緑陽館幻獣飼育委員会 ドラゴン飼育日誌
ロケット商会
第1話
俺の通う高校には秘密がある。
それは、『ドラゴンを飼っている』ということだ。
この秘密を知っている人間は、たぶん少ない。ドラゴンのことが見えていないのだろう、と思われる。とりあえず俺が知る限りは、誰もドラゴンの噂なんてしないし、『怪物が校内をうろついている』とかで騒ぎになったこともない。俺も頭がおかしいやつだと思われるのは嫌なので、うちの学校にドラゴンが住んでいることは誰にも言っていない。言う友達もいない。
だが、ドラゴンは確実にいる。飼われている。
俺はそのことが気になって仕方がない。
ドラゴンの名前は、『スオウ』というらしい。
どんな漢字が当てはまるのかも知らないし、本当にそれが名前なのかどうかも怪しい。ただ、古ぼけた首輪にカタカナでその三文字だけが記されているので、俺はそう呼ぶことにしている。『スオウ』という名前を呼べば反応するところを見ると、あながち間違いでもなさそうだ。
俺は入学してから一年間ほど、スオウの行動をできる限りの範囲で観察していた。
昼間のスオウは、よく日の当たる校舎裏をうろうろと歩き回っている。もしくは眠っている。ごく希なことだが、グラウンドを走ったり、ほんの数秒間だけ飛び上がったりすることもある。なんだか落ち着きがなく、欲求不満な印象。
日中の俺はちゃんと授業を受けているため、その程度のことしかわからない。
本格的に観察できるのは放課後になる。いつしか、それは趣味というか、日課のようになってしまった。その理由は俺自身にもよくわからない。
その日も俺は授業が終わり、教室の掃除当番を終わらせて、日陰になった校舎裏に足を運んでいた。ようやく停学期間が空けたばかりだったので、スオウへの土産としてバタークリームサンドを持っていくことにした。あいつの数少ない好物でもある。
やけに風の冷たい四月の夕方だった。空気が張り詰め、乾いていたのを覚えている。
「やあ、これは奇遇だね」
と、校舎裏に近づいた俺の背後から、やたらと芝居がかった女の声が聞こえた。
「牧原くん?」
語尾をあげる調子で、名前を呼ばれる。
どうせこいつも居るだろうと思っていたので、いまさら俺は驚かなかったし、そこから続く言動にも困惑したりしない。こいつの発言についてはもう慣れた。最初は何かの違法なハーブでも嗜んでいるのかと疑ったが、どうやら違うらしい。こいつはこういう、ちょっと珍しい性格の人間なのだと思うことにした。
「ふと気が向いて訪れてみれば、きみと遭遇するなんてね。運命的なものすら感じてしまうよ。もしも神様がいたとしたら、とてもイタズラが好きなのかもね?」
早口で一気にまくしたてられ、振り返ってみれば、やっぱり見慣れた女の顔がある。
校則にきっちり従った完全な黒髪。肩のあたりまで伸ばしている。やや大人びた顔立ち――青白い頬の色――どこか飄々とした表情で、校舎の壁によりかかっている。そういう立ち居振る舞い、見た目だけを総合すれば、「クールな美形」の部類に入るのではないか。
だが、彼女の容貌において最も目立つのは、真っ赤な色の右目だろう。オッド・アイ、というやつだ。血のように赤い。
こいつの名前を、芹沢七緒という。
成績優秀、運動神経抜群にして、とどめには実家が金持ちらしい。本人の申告によると、学年で常にトップクラスの成績を取り続けているとか。なるほど――たまにいるやつだ、と、俺はその話を聞いた時に思った。周囲からの評判は、すこぶる良いらしい。どこか『神秘的』で『ミステリアス』だとかいう連中もいる。理解できなくはない。こいつはルックスだけなら、ずば抜けたものを持っている。
芹沢七緒は、まさにスクール・カースト上位としての資質を持った人物だ。彼女がスオウの存在に気づいてさえいなければ、俺は関わることすらなかったかもしれない。いまではむしろ、あまり積極的に関わりたくないとすら感じる。
「きみはどうかな、牧原くん? この遭遇は一種の運命だと思わないかい?」
また語尾をあげるように名前を呼んで、芹沢は俺を見上げた。
「はあ」
俺は生返事で応じるしかない。
「俺はあんまり詳しくないけど、芹沢、運命とか好きだよな」
「いいや? 運命の方が私を放っておいてくれないのさ。世界は運命という鎖で私を縛ろうとする。困ったものだよ」
