事は今までの実験で一度も…………!」


 この主任研究員も統括官と同様、仕事は出来るが他者との協調性が壊滅的であるが故に、この施設へ島流しにされてきた口だ。

 そうして10代から研究を続けて、十数年。

 どう思い返しても今回のような実験結果を得られた事は一度も無いし、過去の研究記録にも無かった反応だ。

 それも、ありえない数値、ありえない事象。

 何より求め続けた結果に手が届こうとしている今、ツバを飛ばして大騒ぎしていた。


「間違いなく彼女が鍵です! 全ての遺跡群にアクセスし得る鍵! もう間違いない!! 彼女を解析すればその因子も解明できます!!」


 完全にハイになっている研究員のガキに、肥満の男は嫌悪の色を隠そうともしない。

 しかし、サイーギ=ホーリーという男は無能でもなかった。


 要点は理解した。

 自分は今、連邦が何百年も天文学的な予算をかけて継続する最重要の研究を、独占できる立場にいるという事を。

 この研究成果を以ってすれば、中央に返り咲くのは難しくない。

 どころか、かつて自分を排斥した部署のトップとして堂々踏ん反り返り、無能な同僚や生意気で使えない部下を自分と同じ目に遭わせてやる事も出来るだろう。

 もっとも、自分は浮かび上がるチャンスなど与えず、徹底してその芽を摘んでやるつもりだが。

 そうやって踏み付けられた馬鹿どもが苦痛にのた打ち回り、どうにも出来ず歯軋りして悔しがるのを想像すると、とても気分が良かった。

 とはいえそれも、この成果をしっかりと握ってからの話だ。


「全ての研究データを保全しろ。以降この件に関しては最重要機密とし同僚であっても一切の口外を禁ずる。独り言も許さん。いっそ口を開くな。データも同様だ。実験の方は継続しろ。死ななければ何をしても構わん。へのアクセスを確立しろ」

