第12話
翌朝、司は洗面所で歯を磨いていた。
隣でテペヨロトルが寝ぼけまなこで歯磨きを続ける。
その顔は不機嫌そうだ。
「これ、やっぱり嫌ぁ。からいー。スースーするし美味しくないね」
「ああ、そうか。子供用の低刺激なものじゃないしな」
司が口をすすぐと、テペヨロトルも真似をする。まるで親ガモのあとをよちよちついてくる子ガモのようだ。
「それじゃあご飯にするか」
「たべるー!ご飯だご飯だ嬉しいなぁ!」
司はさっそくキッチンで仕事に取りかかった。
といっても、昨晩の夕飯のような大変さはない。
小さなテーブルクロスを敷いて、冷蔵庫からジャムとマーガリンを出して並べた。
ヤカンをコンロにかけてお湯を沸かしつつ、四枚切りの食パン二枚をトースターに放り込んで焼きながら、フライパンに少しだけ油を引いてベーコンを四枚並べた。
「テペヨロトルは卵は何個食べたい?」
「うーんと、うーんと、二つ!」
「焼き加減は?」
「焼き加減?」
「俺のお任せでいいな」
「うん!お任せします!」
卵を四つ、ベーコンの上に割り入れる。
ジューッと香ばしい音がした。
目玉を黄色く仕上げるために、火加減はごくごく弱火で、蓋はしない。
そうこうしているうちにヤカンにお湯が沸く。
スープはインスタントのコーンスープである。
袋の中身をカップに開けて、司はお湯を注いだ。
「お手伝いを頼んでいいか」
「出来るかなぁ」
「スプーンでカップの中をゆっくりかき混ぜてくれ」
「やってみるね!」
まるで昨日の司の真似をするような口振りだった。
テペヨロトルは両手に一本ずつスプーンを持って、カップの中に渦を作る。
「粉が全部溶けたと思ったら、混ぜるのをストップしてくれ」
「はーい!くるくるくるっと。まだかな?もうちょっとまぜまぜしようね」
チンッ!と、トースターが甲高い音を鳴らす。司はトーストをお皿に並べた。
サラダの代わりに、冷蔵庫から果汁一〇〇%のオレンジジュースのパックを持ってきて、グラスに注ぐ。
これならテペヨロトルも嫌がらないだろう。
そろそろベーコンエッグが仕上がりそうだ。
ピンポーン!
その時、チャイムが鳴った。
今は朝の七時半。
来客には早すぎるのだが、もしかしたらテペヨロトルの保護者のセイパかもしれない。
司はろくに確認もせず、オートロックを解除した。
「テペヨロトル。ちょっと出てくれないか?」
「出る?出るとこどこ?テペヨロトルお外?」
「玄関に誰が来たか確認してきてくれ」
「この黄色いのをまぜるのは?」
「ありがとう。もう十分だ」
「どういたしまして。じゃあ、行ってくるね!」
トテトテトテーっと、テペヨロトルは玄関に駆けていく。
セイパが来たとなっては、この朝食は無駄になってしまうのだろうか?
「良い感じだな」
ベーコンエッグをフライ返しで二つに分断した。
外側の白身はしっかり固まり、黄身はほんのり半熟だ。
上手に焼けたのに、食べないなんてもったいない。
そんなことを思いつつ、司はそれぞれのお皿にフライパンからベーコンエッグを取り分けた。
とりあえず塩と中濃ソースとケチャップと醤油を食卓に用意する。
その時――。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
つんざくような女の子の悲鳴が司の耳に届いた。
さすがにマイペースな司も、これには驚いて玄関へと馳せる。
開きっぱなしの玄関ドアの前で、テペヨロトルがじーっと廊下を見つめていた。
「テペヨロトル、どうしたんだ!?」
「帰った」
「セイパさんじゃなかったのか?」
「うん。帰っちゃった」
「どんな人だった?」
「あんまり美味しそうじゃなかったね」
悲鳴は女の子のものだった。
新海家に訪問してくる女の子といえば、心当たりは幼なじみの一人しかいない。
「もしかして、ひじりか?しかし、悲鳴を上げるほどのことじゃないだろ……」
「ヒジリ?なにやつですか?」
「なにやつって……俺の幼なじみだ。気を悪くしないでくれ」
「全然大丈夫!悲鳴は気持ちいいよね」
出会い頭に悲鳴を上げられても気にしないどころか、テペヨロトルはどことなく誇らしげな顔だった。
「じゃあ、朝ご飯が冷めないうちに食べるか」
「はーい!朝に食べるから、朝ご飯!」
元気に返事をしてテペヨロトルは司についてくる。
ひじりにはあとで事情を説明しようと、考えながらダイニングに戻ると、司はテペヨロトルと一緒に食卓についた。
「これなんですか?」
「ベーコンエッグだ。日本だと目玉焼きっていうんだ」
「め、目玉!注目度が高いね。目が合った!なかなか良い名前かも。目玉を食べた気持ちになれるなんて」
目玉焼き一つとっても受け取り方は様々だな……と、司は思った。
今朝はパンなので、箸ではなくナイフとフォークを用意した。レクチャーするまでもなく、テペヨロトルは司を真似て両手にナイフとフォークを持つ。
「あっ……味をつけないとな」
思い出したように司は食卓上に用意した調味料を選ぶ。
「テペヨロトルは何味がいい?」
「この赤いの!血みたい!」
「ケチャップか」
野菜のトマトが苦手な人でも、ケチャップなら大丈夫というケースは、案外多いものだ。
司はケチャップのボトルを手にした。
「どれくらいかける?」
「血みどろ!」
「ちょっとわからないから、自分でやってみてくれ」
テペヨロトルはケチャップのボトルを思いっきり押した。
空気が入っていたようで、ブシャッ!と、なって目玉焼きの白身が赤く染まる。
「わああ……とっても美味しそうだねー」
「あ、ああ。そうだな。パンはマーガリンだけでいいか?」
「この赤い瓶は?こっちの赤も気になります」
「それは苺ジャムだ」
六角形の瓶は、深い紅色で満たされていた。
果肉の少し残ったような、しっかりとした食べ応えのあるジャムだ。
瓶を下からのぞき込むようにして、テペヨロトルが目を細める。
「これも良い色だね」
「テペヨロトルは赤が好きなんだな」
「うん!赤いの大好き!」
嬉しそうにニカッと笑う彼女のパンの半分にマーガリンを。
もう半分にはマーガリンと苺ジャムを塗ってあげた。
自分のパンにはマーガリンだけだ。
「これでしょっぱいのも甘いのも食べられるな」
「すっごくおいしそう!ふたつの味が食べられるんだね!」
「いただきます」
「いただきまーす!」
テペヨロトルが大きく口を開いた。
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