第27話

司が母親に近況報告を終えて帰宅すると、自宅のリビングにひじりとテペヨロトルの姿が見えなかった。


ソファーにはお腹をぽっこり膨らませたセイパが、少し苦しそうに横になっている。


「ただいま」


「お帰りなさいませ司様。このような格好で失礼いたします」


室内にはなんとも奇妙な匂いが漂っていた。匂いはキッチンの方からだ。


「セイパ。二人はどうしたんだ?」


「それが……私の作った昼食を一口食べるなり、逃亡してしまいました。残すわけにはいかず、すべて自分で食べたのですが……」


「そうか。ええと……お疲れ様」


店屋物ではなく、セイパが料理に挑戦したらしい。そして、惨劇が起こったところまでは司も察した。


「二人は外に出たのか?」


「いいえ。玄関方面ではなく、客間の方へと逃げていかれました」


司は客間に向かった。


ノックしてから扉をあけると、カーテンで閉め切られた真っ暗な部屋の片隅に、テペヨロトルとひじりが肩を寄せ合い震えていた。


「ただいま。いったいどうしたんだ?」


「あうあうあうあうあ」


「うーうーうー」


二人は獣のようにうなっている。司は部屋のカーテンを開けた。


憔悴しきった二人の顔に、驚きながら聞く。


「何かあったみたいだけど……」


「司……?司お帰り!テペヨロトルね、司に見捨てられると死にます!」


「戻って来てくれたのね。よかった。本当によかった!」


二人は今にも泣き出しそうな顔で司に抱きついてきた。


「落ち着いてくれ。ええと……お土産なんだけど、母さんのすすめでこれにしたんだ」


「食べ物!?ちゃんとした食べ物!?」


涙混じりの声で聞くテペヨロトルに、司はうなずいた。


「甘納豆っていうんだけど……」


「「いやああああああああああああああああああああああああああああああ!」」


テペヨロトルと一緒に、ひじりまで悲鳴をあげる。


「本当にどうしたんだ二人とも?」


悲鳴を聞きつけて、セイパが重たそうなお腹を抱えるようにしながら客間に現れた。


「私が作った納豆チャーハンを、お気に召さなかったご様子なのです」


「納豆チャーハンを作ったのか?」


「はい。大豆は畑の肉とのことで、豆類でしたらテペヨロトル様も……と考えてはいたのですが、結果このような事態になったことを、心よりお詫びいたします」


相当やらかしたんだな。と、思いつつ、司は甘納豆を開封して一口食べて見せた。


「うん。甘いな」


「へ?甘い?臭くないの?」


発狂していたテペヨロトルが、司の顔を一心に見つめる。


「ほら。納豆だけどネバネバしてないし、お砂糖で甘くなってるんだ」


「大丈夫?ぬちゃぬちゃしない?」


「納豆にも色々あるからな」


司が一粒手にして、そっとテペヨロトルの口元にもっていく。


「う、うう!」


「匂いも違うだろ」


「うん……ぱくり」


司に食べさせてもらって、テペヨロトルの表情がほころんだ。


「柔らか甘い……ちょっとだけ、あんパンを思い出すねー」


「ああ。けど、あんことはまた違った良さがあるよな。ひじりも一つどうだ?」


司がそっとひじりの口に甘納豆を運んでいく。


「あ、あーん……って、食べさせてもらうなんて恥ずかしいじゃない」


テペヨロトルと同じように口を開けてしまったことに気付いて、ひじりは手のひらで甘納豆を受け取ると食べる。


その曇りがちだった表情に、晴れ間が射した。


司はほっと息を吐くと、この惨劇を起こした張本人に向き直る。


「なあセイパ。よりにもよってなんで納豆チャーハンなんだ?」


「納豆のタンパク質は動物性のそれにも通じると、ネットにて学びました。タンパク質はテペヨロトル様の好物です」


「それじゃあ食べさせ方に問題があったのかもな」


「納豆はチャーハンにすれば食べやすい。これもネットで得た知識ですが」


ムムムッと眉間にしわを寄せてセイパが詰め寄ってきた。


炒めると納豆の臭いが抜けて食べやすくなると、司も聞いたことはあるのだが……。


「火を通せば食べやすいとはいうけど、納豆は日本人でも苦手な人がいる食材だから、ちょっと攻めすぎたみたいだな」


吐息の掛かる距離にまでセイパは近づいてくる。


「挑戦は必要と考えます。それに基本的にはレシピ通りの分量で、材料の1グラムから調味料の1ミリリットルまで、正確に計測して調理いたしました。ただ、時折出てくる『少々』や『適量』には手こずりましたが……」


威圧感を覚えながらも、司はなんとかセイパをたしなめようとした。


「俺もあの表記で迷うことはある。けど、化学の実験じゃないんだから、そこまで正確にしなくてもいいと思うな。食べる人の好みに合わせればいいんじゃないか?」


真顔で司の顔を見つめたまま、セイパは一歩も引かない。


「はい。もちろん不確定な分量に関しても、過剰な投与は行わず私なりにバランスを考えたつもりです。塩味などは、薄味のものに塩を足すことはできても、その逆は難しいとのことですから」


司は半歩下がってうなずいた。とりあえず塩梅がわからない時は、薄味で作る方が後から味を足せて安全だというのもよくわかる。


となると、セイパが何をどう間違えてしまったのか?


「アレンジしたりしてないか?」


「そういえば、納豆の粘りを生かすために、あとから納豆をチャーハンに混ぜ込むよう工夫いたしました。それと、とても美味しいパクチーをたっぷり……」


「それだとレシピ通りじゃないな。それにパクチーは野菜だからテペヨロトルも苦手だろうし」


「テペヨロトル様には野菜にも興味をもっていただきたいのです」


司が下がった分だけ近づいて、セイパは力説する。


「それはまあ、俺も思うけど」


司が横目でテペヨロトルを見ると、彼女はほっぺたを膨らませた。


「野菜なんて絶対食べないし。あれは飾りだし!テペヨロトルは神だから、野菜なんて食べなくても死なないし!ジャガーだってピューマだって野菜食べないし!野菜食べて育ったお肉を食べれば、結果的に野菜食べたのと一緒だし!」


まくしたて、あげく彼女はあっかんべーをすると部屋から出ていってしまう。


テペヨロトルの野菜嫌いが強化されたようで、司は心の中で頭を抱えた。


そんな司の手を、セイパが両手で包むように握る。


「司様もテペヨロトル様に野菜を食べてほしいと思っているのですから、ここは何が問題だったか把握するためにも、是非、司様にも同じものを食べていただきたく……あっ!正確に再現するためにはパクチーを買い足さなければいけませんね。お二人の口には合いませんでしたが、食べ物は好みの問題が大きいですし、司様の口には合うかもしれません」


あまり表情が変わらないセイパだが、自信ありげにドヤ顔をしているようだった。


「気持ちだけ受け取っておくよ。夕飯は俺が作るから」


セイパの心は折れていないらしい。ひじりとは別の意味で……むしろ、ひじり以


上に包丁を握らせてはいけないなと、彼女の自信満々な姿に司は思う。


そして、テペヨロトルに野菜をどうにか食べてもらえないかと、ついつい考えてしまった。


嫌いなものを嫌いなままでも良いかもしれない。それを「逃げている」なんて言うつもりもない。


ただ、お肉が美味しいように野菜だって美味しくて、食わず嫌いで美味しさにテペヨロトルが気付けないのは、なんだかもったいないな。


と、司は思うのだった。

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