「あ!? い、いやホーリー統括官!? 素体には今の状態でも十分な過負荷がかかっています! このままだと素体が使い物にならなくなる可能性も――――――――」

「黙ってやれ! 今すぐ成果を出せ!」


 研究主任としては、文字通り数百年に一体出るか出ないかという貴重な素体なのだから、扱いは慎重に行ないたい。せめて成功の因子を特定するまでは。


 もっとも、そんな事は軽肥満の統括官には分からないし、知った事ではなかった。

 自分が「やれ」と言ったら文句を言わずやればいい、としか考えていない。

 また残念な事に、今はその傲慢デブに研究施設の全ての権限があった。

 それも、軍による権限だ。

 逆らえば、軍規に従い処分される事となる。


「……アンプリファイア、1,600%まで信号増幅。ネザーインターフェイスのシグナルは全て記録。サンプリングしデコーダーで解析して」

「主任! 素体、心拍低下! 脳波に異常! 入力信号への反応微弱!」

「スタビライザー投与中止。インジェクションはブースターに切り替え。とりあえずバイタルを活性させて」


 好きに研究を続けたいエゴイストの科学者は、素体の少女の命は半分諦め、デブ統括官の命令に従う事にした。

 少女のコメカミやうなじに貼られた入力端子から、脳への負荷を省みない出力で信号が叩き込まれる。

 血管や気管に入れられたチューブからも、劇薬に等しい物質が注入された。


「素体ショック状態です! 心停止! カウンターショック!!」


 心電モニターの心拍を示す波形が一瞬振り切れると、直後にフラットとなる。

 それでも、少女の露な胸の下と背中に貼り付けられた端子が高圧電流を発し、無理やり心臓を動かした。

 ケースの液体の中で、少女の肢体が跳ね上がる。


「ネザーインターフェイスをモニタリング中……。シグナルがデコードできません! 解析不能!」

「今は解読できなくても良い! 遺跡はまだ信号を返してる!?」

「一定のパターンを返していますがこちらも解析不能です!」


 痙攣する少女を全く省みず、ただデータだけを見て状況が芳しくないと焦れる科学者たち。

 まるで機械の歯車を強引に回すように、少女の身体が壊れかねない力を加え続ける。


「……ネザーコントロールのシンクロが弱いんじゃないのか……? 信号を増幅して送ってみろ」

「彼女は既にシンクロ100%ってありえない数字が出てるんです! わからないヒトは黙っていてください!!」


 だというのに、物扱いの少女に負荷をかけるばかりで、一向に成果は得られなかった。

 素人のデブが余計な口を挟んで若い主任を苛立たせたが、その態度にデブ統括官の方は主任科学者の譴責を決める。


 少女の頭の中はグチャグチャになっていた。

 破裂するまで詰め込まれる感覚。鼓膜が破れるかと思うほど耳元で打ち鳴らされる騒音。串刺しにされるかのような激痛。押し潰されそうな身体。

 だが、霞む記憶の中で、あらゆる苦痛に対して少女が取ってきた手段は、ただひとつだった。

 例え指先ひとつ動かせないとしても、赤毛の少女は本能のまま声にならない咆哮を上げ、



 直後、プラント全体が激震に襲われる。



 何人もの科学者が、プラント内の作業員が、研究主任が、デブの統括官が、そして運のない来訪者の少女達が空中に投げ出された。

 プラントを真下から貫く衝撃。続けて来るのが、連鎖的に発生する爆発の振動。

 警報が鳴り響き、施設内のあらゆる場所が自動で防災措置に入る。

 一瞬、照明と重力制御システムが落ちたが、間もなくバックアップが作動し、施設内の照明と足場を維持した。


「うグ……い、一体何だぁ!? 司令室! 統括官だ、何が起こった!!?」


 肥満統括官が声を荒げると、施設内通信インターコムが自動的にプラントの中央司令室へ繋がる。

 返事はしばらく返って来なかったが、声の大きな統括官が再び怒鳴ると、実験室のスピーカーからどもり声が発せられた。


『こ、と、統括官! げ、現在当施設は攻撃を受けています! 被害はアンダーエリアからトップエリアまで広域に! 重要区画まで撃ち抜かれて・・・・・・います! 各ブロックのダメージコントロールは独立で稼動中! ですがイーストブロックを中心に応答の無いブロック多数! メインフレームは施設の維持は不可能とし総員退避を推奨――――――――――』


