Weapon~兵器王のお誘い~

 小鳥のさえずりで目を覚ます、というさわやかでお決まりの目覚めとなった。

「……んォ」

 昨日は少し飲みすぎたかもしれない。空けたスピリタス・リキュールの瓶は十五本くらいだった。フレデリカに抱き着いて、縋ってしまった己を悔いるように何本も飲んでしまった。ちょっと記憶があやふやなところがある。

 ともかくサイファーは起き上がろうとして――左脇腹のあたりから感じる例えようのない柔らかさに固まった。すう、という寝息が余計に拍車をかける。

 ――どうか予想が外れてますように。

 ――どうか別の部屋で寝てますように。

 ――どうか、フレデリカじゃありませんように。

 ゆっくりと、首を回す。長い睫毛、物憂げに閉じられたような瞼、白皙の美貌。寝息に合わせてわずかに揺れる黄金をそのまま紡いだような金髪は、寝汗で額に張り付いている。その顔のあどけなさと幼気いたいさは、いまだ十代半ばの少女と言っても通じる。

 フレデリカ・エインズワースがそこにいた。それも上下の下着にレースの白いフル・スリップだけを着て。たわわとか、どたぷんとか、そういう表現が似合う胸を支える下着のラインが浮き出ていて妙になまめかしい。なんで、男のベッドでこんな格好で寝ている。

 昨日の記憶を必死になって思い出した。そういう記憶がないことから、たぶんやってはいない。たぶん、一緒に寝ただけだ。だんだんと思い出してきた。

 ――飲みすぎだろ、歩けてねえぞ。

 ――だいじょうぶ、です。

 ――とりあえず、もう一杯水飲んどけ。

 ――もう、ここで寝ますぅ……

 ――おいおいバカバカ男の前で脱ぐなドアホ!

 思い出した。

 あのまま酔っぱらって寝たフレデリカを開放しながら、さらに追加で飲んだのだった。女を開放しながらヤケ酒同然に飲みまくるなんて、男の風上にも置けない。それも十代の少女にしか見えない娘とくればなおさら。アーカムの繁華街にたむろするポン引きとか、オカマ連中のほうがまだマシなように思える。

「しかし、なんで胸を押し付ける勢いでひっついて寝るんだろうなぁ……?」

 実の両親は全く分からない上に、引き取ってくれた義理の両親からも冷遇されて、ようやく祖父に引き取られてから愛情の温かみを知ったようなものだ。母性や不正のような、大きな存在からの愛情をはじめとする諸々に飢えているのか。あるいは単に人肌恋しいのか。

 しかし服越しでも十分に検査が必要なくらいの凶器となっている爆乳を押し付けられては、あまりにもよろしくない。色々とあって男の宿命と言える朝の生理現象が起こることは割と少ないとは言え、この未だ男盛りの生気溢れる肉体はいろんな意味で健在だ。無論、そっちのほうも。

 もし、それが起こってしまったら。

 もし、その時にフレデリカが起きたら。

 もし、第三者がやってきたら。

 サイファーのすべてを終わらせる事態に発展するのは想像するに難しくない。とくにフレデリカはうぶな性質たちだから、きっと一週間くらい口をきいてくれない。

 ひとまず深呼吸。ある一点に集まりつつある血を全身にまんべんなく散らせる。ちょっとした“こつ”の為せる技だ。

「ふぅん……ふぇ?」

 間抜けな声を上げたフレデリカと目が合った。銀灰色と黄金色の双眸が見つめ合う。

「あの……ごめんなさい」

「まぁ、うまい酒は飲み過ぎちまうわな」

「お邪魔、でしたか? 勝手に一緒のベッドで寝てしまって……」

「そのあたりは気にするな。あのまま一人で寝せておくのも、ちょっと心配だったし」

 僕も役得だったからね、という呟きは呑み込んだ。

「それよりも服を着たらどうだ?」

 頬に朱が差した。今の状況にようやく気付いたらしい。

 スリップの肩ひもの間、襟から覗く谷間に目が行ってしまう。寝汗に濡れた生肌は柔らかさを想起せずにいられない胸の芸術的なラインを輝かせている。良い匂いしそう、なんて変態的なことを考えたのは内緒だ。

