ヴィエンナ
あらら、一気にクラスのモチベーションが低下してしまった。女子校に若い男性教員が投入されるという、ごく希な否が応でも燃えるシチュエーション、お祭り騒ぎのハイテンションは冷水をぶっかけられたように、みるみると萎縮してゆく。後に残るのは宝くじのハズレ券の山積みのような虚しい夢の跡なのだ。
「皆さん、お静かに! あなた達学生の本分は勉強です、学問なのです。言葉は悪いですが、盛りのついたメス猫のようなみっともない姿を晒すのは止めなさい! 本当に見苦しいです」
教頭先生が、歯に衣着せぬキツいお言葉を、うら若き学生達に向かって容赦なく放言する。
「何だと! 教頭! 言っていい事と悪い事があるぞ!」
2列目の中央から声が上がる。茶髪のポニーテールを逆立てるようにバンガーターが起立し、左足を乱暴に椅子の上に踏み締めた。黒ニーソを履いた長い生足を遠慮なく大股開きし、短い制服スカートの中身が丸見えになっている。ふーむ、靴下に合わせた黒いレースの下着か。
「そうだ! 取り消せ! 訂正しろ! クラスの皆に謝れ!」
今度は前に座っていた天然金髪ツインテールのヘスが立ち上がり、勢いに乗るように教壇の教頭に掴みかかろうとする。だが通せんぼされた。当然、この私に。
「何だ、お前は! 新人のくせに邪魔すんな!」
教頭を庇うように中腰になった私のお尻に、勢い余ったヘスの両手と顔が覆い被さった。その時、化粧崩れを起こしたヘスの顔面に、フワリと淡く爽やかな気体が春風のように吹き抜け、ツインテールの片方を艶やかになびかせた。
「やだ! すかしっ……ぺ……」
今際の言葉を遺言のように残すと、ヘスはその場に崩れるように笑顔で脱力する。すかさず私は哀れなる子猫に毒にも薬にもならない言葉を与えた。
「目には目を、屁には屁を。……これは4000年前にまで遡る古代ハンムラビ法典に見出せる、現代においてもなお語り継がれし有名な一節だ」
それがどうしたと言われれば、正直返す言葉がない。忸怩たる思いで教室を見遣ると、中列のやや窓際に座っていたアマクリンが驚嘆の声を上げて、やるせない時間を充当してくれた。
「素敵……! 超美形が放つオナラは臭くないどころか、限りなくオーデコロンのような香りがする……」
一瞬本当か? と思ったが、これも『恋は盲目』の範疇に入るのだろうか。アマクリンが前髪を手で梳いて、好きで好きで堪らないような表情を私に投げかけてくる。
やや不利になったバンガーターは、クラスを仕切る実力者に助けを求めた。委員長のローレンスにではなく一番後ろの窓側に座っている、一際デカくて目立つ女子、ハラダに対してだ。
「ハラダさん! ヘスが新入りの先公にやられました。黙ってるつもりですか?」
ハラダはさっきから机に突っ伏したままだった。私よりちょっと長いくらいのショートヘアで肩幅もあり、制服越しにでも引き締まった肉体を想像できる。入室した時点から気になっていた私は、反射的についつい怒鳴ってしまった。
「こら! ハラダ! 教頭先生やクラスメイトが話しているのに無視して寝ているとは失礼だろ。起きてホームルームに参加しなさい!」
「…………」
ハラダは不機嫌を全身で表現し、ダルそうな視線を投げかけてきた。ケプラー22bにおいては珍しい一重瞼で、精悍な顔つきの美人だと私は感じた。
「……テメェ……放課後、体育館に来やがれ」
ドスの利いた声に教頭先生は早々に挨拶を切り上げるつもりのようだ。
「それでは皆さん、新任教員と宜しくやって下さいね。チトマス先生、我が校の校風にすみやかに慣れるように。では、私はこの辺で……」
そそくさと教室を出て行った彼女に、残された我々はポカンとするしかなかった。それと入れ替わるように頭と膝に包帯を巻いたシェッツが教室に飛び込んでくる。
「おはよーございます! すんません遅刻しちゃいました~……って、アレ? どうしたの、何事?」
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