「大変だな。じゃあ、風水とか始めれば?」
「はあ?」
どういうわけか、芹沢は気勢を削がれたような顔をした。
「なんだい、その適当な――え、なに? 風水って言ったの?」
「玄関に黄色いものとか置くと運勢が変わるらしい。あと神社とかのパワースポット巡りも効果あるって言うよな。芹沢、どうせ暇だろ」
芹沢も放課後にやることがないから、ここを訪れているものだと思った。だが、この発言は芹沢の猛反発を招いた。
「いや、待った、誤解しないで欲しいな! 私はこれでも多忙だからね、色々と。交友関係とかあるし。部活の助っ人とか、勉強を教えて欲しいとか、言われたことあるし」
「そうか」
圧倒的な劣等感。
俺は自分がまともな人間関係を構築できていない、という自覚がある。常にある。そんなわけで、しっかり社会と接続しているらしい芹沢のようなやつを見ると、具合が悪くなるし、言い方も刺々しくなる。
「俺はクソ暇だし、どうせ放課後に遊ぶ友達もいないから毎日のように来てるけど、芹沢は違うのかよ」
「も――もちろんじゃないか! だがそんなことより、牧原くん? 今日はきみの方に聞きたいことがある!」
勢いよく話を転換させられた気がする。芹沢は俺を指差した。
「たったいま! きみは暇を持て余しているから毎日のように来ていると言ったが、その言葉には若干の虚偽が含まれているだろう?」
「いや。別に嘘ってわけじゃ――」
「現にここ一週間、まったくきみの姿を見なかった」
芹沢はたたみかけるように質問を浴びせてくる。赤い右目が俺を睨んでいるようだ。なんだか名探偵が証拠をあげつらう場面に似ている、と俺は思った。
「牧原くんはここのところ学校を休んでいたようだけれども、いったい何をやっていたんだい?」
おおげさなほど肩をすくめる。そういう仕草は、まあ、見た目だけ考えれば割と似合う。
「まさか体調を崩していたとか? もう大丈夫なのかな? っていうか牧原くんの方こそ友達を見つけたとか、そんなわけないよね? ねえ?」
「ただ単に、停学食らってたんだよ」
恥ずかしいし、あまり言いたくなかったから、俺はできるだけ短く告げることにした。芹沢を黙らせるためだ。
「クソ暇だった。同伴がいないと、寮の敷地から出られないし。筋トレぐらいしかやることなかった」
「えっ、停学?」
芹沢は素っ頓狂な声をあげた。
「なにそれ! ――じゃない、なんでだい?」
「たいしたことじゃない」
あまり詳しい事情を、話す気にはなれなかった。芹沢に対してだけではなく、誰に対してもそうだ。停学に至る経緯は俺にとってすごく恥ずかしくて、後悔しているし、思い出すだけでも嫌な気分になる。
「喧嘩をした」
俺は問題のありそうな部分を省略して話すことにした。
「相手が四人で、みんなテンション上がってたからな。そいつらの肋骨を合計七本くらい折っちまった。俺は奥歯が折れた。最悪だった」
「ひえっ」
芹沢は明らかに顔を青ざめさせた。なにかを隠すように、赤い右目を押さえる。
「嘘でしょ?」
「嘘だったら停学になってねーよ」
「肋骨はやりすぎだよ、きみの暴力性にはたまに愕然とするよ。前々から思ってたけど、良くないよ!」
激しく糾弾された。
「そうだな、良くないな」
俺もわかっている。
そもそも喧嘩に至る発端は、四月の初めに学年が変わって、新しいクラスで起きたよくある出来事だった。何も特別なことじゃない。単なるイジメだ。しかも対象は俺ではなかった。とりわけ小柄で、無口で、いつも自信のなさそうな同級生がイジメの対象になっていた。
具体的には、体操着を便器に沈められたり、弁当をゴミ箱に捨てられたり、その類のことだ。どうも学年が変わる前からのイジメが、極端にエスカレートした結果のようだった。が、たぶん――そこから先は俺が悪い。目の前でそういうイジメの光景を見せられたものだから、ものすごくイライラして、気がついたらイジメっ子連中の主要メンバー四人に喧嘩を売っていた。
その結果が、相手は四人あわせて肋骨七本の骨折、俺は奥歯が折れて停学。
最悪だった。
穴を掘って入りたくなるほど恥ずかしい。