「あの、着替えたいので、あっちを向いていただけると……」

 そこでフレデリカは固まった。胸のあたりまで掛け布団を持ち上げて、気恥ずかしそうにした表情のまま眼だけ驚愕に染まっている。そのまま固まっているのだから、どこか滑稽に思える。

 視線の先は部屋のドア。そういえば昨夜から鍵をかけてなかったような気がする。

 振り向いて――サイファーも固まった。

「お、おう」

 一七〇センチを超える長身に、茶色のボブカットとパンツ・スタイルのファッションが映える麗人。ヘンリエッタ・ウェントワースが同じく固まった状態で立ち尽くしている。ドアノブに手をかけたままの姿勢から、部屋に入ってすぐに石と化したに違いない。

 震える唇で、やや怒りを込めて、口を開く。

「これは……どういうことだい?」

 事情を知らないものが見れば、明らかに誤解する場面だ。

 男女が二人、同じ部屋にいて。そして一人は下着同然の姿でベッドの中にいる。

 部屋の臭いに情交の残り香がないのに気づけば、もしかしたらそういうことはなかったのかも。と思うことはできるかもしれないが、どうもヘンリエッタは頭に血が上っているらしい。視覚情報を何とか認識して、そこから何が起こったのかを分析するだけで精一杯らしい。

「あ、そのヘンリエッタ! これは私がちょっと飲みすぎちゃっただけで――あたまがいたいです」

「頭が痛くなるまでナニを飲ませたんだい!?」

 詰め寄って、胸倉を掴み上げるまで。わずか三秒しかかかってない。早業だ。

「しろ……」

「言うなバカ!」

 今度はビンタが飛んできた。それも、とても強烈なヤツが。確実にサイファーの頬にはもみじ型の赤い痕が残るはずだ。それにしても『しろ』と言っただけでビンタするほどの代物を連想したということか。なかなかに耳年増のようだ。

「飲み過ぎたって、あのお酒ですよ! 白ワインなんです!」

「だいたいフレデリカもほいほい男の部屋でお酒なんて飲んじゃダメだろう!? 危機感をもう少し持ったらどうなんだい!?」

「サイファーさんはそんなスケコマシな人ではありませんよ!」

 ――なんだろう心がいたい。

 口論の内容一つ一つがグサグサ刺さってくる。しかし下手なことを言って、火に油を注ぐのもはばかられる。こういう時に男はどうあっても黙るより道はない。とても世知辛いが。

 一人で飲んでいればよかったか、と後悔しても今の現状は変わらない。それに吹き出てしまった弱みもなかったことにはできないのだから。あの時、フレデリカが倒れ込んでこなかったら、縋るように抱きしめないで済んだかどうか。いささか自信がない。

 しばらく酒はよそう、と決めた。

「あまりこういうことはなしにしてくれないか? 私の心臓がもたないよ」

「心配するな、ヘンリエッタ。しばらく禁酒する機会ができたからな」

「禁煙もしてみたらどうでしょうか?」

「それはヤダ」

 葉巻だけはどうあってもやめられる気がしない。紫煙の香りもなしに生きていくなんて、長い人生を生きる上で考えられないことだ。身体に悪いと言ってもヤニでどうこうなる身体ではないし、自分にとって欠かせない精神安定要素の一つだ。葉巻がこの世から消えたときに備えて、代わりの吸う煙草を五つまで銘柄を絞っているくらいだ。

