Tag~刃鎖で紡げ、奇妙な二人~

 ジョン・ドゥの進撃は怖いほどだった。

 さんざん暴れまわった後をゆっくり着いてくるだけでいいくらいに。足の踏み場などないくらい死体だらけで、血の気が失せた生固い肉を踏んでしまうのが気になるが。

 どうもジョンは途中でサーベルを乗り換えている。けっこう離れた場所からついてきてるフレデリカにも届くほど剣風が強い。それほど剣速が速すぎるせいで、刃は空気摩擦で赤熱する。大量生産のサーベルなど数人斬っただけで使い物にならなくなるのだ。

 時折、二挺拳銃に切り替えてはアクロバティックに飛び回りながら撃ちまくっている。狙いがつけにくそうだが、むしろ外れる弾のほうが少ない。フレデリカには持ちえない武器――経験というものの恩恵であろう。

 もはや死体量産機だ。目についたものすべてに死を振りまく、血に塗れた野獣だ。

 スライドがホールド・オープンしたコルトM1908に新たな弾倉をジョンは込める。

「おーい、デカチチ。弾丸寄こせ弾丸。もう弾倉がないぜ」

「ちゃんと名前で呼んでください!」

「えー、だって俺様テメェの名前知らねえしよォ」

 そういえば名乗ってはいなかった。名乗ることになると、欠片も思っていなかった。

 渋々口を開いた。コルトの弾倉を渡しておくのも忘れない。

「……フレデリカ。フレデリカ・エインズワースです」

「へー……覚えたぜ、チチデリカだな」

 眉間に一発撃ち込んだ。

 こいつは人の話を聞いていなかったのか、という言いたくなる。そもそもチチデリカなんてうまいこと言ったつもりか。

 眉間を押さえながらぴょんぴょん飛び回るジョンに、思いっきり長い溜息を吐く。フレデリカの予想通りにジョン・ドゥという男は、どうやらサイファー以上に苦手なタイプの男らしい。完全に自分の欲望というものを隠す気が感じられない。

 サイファーも同じようなものだが、フレデリカの中ではマシなほうに入る。五十歩百歩、ということわざを引き合いに出されると沈黙するしかないが。

「オイ! だから痛ェって言ってんだろ!?」

「胸だのチチだの、そういうことを言った報いです」

「そんなのデカいモンぶら下げてる義務みたいなモンだろォ?」

「……最低です。変態です」

 ジョンと二言三言話すだけでも、精神こころをすりおろしている気分になる。

 しかし苦手なタイプの男と言えど、この状況では誰よりも頼もしい。複数回にわたってサイファーと渡り合ったのだから、その実力は信用できる。なぜ自分と行動を共にしてくれるのか、という一点だけがフレデリカの中で引っかかっているが。

「どォした? なんか聞きたそうな顔だな」

「……私を襲わないんですか? サイファーさんの関係者ですよ」

「勘違いすんな。俺様が興味あるのはアイツ――サイファー・アンダーソンだけだ。お前なんか胸以外に興味はない。ここで戦うメリットもないし、楽しみがいもなさそうだからなァ。あと個人的に女とは戦いたくない。アンタみたいな胸のデカいイイ女は特にな。別の意味でなら襲いたいけどな」

「…………」

 無言で後ずさった。性的な意味で食われたり襲われたりなんて、まっぴらごめんだ。

 あまり関わらないでおこう、と固く誓った。二挺の薬室に初弾が入っているかも確認する。

「おっと、新手が来たなァ」

 足音がいくつもする。

 たぶん人数にして四人くらいだ。新手にしては妙に少ない気もする。

 この数式機関と解析機関が稼働し続ける広場なら、銃弾を凌げる遮蔽物に困ることはないはずだ。ただ籠城し続けるのも、ジリ貧を招く。

 そんな懸念や考えなど関係ないと言わんばかりに、ジョンはずんずんと足音のほうへと進んでいく。

「さァて、リベンジ・マッチの準備運動といこうか?」

 サーベル二本を構え、狂相の笑みを浮かべる。

 ジョンが駆け出すと同時に銃声が幾重にも重なって響き渡る。その元凶は即席で地面に据え付けたヴィッカース水冷式重機関銃だ。それが二挺も据え付けられている。

 弾丸は嵐となって絶え間なく吐き出され続ける。常人にとっては身を隠すほかない暴威を、ジョンはたった二本のサーベルを振り回して弾丸を叩き落とす。そのまま機銃手に向かって突撃をかける。途中で弾丸が炸裂しても、たたらを踏むことさえしない。

