第15話

ひじりが目を覚ますと、そこは司の家のリビングだった。


目覚めたひじりの顔を上からのぞき込むようにして、司は安堵の息を漏らした。


「よかった。気がついて」


意識を取り戻すなり、ひじりは大あわてで上半身を起こす。


ソファーに寝かせられていたらしい。

勢いがつきすぎて司のおでこに自分のおでこをぶつけにいってしまった。


「「いった~~」」


二人して額のあたりを手で押さえる。


「気を失ってたんだから、もっと落ち着けよ?そんなに慌ててどうしたんだ」


「どうしたもこうしたもないわよ!だってこの家に……」


ハッとしてリビングを見渡すと、邪神テペヨロトルは――テレビに夢中だった。


子供向けのアニメが放映されている。


あんパンをモチーフにした正義のヒーローが、愛と勇気を友として、みんなのために平和を守る一話完結型の物語だ。


そのヒーローが持つ最大の特徴は、あんパンでできた食べられる顔を、お腹が空いた人に分け与えられるところにあった。


「あんパンの人、顔を全部食べたらどうなるのかな?」


テペヨロトルの質問に、傍らに控えるように立っていた樹霊セイパが答える。


「当然、死にますね」


「じゃあ、全部食べないでちょっとだけ残しておかないとね」


やはり邪神は恐ろしい。


何度も食べるため、わざと瀕死の状態を維持しようというのである。


と、ひじりは思った。


テレビ画面から振り返るとテペヨロトルは笑顔で言った。


「司はあんパンの人みたいだね」


「俺はこんなに丸顔じゃないぞ」


「そうじゃなくて、お腹が空いて困ってる時、助けてくれますから」


「ああ、そういう意味か」


司が部屋の時計に視線を向けた。


つられてひじりも確認する。


部屋の時計の針は午前十時過ぎを指し示していた。


スーパーはもう開いている時間だ。


「じゃあちょっと買い出しに行ってくるんで、ひじりは留守番を頼む」


「え、ええ!?」


「テペヨロトルも行きたいです」


すくっと立ち上がって、テペヨロトルはかかとを上げて背伸びしながら告げた。


「自転車でひとっ走りしてくるから、テペヨロトルも留守番だ」


「えー。行きたい行きたい!テペヨロトル、スーパー行くの得意なんだよ?」


「美味しいのを買ってくるから良い子にしてるんだぞ」


美味しいのという一言で、不満げな顔が天使のような笑顔に変わった。


「はーい!美味しいのわくわく。楽しみだなぁ」


「じゃあ、行ってくるから」


司は手早く準備を済ませると、エコバッグを片手に部屋を出て行ってしまった。


ひじりには何がなんだかわからない。


司はテペヨロトルの正体を知っているのだろうか?


それなら自転車で逃げてくれればいいのだが、そういう気配を司は微塵も見せていなかった。


「あ、あの……」


司が部屋からいなくなって、邪神と樹霊と一緒に取り残された守護天使はつい、声を漏らす。


「なーに?お腹空いた?」


ぴょんっと跳ねるようにテペヨロトルがひじりの隣に座った。


瞬間、ひじりは心の中で悲鳴をかみ殺しながら、言葉を選ぶ。


「えっと……」


ひじりが何を言うのか興味津々なようで、テペヨロトルはエメラルド色の瞳をくりくりさせて、じっと見つめてきた。


ひじりの口から自分でも思いがけない言葉がこぼれ出る。


「あんパン……好きなの?」


「うん!大好き!それに司も好き!」


「……ッ!?」


好物だと公言する邪神に、ひじりの胸は苦しくなる。


「ひじりは司のこと好き?」


「へ?」


思いがけないテペヨロトルの質問に、ひじりの口から間の抜けた声が漏れた。


「ねーねー?ひじりは好きですか?」


嘘を吐こうが真実を告げようが、邪神の機嫌を損ねれば殺されるのだ。


それなら最期くらい自分に素直でありたいと、ひじりはうなずいた。


「ええ。好きよ。幼なじみだもの。ずっと司のそばにいて、見守ってきたんだから」


「そっかぁ。そうだよね。司はかっこいいし美味しいもんね」


仲間を見つけたような口振りで、テペヨロトルは満足そうにひじりに告げた。


控えていたセイパが小さくひじりに会釈する。


「すみません。テペヨロトル様は少々……幼いもので」


「い、いいえ。こちらこそ……いきなり気絶したりして……す、すみません」


慌てて取りつくろうひじりを、セイパがじっと凝視する。間が持たないとひじりは聞いた。


「あ、あの、セイパさんは彼女とどういったご関係なんですか?」


テペヨロトルをちらりと見つつ、ひじりが聞くとセイパは小さく首を左右に振った。


「セイパで結構です。ひじり様にはどのように説明すればいいのか……ともかく、テペヨロトル様は高貴なお方で、私は仕えているのです」


「司にも、そう説明してるの?」


「はい。納得いただけたご様子です」


貴族か大企業の社長令嬢と司が勘違いしてくれているのであれば、ひじりとしても都合が良い。


どうしようもない危機的状態に違いはないのだが、自分の正体がばれないことに、ひじりはほっとしてしまった。


安堵したひじりにセイパが聞く。


「ところで、なぜ気絶なさったのですか?」


「ええと、その……」


「何か大きな力を感じ、その重圧感にあらがえきれず意識を失ったということはありませんか?」


真剣なセイパに、ひじりは困ったように眉を八の字にさせた。


探りを入れられているような印象だ。


セイパの眼光は怜悧に輝いて見える。


どのようなささいなことから、ひじりの正体に気付くかも……もしくは、とっくに看破されているかもしれない。


「あの、ちょっと……わかりません」


セイパは小さくうなずいた。


「そうですか。今のは忘れてください。人間には時々、神性に敏感な個体が現れるのですが、テペヨロトル様も貴方を捕食対象とは見なしていないようですし……」


ひじりは何を言っているのかわからないフリを続けた。


「は、はい?」


「すみません。今のも忘れてください。海外への渡航にはなにぶん不慣れなものでして。この国の言葉もうまく変換できていないようなのです」


ひじりは認識を改めた。


どうやら、セイパもテペヨロトルもひじりの正体には気付いていないらしい。


司をどうしようというのか、ただその一点だけが気がかりだ。


突然、テペヨロトルがひじりの腕を掴んでぎゅーっと抱くようにする。


「幼なじみって、司とどれくらいずーっと一緒にいたの?百年くらい?」


「えっと、十年くらいかな」


「じゃあじゃあ、司の十年くらいのこと教えて!」


純粋なテペヨロトルの眼差しに、ひじりは心の中で深呼吸をしてからうなずいた。


「え、ええ。いいわよ。どんなことが聞きたいの?」


それからひじりは、テペヨロトルの質問にそれぞれ答えていった。


彼との出会い。


彼と過ごした思い出。


彼が得意なピアノ。


彼の好きな色。好きな季節。好きな星。好きな歌。etc……etc……。



時間は飛ぶように過ぎていき、その間、テペヨロトルは興味深そうに、時折うんうんと相づちをうちながら、ひじりの話に聞き入るのだった。

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