 折り畳みのポケット・ナイフで吸い口を切り、長軸マッチで丹念に火をつけて口内に紫煙を取り込む。

 煙草の葉だけが醸す独特の味わいを思いきり楽しむ。背伸びして子供が吸いたくなるのも無理はないが、こういう嗜みは大人だけのものだ。精神的にも、経済的にも充実した大人だけが許されている。

「お酒はやめても、煙草は頑固なくらいやめないなんて子供っぽい人ですよね」

 グサッとくるどころか斬り捨てられた気分だ。

 だがこればかりはやめられない。紫煙を吸い込めば、人生の中で一生付きまとわれる羽目になる。幸いなことに一般人のように高級コール・ガールの皮をかぶった真綿で首を絞めに来る死神ではなく、サイファーにとってはただの煙い天使だ。

「数少ない楽しみだ。それまで奪わせないでくれ」

「まぁ、そこまで私も踏み込む気はないけど……さ、私の部屋で着替えようか」

「すみません、お邪魔しました」

 最後にぺこりとお辞儀をしていったフレデリカを最後に、扉は無常に閉まった。

 昨日はみんなで飲もうといって、今日は酒を控えようと思うとはずいぶんと移り気な生き方だ、と自嘲しそうになる。いつもそうだ。とくに趣味嗜好や戦い方にかかわらない限りこんな感じだ。人としては、無残で非情で残酷なほど長きを生きてきたせいか、生きる気力が萎えているということか。

 人として生きるのには、気力がいる。

 化け物として生きるなら、暴力だけでいい。

 最近はどうだろうか。フレデリカと会った日から、ちょっとずつ何かが変わっているような気がする。

 丸くなったような気はしない。だったら攫ってきた支部長をドラム缶に釘づけにして焼き殺さないし、ジョン・ドゥにも無様に負けていたかもしれない。

 初めて会った時はとにかく無力だったのに、いまとなっては並んで戦場を行けるまで成長したフレデリカ。今までの一夜の共としか見ていなかった女たちと違う、理知的なように見えて感情的で殊勝な彼女に触発されているのだろう。濁流の起きた大河のように自分の中身は激しく移り変わって、新たなかたちへ変わろうとしているのかもしれない。

 気の迷いも、気持ちの移ろいも、湧き出てきやすくなる。電話のベルが鳴った。

 ――だから。

 ――フレデリカを手元に置いておきたい。

 ――ずっと繋ぎ止めておきたい。

 フロントからのメッセージの内容も、半分くらいしか入ってこない。

 ――そう願うのも、気の迷いだ。

 久しぶりに聞いた声で我に返る。



 ◇◆◇◆◇



 出かけることとなった。いまだに有力な情報はつかめていない。ジョン・ドゥのバックにいるものはわからないし、目的も同じだった。今日はサイファーの個人的な知り合いと会うだけだが、フレデリカは鏡台の前でにらめっこする羽目になった。

 メイク、というフォーマルなことをするくらいに立場ある人間らしい。まさか女王陛下ではあるまいか、と思うかけたが流石に馬鹿馬鹿し過ぎる。そうそう女王陛下に謁見できてたまるか。

 服は仕事着のスペアにした。そこまで畏まらなくてもいい相手らしい。政府高官だろうか。

「あまり肌に塗らなくてもいいんじゃないかい?」

「化粧っ気がないのも変だと思いますけど」

「元がいいんだから、ほんの少しそえるような感じで良いのさ。あとはしつこくない香りの香水を一吹きするだけで、ぱあっと華やかになるよ。髪はいつも通りにまとめればいいさ」

「そういうものなんでしょうか?」

「そういうものだよ。フレデリカの素材がいいのは私も認めるけど、それも活かさないと話にならない。淑女たるもの、おしゃれには気を遣わないとね」

「……変なやっかみが増えそうで怖いんですけど」

「そういう人間には私が対応するよ。人間以外なら、サイファーの出番だけど」

 おしゃれには、あまり興味はない。工場の既製品を着て、髪が邪魔になるならまとめる程度で。自分が同性にあまり好かれないという自覚はあるが、友人は欲しかったから目立たないように地味でいることを心掛けていた。それでもすべて徒労に終わっていたが、ヘンリエッタと巡り合えたことは宝物だった。