 機銃手のそばで装弾手を務めていた二人組が立ち上がる。拳銃を抜いた。

 その前にジョンの一刀が顔の上半分を斬り飛ばした。返す刀で機銃手の首も刎ねる。

 拳銃が火を噴いた。機銃手も近くに置いておいた短機関銃を手繰り寄せると、フル・オートで引き金を絞り切る。この不死身の化け物をどうにかしたい、という一心からくる行動だった。

 それも白刃が四度も閃いた瞬間にぴたりと止む。

 技術など欠片もない膂力だけの一閃。それだけでも生身の人間を切り分けるのには十分すぎた。肉屋が豚や牛を解体するように、ジョンは四度の剣戟を以て二人を解体した。首は皮一枚で繋がってる状態で、股間から顎のあたりまで一閃されている。腹圧でがせり上がって、ついに噴出した。

 鮮血の壁画、なんと凄惨。

 臓物の浮彫、なんと残酷。

 元凶の狂人、なんと凶悪。

 これだけの惨状の真ん中で、ジョンはヴィッカース水冷式重機関銃を指さしながら――笑うのだ。

「見ろよ、こんなモンまで引っぱり出してきやがった。一人に対してやり過ぎじゃねえかァ?」

「…………そうですね」

 自分はどちらに同意したのか。

 ジョンの言葉か、それともこの惨状か。

 今さらやり過ぎだと言えるはずもない。フレデリカも同じだけのことをした。二刀と二挺と得物の違いはあるとはいえ、ここに来るまでに数多の兵士を始末した。

 ――今さら否定できないから。

 自分も手を汚してしまっている。だから否定などしない。

 本音――恐ろしい、怖い、汚い。

 生命を奪うことの恐ろしさを、その泥沼の深さを、もう一度改めて思い知った。だから、あの時自分は何もかもを吐き散らした。本能的に理解してきたのかもしれない。

 だから――改めて覚悟する。

 銃声一発。もう使い慣れてしまった二挺の重み、反動、銃火の明滅。

 壁面に脳漿がぶちまけられる。

「油断大敵、ですよ」

 ジョンの背後にいた兵士が頭の上半分を消失して、膝から崩れ落ちていく。

 『All In One』の銃口と銃身の放熱ジャケットからは、色濃い硝煙が立ち上っている。使い慣れた二挺のうちの一つ。ベースとなったマウザーC96の重さは、全自動射撃フル・オート時には反動制御の助けをしてくれる。しかし、一発だけでも近距離から中距離なら抜群の精度を見せる。

 奇襲を仕掛けようとする兵士の脳天を撃ち抜くなんて、わけもないことだ。

「いらねえお世話だぜ」

「治ると言っても痛いんでしょう?」

「清楚系かと思わせておいて毒舌かァ。揚げ足取りやがってェ。魔性の女だ、傾国の美少女だァ」

「褒めても、あなたには何もあげませんから」

 ただ辛辣に、つんとむくれて返す。何かにつけて胸に関してつっかかってくる男には、これで充分だ。大きくなりたいと望んだわけでもない。あんまり真っ平らなのもいただけないが。まぁヘンリエッタは別として。

「なァんだよ、キスの一つでも期待していたンだがなァ」

「……ここから出してくれたら、考えてあげます」

「やるとは言わねえのかァ……ま、いいかァ」

 サーベル二振りを携えたまま、のっしのっしと歩き出した。

 愛用の二挺、その片割れを両手に握りしめて歩き出す。まだ両手に一挺ずつをやるには、まだキツいものがある。あの機関兵士から貰ったダメージはいまだにわだかまっているのだ。

 ジョンがあらかたの兵士を倒してしまったのか、洞窟内は静けさを取り戻す。

 ざ、ざ、ざ。

 二人分のブーツが土を踏みしめ、砂をかき分ける。足音は規則正しく、少し駆け足だった。

 暫しの沈黙。あるのは洞窟を流れる風の音だけ。

 ジョンは流れてくる風のもとに向けて歩いているらしい。地下に流れ込んでくる風に、何か怪しいものを感じた。が、火のない所に煙は立たない。新たな脅威の臭いを感じ取りながらも、黙って歩くことにする。

