第2話

「二年生からでも部活に入ったっていいんじゃない?」


三学期の修了式も終わった放課後の教室で、宮守ひじりは司が帰り支度を終えるの待ちつつ、そう言った。


「もしかしてひじり……何かやりたい部活ができたのか?」


聞き返す司に、ツインテールを揺らして彼女はフフッと笑う。


「質問に質問で返さないの。わたしは司になんでも興味を持ってほしいだけよ」


「あ、ああ……」


ひじりの言葉は「わたしがアルバイトをしている間、司が寂しい思いをしなくてすむように」と翻訳することができるのだ。


新海家は両親が海外で仕事をしていて、司は一人で過ごす事が多い。


高校生になってからは家政婦さんもお断りして、一人暮らしだ。


そんな司のことを同じマンションの同じフロアに住む、幼なじみのひじりは何かと気に掛けてくれた。


黙り込む司をみて、ひじりは背中側に腕を回して、指先同士をひっかけるように手を組んでから、顔をのぞき込んでくる。


「ほら、美術部はどう?もしかしたら名画を残す巨匠になれるかもしれないわよ?ミケランジェロの『最後の晩餐』みたいなのをドーンと描いちゃうの」


おそらくシスティーナ礼拝堂にある「最後の審判」と、他の絵画がごちゃまぜになってるんだろう。と司は思った。


「絵は観賞するのも描くのも苦手だな」


これで諦めてくれるなら親切な幼なじみで済むのだが……。


「じゃあじゃあ吹奏楽部にもう一回チャレンジしてみない?いっそ指揮者とかどうかしら?むしろ作曲なんかもしちゃって、モーツァルトとかベートーベンみたいになっちゃえばいいのよ」


またしてもとんでもない偉人の名前がひじりの口から飛び出した。


彼女に悪気はない。むしろ真剣だ。


「作曲なんて無理に決まってるだろう……」


「わたしは結構本気で言ってるんだけどな。司はピアノ上手いじゃない?司が弾くピアノ、わたしは好きよ」


確かに司は地域のコンクールに出場したこともあるのだが、結果が実るというところまで至らず、両親も無理強いしなかったため止めてしまった。


自分には本気で音楽に向き合う覚悟がない。と司は思う。


なんでも要領よくそれなりに出来てしまうが、決して長くは続かなかった。


器用貧乏も天の与えた才能かもしれないのだが、芯の部分に「好き」や「夢中になる」という気持ちを見つけられないでいた。


まるでドーナツだ。真ん中にぽっかりと穴が開いている。


甘い物が食べたいなと思いつつ、司は考え続けた。


高校に入学してから、半ばひじりに押し切られるような格好で、司はいくつかの部活動に参加した。


どの部活でも、そこそこにこなすことはできた。


それでも人の表面を取りつくろうメッキというものは、剥がれやすいものだ。


途中から周囲に熱意が無いことを悟られてしまい、大会に出るとかコンクールに出展するという段階になってくると、気まずさも手伝って司はその部を辞めてしまった。


熱意が無いこと。


競争が苦手なこと。


そういった気持ちを正直に話したにもかかわらず、ひじりはなおも諦めずに部活を勧めてくる。


「なあ……ひじりは俺をどうしたいんだ?」


「世に名を残すようなすごい人よ。もちろん悪名じゃなくて良い方のね。メジャーリーガーでもいいわよ!そうしたらご両親とも一緒に向こうで暮らせるじゃない」


レギュラー争いが激しいチームスポーツなんて、文化部以上に性格的に向いていない。


それにひじりの前提は大きく間違っていた。


「今は二人ともイングランドだよ」


ひじりが「ほうほう」と相づちをうった。


「ならプレミアリーグね。名前だけなら知ってるわ」


ひじりはその場でシュート!と空を蹴って見せた。


お節介だけど、こういった仕草が愛らしくて憎めない。


実際彼女は男子に人気があった。


隣のクラスどころか他校にまでファンがいると噂が立つほどだ。


しかし彼氏はいたことがなかった。


司から見ても彼女はあまりそういった事への興味や関心が無さそうなのである。


ひじりは片足を上げてポーズを付けつけたまま、エヘンと鼻高々な顔をした。


「どう?今のシュート?なかなか決まってたんじゃない」


「ああ。かっこよかった」


「足の長さに恐れ入ったでしょ」


軽口をたたき合えるのも彼女くらいだ。


これまでずっと同じ学校なうえ、クラスまで同じだった。こんな偶然があるのかというほど、ひじりはいつも司のそばにいる。


高校一年生の少し苦い思い出と、荷物をカバンに詰め込んで、司は席を立った。


「じゃあ帰るか」


「そうね。帰りましょ」


ひじりは強引なところも多いのだが、最近はあくまでエールを送ったり、お勧めするだけで、無理にやらせようとまではしなかった。


不意にひじりのカバンからカノンが流れだす。


彼女は慌てた口振りで、まくしたてるように言った。


「あっ!バイト先からだ。ごめんね。今日は先に帰ってて」


彼女のアルバイトは不定期で、呼び出しはいつも唐突だった。


バイトが入る度に申し訳なさそうにする彼女に、司の方こそ申し訳ない気持ちになる。


「ああ。行ってらっしゃい」


ひじりは慌てて教室から出ようとすると、出入り口付近で振り返り「寄り道しないで帰るのよ!あと、ちゃんとしたご飯を食べること。いいわね?」と、司を子供扱いして飛ぶように廊下を駆けていった。


「相変わらず、いきなりなんだな……バイト」


ひじりに限って危ない事などしていないと思うのだが、電話が来た時の彼女の慌てぶりに、驚かされることはしばしばだ。


詳しいことを聞こうにも「プライバシーの侵害ね」と取り付く島もないため、彼女のアルバイトがなんなのかを司は知らない。


「帰るか……」


今日はコンビニに寄って行こう。甘い物が食べたいという衝動だけが残っていた。

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