 だから、こうして二人だけで過ごす時間は楽しい。

 心が安らいで、温まる優しい時間だから。一時間一分一秒も無駄にはしたくない。話すこと、聞くこと、相槌を打つこと、楽しむこと。ヘンリエッタと繰り広げるすべてを、あますことなく堪能する。

「私だって、自分で対処できますから」

「何だかんだ腰が引けているじゃないか。よほどの鉄火場じゃない限り、引き金にかける指は重いままだろう?」

「あんまり、やたらめったらに抜くものじゃないと思いますよ」

「いつでも抜けるようにしておけ、ということだよ」

 おそらく今日は銃を抜くことはないはずだ。

 人に会いに行くだけだから荒事なんてあるわけがない。しかし、今まで平穏無事に済んだ試しがないから、少しだけ不安になる。思わずブラウスの上を走るホルスターの紐を、いつもよりタイトに締めてしまう。

「準備は済んだかー?」

 ノックに重なる形の声。身長の割には高めのハスキー・ボイス。

 サイファー・アンダーソンの声だ。入ってこないのは気遣いからか。

「もうちょっとで終わります」

「あと十分で済ませてくれよ」

「五分で充分だよ」

 余裕がある、とはいえ時間を指定したということは急ぎなのか。

 ルーム・スリッパから編み上げブーツの紐を素早く締めた。

 最後に姿見の前で一回転。コートとスカートの裾が翻った。黒い薔薇の花びらが、散ったように見える。

 ヘンリエッタの準備も終わったようだ。いつものブラウスとパンツ・スタイルに、茶色のベスト。かなりの軽装なのにありえない量のスローイング・ダガーを隠していたりするのだから地味に怖い。

 髪はいつも通りリボンでハーフ・アップでまとめた。黄金から一本ずつ紡いだ金髪に、青空を写し取ったリボンはよく映える。少女的ロリータなファッションと言われれば首を縦に振るしかないが。

「お待たせしました」

「お、ばっちりめかしこんできてるな」

「それで会う相手は誰なんだい?」

「話を急ぎ過ぎるなよ、ヘンリエッタ。何事も結論を急ぎ過ぎると、肝心な何かを見落とすもんだ」

「……サプライズを仕掛けたいだけだろう」

「それを言ったらおしまいだろうが」

 むっつりとした様子だ。やっぱりサプライズを仕掛けようとしていたのか。

 一度は『女王陛下はないだろう』と思ったが、頭の片隅にでも保留しておいたほうがいいかもしれない。おそらく大英帝国において重鎮とされる人間だとは思うが。

「ま、着いてからのお楽しみってことで」

 いたずらを思いついたような笑みを見て確信した。

 やっぱりサプライズを考えていたらしい。

 サイファーがリッツ・ロンドンに電話して用意してくれた蒸気四輪ガーニーに乗り込んで、揺られること十分以上。まだ目的地が見えてこない。車体長の長いリムジン・タイプだから車内空間は相当に広い。座席なんてソファーめいて広いから、思いもいの場所に座っても大丈夫だ。

 フレデリカはサイファーの向かいに座ってしまった。となりに一人分くらい間隔をあけてヘンリエッタが座っている。その隙間が妙に気まずい。ボブ・カットの親友はその心中に複雑な思いを抱いているのか。もしかして、いまだに今朝のことを疑っているのか。酒は怖い、しばらく控えよう。