 その沈黙にも耐えきれなくなった。

「なんで、サイファーさんを狙うんですか?」

「仕事」

「引き受けた理由です」

「ア? サイファーはお前のコレだったのかァ?」

 サムズ・アップ。

 示すものは一つしかない。

「……違います!」

 過去最高の大声が出た。洞窟が揺れたんじゃないか、と一瞬だけ思ってしまう。パララ、と肩に落ちた土の感触を気のせいだと信じたい。

「……はぐらかさないでください」

「まじめでお堅いことで……俺様の身体のことぐらいはわかるよなァ?」

 ジョン・ドゥは不死身だ。月並みな表現ではあるが、これが一番しっくりとくる。指で摘まめるだけの肉片も残さぬほど刻まれても、黒焦げにされてから砕かれても、瞬き一つの間に元通りだ。おまけにサイファーすら超えるほどの怪力ときている。

 この男もサイファーと同じ怪物なのか。どういう存在かは不明だが、おそらくは人知の及ばぬ権能を有しているに違いない。

 首を縦に振った。

「おかげでなかなか死ねやしねェ。弾丸食らったって、ぶった切られたって、死ぬほど痛いだけで死ねやしない…………いいかァ、覚えておけ。漫然とした日常なんざ、死んでんのと一緒だ。人間てモンは色んなモンを比べないと価値がわからねえからな、生きてることの大事さも死と比べないとわからねえのさ。俺様みたいな身体してると、余計に比べづらくってたまらねえ。あの男なら、極上の死を味合わせてくれると確信したんだよォ」

「…………サイファーさんは、何度か死にたいと思ったことがあるそうです。あなたは、どうなんですか?」

「死ねないから諦めたよ。それよりも目まぐるしく変わる新大陸の事情は、俺様を常に飽きさせないでくれる。一度でいいからマンハッタンのブロード・ウェイに行くべきだ。トーキーにミュージカルまで選り取り見取りだァ」

「この世界を楽しんでいるんですね」

「当たり前だァ、せっかくある命、せっかくある世界なんだから楽しまねえとな。悲観的に行くよりも楽観的に行く主義なんだ」

「サイファーさんと戦ったのは、楽しかったですか?」

 そこでジョンは沈黙した。

 悪いことを聞いてしまったか、と思わず口元に手を当てる。

 ううむむ、と唸り込んでから、およそ三分。

「――半分かねェ」

「半分?」

「今まで会ったことないくらいの強敵だったが、あんな殺気ぶっ放してくるとは思わなかった。自分を根こそぎ殺されてる気分だったよ。二度と味わいたくないくらい、濃厚な『死』だったよ。とっても魅力的な男だね」

「…………まさか男色」

「もう一度言ってみろ! 俺様は野郎のカマだけは掘らねえんだ! わかったかァ!? ったく心臓に悪いこと言いやがる……」

 口が滑った。過去最高に滑った。

 ジョンはかなりお怒りのようで、そこいらに唾を吐きかけている。

「え、と…………ごめんなさい」

「野郎のカマを掘りたいやつなんか、甲高い声をして額の後退したヤツに決まってる! 紅茶に睡眠薬を持ってブチ犯すのさ! 俺様はそんなんじゃない! わかったか!?」

「はい、わかりました」

 進んでいくほど風の流れは強まっていく一方だ。

 地上が近いのか、と抱いた期待ははかなく消えた。

 おそらく地上から大気を取り入れるためのファンが、今まで目印にしていた風を生んでいたにすぎなかったのだ。地下という場所の関係上、空気の確保は急務なのだが。

「地上への出口じゃないのか……」

「残念です」

「さて、どうしようかなァ…………オッ?」

 ジョンの視線の先には分厚い鉄扉があった。真鍮のプレートには『Arsenal』と刻み込まれている。漏れ出る火薬と鉄と油の臭いから、間違いなく武器庫であると推測できる。

 何のためらいもなくジョンは鉄扉をこじ開けた。というより閂の鉄棒も掛け金も二重三重に巻かれた鎖も、まとめて怪力に任せて破壊したと言ったほうが正しい。二度と正常な開閉など望めなくなった鉄扉が、凄まじい音を立てて蝶番から外れて倒れた。

 舞い上がる風と砂ぼこりに思わずスカートを押さえた。

「ワァ~オ、選り取り見取りじゃ~ん」

 拳銃から自動小銃、複数人で運用するレベルの重機関銃。それだけに留まらず民間企業で研究開発途中とされている個人携行自動式榴弾砲まである始末だ。弾薬も所狭しと並べられ、刀剣類に至るまで置いてある。

