第三十話『父子』

 屋敷を後にした霧島晃児は、珍しく軍には立ち寄らずに真っ直ぐ自宅へ戻った。

 出迎える部下や使用人達の間をいつもより早足で通り抜け、着替えもせず軍服のまま父親の書斎へ赴いた。

「戻りました。父上」

 重厚な革張りの椅子に深く腰を掛け、カップの紅茶を喉へ流していた将軍…霧島龍聖は、真っ直ぐに息子を見上げると待ち兼ねた様に報告を促した。

「早かったな昇児。それで…あの方にはきちんとお話申し上げたのか?」

 軍では上官だが自宅では父親の顔になる。従って今は自宅で寛ぐ父親の顔ではあるがいつもより落ち着きの無い面持ちだ。

「…はい」

 短く、感情を込めずに晃児は答えたが沈痛な表情までは隠せなかった。無理もない。ほんの数日前迄、松平美鈴嬢を妻に迎えようと、令嬢の返事を待つ間にも式場や日どりまで準備を進めていたのだから。

「そうか。ご苦労だったな」

 龍聖は安堵した様に溜息を吐き息子を労った。だが、晃児は居たたまれない気持ちを抑えきれず、父親へ詰め寄り紅茶セットの並ぶガラステーブルを力任せに叩きつけた。茶器が震えがちゃん、と派手な音を立てカップの紅茶が激しく波打った。

「父上、私は幼い頃より貴方の言葉は正しき道へ導くものであると信じて従って参りました。それはまさしく正しき道でした。国を守る軍でこの青二才がここまで昇り詰められたのも、そして将来的は今以上の昇格の器であると認められたのも全て父上のお陰であると感謝致しております。しかし、今度の件につきましては…正直、困惑致しております。美鈴様を霧島家へ迎える事を父上も喜ばれ是非にと快諾してさったではありませんか。それを突然撤回せよとは…私の尊敬する父上のお考えとは思えません」

「それについては昨夜も話した通りだ。状況が変わったのだと」

「伺いました。ですが此度の事件について彼女は何も関わっておりません。いえ、寧ろ被害者です」

「勿論その事も理解している。だがそれ以前に彼女はもう貴族ではない。我々の階級の人間ではないのだ。仮に、彼女が貴族であったとしても今回の話は白紙に戻す必要があっただろう。彼女は病弱だ。我が霧島家は代々優秀な将を輩出してきた。それ故に強い子を産める体でなくてはならぬ」

「それについてもはじめにご相談を申し上げた筈です。その時にはその様な事は何もお話にならなかったではありませんか。今頃になってそんな事を…」

「貴族には貴族の務めというものがあるのだと日頃から言っている通りだ。我が霧島家にも霧島家の務めがある。それは代々国を守る軍の将を出す軍閥として在り続ける事だ。我が国に軍が存続する限り霧島家も途絶えてはならない。分かるな?我々は一般階級の人間ではないのだ」

 昇児は何も言葉を返せず唯黙って拳を握りしめた。龍聖は怒りを噛み締める息子を宥める事もなく話を続けた。

「あの松平の屋敷を買い取った執事。一介の執事がそんな大金を何故動かす事が出来るのかと不思議に思った。だから調べてみたのだ。少々時間は掛かったが」

 龍聖は暫く目を閉じ何か考え深げに首を重たく動かした。漸く拳の震えが治まった晃児が低い声で父親へ尋ねた。

「…それで『状況が変わった』から、美鈴様との関係を切り、改めて蓮様と関係を築けと仰有るのですか!彼女が一条家の…初代帝国軍元帥、一条英正閣下の末裔だと分かったから」

「そうだ。だがそれだけではない」

 目頭に指先を当てながら苦い表情を息子へ向け、更に重々しい空気が流れた後、漸く父親の口が開いた。

「まだお前に話していない事がある。松平…元鷹宮秀光の家はあの一条家に大火を放ち、財産もろとも略奪し名を上げてきた一族だという事が分かったのだ」

「いつか父上が話しておられた、『一条閣下一族の滅亡』の?では、蓮様は…彼女はその仇の家に仕えていたという事なのですか?」

「そういう事になるな。尤も本人はそれをご存じか否か分からぬが。とにかく、一条の仇は我が霧島家にとっても仇である。霧島家は嘗て一条閣下の副官として仕えていた。一条家滅亡の後には我が霧島家がその後を引き継いだ様なものだからな。ところでその蓮様は屋敷主となったそうだが、その後も令嬢を屋敷に住まわせていると聞いている。本当か?」

「はい。執事さん…いえ蓮様は、父親を亡くし行き場を失った美鈴様を此までと同様、ご令嬢として扱い屋敷に残すとお話されてました」

「そうか。なかなか出来た方だ。流石に一条の血を継いでいる。一条英正氏は当時、貧しい家の少年少女達を屋敷に迎え使用人という仕事を与えながら、女であっても男同様に学問を付けさせ才があれば上の学校へもやっていたと聞く。その資金の全てを一条閣下が負担していたらしい。当時としては大変人徳のある貴族だったといえるだろう。その方の血が彼女にも受け継がれているのであれば、人徳ばかりでなくその才も受け継がれているだろう。正にこの霧島家に相応しい。蓮様と改めて婚約を前提に関係を築く様に勧めたのもそういう事情だ。…分かるな?貴族には貴族の務めがある。一度蓮様を晩餐の席にお招きしたい」

「それは無理だと思います」

「む?体よく断られて帰ってきたのか?」

「蓮様は私の事など微塵も想っておりません。それどころか、彼女にとって心を尽くす大切なご令嬢を傷付けた酷い男だと思われている事でしょう。蓮様のお返事はこうです。…『二度と私とお嬢様の前に現れるな』と」

 父親は豪快な笑い声を上げた。

「流石は一条の末裔。気丈であらせられる。一条の血が我が霧島家によって蘇るのだ。あの軍神とまで謳われた一条英正元帥閣下の血がな。必ず一条を…否、蓮様を口説いて来い。いいな?それが霧島家の次期当主であるお前の務めた!」

 息子と父親は暫く鋭い視線でにらみ合い沈黙を持った後、白い軍服の背が扉へ向けられた。背後に父親の眼光を受けながら扉から出て行った。

 残された龍聖は沈痛な面持ちの儘、暫く革張りの椅子の背もたれに深くもたれ嘆息を吐いた。冷めた紅茶が白いカップの中で小さく揺れた

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