「…………本当にサイファーとは、何もないんだね?」

 耳打ち。いつの間に感覚を詰めたのか。

「なにもありませんから。ヘンリエッタが想像しているようなことなんて。ちょっと飲みすぎちゃっただけです」

 返答も小声だ。サイファーに聞かれたくなかったから。もしかしたら聞かれているかもしれないけれど。

「記憶がないなんてことは?」

「しつこいです…………ヘンリエッタはメイザースさんとなんで出かけていたんですか? それも夜中ですよ?」

「う、痛いところを突かれた」

「言いたくないならおあいこです」

「……そうだね。秘密にしておきたいわけだから」

「だから飲み過ぎただけなんです」

 そうは言ったが、本当は飲み過ぎただけで終わっていない。

 あの縋りつくような抱擁のことは言っていない。言えるわけがない。

 ヘンリエッタの誤解を加速させるのはもちろんのこと、サイファーにも悪いような気がした。きっと彼の見せた数少ない弱さだろうから。だからフレデリカは閉口することにした。彼の名誉のために。

 ガーニーはゆっくりと停止した。慣性を極限まで殺したプロの運転がなせる技だ。超一流にして王室御用達のホテルは、運転手のグレードまで段違いだ。

 着いたのは見るからに高級そうなレストランだ。事前予約もなしに行くことなんで出来そうにないくらい。フル・コースなんて頼んだら、目が飛び出るだけの料金になりそうだ。お金に不自由どころか、ホイホイ贅沢できる今の生活でもあまり行きたくはない店だ。もともとの庶民感覚が抜けてないのもあるが。

 サイファーは躊躇いなく店内への扉を開けた。

「予約が入っているはずだが」

「アンダーソン様と二名様ですね。ご予約の件は存じております」

「で、どこの個室にいるんだ?」

「あちらの個室でお待ちです、ご案内いたします」

 受付がちらと目配せすると、若い男の店員が「どうぞ」と案内をした。

 プライベート性を重視しているのか、普通のレストランとかなり勝手が違う。個室の数がかなり多めで、一般的なオープンな席は少なめだ。料理に舌鼓を打ちながら、会談や商談を行うのが主旨の店なのだろう。

 そういえば朝食は食べていなかった。リッツ・ロンドンに戻らず、あの豪邸で一夜を過ごしたのだから。食事なんて用意されているはずがない。きゅう、とおなかが空腹で疼く

「こちらです。ごゆっくりどうぞ」

「ありがとさん、とっておきな」

 案内してくれたボーイのポケットにチップをねじり込んだ。こういう礼儀をサイファーは欠かさないが、その金額はかなり多いはずだ。なにしろポケットから紙幣の輪郭が浮き出るほど厚いのだから。

「やぁやぁ、よく来てくれたな。仕事の合間だというのに」

「お前が新作を作ったと聞けば、キャンセルしてでも行くよ」

「それは嬉しいなぁ! ささ、そこのお嬢さん方もかけてくれ」

 個室は割と広めだ。十人くらい座れる長テーブルの上座に、一人の壮年男性が座っている。髪にはかなり白髪が混じっているが、まだまだ現役と言っていいくらいエネルギッシュな印象を与える。

 フレデリカもヘンリエッタも初対面ではあったが――顔を知らないわけではなかった。軍事にかかわる人間であれば知らないものはいないはずだし、何度か新聞の一面を飾ったことさえある。海軍における新概念の兵器『航空母艦』の開発をきっかけに、新型の超弩級戦艦、水上蒸気艦戦、陸戦機動要塞に至るまで設計・開発を行った天才技術者。

 ――兵器王の名を関した海軍卿。

 フレデリカは座るのも忘れて、おずおずと聞いた。

「失礼ですが…………ジョン・アーバスノット・フィッシャー第一海軍卿では?」

「おや、私のことを知っていたのかね? 君のような麗しいお嬢さんに覚えていただけているとは光栄だ」

「サイファーさん、海軍卿と知り合いなんて聞いてませんよ!?」

「だからサプライズにちょうどいいって言ったろ。とりあえず突っ立ってねえで座ればいいだろ」

「まさかの海軍卿とはね……」

「誰が呼んだが『兵器王』なんて異名もあるがね」

 全員が着席するとフィッシャーは両手を鳴らす。それを合図に料理が運ばれてきた。まだ朝ということもあって、軽めのものが多い。それでも一流レストランなのかオムレツの出来具合一つ見ても、叶いそうにないというのがフレデリカの感想だ。