「まずは両方とも四五口径フォーティー・ファイヴにして、刀まであんじゃん! ヌッ、こりゃあ大陸の倭刀ってやつか! 二振りもあるゥ! こりゃ両方ともいただきだなァ」

 ジョンは大量の武器弾薬を目の前にして、飛び回る勢いで浮かれている。

 だがフレデリカの興味は武器庫の一番奥にある壁だ。妙な何かを感じ取って、軽く叩いてみる。よくわからないので爪先で蹴ってみる。

「どォしたァ? その壁が気になんのかァ?」

「妙な感じがするんです……根拠はないですけど」

「どれ、物は試しだろォ?」

 思い切りジョンは壁を蹴っ飛ばした。それも飛び後ろ回し蹴りだ。

 壁は粉砕された。爆発物でも使ったように。武器庫全体が揺らぎ、天井から土ぼこりが降ってくる。

「隠し部屋、かァ?」

「……なにか嫌な予感がします」

「奇遇だな、俺様もだァ」

 壁の先には別の部屋があった。おそらくブロックを積んで、モルタルを使って塗り固めただけの壁でふさいでいたのだ。そこまでして、隠しておきたいものがあるということか。

 ここでもジョンが先行した。正直言って物凄い姿だ。左右の太ももにホルスターに納めたM1911、背中に交差するように倭刀を鞘に納め、ベルトにある左右のハーネスにソード・オフしたウィンチェスターM1912をぶら下げ、止めに両手にルイス軽機関銃を持っている始末だ。

 黒いレザーのパンキッシュな上下も相まって、かなり危ない。間違いなく危ない人間ではあるのだが。

 部屋の中央で刺々しい鎖がとぐろを巻き、三メートル近い高さにまで至っている。それも蛇がとぐろを巻くように上に行くにつれて小さくなるのではなく、底辺も天辺もすべて同じ太さなのだ。まるで柱だ。棘の鎖で編まれた柱である。

 その周囲には――数多くの人骨がある。古いものも新しいものも、共通しているのは一つとして全体を残している者が存在しない。まるで鋭い爪を持った猛獣に引き裂かれたようにバラバラだ。臭うはずのない血臭を嗅いだ。

「あの柱……ヤバいぜェ」

「……埃が積もってない」

「聡いなァ。人骨は埃まみれなのに、柱だけがきれいだァ。元凶はアレにあるぜ」

 ジョンは踵を返そうとした。用はないとの判断だろう。

 だがフレデリカは吸い込まれるように柱に近づいていく。

「おいデカチチ!」

 わざと怒るような言葉をチョイスした呼びかけが、聞こえたような気がした。

 業を煮やしたジョンが襟首をつかんで止めようと、こっちに来るのがわかる。

 その前に柱に触れた。

 ――きっと私のためにあるんだ。

 ただそれだけを思って、手のひらに鋼鉄の棘が刺さるのも構わずに押し付ける。

 柱は一瞬で膨らんだ。十重二十重に重ねられた鎖は、展開したままフレデリカを一瞬で取り囲む。

 ジョンが歯噛みしつつ、ルイス軽機関銃を撃ちまくっている。弾丸はすべて切り落とされ、展開した刃鎖の群れには何の影響もない。

 白骨はおそらく自分と同じように柱に触れた人間のものだろう。彼らは“資格”を持っていないがゆえに、刃鎖の群れに取り囲まれてズタズタに切り裂かれた。

 だがフレデリカには資格があった。

 この刃を手繰るための資格が。

 刃鎖は急激に収束していく。フレデリカの右手へ、棒状に変わっていく。ただ先端には湾曲して伸びる刃がある。

 これは大鎌だ。メインとなる大きな刃と、その反対側に小さな刃を備え、さらに長柄の先端に槍の穂先まである。

 刃鎖は束ねられ、一つの大鎌に変わったのだ。死神が携える死者の魂を刈り取るための、非常に大きなものだ。絵の長さだけでも一五〇センチを超え、刃渡りは一二〇センチに迫るはずだ。実戦で扱うことなど欠片も考えていないような大きさと形状だが、どういうわけかこの大鎌を自在に操れる自負がフレデリカには存在した。