新学年早々にやってしまった。こういう発作的な衝動を抑えられないから、俺はぜんぜん周囲に馴染めないまま、ここまで来てしまった。もっとうまいやり方があったはずだ。イジメられてるやつを助けたことにもならない。ただ目の前で胸糞の悪いことをやられて、イラついたから喧嘩を売り、肋骨をへし折った。それだけだった。
よって俺はそれ以上の事情を話す気もなくなったので、芹沢を置き去りにして、大股で歩き出す。もともと、嫌な気分に浸るために来たのではない。今日はちょっとした気晴らしだ。
「で――牧原くん? なんでまた、喧嘩なんてしたんだい?」
どうやら気を取り直したらしい芹沢が、背後から足早に追ってくる。
「きみの喧嘩にはいつも理由がある。私はそう思っているよ。できれば、教えてほしいな」
「イライラしてたから喧嘩しただけだ」
「本当かい?」
「うるせっ」
俺は短く吐き捨てて、校舎の角をもうひとつ曲がる。
芹沢はまだなにか俺に質問していたと思うが、心を閉ざしている俺に聞こえない。何も言いたくない。いくら立ち位置が珍獣に近い芹沢といえども、いちおう俺の中では『女子』のカテゴリに入っており、見栄を張りたい気持ちはゼロじゃない。
そうやって校舎に沿って少し歩くと、すぐに目的地が見えてくる。なんということもない、ただの質素な物置小屋だ。雑木林に囲まれた、校舎の片隅。『用務員室』という古ぼけた札が掲げられている、プレハブの物置小屋だった。小屋にかけられたその札をよく観察すれば、『緑洋騎士団詰所』という消えかけた文字も見ることができる。いったいそれが何を意味するのか、俺はまったく知らない。
ちょうどその粗末な小屋のドアを開けて、ひとりの男がのっそりと出てくるところだった。猫背で小柄な、作業着姿の男。両手にポリバケツと、デッキブラシを抱えている。
その容貌はおよそ年齢不詳。中年かもしれないし、初老かもしれない。日焼けした顔はシワだらけで、いつもヘラヘラと笑っている。その挙動不審な様子から、学校に入り込んだ浮浪者のようにも見えてしまうこともある。しかし、どうやらちゃんとした用務員ではあるらしい。
作業着に付けられた名札には、『尾形』と書かれているので、俺もそう呼んでいる。
「尾形さん」
俺は丸まった背中に声をかけた。尾形さんは緩慢に反応する。ゆっくりと腰を伸ばし、かがみこんだカエルのような姿勢から立ち上がる。
そして、どこか胡散臭い笑顔を浮かべた。片手をあげると、喉の奥をぐぐっと鳴らす。それが尾形さんの挨拶だった。
「ああ。どうも、ひさしぶり」
俺もうなずいて、挨拶を返した。
尾形さんは沈黙していた。喋らない。喋ることができないのかもしれないが、詳しいことはよくわからない。確かなのは、この小柄な用務員こそが、ドラゴンの飼育を担当しているということだ。理由も経緯も知らないが、とにかくそうなっている。
「ごきげんよう。お久しぶりです、尾形さん」
追いついてきた芹沢も、律儀に頭を下げて挨拶をした。優雅ですらある。尾形さんは満足そうにまた喉を鳴らした。芹沢に対して劣等感を覚えるのは、特にこういうところだ。礼儀作法というか、そういうセンス。俺は咄嗟にできない。
仕方がないので、俺は芹沢を見習い、すばやく話を変えることにした。
「あのさ――スオウは、元気か?」
尾形さんは喉の奥で笑って、無精ひげだらけの口を尖らせた。甲高くてひび割れたような、金属製の鳥のような鳴き声が響く。かなり独特の、尾形さんの口笛だった。
プレハブの裏手から、ゆっくりとひとつの影が歩み出てくる。
ほかの存在を気にもかけない、悠然とした挙動。
そいつは大きな馬ほどの大きさの生き物だった。深い緑色の鱗が、波のように蠢く。大木の根を思わせる太い四肢と、鋼の縄を縒り合わせたような尾。その背に折りたたまれた翼は、開けば予想以上に大きいということを、俺は知っている。
それから首の付け根に、革の首輪が巻かれていた。そこに書かれているのは、かすれた文字でかろうじて読める数文字。『帝國海軍』。『駆獣特一種 スオウ』。
その生き物はゆっくりと首を伸ばして、一度だけまぶたを開閉させた。そうして俺たちを視認する。瞳孔が細められる――芹沢の右目にも似た、真紅の瞳だった。
その生き物は、まさにドラゴンであった。
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