 料理は得意だが、それでも一般人の中で上位に入るだけ。プロには決してかなうことはない。一品ずつ食べてみたが、見立てはやはり間違ってなかったらしい。海軍卿が目の前にいるというのに、一心に食べたくなるほどおいしい。

「メイザースから聞いた。複雑な事情を抱えていたらしいな」

「あの野郎、言いふらしてんのか」

「君と親しいものには、確実に言っているだろうね。この国では」

「じゃあ、お前さんしかいない。あとメイザースくらい」

「現在の女王陛下は?」

「それに言及するのはやめとけ。スキャンダルだ」

「そうだな……食事を終えたら、私の新作をお披露目しよう」

 それからサイファーとフィッシャーも食事を始めた。

 全員が旺盛な食欲を見せた。食事のおいしさもあるが、これから先は食っておかねばならない。そういう予感が根底にあるのだ。年若いヘンリエッタとフレデリカ、体躯から人並み以上に食べるサイファー、海軍卿にして大英帝国の軍事を支えるフィッシャーも同じくらい食べた。テーブルを埋め尽くしていた料理は、皿だけを残す結果となる。

 受付の支払いはフィッシャーの出した小切手で行われた。チラッと見た金額の0が明らかに飲食で消える数を大きく超えていて、思わずひっくり返りそうになる。

 迎えはフィッシャーの用意したガーニーだ。リッツ・ロンドンのものとは違う、走行性能と防御性能を重視した軍用のものだ。乗り心地は比べるまでもなく悪そうだが、ここは仕方がない。

「最新型の蒸気四輪か」

「ああ、陸軍からの評価は良い。陸軍からは」

「つまり軍人以外には不評というわけか」

「風情のないデザイン、箱に閉じ込められたようだ。そんな文句の雨霰だ」

 フィッシャーは嘆いているようだが、フレデリカは割と妥当な評価だと感じている。装甲に必要な機関部をコンパクトにしたのか置き方を考えたのか、ボンネットの長さを抑えている。これで車体長を大きく減らして小回りをよくしたのだろう。

 ただ車体すべてが装甲板張りで武骨な印象を与えるのは確かだ。これからマフィアやギャングのアジトに殴り込みに行くという時には、この上なくぴったりであろうが。

「それで新作はどういうコンセプトで作った?」

「全局面対応型機動要塞だな」

「好きだよな、機動要塞」

 ――機動要塞。

 ジョン・アーバスノット・フィッシャーが開発した新たなる兵器概念。

 文字通りの動く要塞というべき代物で、大出力機関によって生み出した圧縮蒸気を噴射することで移動を可能とした。圧縮蒸気による浮遊という都合上、平地でしか運用が利かないという点はある。それでも平均して数百メートル単位の要塞が迫る様は戦場において有効に働き、加えて機関騎士を数百体、歩兵五〇〇名を余裕で運搬し、大量の火砲で一帯を焼け野原に変える。