「よいしょ、っと」

 軽く一回転。

 サイファーが野太刀を振っているのを見て、あんなに長いものを自在に振り回せるのかといつも不思議に思っていた。だが出自がまともではない大鎌とはいえイメージ通りに振り回せている。

 ――これは、きっと。

 ――私のために、あるんだと思う。

 自惚れで言っているのではない、根拠のない確信だ。

 横に一振り、回すように縦へ三振り、X字を描くように回し続け、思い切り振り下ろした。切っ先は滑らかなほど地面に吸い込まれていき、引き抜く時も何の抵抗も存在しなかった。

「試し切りは済んだかァ?」

「多少は。実戦はまだわかりませんが」

「危なっかしいとこはねェから、ザコ共を相手すんならちょうどいいはずだァ。あとはきちんとぶった切れるかどうかが問題だなァ。銃で殺すのと、刃物で殺すのはだいぶ違う。ダイレクトに手に伝わるぜェ。相手が死ぬ瞬間というモンがよォ。ま、せいぜい潰れるンじゃねえぞォ」

 ケケケ、と笑いながらジョンは進んでいった。

 大振りな鎌の柄を握りしめながら、後を着いていく。

 自分はサイファーやヘンリエッタのように人を斬れるだろうか、という妙な不安だけが胸中でわだかまっている。



 ◆◇◆◇◆



 一刀両断。

 その表現がぴたりとくる一閃は、機関兵士の頭頂から股間までを綺麗に断ち割った。断面は鏡のように万物を移し、縁は触れただけで指が落ちそうだ。

 くるり、と一刀が翻って血を払い、納刀された。

 鋼鉄の骨格と外殻、生身の臓物をまとめて真っ二つにした腕前は紛れもなく極東で育まれた正統剣術の一端であろう。それを振るったのは身の丈二メートルを超える偉丈夫である。無論、極東の人間ではない。振るった一刀もまぎれもない日本刀ではあるが、刃渡り五尺四寸三分一六八・九センチメートルに及ぶ野太刀である。

 サイファー・アンダーソン。その剣腕は地下深くでも翳ることを知らない。

「敵さん、だいぶいなくなったな」

「というより、死体のほうが多いようだね。フレデリカが倒したような傷ではないけど」

「刀傷だからな。それにしても美しくない傷だ」

「美しくない?」

 訝し気にヘンリエッタが聞き返してきた。サイファーの言葉は相当に危険な匂いを孕んでいる。笑いながら人を殺せるような殺人鬼なら、きっとそういうに違いない。ただ声音に冗談の類は一切なく、真剣そのものであった。

 転がった死体一つ一つを見分し、その中でも完全に切断されている死体の断面に注視している。

「素人より多少はマシ、くらいの腕前で力任せにぶった切ったな。断面がえらく汚い。僕を見習えって話だ」

「……そのようだね」

「使った刃物は敵さん方のサーベルだろうよ。死体の転がり方から見るに、やった相手は二刀流だ」

「それって、まさか…………」

「――ジョン・ドゥ、ここにいるかもしれない」

「フレデリカが危ない!」

 そう言って駆け出そうとしていたヘンリエッタは襟首をつかまれて、出鼻をくじかれる。

「あっちのほうが気になるな。何かデカい機関の作動音が聞こえる」

「……確かに」

 歩を進めるにつれて転がる死体の数はどんどん増えていき、その密度も比例的に増していく。

 開けた広場は死体で埋め尽くされていた。五体満足である者がほとんどいない。どこかしらを切断されていたり、ひどいものは四等分にされている。野獣が群れを成して、その爪牙を持って食い荒らしたようにしか見えなかった。

 ごくり、とヘンリエッタは生唾を飲んだ。こみ上げてくるものを、押し戻すために。

「なんだ、この機関は……?」

 サイファーの興味は場の惨状ではなかった。

 すり鉢状に掘り下げられ、採掘場もかくやという光景に様変わりした場所で駆動し続ける二つの大規模機関。

 数式機関と解析機関。

 接続された二つは一時も休むことなく駆動し続ける。

「パンチ・カードも数式カードも出してないあたり、こいつはロクでもないことに使ってる証拠だ。ぶっ壊しちまうに限る」

 地下に来て初めて抜いた愛用の巨銃――『Howler In The Moon』を数式機関に照準した。動力を失えば、解析機関は演算を止めるしかない。

 引き金に指をかけて――凄まじい爆音が連続で響き渡る。

「ア゛ア゛ッ! くそったれ!」

 重厚な鎧騎士が本来であれば兵器搭載用の重機関砲を、横っ面からバラまきまくっている。機関兵士よりも装甲や出力に重点を置いて、より人間という範囲を逸脱した兵器――機関騎士であった。