 司令部部長の悲鳴混じりの報告は、再度の激震で途切れていた。

 ズズズズ……と遠い場所での破壊音がプラントの構造体を通して伝わり、身体には施設が上下する慣性を感じる。


「『攻撃』だと!? どこのどいつだ!? シールドは!? 警備部隊は何をしている!!?」

『し、シールドは動作不良の為起動しません! ガードとも通信が繋がりません! 敵の正体は不明ですが……攻撃は地表からの模様! 惑星上から撃たれてます!!』


 状況が分からずより一層語気を荒げる肥満統括官だが、報告の最後の部分を聞いた途端、その顔を主任科学者と見合わせた。

 表向き、クーリオグループ11M:Fという惑星は生き物の住めない無人の星、という事になっている。

 しかし、実際には少し違うのだ。

 クーリオG11M:Fにはある重要な物体が埋もれており、連邦はそれを秘匿する為の方便として、虚偽のデータを公開していた。

 このプラントに偽装した研究施設も、その物体の研究と惑星の封鎖の為に存在している。

 そして、地表から数百キロという高度のプラントを攻撃するなどと、そんな事が出来る物はただひとつしかありえなかった。


「そ、そんな……遺跡が動いている!? まさか、彼女のアクセスでメインフレームが起動したのか! いや、でもそんな、何百年も眠っていたのに…………!?」


 全てを理解した若い科学者が、頭を抱えて絶叫する。そこまでの機能があるなど、自分の頭脳を以ってしても想定していない。


「こいつがやっているのか…………!?」


 肥満の統括官がケースを睨むと、液体の中の少女は静かになっていた。

 力無く漂い死んでいるように見えるが、心電モニターによると微弱な拍動が確認できる。


 この間も攻撃は続いていた。

 地上から放たれる砲火の光は、プラントを腐った木材か何かのように易々と撃ち抜いている。

 宇宙に浮かぶ巨大構造体がボロボロと崩壊し、無重力中に飛散する一方、惑星上に落ちていく分量も多かった。

 燃料や化学薬品が爆発し、施設内で衝撃波と炎が荒れ狂っている。

 作業員や一部の研究者は、避難命令を待たずに脱出を図っていた。


「実験データと素体を運び出せ! 最優先だ! これだけはなんとしてでも退避させろ!」

「む、無理です! メインフレームとのライン途絶! アクセスできません!」

「ホーリー統括官! この状況で素体を運び出すのは無理です! 死んでしまいます!」

「『無理』だなどと聞いてない! 絶対にデータと素体を持ち出せ! 死体でも構わん! 命に代えても持ち出せ! 命令だ!!」


 プラントの最奥にある実験エリアも、爆発の衝撃が近くなっていた。

 研究成果に固執する強欲統括官に、付き合いきれないと研究者達が次々逃げ出す。

 声の大きな統括官がどれだけ威圧的に怒鳴っても、誰ひとり命令に従おうとはしなかった。


「クソッ!? 低脳のクズどもが! 俺の邪魔ばかりしやがって!! どうやってこいつは解放するんだ!? おい主任!!」


 栄転のかかったデブは、少女の浮かぶケースに縋り付き、周囲のパネルをまさぐって叫ぶ。

 振り返ると、若い主任科学者は背を向けて逃げるところだった。研究はどこでだって出来るのだ。こんな俗物と心中する必要性は感じない。

 使えないヤツなど知らない、と毒突く肥満デブは、透明なケースを殴りつけ、近くの制御パネルを手当たり次第に叩きまくる。

 それが偶然、異常を発生させケースから少女を緊急排出させる事になった。


「おい起きろモルモットが! クソッ!? ただの鍵なら頭だけで良いだろうが!!」


 迫り上がるケースから、少女が液体に押し流されて床に落ちた。

 肥満のデブは少女の赤毛を鷲掴みにし、腕を掴んで引っ張ろうとするが、運動不足の身にひとりの人間を運ぶような力は無かった。

 自分の怠慢を棚に上げる肥満デブはヒステリックに喚きながらも、絶対に少女を放さないつもりで歯を食い縛る。

 それも結局、遂に実験室内で起こった爆発に吹っ飛ばされ、成し遂げられずに終わった。



 それから間もなくの事だ。



「なんだよこっちの方が酷いじゃねーか!? これ中から爆発が起こってんじゃないのかおい!?」

「だからっていまさら戻れないでしょう!? 中央ブロックを通れば反対側のドックに――――――――え?」


 気の強そうな紫髪の少女、フィスと、長い三つ編みにメガネの少女、エイミーが、実験室に飛び込んできた。

 逃げ場を探して辿り着いたのだが、そこから次の脱出路に入ろうとしたところで、メガネの少女が大きく目を見開く。

 床に転がる全裸の赤毛美少女を見つけた為だ。


「おいどうしたエイミー!? ここ通り抜けできんのか!? アホみたいにデカいストレージが立ってて邪魔クセ――――――うぉあッ!!?」


 続けて、エイミーの後ろから来たフィスも、赤毛の少女を見つけて思わず飛び退く。

 死体だと思ったが外傷は見当たらず、胸が小さく上下している事から呼吸しているのが分かった。胸自体は小さいなんてものじゃなかったが。


 しかし、エイミーが固まっていたのは、死体に遭遇したと思ったからではない。


 基本的に機械にしか興味が無てないエンジニアの少女は、生まれてこの方経験した事のない衝撃に襲われていた。

 こんなに綺麗な少女は見た事がない。

 宝石のように鮮やかな長い赤毛。

 透明感があり美しくもキレのある容貌。

 人工物では決して作れない艶かしい肌の曲線に、スラリと伸びた四肢。

 同性でも直視し辛いほど豊かに張り出した胸や、腰から太腿にかけて凶悪なラインを描く尻。

 その、磨き抜かれた刃のような美しさに、工学少女は完全に囚われていた。

 背後で爆発とか起こっているが、そんな事より。


「わたしこの娘持って帰る!!」

「こんな時になに言ってんだバカ!!」


 突拍子もなく暴走するインテリメガネに対して、「いきなり何言い出すんだ」と怒れるオペ子が絶叫。

 そうしている間にも、衛星軌道上のプラント施設は急速に崩壊を進めていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る