 機動要塞と対地攻撃機の組み合わせはもはや無敵に等しく、大英帝国の強さを支える一端となっているのだ。

「議会はよく予算を出す気になるよな」

「英国人は紳士でありながら、ロマンを理解できるだけのセンスもあるのだよ」

「このガーニーは不評だったのにね」

「だから新作で名誉挽回だ」

 二回目の移動で着いたのは『英国高度技術研究開発局』だ。この施設に大英帝国を支える技術が集い、新たな技術が生まれていくのだ。最高責任者を務めるのはフィッシャーだ。

「新作は地下の製造所で最終チェックが行われている最中だ。案内しよう」

 地下へと通じる巨大なエレベーターに乗った。階数表示がものすごい速さで変わっていることから、相当地下深くで建造されているらしい。

 重厚な音を立てて、エレベーターが停止した。

 扉が開かれたときフレデリカは息をのみ、ヘンリエッタは口元を手で覆い、サイファーは口笛を吹いた。

 少なく見積もっても長さ八〇〇メートル、高さ九〇メートル、幅三〇〇メートル及ぶ広大な地下空間が広がっていた。複数のピストンとカムによるアクチュエーター・アームの先に工作機械の取り付けられた作業機器が、熟練工たちの手によってひっきりなしに活躍している。そこまでして建造されているのは――巨大な船だ。海を行く船ではなく、空を飛ぶための飛行船だ。船体は長さ五〇〇メートル、高さ五〇メートル、主翼の端から端まで二五〇メートルはある。しかし内部からガスで膨らませるのではなく、完全に装甲板で総体を作り上げており、片方でも八〇メートル近い主翼に巨大な圧縮蒸気の噴射口を備え付けている。

 左右には口径一〇〇ミリ近い砲を備え、まだまだ武装を搭載できそうだ。

「どうだ? これが私の最新型航空機動要塞『フューリアス』だ。船体は五三〇メートル、重量は六四〇〇〇トンに達するが理論上は時速二〇〇キロメートルでの飛行が可能だ。武装は今のところ左舷・右舷合わせて四〇門の一〇〇ミリ砲に三八センチ三連装砲と対空火砲だけだが、いずれは圧縮蒸気砲や五トン爆弾も装備する予定だ」

「それだけじゃなさそうだ。僕と同じだけサプライズ大好きなお前のことだから、もう一つくらい隠しているものがあるんだろう?」

「これだけでも腰を抜かしそうです……」

「類は友を呼ぶというか、似た者同士というか」

 フレデリカはフューリアスを見ているだけでクラクラしそうになる。それはヘンリエッタも同じようなものらしい。

 ここでフレデリカは一つ気になったことを、フィッシャーにぶつけてみた。

「出来上がったら、どうやってここから出すんですか?」

「…………実は考えていない」

「ぬッ!?」

「えっ!?」

「はぁ!?」

「――――というのは冗談で、実は天井が開くようになっている」

 茶目っ気たっぷりにウィンクまでした。

「……フィッシャー、まさかこの建造所から作ったのか?」

「当たり前だろう。天井を開けてそこから飛行させるんだから、そうするのが普通だろう? らしくもない質問だな、サイファー」

「…………よく議会は予算を出したな」

「同感です」

「さて、あれがもう一つの新作だ。名は『メルカバ』という」

 指さした先には鋼で出来た何かが、逆関節の足で立っている。大きさは高さ二〇メートルは下らないはずだ。確認できる武装は骸骨じみた頭部の左右にある三銃身回転式機関砲と脚部の膝に搭載された砲身の短い自動式榴弾砲だ。

「メルカバ…………神の戦車か」

「そうだ。神の戦車は無限軌道を使わない、二本の足で戦場を闊歩する。すでに歩行性能は問題ない領域だ。これを量産し、フューリアスに搭載して空挺部隊として運用することが決定した」

「荒唐無稽極まるアイディアも形になるとめざましいものがあるな」

「三日後にはお披露目の式典を行う。招待しよう」

「ありがとうよ」

 そのとき若い女がフィッシャーのもとに駆け寄ってきた。服装からして内勤なのは間違いないが、こんな製造所にいるべき人間ではない。

「すみません、海軍卿が招かれた客に用があるという電話がありまして」

「……僕にか?」

「近くのカフェで待っている、とだけ伝えるようにとのことでした」

「わかった、行こう」

「気をつけろよ、サイファー。私もお前も敵は多いのだからな」

「いらない心配だ。さ、二人とも行くぞ。鬼が出るか蛇が出るか、楽しみだなぁ」

 エレベーターは地表への道を戻り始める。


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