 大出力を誇る躯体内部の機関からチューブを伸ばし、それを重機関砲に繋いでいるのは新設計の機関砲草案の一つだ。外部動力を用いることで無理矢理確実な発射と排莢を実現するというもの。弾詰まりや不発弾は圧搾蒸気の圧力が生む給弾機構の力強い作動によってはじき出され、口径二五ミリもの重機関砲弾はベルト・リンクが続く限り発射され続ける。

「もらっていきな――特製の炸裂弾だぜ」

 連発される重機関砲の咆哮をかき消すような、只人では保持も叶わない巨銃の雄叫びがこだまする。ホーレス謹製の炸裂弾は、軟鋼で出来た弾頭の内に炸薬を仕込んだだけのもの。たったこれだけではあるが着弾の瞬間に、弾頭は装甲へと密着し、そのタイミングで炸薬による爆発が起こる。装甲内部は剥離飛散して内部にダメージを与える。これもホーレス曰く『数世代先の砲弾理論を転用した』ということだ。

 サイファーにとってはよく効く弾丸程度の認識だが。

 その虎の子の弾丸も騎士の左胸に着弾しただけで、重要な内部機構にダメージは及ばなかったらしい。証拠に機関砲の掃射はいまだに止まる気配が感じられない。

「ここは三十六計を決めるしかないか」

 着込んだ灰色のロング・コートの性能を考えれば、機関砲弾くらいなら貫通しないはずだ。だが防弾装備なんて一つも持っていないヘンリエッタのことを考えれば、踏みとどまって応戦するのは躊躇われる。第一に目標はフレデリカの捜索だ。

「こっちだ!」

 機関騎士の足元にぶち込めば、炸薬によって三メートルに迫る騎士を覆い隠すだけの土煙が上がる。その隙にヘンリエッタは駆け出した。

 だがサイファーは一緒ではない。だが留まっているわけでもない。

 ――鯉口を切る音がいやに響く。

「やあ」

 あくまでよく見知った知己に挨拶するような声。

 騎士が振り返った瞬間、銀閃一条。

 頭頂から股間まで断ち切った。背後からの一閃は振り返る前に。振り返ったことが引き金になったとは、真っ二つになった脳髄で理解できたかどうか。

「追っかけられると、困るんでね」

 オイルと鮮血の混ぜ物を払い、鍔鳴りを小気味よく立てて納刀した。

 そのままヘンリエッタを追う。ものの数秒もしないうちに追いついた。

「ブーツの足跡がある。明らかに違うもの――フレデリカのものがね」

「逃げながら足跡に注視していたか。でかしたぞ」

 足跡は暗闇の奥までずっと続いている。

 歩いて追うのは少しだけ骨が折れそうだ。これはサイファーの基準だから、ヘンリエッタにとっては『少し』ではなく『かなり』になる。

 だから少しだけ常人にはできないズルをする。灰色のロング・コートが漆黒に染まり、赫いひび割れができるように眼が浮かぶ。およそものを見るという機能からかけ離れているように見えるが、これでも立派な眼球だ。のっぺりとしているがサイファーは新たな視覚を有している。

 目を増やした理由はただ一つ。

 ――コートの眼球は一斉に地面を注視した。

 足跡を追いながら走るため。それも全力疾走。

 ひょいとヘンリエッタを担ぎ上げた。

「軽いな、それに細い」

「私だって女さ。醜く肥え太るような無様はしないよ」

「もっと食え。近頃の英国淑女は細すぎる」

 ふふ、とヘンリエッタは微笑んだ。上品というよりは、下世話な意図が見て取れる笑いを

「自分のが入らないから?」

「うるせえ!」

 一喝しながら地面を蹴った。

 下手な安物でオンボロの蒸気自動車ガーニーよりは速度がある自負がある。その一方でコートに浮かび上がる亀裂めいた赫い眼は、不気味にきょろきょろと動き回ってフレデリカの痕跡を探る。

 視覚が増える感覚は増えた本人にしかわからない。

 サイファーはとにかく“視えるからいい”ということで貫いてきた。これくらいざっくばらんなほうがちょうどいい。

 その過程で気になるものを見つけた。見つけてしまった。

 フレデリカの足跡、その先を行く大きな足跡に。二メートルを超す自分ほど大きくはないが、立派な成人男性のそれだ。深さからして体重は百キロを超すことはないが、それでも十分に重いことを示す深さだ。

「フレデリカのヤツと誰かが一緒にいる。連れていかれてるのか、それとも着いて行ってるのかはわからん」

「前者だと思うな、私は」

「僕も同感。見ず知らずのやつに着いて行くほど無警戒ではないだろうし、こんな穴倉に顔見知りがいるものかよ」

「けど、個人的な見解を言わせてもらうなら、もし顔見知りに会っちゃったらホイホイ着いて行っちゃうと思うね。倭のは見ず知らずの人間にはとにかくハードルが高いけど、顔見知りで恩義の一つでも感じてしまったら行動を共にしてもおかしくない。例えば窮地を救ってもらったとか。この孤軍奮闘を強いられる穴倉ではなおさらさ」

「こりゃ危機管理を一から教え込む必要があるな」

「それは私がやろう。いくら不用心に部屋に入ってきたとしても、一緒にお酒を楽しんで、そのうえで同衾するけだものが教えるのはベッドの上でのハウ・ツーだろう?」

「減給だこんちくしょう!」

「ひゃあ!?」

 速度を上げて悲鳴を上げさせてやった。

 意外にもかわいらしい悲鳴が上がった、としたり顔だ。

 こういうことをしたのも、最悪の状況からくる諸々の感情をごまかしたいがためか。

 無意識の内に鯉口を切っていた。いつでも居合を放てるように。

 二人分の足音がする。一人はひどく重装備だ。銃火器のぶつかり合う音がする。

 もう一人は女だ。たぶんフレデリカだ、という根拠など欠片もない確信がある。

 重装備のほうがこちらに気づくと同時に、サイファーは走りにブレーキをかけてヘンリエッタを下ろす。

 双刃と野太刀が激突した。火花の明滅が洞窟を照らす。

 重装備の男にサイファーは見覚えがある。あって当然だ、先日まで殺し合っていた男なのだから。

「生きていたのか――ジョン・ドゥ」

「俺様も会えて嬉しいぜェ――サイファー・アンダーソン」

 怪物二人――今ここに邂逅した。

 状況はいささかジョンに不利だ。手にした二本のサーベルは刀身の真ん中あたりまで、野太刀の刃が食い込んでいるのだから。その気になればサイファーはサーベルごとジョンを斬り捨てることもできるはずだ。しかし、それで死なない男であるのは熟知しているし、一歩踏み込めないのはジョンの背後にいる存在が原因だ。

「その鎌は買ってもらったのか? この死なない男に」

「拾い物です」

「ふぅん……こいつに助けてもらったのか?」

「…………はい」

 やっぱり危機管理とか警戒心とか、そういうのを徹底的に教え込む必要がある。たぶん、格闘や射撃の技術以上に必須だ。いくら助けてもらったとは言え、先日まで敵だった男にホイホイ着いて行ってる。今までの育ちの事情が悪く影響しているのだろうか。

 頭が痛くなってきた。

 ここまで自分に着いて来てくれたのも、やはりはじめて会った日に命とか色々なものを救ったからか。

「ま、ここでヤり合うのはやめようぜェ? ここから出るのが先決じゃねえかァ?」

「そりゃ同感だ」

「おまけに俺様はあちらさんと手を切られちまった。仕返しをダース単位でやってやんなきゃ、気が済まねえンだ」

「自業自得、因果応報、身から出た錆、自分で蒔いた種。心当たりの一つでもあるだろう?」

「そんな言葉、俺様の辞書にはないンだ」

「うわっ、なんて自分勝手な辞書なんだ」

「その言葉もねえよ」

「僕もそうだから、これ以上突っ込むのはナシにしようか」

 野太刀と双刃は離れた。

 刃の欠けたサーベルを捨てると、背中から倭刀を抜いた。もしかするとサーベルはあらかじめ使い捨てる気でいたのだろう。その相手がたまたまサイファーだっただけだ。

「足引っ張るなよ」

「こっちのセリフだ、デカブツ」

 フレデリカとヘンリエッタは確信した。


 ――最強最悪にして皆殺し不可避の共同戦線だ、と。

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